ジョン・マネーの正体、実は「アンチ・ジェンダーフリー」派

2005年6月10日 - 10:24 PM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

もはやどーでもいいんだけど、またしてもジョン・マネー及び「ブレンダと呼ばれた少年」の話題。というのも、例の本が復刊されたことで新しく感想を述べている人はいないかなぁと探したところ、わたしがここで以前書いた事に対して批判していると思われる記述を偶然発見したので、それについてお答えしなくちゃいけないと思ったのね。その記述というのは瑠璃子さんという方が運営しているWhat’s New Pussycat!?というブログの「ジェンダーはフリーになるのか ジェンダーフリー理論の曖昧さ」という記事のこと。

ただし、それが確かにわたしの記事に対する批判であるという証拠はない。というのも、リンクやトラックバックもないばかりか、わたしの名前すら出してもらえなかったから。でも、瑠璃子さんの批判の周辺に書かれているディーテールを総合すると、多分わたしの記事への批判(というのが大げさなら、批判的な感想と言ってもいいけど)だと思われるので勝手に答えちゃいます。

で、さっそく瑠璃子さんのブログから該当部分を引用。

グーグルでこの本の感想をざっと検索したら、なんでマネーの理論をフェミニズムが同意したことはない、そもそもマネーはフェミニズム嫌いだった、と書いている人がいたり。(その方のコメント欄では、音楽雑誌でこんな話題を取り上げるわけがない、と読んでいないのがまるわかりのものもあった。作者はジャーナリストではないとも。作者ジョン・コラピントがローリングストーン誌のライターで、デイヴィッドにインタビューをしたのがこの本を書くきっかけになったのだが。それはamazonでも本の中でも触れられている。)本書を読めばわかるのだが、上野千鶴子は自らの理論補強に双子の症例を引用している。都合のいいときは引用して悪くなったら「使用したことはない」というのはちょっとなあと素直な感想。少なくとも、過去の著作において双子の症例を引用し、理論補強に用いたジェンダー論学者は、自己批判するか総括はすべきだと思う。それが都合よく政治的に利用され続けたブレンダ/デイヴィッドに対する責任であると私は考えている。

まず上から順に取り上げていくけれど、「マネーの理論をフェミニズムが同意したことはない」とまではわたしもさすがに書いていない。というか、性差の存在は生物学的に決定されているものではなく環境から学ばれるものであるという理論はマネー以前にいくらでもあった考え方であり、フェミニズム内部にだってそういう立場を取る論者はもちろんいた。例えば、第二波フェミニズム初期に大きな影響を持った Kate Millett が1970年に出版した「Sexual Politics」では女性はその生物学的機能のみを生かすような役割を分担させられ、その結果文化的・社会的な営みは全て男性の領域とされてしまったと論じているが、そこで彼女が批判するのはもちろんそうした社会的性役割分担であり、男性支配だった。同じ時期の重要な文献である Shulamith Firestone の「The Dialectic of Sex」(1970) はもっと過激で、科学技術によって女性を出産から解放することでジェンダーだけでなくセックス(生物学的性差)すらも消去してしまうが男女平等に繋がるとまで論じられている。

ただ、ミレットやファイアストーンがそう書いた時、彼らは確かにマネーが考案した「(セックスから区別されるものとしての)ジェンダー」という用語を使ってはいるけれど、マネーの理論を下敷きに書いたわけではないし、そもそもデイヴィッド・ライマーの件についての報告は当時まだなされていなかったのね(報告されたのは1972年)。同じく第二波フェミニズム初期に影響力を持った「The Feminine Mystique」(Betty Friedan) は1963年、「女は女にうまれるのではない、女に作られるのだ」で有名なボーヴォワールの「La Deuxié?me Sexe」はもっと古くて1949年。どう考えても、彼女たちがデイヴィッド・ライマーのケースを元に理論形成したわけがないでしょーが。

マネーが考えたもともとの「ジェンダー」という言葉の意味を復習しておくと、それはフェミニストたちの用法とは違ってそもそも「男らしさ」「女らしさ」みたいな意味も批判的なニュアンスも含まれていない。マネーが「ジェンダー」という言葉で何を表現しようとしたかというと、心理学者としてトランスセクシュアル/性同一性障害の患者を目の前にして、「生物学的な性別とは別に、性自認=ジェンダー・アイデンティティというものがあるのだ」という当たり前の思いつきを記述するために、言語学用語である「ジェンダー」という言葉を流用しただけの話。

保守派の論客はどういうわけだか気付いていないようなのだけれど、「男は男らしく、女は女らしく」という主張とマネーの理論は必ずしも矛盾していない。ただ単に、その人が男なのか女なのかは生物学的な性と一致しているとは限らないとマネーは言っているだけだ。すなわち、マネーの理論は「ジェンダーフリー」ともフェミニズムとも無関係であり、ただ単に「性同一性障害」の存在を医学的に説明するだけのものでしかない。

こんな様子だから、せっかく自分が考案した「ジェンダー」という言葉を使って自分とは全然違う主張をしているフェミニストたちにマネーは相当苛立っていたようで、「Gendermaps: Social constructionism, feminism and sexosophical history」(1995) という本ではフェミニストや社会構築主義者を強烈に批判している。マネーいわく、「最近、ジェンダーという言葉は政治的に使われすぎている」「フェミニストや社会構築主義者たちはジェンダーの重要さを強調しすぎて、女性の持つ生物学的な出産機能を軽視している」「性衝動に関して言えば男女は根本的に違いがあり、相補的な関係にある」などなど。何のことはない、マネーと共振しているのはフェミニストではなく、マネーをフェミニストの味方と決めつけてまとめて非難している保守派の方なのね。実際マネーの本をよく読んだら、案外保守派の人たちのマネー評価は変わるんじゃないかと思う。もちろんフェミにはフェミの言い分はあるんだけど、取りあえずマネーはフェミニストよりはアンチ・フェミに近い価値観の持ち主だという所まで分かればそれでよし。

とゆーかさ、それぐらい自分たちで調べろよ、保守論者たち。

2002年にもなってマネーに騙されたままの上野教授と同じくらい怠慢だぞ。

なんだかアホらしくなって愚痴ってしまったけれど、めげずに瑠璃子さんの記述への返答を続ける。

わたしのコメント欄での発言にまで文句を付けられても困るけれど、瑠璃子さんの言う「読んでいないのがまるわかり」というのは明らかに彼女の誤解だからそれは指摘しておく。瑠璃子さんが反応しているのはコメント欄における Yoko さんの「そもそもローリング・ストーンは、いくら政治・社会問題も取り上げてるからと言っても、基本的には音楽雑誌でしょ?」というコメントについてだと思うのだけれど、これを瑠璃子さんは「ローリングストーンは音楽雑誌である、従ってこんな話題を取り上げるわけがない」と Yoko さんが主張しているのだと解釈しており、明らかに誤読。なぜなら、Yoko さんはそれより先に「1997年に Colainto が Rolling Stone に書いた “The True Story of JOHN/JOAN”」とその題名まで挙げて「コラピントが、ローリングストーンに『こんな話題』を取り上げた」という事を明記した上に、その記事が全文掲載されているサイトのアドレスまで書いているのだから、その Yoko さんが「従ってこんな話題を取り上げるわけがない」と考えているわけがない。

じゃあ Yoko さんが何を言わんとしていたかというと、産経新聞などが盛んにコランピント氏の肩書きを「ジャーナリスト」と紹介することに対し、あれはジャーナリストなんてモノじゃなくて単なるフリーランス・ライターであるという部分を強調するために、「そもそもあれは基本的に音楽雑誌でしょ」と指摘しているのだとわたしは解釈している(もちろん音楽分野専門のジャーナリストというのだっているだろうけれど、この場合それにも当てはまらない)。しょうもない揶揄と言えばそうかも知れないけれど、「こんな話題を取り上げるわけがない」と言っているわけではないという点ははっきりしている。

次、瑠璃子さんは「本書を読めばわかるのだが、上野千鶴子は自らの理論補強に双子の症例を引用している」と言うのだけれど、そんな事分からない。わたしの持っている版(米国ハードカバー版)にはそんな話書かれていないし、あの記事が書かれた時点で入手可能だった日本版にだって多分載っていないはず。おそらく、新版の「解説」あたりでそう紹介されたりしているのかも知れないけれど、コラピントによる本文に書かれておらず、つい最近発売されたばかりの最新版にしか載っていないような事を当たり前のようにして「本書を読めば分かるのだが」と言わないで欲しい。

それから、上野さんが引用したから何なんですか? よく分からないのだけれど、フェミニズムというのは上野千鶴子をトップとするピラミッド型の組織か何かとでも考えているわけ? そりゃ確かに、マネーの報告は大々的に宣伝されたから、間違ったことを事実と信じ込んでしまって引用した人は上野さんに限らずたくさんいます。どこかで読んだ話によると、上野さんは2002年に出版された本で未だに「双子の症例」を引用していたそうだから、それは研究者として確かに怠慢かもしれない。でも、そうした責任は上野氏本人に問えばいいわけで、わたしに言われても困るのね。そりゃもし、上野さんが「マネーの双子の症例なんて一度も使用したことがない」と言ったら問題ですよ。だけど、上野さんがマネーを「引用した」ことについて、上野さん以外のフェミニストの責任を問おうとする瑠璃子さんの論理は、いくら「素直な感想」とはいえ無茶苦茶。

今回、瑠璃子さんのサイトにもトラックバックを送っておくので、きちんと対話ができたらいいな。

以下はおまけ。最初に書いた通り、例の本が復刊されて新たに読んだ人の感想を読もうといろいろ調べるうち見つかったなかで、一番仰天したのが以下に紹介する「言論の自由が勝った」という記事。内容はというとこんな感じ:

『ブレンダと呼ばれた少年』の復刊が決定した。圧力に屈してか、腰の重かった出版元から扶桑社が権利を買い取り、復刊と相成ったわけだ。復刊を切望し、随所で呼びかけてきた者として、皆さん、ご協力ありがとうございました。

正義は勝つ。本の内容ではない、あくまで「言論の自由」が勝ったのだ。日本のサヨク陣営——ここではジェンダーフリーのそれだ——は、その独善性ゆえに、自分たちの信じる正義を押し通すためには手段を選ばない。これは今や誰の目にも明らかである。かの出版元が、乱暴なフェミニストたちに押さえ込まれたというのは、私個人の推測ではない(これも念のため)。そうした疑念も、この復刊の推進力になったはずだ。

えぇぇぇーっ、ゲンロンのジユウですかぁ? 最近ネット上でウヨク的発言する人たちの論法がかつてのサヨクのそれとそっくりであるという点は笑えるのだけれど、そういえば最近なんばさんに頼んで訂正してもらった「はてなキーワード」の「ジョン・マネー」の項の古いバージョンでも「フェミニストによって巧妙に隠蔽されてきた」とか「学会や出版界に圧力がかかり、ひたすら隠蔽されている」とか書かれていて、トンデモ陰謀論扱いしてしまったのだけれど、圧力があったという話は結構広まってる様子。しかし、「私個人の推測ではない」と言いつつどこにも何の根拠も証拠も書かれていないのが気になる。

そこで、「ブレンダと呼ばれた少年」に「圧力」「隠蔽」「検閲」みたいな単語を加えていろいろ検索して圧力論を主張あるいは宣伝しているページの記述をいくつか収集し、連絡先が分かる相手に対してはメールで「圧力論の根拠は何か?」「他の人から聞いたのであれば、どこの誰から聞いたのか?」と質問してみたのだけれど、これまでのところ回答は一切無し。この「言論の自由が勝った」を書いた TAKA さんという人は、「サヨク陣営」の圧力を批判する文脈で「多様な言論」の「ぶつかり合い」こそが必要である、とまで書いているのに、全然ぶつかって来なかった(笑)

結局ブログってのは、どこまで行ってもあらかじめ似たような意見の持ち主だけが集まるモノなんだろうか。これまでも何度か、意見が対立しそうなブログにトラックバックを送ってみたり、「ミーガン法」のまとめサイトでは「ミーガン法肯定派のまとめサイトがあれば相互リンクしよう」とまで言ったのだけれど、ほとんど何の反応もないんだもん。つまんなーい。

【06/16/2005】

瑠璃子さんの名前を留璃子と誤記していたので、修正しました。ごめんなさい。

【06/16/2005】

mana さんの情報提供によると、上野氏は「差異の政治学」において確かにマネーの「性の署名」を紹介したが「双子の症例」について直接言及してはおらず、またマネーと並んで多数の論者のジェンダー論・ジェンダー概念を紹介する一環としてマネーに関する記述が位置づけられていたとのことです。その通りだとすると、「上野氏が2002年に出版された本において双子の症例を引用している」という瑠璃子さんや少なくない論者の指摘は間違いであるということになり、かれらのウソだらけの言説を疑いもせずそのまま前提として議論を進めたわたしの立場も間違っていました。上野氏ならびに読者のみなさまに謝罪します。

15 Responses - “ジョン・マネーの正体、実は「アンチ・ジェンダーフリー」派”

  1. Yoko Says:

    どーも^^
    実は私、そのRolling Stoneの記事コピー持ってるんですが(爆)。
    ただ、Press for ChangeがHTML化してWebにアップしたからそちらを紹介しているだけの話で、
    それがどうしてあらぬ誤解(?)を生んでいるのか激しく疑問です。

  2. xanthippe Says:

    はじめまして こんばんは 
    私の所属しているフォーラムで、「ジェンダー、はあー?」というコメントで
    ジェンダーフリーやマネーバッシング、おまけに性教育批判までを始めた人たち
    も、やっぱりそんな感じでした。
    フェミニストを論破するために、フェミニストの「背後の神を撃て」というので
    ジョンマネー批判を始めたのかと思います。私自身はフェミニズムをかじっただ
    けの人間ですが、「相手の背後の神じゃなくて、自分の背後の神様を撃っている
    んじゃないのですか?」と言いたかったです。
    ユングに影響されている人もいるようでした。良く分からないのですが、ユング
    とジョン・マネーって関連あるのでしょうか?

  3. eyes Says:

    面白く読みました。
    保守派はマネーとダイアモンドの論争をジェンダーフリーバッシングに使いたいみたい。
    そんな簡単な話じゃないのは事実だけど、この本の新聞広告にまで「ジェンダーフリーの嘘を撃つ!」みたいなコピーが付けられるとキモチわるいね。勘違いする保守シンパが増えるのは嫌だな。
    >xanthippeさん
    >ユングに影響されている人もいるようでした。良く分からないのですが、ユング
    とジョン・マネーって関連あるのでしょうか?
    たぶんフロイトが性自認におけるタブラ・ラサ説を唱えたのに対して、ユングは両性にアニムス・アニマがあるという立場だから
    それを梃子に批判したいのでは? 

  4. ko Says:

    >ユングとジョン・マネーって関連あるのでしょうか?
    そんなこと言ったら、ユングもジョン・マネーも確実に怒り狂うと思います(^^;。

  5. WHAT'S NEW PUSSYCAT!? Says:

    私の批判記事に対する回答—冷静な議論とは何か
    まずは以下の記事をお読み下さい。ジェンダーはフリーになるのか—ジェンダーフリー理論の曖昧さ(1)http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/2005-05-31-3男でも女でもなく私は遠くへいきたい—ジェ…

  6. xanthippe Says:

    みなさん こんにちは
    瑠璃子さんのドメイン名(?)”WHAT\’S NEW PUSSYCAT!?”っていうので、瑠璃子さんの発言のお立場がほぼ分かるような気がします。(~~;; もちろん、ブログをお尋ねしていろんなご意見とのやり取りも読ませていただきました。優れたネーミング力ですね。で、感想としては、やっぱりユングの影響が強そうだということと、男女二元論に立っておられるのかなあという印象でした。ジョン・マネー氏の論敵といわれるダイアモンド医師は、「十人居れば10通りの性がある」「男女の生物学的な差はグラデーションだ」というようなことを主張されている方ですし、私もどちらかというとそっちのほうが納得できると思います。また生物学的な「男らしさ、女らしさ」と社会的役割に必要とされる属性は別で、人間社会が高度な技術開発を得て変化してきた今、これまでの既成概念(ジェンダー)にとらわれる必要はなく、「男らしさ女らしさ」とは別立てでそれぞれの生き方を考えるほうが良いのではないかと思っている人間です。男女の二元論で社会的な役割を機械的に分けるのは、ブッシュの「正義か悪か」と同じでとても簡単で楽ではありますが、見失うものが多く、非常に危険な気がしますね・・・。人間社会だけでなく、科学でも線引きというのはとても難しいのですから、絶対的なものではなく、あくまで「方便」であり、常に見直しの対象として良いのだ、という謙虚さが大切なのではないでしょうか。
    余談ですが、上野千鶴子さんとは1,2度お目にかかってお話を伺った事がありますが、素敵な方です。また江原さんとの論争の結果、自分が間違ったと思った場合は正々堂々と認めることもされていたと思いますので、「双子の症例」の引用については別のご事情もありそうな気がします。ダイアモンド医師が上野さんを科学者ではないと批判したという記述もどこかでありましたが、サンケイの記者の「上野さんは本でこう主張している」という「意見」に対して、上野さんの本を読んだ事がない(英語では出版されていませんから。これからは日本の社会学者も論文は英語で出した方が良いですね)ダイヤモンド医師が、「本当にそうなら」という前提の批判であって、その辺は注意して読む必要があるのかな?と思いました。

  7. ko Says:

    xanthippeさん、はじめまして。こんばんは。
    xanthippeさんのおっしゃる「ユングの影響」って、何を指しているんだろうと、
    ウトウト考えていたら、思い出しました!
    林道義閣下のことですかね。
    この人、ユングの著作の翻訳はいいんだけど、なんでジェンダー論になっちゃうと、
    こんなヒステリックになるんでしょうね。不思議だ。
    林道義さんは、所謂「ユング派」ではありません。
    インスティチュートから何の資格も得ていません。
    翻訳はありがたいですが、日本にもいる「ユング派」からは、
    あまり相手にされていないと思います。
    もちろんユング派と言ってもそれこそ千差万別で、
    でも、基本的にあまり「ジェンダー論」には乗らないんじゃないかなあ。
    私もユングは読みますけどね。

  8. macska Says:

    林道義さんの書いているモノをちょっと読んでみたんですけど、非常に驚きでした。
    たまたまその関係の話を書こうかと考えていたところなので、次に載せます。
    彼のユング解釈はたしかに特殊なものですが、そうとはいえ彼なりのユング解釈が彼のジェンダー論の基礎になっているようです。

  9. ko Says:

    びっくりでしょ。
    私も初めて見たときは、思わず敬礼してしまいました。
    以後、林氏の翻訳を読むときは、敬礼してから読むようにしています。
    もちろん、祟られないように(^^;。
    林閣下の解釈はかなり独特のもので、ユングというものを借りて、自分の思いを正当化しているだけに、私には見えます。

  10. xanthippe Says:

    林氏のユングって、そうなんですか・・・。やっぱりねえ・・・・。納得できなくてユング辞典まで買っていろんな参考書を読んだんですが、どうしてそこまでいえるのか良く分からなかったんです。でも、ユングの訳者としては有名な方のようなので、納得できなくても私の理解がずれているのかなあ、と思っていました。あほらしい・・・。

  11. ko Says:

    辞典も調べられたんですね。錬金術出てきました(^^;?
    でもこれが結構面白いんだ。
    私が好きなユングの言葉です。
    「人が神経症を治すのではない。神経症が人を治すのだ」。
    かーっちょえーっ。

  12. xanthippe Says:

    ko – 6 さん こんばんは
    正確には「ユング心理学辞典」でした。訂正いたします、すみません。もちろんこれにも「錬金術」のことはスペースを割いて記載されています。科学と心理学の未分化状態ということなのかなあ、と思うのですが、外の世界をどう理解するかというのは自分自身(外界からの刺激の受容体としての)との対話でもあるというのであれば、わかるような気もします。
    じつは、マネー氏の「双子の症例」批判が無根拠に現在のジェンダーフリー批判にまで展開されているので、明らかな飛躍だという意味で、錬金術が現在の近代科学の発展のきっかけだったことを例にして、錬金術を否定すれば近代科学が否定できると思うのか?と主張したことがあります。

  13. xanthippe Says:

    macskaさんのところからジャンプして、2,3度、瑠璃子さんのブログを訪れていて感じたことなのですが、アンチジェンダーフリーの人たちでも、女性性に対して何か憎悪とか嫌悪感を極端に持っている人たちがいるのですが、そんな雰囲気。瑠璃子さんご自身、三島由紀夫のファンだとおっしゃってるのが気になりました。扶桑社「ブレンダとよばれた少年」の解説を書いているのは八木という人だということですが、もしかして高崎経済大の八木氏ですかね? うーむ。似たようなタイプに思えます。「上野さんの『差異の政治学』読まれたことがあるのですか?」というお土産を置いて帰っています。お返事が楽しみです。

  14. horitate Says:

    概ね言い尽くされているようですが、一言補足をさせていただければ、『ブレンダと呼ばれた少年』2000年版の訳者あとがきで述べられているように、「男性と女性というお決まりの二分法を超越し、独自の個性を持った自由な人間を理想としていたという点では、マネーは暗闇に隠れた真実に光をあてる時代の先端を行っていたかもしれない。ところがデイヴィッドの症例においては、どうやらその目的を重視するあまり、手段の倫理を見失ってしまったようである」というのが、マネーへの妥当な評価だと思われますが、2005年版でこの記述が書き換えられてしまったのは非常に残念なことです。翻訳者の村井氏も、八木氏らに大いに利用されているといっていいでしょう。

  15. Sakino Says:

    以前に、このあたりについて、アーティクルを書いたことがあります。何かの参考になれば。http://homepage2.nifty.com/delphica/archives/sakino01.htmlに、出版社に連絡のうえで、友人が収載してくれてます。あと、『生物学史研究』70号にも、短い報告が載っています。何かのお役に立てば幸いです。

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