水原さんへお返事(映画「ミリオンダラー・ベイビー」ネタバレ)

2/25/2005 - 3:09 pm | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

シンポジウム参加のため訪れていたニューヨークから昨夜帰宅。空港に向かう前に少し時間があったので、泊めてもらったイーストハーレムの知人宅からバスでセントラルパークへ行き、最近話題の屋外インストレーション「The Gates」を見ることができた。合計23マイルにも及ぶセントラルパークの遊歩道にオレンジ色の布をたなびかせたものなのだけれど、背景に見える先週降った雪の残りと剥き出しになった土があまりにみすぼらしいので、もう少し暖かい季節だったら良かったのにと思った。

さて、今回話題としたいコトはそれとは前々関係なく、先週このサイトに載せた「障害者運動と映画『ミリオンダラー・ベイビー』」について水原文人さんから受けた批判(というか、誤解もしくは言いがかりだとわたしは思うのだけれど)について、コメント欄での議論が長引いたので新たなエントリとしてまとめて回答することにします。前回に引き続き「ネタバレ」の危険があるので、映画の内容について知りたくない方は以下は読まないでください。

上で書いたように、わたしから見て水原さん批判の大部分は、誤解をもとにしたものだと思う。でも、その部分は誤解ですよと説明し、さらにそのような誤解を招いたのはわたしの表現に問題があったのかもしれないのでその点は謝りますとまでわたしが言ったのに、それでも最初の批判を延々と繰り返す水原さんを見ていると、これはもう「言いがかり」としか言いようがないんじゃないかと感じる。誤解に基づく批判には反論のしようがないので、どこが誤解もしくは言いがかりなのか明らかにしていくことにする。

【誤解もしくは言いがかりその1】
先の文章は映画評論である、という誤解。

水原さんは、観てもいない映画をあれこれ評価するのは傲慢ではないかとわたしを繰り返し批判しているが、そもそもわたしは映画についての評価をしているわけではない。既に明らかになっているプロットや、他の人の論評を参考にしつつ、そこにある障害学的問題について一般的な見解を述べているだけだ。すなわち、先の文章は、映画「ミリオンダラー・ベイビー」を論じた文章なのではなく、同映画における障害の扱いをきっかけとして社会における障害の位置づけを論じた文章だ。

ただ、1カ所だけうっかりと「この映画の問題は、〜だ」といった形で、観てもいない映画についてやや断定しすぎた記述をした部分があり、この点については ryu2net さんの「いささか早まりすぎだと思う」という指摘を受けてすぐに撤回した。つまり、水原さんが登場する5日も前にこの問題についてはすぐに決着がついている。それ以外の部分について、水原さんの言うように「観ていなければできないはずの『評論』を傲慢にも行っている」部分はない。

水原さんは、わたしが「映画評論を行っている」証拠として、タイトル(「障害者運動と『ミリオンダラー・ベイビー』」)を挙げたり、他者の論評を要約した部分を挙げたりしているが、タイトルだけを読んで「映画論評だ」と断じるのはそれこそプロットだけで映画の中味を判断するのと同じ間違いであるし、他の論者の論評を要約した部分に評論的な要素が含まれていても、それはわたし自身が評論していることにはならない。何もかも、言いがかりに過ぎないのだ。

【誤解もしくは言いがかりその2】
Macska は死を選ぶという主人公の決断を「否定している」という誤解

はっきり言って、どこをどう読めばこういう誤解ができるのか分からない。具体的にどこにそう書いてあるのか示そうともしないし、「否定していない」とわたしが反論しているのに、そればかりか「否定できないという主張に、わたしは強く賛同する」とまで言っているのに、何を血迷ったか「どうしてあなたは否定できるのか」と訳の分からない質問をしてくるのだから、それこそ「言いがかり」に等しい。

精一杯がんばって、水原さんの頭の中でどうしてわたしが主人公の決断を「否定している」というコトに決めつけられてしまっているのか想像するに、水原さんは社会的な制度に対する批判と、その社会の中を生きる個々の人々に対する批判を区別するだけの一般教養を欠いているのではないか。以下に例を挙げて説明を試みる。

例えば、ある社会において、女性は結婚もしくは出産した時点で賃金労働をやめて主婦となるのが当たり前とされており、男性はそうした女性に家族をほぼ全面的に任せる形でその分企業に奉仕するのが当たり前とされていたとする。それに抗して女性がキャリアを最優先したり、男性が家族のために時間を取ろうとするのも不可能ではないにせよ、そうした決断を取ることは大きな社会的・経済的な犠牲を伴うとする。

もしそうした社会にわたしがいた場合、わたしはリベラリストであるから、そのような特定の性役割分担が特権化される(そして、その性役割分担に従わない人が生きにくい)社会の仕組みを批判するだろう。しかし、仮にわたしがそうした社会の仕組みを批判としたとしても、それは専業主婦あるいは企業戦士となった個々の人々の決断を批判しているのと等価ではない。わたしが批判しているのは、個人の決断そのものではなく、決断の幅を狭めている社会の仕組みなのだ。与えられた社会的条件のなかで個人がどのような選択をするかなんて事は、はなから問題にすらしていない。

(幇助付きも含む)自殺・尊厳死の話に話題を戻すと、個人の自由を重視するリベラリストとして、わたしは個人が「死を選ぶ」権利を積極的に肯定する。だから、映画の主人公の決定をわたしが「否定している」などという言いがかりは、全くのデタラメでしかない。と同時に、現状の社会を見回すと、多くの障害者たちが「尊厳ある生」を選択する機会を奪われているという現実がある。いまの社会が、特に重症の障害者たちから「尊厳ある生」という選択肢を事実上奪ったまま、「尊厳ある死」のオプションばかり押し付けるのは不正義であるというのがわたしの議論であるが、それは「尊厳ある死」という選択を否定することと同じではない事は明らかであろう。わたしが問題としているのはあくまで社会の有り様であり、個人の選択ではないのだ。

この辺りの誤解は、例えば水原さんによる(ボクシング一筋の価値観を持つ人が半身不随になった場合)「あなたはその人にどうやって『障害を抱えつつ充実した生を追求するという考え方』を伝えるのですか?」という質問にも現れている。わたしは、障害者に対して「障害を抱えつつ充実した生を追求するという考え方」を説いているのではない。そうではなく、「障害を抱えつつ充実した生を追求する」ことを限りなく不可能に近くしている社会的な仕組みを変革したいのだ。

【誤解もしくは言いがかりその3】
Macska は「ボクシング一筋」という主人公の価値観を理解していない、という誤解

上の項目の続きだが、わたしの「『尊厳ある生』という選択肢を事実上奪ったまま、『尊厳ある死』のオプションばかり押し付けるのは不正義である」という文章を読んだあと、水原さんは以下のように反論するのではないか。すなわち、「それは重症障害者一般についてなら当てはまるかも知れないが、この映画の主人公には当てはまらない。なぜなら、彼女はボクシングに人生を賭けてきたのであり、彼女が死を選ぶのは、社会が『尊厳ある生』への機会を与えているかどうかとは関係ない」と。

そう、その通り。そしてそれこそが、障害者運動がこの映画に批判的な理由なのだ。

もし映画が、社会が「尊厳ある生」という選択肢を彼女から奪った結果、彼女が死を選んだというストーリーであったなら、障害者運動によって批判されることはなかったはず。むしろ、障害者が社会の不正義によって「殺されている」現状を鋭く描いた映画として賞賛されていたかもしれない。しかし「ミリオンダラー・ベイビー」は、あくまで個人的な、そして合理的な結論として「死の選択」を描くことで、一般の障害者たちが社会に「殺されている」現実を隠蔽する方向に働くと、障害者運動は受け止めている。だからこそ、障害者運動はこの映画に対して抗議活動をしているのだ。

水原さんにとっては、ストーリーが内部的に納得のいくものであれば(すなわち映画としての完成度さえ高ければ)それで良いのかも知れない。しかし、そうした映画としての完成度とは別に、ストーリーが発するメッセージや政治的なインパクトに注視してそれを論じることも可能だ。例えば昨年、マイケル・ムーア監督の「華氏911」が米国で公開された直後に観たわたしは、この映画について「映画としては最悪の駄作、ただしプロパガンダとしてなら認める」と言ったが、逆に「映画としては優れているが政治的なメッセージは危険」ということだって有り得る。

わたし自身は映画を観たわけではないので映画としての完成度については一切コメントしていないが、プロパガンダとしての効果については、伝えられているプロットを読む限り、障害者運動による分析に納得した。

【誤解もしくは言いがかりその4】
Macska は政治を優先して、映画としての完成度を無視せよと言っている、という誤解

言っていません。作る方は自由に思ったままの映画を作って欲しいと思っています。ただし、映画としての完成度や演出の素晴らしさとは別に、障害学的視点による批判的言及も可能であると言っているだけ。もちろん、後者をする際にも実際の映画を観た上でやるのが基本だが、基本的にわたし自身が批判しているわけではなくて障害者運動による批判を紹介しているだけだし、そもそも個人が趣味でやっているブログで一般の論文や出版物と同じスタンダードを期待されても困る。

最後の部分に対しては、水原さんは、ブログに書かれた事も「誰でも読めるパブリックな情報です」と応えている。そりゃその通りであるが、パブリックであればどこでも全く同じスタンダードが適用されるわけではない。

【誤解もしくは言いがかりその5】
Macska は「魔女狩り」を行っている、という誤解

これも、どこをどう読めば「魔女狩り」に見えるのか理解に苦しんだのだが、最大限好意的に解釈するに、おそらく水原さんはわたしの文章を「映画についての文章」だと思い込んでいるので、映画の評価だけをすれば良いのに、監督のイーストウッドが議会に出て障害者の権利を制限するようなロビー活動をした過去があることなどを紹介するのは「映画評論として」フェアではない、と思ったのかな、と思い当たった。その証拠に、イーストウッドのロビー活動を水原さんは「関係がない」エピソードだと決めつけている。

もちろん上記を読めば分かる通り、わたしの文章が「映画についての文章」であるという思い込み自体が間違いだ。わたしは障害学理論・障害者運動について書いているのであり、その中における「ミリオンダラー・ベイビー」批判を紹介しているのだから、イーストウッド監督自身が障害者運動に対してどういう立場を取っている人物なのかを明らかにすることは本題と大きく「関係のある」話だと思う。

ところで、イーストウッドが議会でロビーした時、彼の応援をした「障害を持つ著名人」がいた。先の文章でも批判的に言及したクリストファー・リーブだ。その事はあまり本文と関わりがないように思えたので特に言及しなかったが、もしわたしが「魔女狩り」を行っているのであれば、当然リーブがイーストウッドのロビー活動を支援していたことを書いていただろう。このことからも、わたしがことさらに批判対象を悪く言うために関係ない悪評を挙げているわけではなく、本題に関係がある場合のみ関係ある範囲で言及していることが分かるはずだ。

【誤解もしくは言いがかりその6】
「個人の努力で『尊厳』を勝ち取れ的な扱いは無責任」という言葉の意味

これは言いがかりではないんだけど、わたしの「個人の努力で『尊厳』を勝ち取れ的な扱いは無責任」という部分は水原さんに何度も繰り返し引用されており、なおかつその引用のやり方が支離滅裂(わたしは「個人の努力で『尊厳を勝ち取れ』という言説を批判しているのに、まるでわたし自身がそう言っているかのような形で引用されている)なので、わたしが何を言わんとしているか全然分かっていないと想像される。そこで、以下に分かりやすく説明する。

先に述べた通り、わたしは今の社会は重度障害者の「尊厳ある生」への希求を大幅に制限していると認識している。そのような社会は変革されるべきだと口で言うのは簡単だが、現実というのはそう簡単には変化しない。その時、「尊厳ある生」への道を事実上閉ざされた人に対して、それ以外の「わたしたち」は何を言えるかと考えてみるに、社会的な障壁を放置したまま「個人の努力で尊厳ある生を勝ち取れ」というのは無責任極まりないであろうというのが、わたしの言わんとした事だ。

別の言い方をすると、わたしたち社会ができることは、社会的に構築された障壁を粛々と取り除いて行くことであり、死を求める障害者たちに「生きろ」と求めたり、「死の選択」を否定するのは傲慢であるというのがわたしの主張の趣旨だ。もし水原さんにこれが理解できていたら、「Macska は主人公の決断を否定している」などというデタラメな言いがかりは無かったと思うのだが。

【誤解もしくは言いがかりその7】
障害者運動は、イーストウッドの映画に便乗している、という言いがかり

水原さんは、障害者運動が「ミリオンダラー・ベイビー」に対して抗議している理由について、2つの仮説を挙げている。

最後のパートだけあげつらう運動家がいるのは、それはそのままアカデミー賞監督であるイーストウッドの監督・主演、しかもハリウッド・メジャーの製作で、つまり目立つから自分たちの運動を宣伝するのに好都合なターゲットだった、って部分が相当にあると思いますよ。

それで個々の障害者が抱えている問題がどう解決されるのかって言えば、ほとんど関係ないのではないでしょうかね?

(略)

あと運動の主体がこうした機会を利用して自分の主張を通すことそれ自体は、僕は別に否定はしませんよ。それも彼らが自分の運動に注目を集めるための選択でしょう。彼らにとっては自分たちの運動の方が大事なのですから。でもそれは一方で、極めてエゴイスティックな行為であり、そして人間の行いとしては歪んでいます。またそれに利用される映画にとっては、えらく迷惑な話です。

実情は、たぶんプロライフとか言ってる宗教右派が騒ぎ始めたので、障害者運動の方でもなにも言わないわけにはいかなくなった、ってことでしょうけど。

仮に前者の動機が「相当にある」のであれば、それとは別の後者の動機が「実情」であるというのは論理的にいっておかしいのではないかと思うけれど、それは取りあえず問わないとしよう。

前者の指摘は、社会運動に対するかなりシニカルな見方を反影したものと言える。しかし、そうしたシニカルな見方が今回の件に当てはまるという論拠を水原さんは全く示していない。今回抗議を行っている Not Dead Yet という団体は、「尊厳死」「医師による自殺幇助」といった名の元に、本当は死を希望していない重度障害者が本人の意志に反して殺されたり、あるいは「死という選択」に同意するよう強要されたりする問題を扱っており、具体的には尊厳死を認める法律が濫用されないように歯止めの要件を付け加えるなどといったロビー活動も行っている。

かれらにとって、映画「ミリオンダラー・ベイビー」が扱っている問題、そしてそれが発する政治的なインパクトは無視できないものであり、運動を宣伝するちょうどいいチャンスだとして嬉々として便乗しているというようには到底思えない。もちろん、この映画がイーストウッドの主演・監督でありメジャーの製作だから目立つことも無関係ではないが(だって、誰も知らないような映画だったら、わざわざ抗議活動をして注目を集めるとかえってマイナスでしょ)、抗議活動をしている人たちは「こんな映画がメジャーで作られるなんて」「こんな映画が名誉ある賞にノミネートされるなんて」と本気で憤慨している。

後者の指摘に至っては、全く意味不明。どうして宗教右派が騒ぎ始めたからといって障害者運動が何か言わなければいけないことになるのか。例えば、同性婚の問題について宗教右派は騒いでいるけれど、だからといって障害者運動が同性婚問題で何か活動をやっているという話は一切聞かない。もし水原さんが障害者運動は主体的に活動方針を決定できないと考えているとすると、それは障害者に対する偏見ではないか。というか、前者の指摘では障害者運動がかなりマキャベリ的に想像されているのに対し、後者では主体性のない運動と規定されていて、その落差が面白いけど。

ちなみに、水原さんは障害者運動に対する上記のような評価を述べることで、致命的な間違いをおかしている。つまり、わたしという第三者の紹介だけを元にして運動そのものを論評するという、まるで映画を観ずにプロットだけを聞いて論評するのと同じくらいのミスを犯しているのだ。

どうしてそう分かるか、説明する。コメントの11番でわたしが水原さんによる障害者運動への決めつけを「何の根拠もない邪推」と批判したところ、水原さんは12番で「氏の公表した文章自体がその根拠ですが?」と応えている。ここで「氏」というのは、文脈からいってドレイク氏のことであり、その文章というのは Ragged Edge Online に掲載された論評だと思われる。しかし、この論評を水原さんは読んでいないのだ。その証拠が、コメント25番の以下の部分だ。

私は基本的に尊厳死の賛成派で、職業(=「生き甲斐」「生きる意味」)がら、たとえば失明しただけでも死んだほうがいいと自分では思っています。念のため断っておきますがこれはあくまで僕個人が職業柄、目が見えなければ自分が人生を賭けてやるべきだと思っていること…というかそれしかできないんで恐らく自分の存在理由はそこにあるんだろうと思っていることができなくなるから、と言うだけであって、一般論としては目が見えなくてもできること、生きる意味はたくさんあるでしょう。ただ僕個人がその一般論には当てはまらないだけです。

で、失明した自分が勝手に自殺するだけなら周囲は基本的に深く悲しむだけでたぶん済みますけれど、首から下が麻痺してしまえば死ぬことも自分では難しいわけですし、医師であれば人を生かすことこそその使命であり天命であるわけで、父親代わりみたいなコーチにしても、当然彼女が死ぬことは望んでなどいないわけです。そこに解決できない矛盾があり、それはおよそ「ロマンチック」などというべきものではないでしょう。

つまり、この文章を読む限り、水原さんは「首から下が麻痺しているため自ら自殺するのは困難であり、なおかつ医師に幇助を頼むこともできない、だから父親代わりみたいなコーチに頼むしかなかった」という映画の設定を鵜呑みにしていることがわかる。ところが、ドレイク氏の批判の1つは、こうしたプロット自体が現実離れしていることだった。以下に引用する。

Frankie allegedly “helps” Maggie because she can’t do it herself. Bullshit. We can assume, just from seeing the cars on the street in the movie, that this is post-1990. All Maggie has to do to die is to ask. No kidding. Court rulings in the 90s say that a person who uses a vent can request the vent be shut off, and the staff will give them a sedative and shut the vent off just as they start to lose consciousness.

It’s that simple. It’s already all legal. We’ve seen it play out too many times already in real life.

So what’s this “Frankie helps Maggie die” about? Why is it part of the script?

つまり、現実には主人公は死を望むのであれば医者にそう告げれば呼吸器を外してもらえたはずであり、コーチに頼まなければいけない絶対的な理由は一切無かった。さらには、主人公が療養していた施設には警備員もいなければ鍵をかけたドアもアラームもないなど、米国の同種の施設としては非常に不自然。殺害シーンをロマンティックに演出させることを最優先させた結果、一歩下がってみると非現実的な描写ばかりになっているとドレイク氏は酷評している。

ドレイク氏の文章を読んでいれば、映画の設定を鵜呑みにして「首から下が麻痺してしまえば死ぬことも自分では難しい」とは水原さんは書いていなかったはず。つまり、水原さんはそれほど長くない論文の1つすら読みもせずに、障害者運動に対する評価を下した挙げ句、その評価は自分が読んだ文章を元としていると言い放っている。あれだけ自ら「観ていない映画について評価するな」と言っておきながら、読んでいない文章について堂々と評価を下してしまうというのは大きな矛盾。

このように、誤読と言いがかり以外に水原さんは何も意味のあるコトを言っていないので、これで終わり。ただ、ここまで不可解な言いがかりをしてまで水原さんが真剣に擁護する「ミリオンダラー・ベイビー」という映画にもうちょっと興味が湧いたのは事実。

ついでに、もう一人の批判者、Jose Yacopi さんへの返事も(あっちのコメント欄は増え過ぎたので)ここで行っておく。

22番のコメントから、他者の「尊厳ある生」を決めつけるのは越権行為であるという点までは、わたしは Jose Yacopi さんの考え方に完全に同意する。また、「個人が不幸な状態なのは、社会の認識不足とか環境の不整備だ」という言明が必ずしも正しくないのは、例えば全てにおいて恵まれた境遇にある人が必ずしも幸せでないという Jose Yacopi さん自身が挙げた例からも納得できる。

しかし、その一方で障害者が現実の社会においてさまざまな生き方の選択肢を社会的に奪われており、そのため特定の生き方を押し付けられているという点を無視することはできない。他者に特定の「生のあり方」を押し付けることが暴力であるとするなら、制度的に特定の集団に属する人たちの「生のあり方」を制限する社会的制度も暴力であると言える。そして、全ての人の幸福を実現することはできなくても、障害者に対する社会的な制約であれば政策的にある程度取り除くことができる。

わたしが言っているのはそういった当たり前の事なので、わたしの発言をかつての社会主義思想と結びつけた Jose Yacopi さんの批判は当たっていないように思える。「スワンク(のキャラクタ)のように死を選ぶか、リーブのように障害を克服しようとするか、あるいは障害を障害としてそのまま受け入れて充実した生を生きようとするかはそれぞれの価値観であり、他者が一律にこうだと批判してはいけない」という点には完全に同意しているのだが、現実問題として(スワンクのキャラクタ)のような重度の障害者に対して「死という選択」を強要するような社会的環境があったり、軽度の障害者に対してはリーブのように個人的な努力で障害を克服せよという強要が強く、一方障害者の存在を社会として受け入れて共生しようという社会的な意志が欠けている。水原さんへの返答でも書いた通り、わたしはそうした社会の側の問題を批判しているのであって、障害者個人が下す決断については一切否定していない。

「個々人が自分の生き方を選択できることこそが人間の尊厳」まさしくその通り。個々人から自分の生き方を選択する機会を奪うような社会制度を変革するべきだというわたしの主張と全く矛盾しない。

そのことには、Jose Yacopi さんも次第に気付いたらしく、33番のコメントでは、結局問題なのは「この映画はそんなに浅い内容の映画ではない、障害者がおかれた境遇について論じるのは構わないがこの映画に絡めるのはおかしい」という点だけになっているように思う。わたしは映画そのものについて論じたつもりは一切なくて、ただ単にあの映画の一面に関連した抗議活動を紹介しつつ障害学の立場から一般的なコメントしたに過ぎないのだけれど、もちろん実際観てから書いた方が良かったというのはその通り。でも、観なければ分からないような事については書いていない(論評の対象とはしていない)と思うし、仮に観ていても文章の内容が変わっていたとは思えない。

以上。

175 Responses - “水原さんへお返事(映画「ミリオンダラー・ベイビー」ネタバレ)”

  1. celine Says:

    macskaさん、はじめまして。celineといいます。

    一連のやり取りを読ませていただきましたが、少しばかりコメントさせて下さい。

    > 現実問題として(スワンクのキャラクタ)のような重度の障害者に対して「死という選択」を強要するような社会的環境があったり、

    まさにご指摘のような「現実問題」を鋭く提示した本に

    『ALS 不動の身体と息する機械』(立岩真也 医学書院)

    があります。
    (macskaさんは既にお読みかもしれませんが)

    この本の中で語られている重度障害者であるALS患者が苦悩し、直面せざるを得ない「死という選択」については、↓の書評にうまく纏められており参考になると思います。

    http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2005dir/n2621dir/n2621_02.htm

    ところで、細かいことかも知れませんがちょっと気になったので・・・

    > 軽度の障害者に対してはリーブのように個人的な努力で障害を克服せよという強要が強く

    この文章では、読んでいる人にリーブが軽度障害者であるかのような誤解を与えかねません。

    それから、クリストファー・リーブ氏についてmacskaさんは障害学、障害者運動の観点から批判的なことを書かれておりましたが、私にはあまりピンと来ませんでした。氏のどのような言動を問題視しているのか、もう少し具体的に説明していただけないでしょうか。
    リーブ氏と同じくハリウッド有名人でパーキンソン病に罹患し障害を抱えているマイケル・J・フォックス氏も、再生医療研究への財政的援助や財団設立、障害者福祉向上のための精力的活動など、リーブ氏と同じ方向の活動を展開しており、その点で二人は親交があったと聞きます。
    macskaさんはリーブ氏やJ・フォックス氏のようなハリウッド有名人の障害者活動をどのように評価していらっしゃるのでしょうか。あらためてお聞かせいただけますか。

  2. Macska Says:

    コメントありがとうございます。

    リーブ氏やフォックス氏がハリウッド有名人として培った資産や知名度を利用して障害についての啓蒙をしたり、医学的研究を推進したりするのは、もう文句なく評価できることだと思っています。

    ただ問題となるのは、メディアや一般社会における彼らの扱いで、特にリーブ氏については「障害を絶対に受け入れない、克服してみせる」と公に発言することで、そうした態度が障害者として「正しい」態度なのだという風潮を強化しています。そしてそれは、障害を持って生きることが非常に困難である原因の多くが社会制度によるものであるという点を隠蔽し、身体的差異そのものがいけないのだという考え方に繋がりかねません。

    前に紹介した障害学のページにも書かれていますが、障害学では日本語における「障害」を、身体的な機能の制限を意味する「インペアメント」と、そうした身体的な特徴によって社会参加の機会を奪う社会制度としての「ディスアビリティ」に区別します。もちろんそんなに明快に区別できるものなのかというのは怪しいところもあるのですが、だいたいそういうモノだとお考えください。障害者運動が訴えるのは、インペアメントの有無に関わらず社会参加を妨げられないような社会を作ろうということであり、インペアメント=身体的差異そのものを取り除くことで社会参加を実現しようとする言説には批判的なのです。

    もちろん、リーブ氏個人の生き方としてであればどんな生き方をしても構わないのですが、彼のような有名人が公に発言すると、それが他の障害者に対する圧力として機能してしまう危険があるので、もう少し気をつけて表現して欲しかったとは思います。が、もちろん一番問題なのは彼の発言そのものではなく、彼の発言に便乗して「インペアメントの有無に関わらず社会参加できる世の中にしよう」という訴えを無視し続ける一般社会やメディアの方です。

    つまりね、リーブ氏が障害を持つ以前から障害者運動というのはあるわけですが、彼はそうした運動や研究の蓄積を知らないまま、障害者のスポークスパーソンのように祭り上げられてしまった。その責任の大部分はもちろん彼をそのように扱った一般社会やメディアにある(リーブは、あくまで健常者が考える「障害者のヒーロー」であって、現実の障害者たちからヒーロー視されてはいなかった)わけですが、彼自身もう少しそのことに自覚的であれば良かったと思います。

  3. 水原文人 Says:

    >水原さんは、観てもいない映画をあれこれ評価するのは傲慢ではないかとわたしを繰り返し批判しているが、そもそもわたしは映画についての評価をしているわけではない。

    その自覚がないだけなのでしょうが、実際にはしているのです。「納得できない」などと書かれれば、それが映画それ自体への評価でなくてなんなのでしょうか?

    実在の個人の選択について問題視するなら、そのすべてを知ることはできませんから、「知らないで批判」している危険は常にあります。でもね、映画は映画で、見りゃとりあえずその映画自体の伝えていることは一応全部見えてしまうんです。

    なのになぜそこまで映画館に行くことを厭われるのでしょうか? 見ないのなら書かなきゃいい、これは常識です。現に見ていないが故に間違った解釈をしていたことを最初に指摘されているのですから、その時点で書かれた内容を取り下げるというのも、まともな責任ある言論としての選択枝の一つでしょう。

    率直に申し上げて、今回の言い訳を読んでいるとあなたが責任ある言論を行使できるだけの自覚がある人とは思えません。

  4. 水原文人 Says:

    >すなわち、「それは重症障害者一般についてなら当てはまるかも知れないが、この映画の主人公には当てはまらない。なぜなら、彼女はボクシングに人生を賭けてきたのであり、彼女が死を選ぶのは、社会が『尊厳ある生』への機会を与えているかどうかとは関係ない」と。

    「重症障害者一般」というカテゴリー自体がよく分かりません。私には障害を抱えている個々人しか見えませんから。医療の面で、ケースごとの分類はやむを得ないですし、そのことはむしろ研究と治療の観点からは有効です。しかし「尊厳」とは個々人の奥深い内面の問題であって、一般論を持ち出すこと自体が実はおかしいのです。

    「尊厳ある生」を選ぶのも「尊厳ある死」を選ぶのも、その点では個人の選択です。ただそれだけでは済まないのが現実の世界であり、そこには矛盾が常に引き起こされます。その矛盾を忌避し続けておいでなのではないでしょうか? 映画はそこをこそ描いているはずですが?(って見てなければ分かるわけがない、ってところで3のコメントに戻る)。

    もう少し個人個人というものを尊重されてはいかがでしょうか? 「障害学の理論と実践」、とくに後者をなさっているのでしたら、それはとても重要なことだと思います。

    障害者運動に注目を集めるためのキャンペーンとして、メジャーな映画を利用することそれ自体はアリだと僕は思いますけれど、見てないでそれをやってはあまりに突っ込みどころがありすぎで、信憑性がガタ落ちになりますよ。

  5. 水原文人 Says:

    > はっきり言って、どこをどう読めばこういう誤解ができるのか分からない。具体的にどこにそう書いてあるのか示そうともしないし、

    少しはご自分がなにを書かれているのか自覚しましょう。

    「この映画のストーリー展開についてイーストウッドは「原作の小説に従っただけ」と言っているという。しかし、監督としてどの小説を映画化するかを選んだのはイーストウッド自身なのだから説明とはなっていない。もともと障害者の権利に否定的な人物が、障害者の殺害をロマンティックに美化した映画を作ったというだけの話であり、いかに登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない」

    「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。」

    貴女は原作者や映画の脚本家や監督がそう「扱った」だけだと思い込んでおいでなのでしょうが、そのためにこの指摘をしています。

    「エンゲルスのフローベール論を持ち出すまでもなく、作品というのはその作り手(芸術家)個人を超えて存在するものです。こと物語芸術、つまり登場人物の生き方を描く場合、実際にその制作過程で起こるのは、登場人物の方が作品をコントロールするということです。作り手の側はそれを真摯に追い、描写するしかなくなる。またそうでなければ、優れた物語芸術作品にはなりません。」

    そうでなければ、プロパガンダです。で、クリント・イーストウッドはプロパガンダ映画の作家ではありません。本人が共和党支持で、共和党から立候補してカーメルの市長をやっていたのに、なんで『許されざる者』とか『ダーティーハリー4』とか『ミスティック・リバー』とか、その時々の共和党の政策とは真っ向からぶつかりそうな映画ばかり作るのか、よう分からんほどです。

    つまり、やっぱり映画を見ていないし、そもそも芸術作品とか表現とかがなんなのかを分かってない、ってことでおしまいになってしまいますよ。

  6. 水原文人 Says:

    >ドレイク氏の文章を読んでいれば、映画の設定を鵜呑みにして「首から下が麻痺してしまえば死ぬことも自分では難しい」とは水原さんは書いていなかったはず。つまり、水原さんはそれほど長くない論文の1つすら読みもせずに、障害者運動に対する評価を下した挙げ句、その評価は自分が読んだ文章を元としていると言い放っている。

    冗談も休み休み言って下さい。僕が指摘しているのはあなたの文章の問題点ですよ。

  7. 水原文人 Says:

    >Macska は政治を優先して、映画としての完成度を無視せよと言っている、という誤解

    そんなこと言うとりませんがな(爆笑)。見てないあなたが「完成度」云々できるわけないでしょう? 「見てない」からダメだ、って言われてるんだから見に行けばいいじゃない?

    そんなに自分のプライドが大事ですか? あなたが「政治を優先」してると思われてるなんてのは、ただのうぬぼれじゃないですか? あなたはあなた自身のチンケなプライドを優先してるだけでしょう? というか、書かれている内容はそうなってますよ。

  8. 水原文人 Says:

    > 先に述べた通り、わたしは今の社会は重度障害者の「尊厳ある生」への希求を大幅に制限していると認識している。そのような社会は変革されるべきだと口で言うのは簡単だが、現実というのはそう簡単には変化しない。その時、「尊厳ある生」への道を事実上閉ざされた人に対して、それ以外の「わたしたち」は何を言えるかと考えてみるに、社会的な障壁を放置したまま「個人の努力で尊厳ある生を勝ち取れ」というのは無責任極まりないであろうというのが、わたしの言わんとした事だ。

    誰もそれは否定しとらんがな。貴女が実際に書いたことはそういう文章になってないんですよ。障害学の研究に熱心なのも結構ですが、テクスト理論ぐらい少しは勉強して下され…。我々は貴女が文字として書いたことしか判断出来ないわけなんですけどねぇ…。その文章の背後のどっかに隠れてるご立派なあなた様なんて、文章そのものでちゃんと表現してくれん限り、見えるわけないがな…

  9. 水原文人 Says:

    で、具体的に障害と共に生きる「尊厳ある生」って、あなたはなにを想定しているわけですか? 言葉だけの「尊厳」だけを呪文のように繰り返したって、説得力がありません。

    前のページにも書きましたが、僕は自分が失明したら自殺する覚悟はしています。それは私の個人的な選択。別に社会に強制されたんでもなんでもない。

  10. 水原文人 Says:

    > >ドレイク氏の文章を読んでいれば、映画の設定を鵜呑みにして「首から下が麻痺してしまえば死ぬことも自分では難しい」とは水原さんは書いていなかったはず。つまり、水原さんはそれほど長くない論文の1つすら読みもせずに、障害者運動に対する評価を下した挙げ句、その評価は自分が読んだ文章を元としていると言い放っている。

    > 冗談も休み休み言って下さい。僕が指摘しているのはあなたの文章の問題点ですよ。

    …で、かつこの辺りがまた個人の心理や感情、つまり「尊厳」に関わる部分を無視してる典型なのだけど、医師にやらせるのと、自分が心から愛している人間にやってもらうのと、どっちが個人の尊厳にとって重要? 生きるか死ぬかって、そんなに単純に区分けできるもの? 違うでしょ??

    だからとりあえず映画を見ればいいんだけど、要するに机上の空論では済まない個人個人のそれぞれの現実を少しは尊重して下さいな。

  11. 水原文人 Says:

    > 前者の指摘は、社会運動に対するかなりシニカルな見方を反影したものと言える。

    単なる現実主義ですが、なにか? 社会運動は社会的な注目を集めなければならないのは当然。そのために映画を利用するくらいのことはするでしょう。それ自体は別に悪いことじゃないですよ。

  12. 水原文人 Says:

    > 水原さんが真剣に擁護する「ミリオンダラー・ベイビー」という映画にもうちょっと興味が湧いたのは事実。

    別に擁護なんてしてないけど? ただあまりに一般的な社会常識と、映画作家としてのクリント・イーストウッドについての背景知識を申し上げただけですが? ただあなたがやってることが、我々の立場から見ればあまりにメチャクチャなわけですよ。

    >この映画について「映画としては最悪の駄作、ただしプロパガンダとしてなら認める」と言ったが、逆に「映画としては優れているが政治的なメッセージは危険」ということだって有り得る。

    あり得んわ、そんなもん。政治的なメッセージの立場からすると「不快」ならあり得るけど。だって「政治的メッセージ」だけに集約される時点で、それはすでに作品として優れていないことになるもの。ただ自分の政治的立場を揺さぶられるものに対して「不快」なのを、「危険」だと決めつける政治的に未熟な人々がいるだけの話。

    >かれらにとって、映画「ミリオンダラー・ベイビー」が扱っている問題、そしてそれが発する政治的なインパクトは無視できないものであり、運動を宣伝するちょうどいいチャンスだとして嬉々として便乗しているというようには到底思えない。

    当たり前や。誰がそんなこと言うとるねん。自分たちの政治的主張と反対なものがメジャーなものとして出るから反対するのも、メジャーな映画を政治的理由で利用することの範疇でっせ? あなたが書いてることは僕の書いてたことのパラフレーズにしかなっておらず、ただロマンチシズムのバイアスの掛け方で印象が正反対になってるだけ。

    「動機が純粋だから」云々みたいなロマンチシズムの世界が元々僕にとって興味がないだけ…というか、その基準である行動を美化したりすること自体に否定的。そんなもんフロイトとか潜在意識とか少しでも勉強すれば、当たり前のことやんけ。

  13. macska Says:

    またたくさん反論があるみたいですが、できるだけ簡潔に。

    コメント3:
    > 「納得できない」などと書かれれば、それが映画それ自体への評価
    > でなくてなんなのでしょうか?

    映画のストーリーとしては納得できたとしても、それが与える政治的インパクトが懸念される、ということですが… わたしは最初から一貫として映画としての出来だとか完成度について論じていはいないのでストーリーについて納得できるかどうかについては何も言っていませんが、仮に町山さんの言うようにストーリーとして納得がいく内容だったとしても、それだけでは困ると言っているのです。

    > なのになぜそこまで映画館に行くことを厭われるのでしょうか?

    既に述べた通り、映画館が苦手だからです。

    > 現に見ていないが故に間違った解釈をしていたことを最初に指摘されているのですから、
    > その時点で書かれた内容を取り下げるというのも、まともな責任ある言論としての選択
    > 枝の一つでしょう。

    間違った解釈というか、言い過ぎの部分があったのでその部分に関してはあなたが登場するよりずっと前に取り下げました。残りの部分については、プロットやあらすじが分かれば十分な事しか書いていないので、取り下げる必要は感じません。

    あなたの言い方だと、例えば映画のポスターについて批評するためにも映画そのものを観なければいけないことになりかねませんが(また、映画の内容を参照しつつポスターについて批評するという事があっても良いですが)、ポスターそのものについて批評することだって可能だとわたしは思います。

    コメント4:
    > もう少し個人個人というものを尊重されてはいかがでしょうか?

    だから、社会制度の問題と、個人の問題をあなたは混同されているのです。
    わたしの言う事があなたに理解できないのは仕方がないですが、個人を尊重していないなどと決めつけるのはやめてください。

    > 障害者運動に注目を集めるためのキャンペーンとして、メジャーな映画を利用する
    > ことそれ自体はアリだと僕は思いますけれど

    かれらが、メジャーな映画を利用しようと考えているようには見えません。
    むしろ、どうしてこんな映画がメジャーで作られるのだ、と本気で憤慨しているように見えます.
    あなたは、ドレイク氏の論評すら読んでいないくせに、どうしてこうした邪推しかできないのでしょうか?

    コメント5:
    > 貴女は原作者や映画の脚本家や監督がそう「扱った」だけだと
    > 思い込んでおいでなのでしょうが

    思い込んでいません。そうではなく、「『尊厳ある生』に触れさえすればそれで良いのか」という反論が有り得ると思ったので、先回りして答えておいただけです。

    今回の返答を読む限り、やはりあなたはわたしが「個人の努力で『尊厳』を勝ち取れ的な扱いは無責任」という文章の意味をまったく理解していません。あれだけ丁寧に説明したのに…

    コメント6:
    > 僕が指摘しているのはあなたの文章の問題点ですよ。

    わたしの文章の問題点(?)も指摘していますが、同時に障害者運動がこの映画に抗議している動機(?)についてもあなたはいくつか「指摘」しています。障害者運動が、メジャーな映画だからと便乗しているというのが大部分だろう、というあなたの邪推について、その根拠を尋ねたら、あなたはドレイク氏の文章だと答えました。ところが、あなたはそのドレイク氏の文章を読んでいないのです。

    コメント7:
    > そんなこと言うとりませんがな(爆笑)

    要約がまずかったのかもしれませんが、要するに「Macskaは映画をプロパガンダの手段にしようとしている」という意味でした。しかしわたしは、映画がこうあるべきだったとか、ヒロインがこうした選択をするべきだったということは一言も言っていないので、そういう批判は当たりませんよ、という事が言いたかったのです。

    コメント8:
    > 貴女が実際に書いたことはそういう文章になってないんですよ

    「『尊厳ある生』への道を事実上閉ざされた人に対して、それ以外の『わたしたち』は何を言えるかと考えてみるに、社会的な障壁を放置したまま『個人の努力で尊厳ある生を勝ち取れ』というのは無責任極まりないであろう」という文章を短く要約すると「個人の努力で『尊厳』を勝ち取れ的な扱いは無責任」となりますが、どこが違うんですか? あなたが誤読していただけでしょ。

    コメント9:
    > で、具体的に障害と共に生きる「尊厳ある生」って、あなたはなにを想定しているわけですか?

    個人が何に尊厳を感じるかというのはそれぞれであって、一律にこれであるというものを想定できるわけがないじゃないですか。ただ、それ以前の問題として、対等な人間として社会に参加できるような制度的準備をすることが、個人が自分なりの尊厳のあり方を追求できる最低限の条件だとわたしは考えるので、そうした制度的変革が必要であるというのがわたしの主張です。

    コメント10:
    > 医師にやらせるのと、自分が心から愛している人間にやってもらうのと、どっちが個人の尊厳にとって重要?

    予想通りの見苦しい言い逃れ、ありがとうございます(笑)

    あなたは、医者は患者を生かすことが仕事だから医者にやらせることはできない、という映画の設定を鵜呑みにしていたんでしょ? だから、本当はただ単に医者に頼めば済むだけなのに、「失明なら自殺もできようが、首から下が麻痺してしまえば死ぬことも自分では難しい」、という文章を書いているわけです。それはすなわち、水原さんがドレイク氏の文章を読みもせずに、ドレイク氏が関わる抗議運動について評価を決めつけたという、決定的な証拠となります。

    そもそも、わたしの指摘が間違いであるというなら、「いや、自分はちゃんとドレイク氏の文章を読んだ上で評価を下しているのだ」と答えれば済むのに、読んだか読んでいないかは巧妙に明言を避けている(笑) だから見苦しいのね。

    コメント11:
    > 単なる現実主義ですが、なにか?

    シニカルな見方である、と言っただけで、別に悪いといったわけじゃないんですが、それこそなにか?

    コメント12:
    > だって「政治的メッセージ」だけに集約される時点で、それはすでに作品として
    > 優れていないことになるもの。

    いつ誰が政治的メッセージ「だけ」の映画だなんて言いました? 作品として優れた映画が、政治的メッセージというか、政治的なインパクトを持つというのは有り得るんじゃないの?

    > 自分たちの政治的主張と反対なものがメジャーなものとして出るから反対するのも、
    > メジャーな映画を政治的理由で利用することの範疇でっせ?

    あははは。またもや苦しい言い逃れ。
    「自分たちの政治的主張と反対なものがメジャーなものとして出るから反対する」のも「利用」に含めるのであれば、そもそもあなたはどうしてそれを「極めてエゴイスティックな行為であり、そして人間の行いとしては歪んでいます」とまで非難していたわけですか? 自分たちの政治的主張と反対なものに抗議することを「人間の行いとして歪んでいる」と言うのであれば、民主主義は成り立たないでしょ。もし最初から「利用」という言葉に「自分たちと反対の政治的主張に反対する」も含めていたのであれば、そうした「利用」をあなたがあれほど極端に非難する理由がないわけです。

    つまり、あなたはもともと「自分たちの政治的主張と反対なものがメジャーなものとして出るから反対する」のも「利用」に含める、とは考えていなかったのに、今になって議論で追いつめられて苦しくなったから、「フロイトとか潜在意識」まで持ち出して「それに含まれる」ことにしておきたくなったのでしょう。

    その一貫性のなさを誤摩化すために、「動機が純粋だから」みたいなロマンチシズムに興味がないとか、全然無関係な事を言っているけれど、全く無意味。いい加減にしてください。

    あと、お願いですから、一度のコメントは1つにまとめてください。
    カット&ペーストで同じ事を何度も繰り返すのも、できるだけ避けてください。

  14. 水原文人 Says:

    >映画のストーリーとしては納得できたとしても、それが与える政治的インパクトが懸念される、ということですが…

    はあ。「もともと障害者の権利に否定的な人物が、障害者の殺害をロマンティックに美化した映画を作ったというだけの話であり、いかに登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない」は立派に映画そのもへの評価として読解されうるテクストですが? なにしろ「ロマンティックに美化」したかどうかは映画を見ないと分からないんですから。

    苦しい言い訳を続ける余裕があったら、早く見に行けば? あなたが見るまでペンディングしたいって言ってるんですけど、こちらは。だって不毛でしょ。

    >個人が何に尊厳を感じるかというのはそれぞれであって、一律にこれであるというものを想定できるわけがないじゃないですか。

    そうですよ。なのにその個人の領域を侵害してるからおかしいんです。で、この場合は『ミリオンダラー・ベイビー』のヒロインという個別例がいるんでしょ? その人に対してどうするの? あるいはクリストファー・リーブでもいいんですけど、その個人の選択を無視し続けてるのはあなたなんですけど?

    > 「『尊厳ある生』への道を事実上閉ざされた人に対して、それ以外の『わたしたち』は何を言えるかと考えてみるに、社会的な障壁を放置したまま『個人の努力で尊厳ある生を勝ち取れ』というのは無責任極まりないであろう」という文章を短く要約すると「個人の努力で『尊厳』を勝ち取れ的な扱いは無責任」となりますが、どこが違うんですか?

    ご自分が見ていない映画に対する「評価」が前提になってることを忘れないで下さいね。

    >その根拠を尋ねたら、あなたはドレイク氏の文章だと答えました。ところが、あなたはそのドレイク氏の文章を読んでいないのです。

    あなたの引用した部分を根拠にしてるだけですが? で、それは根拠としては極めて十分なんですけど? だって僕は批判や邪推をやってるんではなく、単にアメリカにおける政治的運動の行動パターンについての一般論を述べただけなんですから(爆笑)。それに対し自分がシンパシーを感じる団体だからということで過剰反応しておいでなだけですよ。

    >> そんなこと言うとりませんがな(爆笑)
    >
    >要約がまずかったのかもしれませんが、

    と、僕がそんなこと言ってないということを認めたフリをしながら、その舌の根も乾かないうちに「それはすなわち、水原さんがドレイク氏の文章を読みもせずに、ドレイク氏が関わる抗議運動について評価を決めつけたという、決定的な証拠となります」とか言ってるんだから、あなたって本当に言論における誠意とかとまったく無縁な人なんですねぇ、と判断せざるを得ませんな…

    >> 単なる現実主義ですが、なにか?
    >
    >シニカルな見方である、と言っただけで、別に悪いといったわけじゃないんですが、それこそなにか?

    「邪推」とかなんとか言ったヒトがなにを今更・・・

    >「自分たちの政治的主張と反対なものがメジャーなものとして出るから反対する」のも「利用」に含めるのであれば、そもそもあなたはどうしてそれを「極めてエゴイスティックな行為であり、そして人間の行いとしては歪んでいます」とまで非難していたわけですか? 

    やっている側の意図はどうであれ、結果として作り手を侮蔑する行為にしかならないからですけど? 誰であろうとその社会的な行動が、その背後にある善意を常に了解された上で理解されるなんてことはありませんよ。いい例が、あなたが「自分が攻撃されている」と思い込んでこうやって必死で苦しい言い逃れをしていることです。

    >自分たちの政治的主張と反対なものに抗議することを「人間の行いとして歪んでいる」と言うのであれば、民主主義は成り立たないでしょ。

    つまり政治的な意図であることは認めるんですね♪

    > つまり、あなたはもともと「自分たちの政治的主張と反対なものがメジャーなものとして出るから反対する」のも「利用」に含める、とは考えていなかったのに、今になって議論で追いつめられて苦しくなったから、「フロイトとか潜在意識」まで持ち出して「それに含まれる」ことにしておきたくなったのでしょう。

    もう、メチャクチャですな(爆笑)。

    まずは映画をご覧下さい。お話はそれからにしましょう。

    > あなたは、医者は患者を生かすことが仕事だから医者にやらせることはできない、という映画の設定を鵜呑みにしていたんでしょ?

    設定を鵜呑みにできるわけも、擁護できるわけもありませんが? あのぉ、私は日本在住で、日本では6月公開予定ですから、まだ試写も始まってません。つまり僕も見てないんですけど。当然他の資料は読んでますけど、基本的にあなたへの批判・反論に用いさせて頂いているのは、あなた自身が引用している資料だけですよ(爆笑)。

    徹底してあなたの自己矛盾を突いているだけだ、ってことにまだお気づきでないようで…

  15. macska Says:

    > 苦しい言い訳を続ける余裕があったら、早く見に行けば?

    これはわたしの持つ障害とも関係することですが、映画館が苦手であるとわたしが何度も言っているのに、どうしてそうやって無神経に「見に行け」とばかり言えるのでしょうか? 何度も言う通りDVDが出たら観るので、それまで待ってください。

    > そうですよ。なのにその個人の領域を侵害してるからおかしいんです。

    わたしは「個人の領域を侵害していないし、侵害するべきではない」という内容の文章を書いているのに、それを読んで「Macskaは個人の領域を侵害しているからおかしい」とあなたが反応するのは、偏執狂的ではないですか? それをいい加減理解してくださいな。

    > あなたの引用した部分を根拠にしてるだけですが?

    つまり、障害者運動自身が発するメッセージを1つも読みもせずに、わたしが紹介したほんの数行程度の引用だけを根拠にかれらの動機をあれこれ勝手に決めつけていたわけですね。見ていない映画について論評するのと同じくらい傲慢な行為であるように思いますが。

    > やっている側の意図はどうであれ、結果として作り手を侮蔑する行為にしかならないからですけど?

    自分たちの政治的主張と反対のものに抗議することが、どうして相手を侮辱することになるのですか? まったく訳が分からないです。もしかして、映画という表現手段を取れば、その映画が持つ政治的インパクトについての批評の一切は「侮辱」であるとでもお考えですか?

    それから、善意だから良いとかそういう議論は誰もしていないので、関係ない方向に話を逸らそうとしないようにお願いします。

    > あなたが「自分が攻撃されている」と思い込んで

    攻撃されているとは思っていません。だって、わたしの主張そのものに対する攻撃は一切ないんだもの。あなたの言うことは、全てわたしの主張をこうであると決めつけたり誤解した上で、わたしの主張とは何の関係ないものを攻撃しているだけ。わたしの主張とは何の関係もないので放っておいても構わないんですが、できたらわたしの主張を理解した上でそれについて意見を聞かせて欲しいので、こうやって「それは誤読・言いがかりである」と説明しているのですが。

  16. 水原文人 Says:

    >これはわたしの持つ障害とも関係することですが、映画館が苦手であるとわたしが何度も言っているのに、どうしてそうやって無神経に「見に行け」とばかり言えるのでしょうか?

    見ないで映画に対する評価として受け取られることを書いておいでだからです。あなたは「障害の専門家」として書いているから映画そのものへのクリティークにはならないと思っているのかも知れませんが、誰が書こうがその映画に対して評価を下している文章は、その映画に対するクリティークになるのです。そこの認識が甘いのです。

    ただあなたの障害に関するものであるとは知りませんでした。その点については、知らなかったし知りようもないこととはいえ、いささか配慮が欠けていたことは謝ります。ごめんなさい。

    >わたしは「個人の領域を侵害していないし、侵害するべきではない」という内容の文章を書いているのに、それを読んで「Macskaは個人の領域を侵害しているからおかしい」とあなたが反応するのは、偏執狂的ではないですか? それをいい加減理解してくださいな。

    あなたが自分の主張とはまるで逆のことを書いているから、指摘しているのですが? まだ分からないのですか?

    >> やっている側の意図はどうであれ、結果として作り手を侮蔑する行為にしかならないからですけど?
    >
    >自分たちの政治的主張と反対のものに抗議することが、どうして相手を侮辱することになるのですか?

    映画のなかから自分たちの主張を展開するために都合のいい部分だけをあげつらっているからに決まってますが?

    >それから、善意だから良いとかそういう議論は誰もしていないので、関係ない方向に話を逸らそうとしないようにお願いします。

    あなたがしていいますよ。あなたは自分が引用した文章を書いた団体について書いたことを再読して下さい。で、それに対して僕はロマンチシズムのバイアスが違っているだけでパラフレーズにしかなってない、とすでに指摘して差し上げています。

    >攻撃されているとは思っていません。

    ほぉ。やせ我慢ですねぇ。ならばなぜ

    どうして宗教右派が騒ぎ始めたからといって障害者運動が何か言わなければいけないことになるのか。例えば、同性婚の問題について宗教右派は騒いでいるけれど、だからといって障害者運動が同性婚問題で何か活動をやっているという話は一切聞かない。

    …というような、通常考えられない誤読に基づいた倒錯したことを喚き立てるのでしょうか? あまりに下らないので無視して来ましたが。

    >わたしの主張とは何の関係ないものを攻撃しているだけ

    すべてあなたが書いたことに基づいていますよ。

    「この映画のストーリー展開についてイーストウッドは「原作の小説に従っただけ」と言っているという。しかし、監督としてどの小説を映画化するかを選んだのはイーストウッド自身なのだから説明とはなっていない。もともと障害者の権利に否定的な人物が、障害者の殺害をロマンティックに美化した映画を作ったというだけの話であり、いかに登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない」

    「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。」

    貴女は原作者や映画の脚本家や監督がそう「扱った」だけだと思い込んでおいでなのでしょうが、そのためにこの指摘をしています。

    「エンゲルスのフローベール論を持ち出すまでもなく、作品というのはその作り手(芸術家)個人を超えて存在するものです。こと物語芸術、つまり登場人物の生き方を描く場合、実際にその制作過程で起こるのは、登場人物の方が作品をコントロールするということです。作り手の側はそれを真摯に追い、描写するしかなくなる。またそうでなければ、優れた物語芸術作品にはなりません。」

    > 何度も言う通りDVDが出たら観るので、それまで待ってください。

    ですから、待ちますとずっと言ってます。あなたがこのページを立ち上げる前にすでに提案させて頂いてますよ。前の方のページのコメント26番に書いてありまして、日付は2/23/2005 @ 7:39 amです。

  17. Macska Says:

    > あなたは「障害の専門家」として書いているから映画そのものへのクリティーク
    > にはならないと思っているのかも知れませんが、誰が書こうがその映画に対して
    > 評価を下している文章は、その映画に対するクリティークになるのです。

    だからですね、わたしがクリティークの対象としているのは、社会なのです。映画そのものの評価については他の人の評論を紹介・引用しつつ、そうした映画が受容され賞にノミネートされる「社会」に焦点を絞った批評を行っているつもりです。もっとも一カ所だけ言い過ぎた部分(社会に言及しているつもりが、文面上映画に対する評価として表現してしまったミス)は確かにあったので、その部分については早くから撤回しました。

    自分が「障害の専門家」だから映画そのものへのクリティークにならないと思っているわけではありません。映画そのものへのクリティークではなく、社会へのクリティークを書いているとわたしは言っているのです。また、障害学理論をやっている者だとは言いましたが、専門家と言えるほどの専門ではないです。

    > あなたが自分の主張とはまるで逆のことを書いているから、指摘しているのですが?

    その「指摘」というのが、単なるあなたの誤読でしかないのです。

    あるいは、わたしの表現力が貧しいのかもしれません。わたしの表現力の貧しさのために、誤読を招くような表現をしてしまったとしたら、それはすみませんでした。しかし、誤読であるとちゃんと説明した後になっても、例えば「Macskaは主人公の決断を否定している」みたいな、その時点では既に誤読であると判明したはずのことを繰り返すのは止めて欲しいです。

    >> 自分たちの政治的主張と反対のものに抗議することが、どうして相手を侮辱することになるのですか?
    >
    > 映画のなかから自分たちの主張を展開するために都合のいい部分だけをあげつらっているからに決まってますが?

    障害者運動の当事者であるドレイク氏らが、映画のなかから自分たちの主張を展開するために都合のいい部分だけをあげつらっているという決めつけはおかしいのではないですか? 現に、ドレイク氏の批判を全文読むと、わたしが紹介した部分以外にも、障害を持つ別の登場人物の描写・演出についても批判していますし、プロットが論理的におかしなところなども指摘しています。ドレイク氏の文章を読むと、映画全体を観た上で障害者運動の立場から批判の対象とすべきであるとドレイク氏が判断したことには非常に納得がいきます。

    あなたが言うような「相手を侮辱すること」というのは、例えば映画の本質とは関係ない一瞬だけの描写や言葉遣いみたいなものを取り出してあげつらっている場合に当てはまることかもしれませんが、「自分たちの政治的主張と反対のものに抗議すること」自体が必ずしも「相手を侮辱すること」であるとは思えません。

    >> それから、善意だから良いとかそういう議論は誰もしていないので、
    >> 関係ない方向に話を逸らそうとしないようにお願いします。
    >
    > あなたがしていいますよ。

    ほら、またわたしの発言を捏造していますね。言ってもいない事を言っていると決めつけられても、それはわたしの主張でもなんでもないので、反論のしようがありません。善意という言葉自体、あなたが唐突に持ち出したものでしょうが。

    いいですか、わたしが言ったのは、わたしが見る限りドレイク氏は映画に対して本気で怒っているようであり、あなたが邪推したように、自分たちの運動を宣伝するのに丁度良い機会だから便乗してやろうと考えているようには到底見えない、ということです。彼が善意であるとか、だからそれが良いかどうかとか、そんな事は一言も言っていません。

    じゃ、続きはDVDが発売されてからというコトで。

  18. 水原文人 Says:

    >だからですね、わたしがクリティークの対象としているのは、社会なのです。映画そのものの評価については他の人の評論を紹介・引用しつつ、そうした映画が受容され賞にノミネートされる「社会」に焦点を絞った批評を行っているつもりです。

    だから〜、では

    「この映画のストーリー展開についてイーストウッドは「原作の小説に従っただけ」と言っているという。しかし、監督としてどの小説を映画化するかを選んだのはイーストウッド自身なのだから説明とはなっていない。もともと障害者の権利に否定的な人物が、障害者の殺害をロマンティックに美化した映画を作ったというだけの話であり、いかに登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない」

    「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。」

    ってのはなんなの? だいたい映画は社会の一部ですよ。

    >あるいは、わたしの表現力が貧しいのかもしれません。わたしの表現力の貧しさのために、誤読を招くような表現をしてしまったとしたら、それはすみませんでした。

    誤読なんてしてませんよ。あなたが書いたものが現にそう解釈されうるものであった、というだけです。それはあなた個人を知らないが故の「誤解」ではあるかも知れませんが、「誤読」などというのなら「あなたは何様のつもりですか?」ってことになってしまいます。

    > しかし、誤読であるとちゃんと説明した後になっても、例えば「Macskaは主人公の決断を否定している」みたいな、その時点では既に誤読であると判明したはずのことを繰り返すのは止めて欲しいです。

    あなたが僕が何度も引用して問うていることについて、ちゃんと説明してないからに決まってるじゃないですか。

    「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。」

    これはあなたが、映画を見ていないが故にプロット自体すら知らなかったことを指摘された時の返答ですよ。どういう神経してるんですか?

    > ほら、またわたしの発言を捏造していますね。

    してませんよ。というか、また凝りもせず繰り返してますが…

    >わたしが見る限りドレイク氏は映画に対して本気で怒っているようであり、あなたが邪推したように、自分たちの運動を宣伝するのに丁度良い機会だから便乗してやろうと考えているようには到底見えない、ということです。彼が善意であるとか、だからそれが良いかどうかとか、そんな事は一言も言っていません。

    「本気で怒ってる」から、メジャーな映画を利用しているというのは邪推だ、っていうのがあなたの論旨でしょう。違いますか? 「本気で起ってる」かどうか自体を問題にしてないのが僕なんですけど。構図として利用していることになってるし、それを自覚してなかったら運動の主体が独善的であるだけですよ。まさかそんなことはないと思いますけどね。だからその部分のロマンチシズムを除けば、パラフレーズでしかありませんよ、って言っているんですが?

    >じゃ、続きはDVDが発売されてからというコトで

    はいはい…ってどうせまた文句つけてくるに決まってるけど(苦笑)。

  19. 横山好雄 Says:

    >見ないで映画に対する評価として受け取られることを書いておいでだからです。

    突き詰めれば、水原さんが言っているのはこれだけなんだけど、一体何故それがいけないのでしょうか?

    当然のことながら、視覚に「障害」を持つために映画自体を観れないという人は現にいます。でもその人は点字でシナリオは読めるかもしれません。
    また、視覚に障害がなくても、何らかの理由で病室から出られないという人だって世の中にはいます。でもその人は、公式サイトでプロットを知ることは出来るかもしれません。
    そのような人たちが、シナリオを元に、あるいはプロットを元に映画を論じたとして、別段何か問題があるのでしょうか? 「これはシナリオ(プロット)を元にした」ということが読み手に分かれば、別にこれといった問題はないでしょう。
    それとも水原さんは、「観られない」境遇の人は一切映画についての論評・評価はしてはいけないという主旨を開陳したいのでしょうか。(実際そういうことになるわけですが。この辺の「健常者至上の差別意識」もものすごいですね。)

    勿論、実際観てみるとその部分はそういう場面ではないよと、書き手の誤解を指摘することは全然あってよい。が、ここで水原さんがやっていることはその前段、「書くこと自体」への難癖です。
    それって単に嫌がらせ・イチャモンの部類なのでは?
    例えば、観ないで「肯定的」な評価が書かれていた場合でも、水原さんは今回と同じようなコメントをつけたのでしょうか?

  20. 水原文人 Says:

    > そのような人たちが、シナリオを元に、あるいはプロットを元に映画を論じたとして、別段何か問題があるのでしょうか? 

    それじゃ「映画を論じたこと」にはならないからに決まってますが。

    その意味では視覚障害者を最初から排除したメディアであるわけです。ではそれが差別であるかどうか、ってことになると極めて難しい問題になりますが、せめてその辺りから議論を起こすことはできないもんですかねぇ?

    >それとも水原さんは、「観られない」境遇の人は一切映画についての論評・評価はしてはいけないという主旨を開陳したいのでしょうか。(実際そういうことになるわけですが。この辺の「健常者至上の差別意識」もものすごいですね。)

    現に見えないんだからしょうがないでしょう? 

    障害学では日本語における「障害」を、身体的な機能の制限を意味する「インペアメント」と、そうした身体的な特徴によって社会参加の機会を奪う社会制度としての「ディスアビリティ」に区別します。もちろんそんなに明快に区別できるものなのかというのは怪しいところもあるのですが、だいたいそういうモノだとお考えください。

    これがどういう意味か、分かってます? 私があなたのオレ様ルール独裁掲示板(笑)で言及した「不便」というのも、そういう問題なんですが?
    まあさっぱり分かってないと見えて差別意識の裏返しでしかない議論を展開していたのが横山様なわけですが。

  21. 水原文人 Says:

    >まあさっぱり分かってないと見えて差別意識の裏返しでしかない議論を展開していたのが横山様なわけですが。

    詳細はこちらをどうぞ。
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?range=1&base=12481

    あ、ちなみにあなたの俺様ルール独裁掲示板になぞ今後投稿する気はまったくありませんので、よろしく。

    参考

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?range=100&base=12500

  22. 横山好雄 Says:

    >それじゃ「映画を論じたこと」にはならないからに決まってますが。

    「これはシナリオ(プロット)を元にした」ということが読み手に分かれば、別にこれといった問題はない」と書いています。つまり各人の映画の論じ方など、別に一意にあなたが決められる問題ではないということ。
    では聞きますが、「映画を論じる」とは一体どういうことですか? 
    (究極的には同時空間的にその映像を共有しない限り私は無理だと思うが?)

    >その意味では視覚障害者を最初から排除したメディアであるわけです。ではそれが差別であるかどうか、ってことになると極めて難しい問題になりますが、せめてその辺りから議論を起こすことはできないもんですかねぇ?

    話を逸らさないで下さい。
    「視覚障害者を排除したメディア」「それが差別であるかどうか」なんて話題は私は一切していません。そうではなく、「観られない」境遇の人でも、プロットなりシナリオなりを元にその映画について語って(論評・評価)よい、それすら認めないというのは「差別的」だと言っているのです。

    >現に見えないんだからしょうがないでしょう? 

    「現に見えない」ことは、その映画について語れる(論評・評価)自由を妨げる理由にはなりません。何様だよあんた。

    それと、「他板」のことはここではどうでもいいです。(機を見てちゃんと批判すると既に宣言済み。)
    あと、明確な質問をスルーしちゃう性癖は改められた方がよいのでは。

    >例えば、観ないで「肯定的」な評価が書かれていた場合でも、水原さんは今回と同じようなコメントをつけたのでしょうか?

  23. celine Says:

    macskaさん、返信ありがとうございます。

    悪趣味だと言われるかもしれませんが、私はここで「Devil’s advocate」的な役回りを少し演じたいと思います^^;

    > 特にリーブ氏については「障害を絶対に受け入れない、克服してみせる」と公に発言する

    まず、この公言についてのソース(もちろん英文のまま)を具体的に教えていただけないでしょうか。

    「絶対に受け入れない」という文言から受け取れるような、障害を持った生は否定的なものである、つまり生命の質としての優劣の判断を下したと受け取れるような公言を実際に彼は行なったのでしょうか?

    「克服してみせる」についてですが、苦しいリハビリテーションや様々な医学的療法に精力的にチャレンジし、それを持続させていた彼の行動に照らし合わせて考えてみた時、私にはそれはほとんど違和感のない言葉として受け取れるのですが・・・。
    事故や何かで障害を負ったほとんどの人は機能の回復を目指してリハビリに励むわけですし、その過程において、機能回復を果たしてみせる—その意味で「障害を克服してみせる」という動機づけのような意思表明があるのは自然なものだと思います。特に批判されるようなものではないと私には思えるのですが。

    彼のリハビリや治療への取り組みによって見られた回復(彼の負った障害のレベルからすれば僅かとしか言えなかったでしょうが)は、医学的、科学的な予想をかなり越えたものだと言われています。それはある意味で健常者側である医療側に蔓延しているともいえる早期「受容」示唆や強要の問題点を公にしたものでもあったと思います。もちろん、そのような「克服してみせる」という姿勢が、障害を受容し新たな生活への道を踏み出している人への「途中で諦めた」などという批判や後ろ指を差すものにつながってはいけないと思いますが・・・。
    macskaさんのリーブ氏に関する批判点は、そのようなことを意味しているのだと解釈しましたが、いかがでしょう?

    > 障害者運動が訴えるのは、インペアメントの有無に関わらず社会参加を妨げられないような社会を作ろうということであり、インペアメント=身体的差異そのものを取り除くことで社会参加を実現しようとする言説には批判的なのです。

    「ディスアビリティ」を取り除こうとする努力と「インペアメント」を取り除こうとする努力は並行して行ない得るものではありませんか?たしかに難しいとは思いますが。また私はその両立を目指すことが必要であり、可能であるとも思いますが、いかがでしょう?
    それから、もしかしたらmacskaさんは、「インペアメント」を取り除こうとする努力への傾注は必然的というか、原理的に「ディスアビリティ」を取り除こうとする努力を軽視しその社会的意義や価値を見失わせるベクトルとして働くとお考えなのではないでしょうか。
    もしそうだとしたら、論理的に、そして出来れば具体的な実例をあげてそれを説明(論証)していただけないでしょうか。

    > もちろん一番問題なのは彼の発言そのものではなく、彼の発言に便乗して「インペアメントの有無に関わらず社会参加できる世の中にしよう」という訴えを無視し続ける一般社会やメディアの方です。

    「便乗」と「無視し続ける」の2点について、その論拠とそれら(「便乗」と「無視」)の度合いがどの程度のものであったか、もう少し実証的な説明(論証)がほしいところです。

    > リーブ氏が障害を持つ以前から障害者運動というのはあるわけですが、彼はそうした運動や研究の蓄積を知らないまま、障害者のスポークスパーソンのように祭り上げられてしまった。その責任の大部分はもちろん彼をそのように扱った一般社会やメディアにある

    彼の負うべき「責任」とは具体的にどのようなものがあるのでしょうか。私なりに箇条書き的に整理してみました。

    ・障害者運動や研究の蓄積を知らなかった
    → それを「責任」という言葉では批判できないと思う。

    ・障害者のスポークスパーソンのように祭り上げられてしまった
    → 功罪で言うなら「功」(障害者福祉向上の政策や予算の訴えとその効果)を無視できないし、トータルで見て「責任」という言葉で批判はできないと思う。

    ・彼自身もう少しそのことに自覚的であれば良かったと思います
    → この言い方なら同意できる。

    > 水原さんへ

    macskaさんとのやり取りに首を突っ込むつもりはありませんが、議論の本筋とは関係のないところで気になった点があったので、ちょっと口を挟ませてください。

    > 苦しい言い訳を続ける余裕があったら、早く見に行けば?

    の発言なんですが、macskaさんが何度も「映画館が苦手」だと話しており、「これはわたしの持つ障害とも関係することですが」とまで公言されているのですから、この点は想像力を働かすことはできないでしょうか。論争でヒートしてくるのは理解できるのですが・・・・

  24. 水原文人 Says:

    celineさん、こんにちは

    >macskaさんが何度も「映画館が苦手」だと話しており、「これはわたしの持つ障害とも関係することですが」とまで公言されているのですから、

    単に「映画館が苦手」だったら「甘ったれんな」でおしまいですが、「障害」が関連してるのならやむをえないですね。というわけで、「苦しい言い訳を続ける余裕があったら、早く見に行けば?」は、障害に関わる理由であることを知る前の話です。

  25. 水原文人 Says:

    >「これはシナリオ(プロット)を元にした」ということが読み手に分かれば、別にこれといった問題はない」と書いています。

    それに基づいては「ロマンティックに美化」かどうかも判断できませんし、「に登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない」とも言えません。ちなみに心理描写は当然ながら、シナリオだけでは読解できませんよ。

    >「映画を論じる」とは一体どういうことですか? 

    映画そのものを論じることに決まってますが? シナリオなどで言語化が可能なのはそのごく一部に過ぎませんが?

    >「視覚障害者を排除したメディア」「それが差別であるかどうか」なんて話題は私は一切していません。そうではなく、「観られない」境遇の人でも、プロットなりシナリオなりを元にその映画について語って(論評・評価)よい、それすら認めないというのは「差別的」だと言っているのです。

    だからあなたは「不便」とか「インペアビリティ」とかをなんにも理解してないで、他人を貶めるために「差別」というレッテル貼りをしてるだけなんですよ。見ていない映画を論じられるわけがないでしょう? 視覚障害者は絵画だって見ることはできませんから、絵画それ自体を論じることはできませんよ。それは当然の「不便」でありやむを得ないことなのに、見ていないものを批判していいなんて特権を視覚障害者にのみ与えるのなら、そりゃ逆差別であり、ハンディキャップを負った人を「弱者」というステレオタイプでくくってその「弱者」を自分の自己満足のためだけに利用してることにしかなりませんな。

    >「現に見えない」ことは、その映画について語れる(論評・評価)自由を妨げる理由にはなりません。何様だよあんた。

    物理的に見えないのになにを論じるんですか? メチャクチャですな。倒錯もいいところ。私怨だけで投稿するとこういうバカを書くことになります。

    無論見えなくても、その音響構造を論じることならできますし、シナリオを文学的テクストとして論じることもできます。でもね、それだけでは「心理描写」とか「美化」とか「ロマンティシズム」とか、映画なら映画がその手段の総体で表現していることを論ずることは、不可能なわけです。

    つまり「不便」ってことがまったく分かってないのに、障害者の味方のフリをしてる自己満足野郎に過ぎない、ってこと。

  26. 水原文人 Says:

    >「苦しい言い訳を続ける余裕があったら、早く見に行けば?」は、障害に関わる理由であることを知る前の話です。

    追記: 知らなかったとはいえ無神経なことを言ってしまったことはあらためて謝ります。DVDが出るまでお待ちしています。

  27. 横山好雄 Says:

    >それに基づいては「ロマンティックに美化」かどうかも判断できませんし、「に登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない」とも言えません。ちなみに心理描写は当然ながら、シナリオだけでは読解できませんよ。

    ここ、「一般論」が語られていることも読解出来ないのですか? 
    あなたが「それじゃ映画を論じたことにはならない」と言うから、各人各様の論じ方にまで容喙出来る権利などあろう筈がないという主旨で批判しているのです。
    それでは、いい加減「映画についての論評は映画を観なければ一切してはならない」という根拠でも挙げて頂くよう、ここに要求しておきましょうか? あなたの信念・信仰以外に何かあるのであればね。
    大体そんなものに他人が従う理由などないんですけど。

    >>「映画を論じる」とは一体どういうことですか? 
    >映画そのものを論じることに決まってますが? シナリオなどで言語化が可能なのはそのごく一部に過ぎませんが?

    ですから「映画そのものを論じる」とはどういうことでしょうか? もっと具体的にお願いします。「専門家」でしょ?

    >だからあなたは「不便」とか「インペアビリティ」とかをなんにも理解してないで、他人を貶めるために「差別」というレッテル貼りをしてるだけなんですよ。見ていない映画を論じられるわけがないでしょう? 

    論じられるでしょう。プロットを元にしてもシナリオを元にしても。読み手はそれがプロットやシナリオを元にしたものであることを理解(了解)して読むんだから、何の問題があるのかと私はと問うています。で、何の問題があるのですか? お答え頂いてないのですが。

    >視覚障害者は絵画だって見ることはできませんから、絵画それ自体を論じることはできませんよ。それは当然の「不便」でありやむを得ないことなのに、見ていないものを批判していいなんて特権を視覚障害者にのみ与えるのなら、そりゃ逆差別であり、ハンディキャップを負った人を「弱者」というステレオタイプでくくってその「弱者」を自分の自己満足のためだけに利用してることにしかなりませんな。

    自己投影ですね。

    本来「健常者・障害者」の問題じゃないんですよ。例に出したのは、やむを得ず観られないという人たちもいるのに、そういった人たちの表現の自由を制限するような主旨をあなたが書いているからです。
    で、観られる人だって観る前に批判したって構わないでしょう。プロットを元にしてもシナリオを元にしても。何でいけないのでしょうか?
    第三者が出来るのは、その批判内容に対して反批判することであり(そりゃどんどんやればいい)、決して「観る前に批判しちゃだめ」などという幼稚な言説ではない筈です。そういうのは普通イチャモンと言うのですね。

    >物理的に見えないのになにを論じるんですか? メチャクチャですな。倒錯もいいところ。私怨だけで投稿するとこういうバカを書くことになります。

    何を論じたっていいでしょう? ていうか書き手が何を論じたいかによるでしょう。
    プロットから論じられること、シナリオから論じられること、可能性はいくらでもあります。唯一「映像表現」に関するもの以外はね。
    視覚障害者にはそんな自由さえ許されないとでも言うのでしょうか? 

    >無論見えなくても、その音響構造を論じることならできますし、シナリオを文学的テクストとして論じることもできます。でもね、それだけでは「心理描写」とか「美化」とか「ロマンティシズム」とか、映画なら映画がその手段の総体で表現していることを論ずることは、不可能なわけです。

    ですから、どんな立場の人でも、例外なく、映画は「総体」を論じなきゃいけないなどということがあるのですか? あなたの信念・信仰以外に何かあるのであれば、ちゃんとその根拠を挙げてから言って下さい。

    つまり「不便」ってことがまったく分かってないのに、障害者の味方のフリをしてる自己満足野郎に過ぎない、ってこと。

    はっきり言って「障害学」、何一つ理解してないですね。
    これはそのうちきっちり批判してさし上げます。(と既に言っている。)

    あと、明確な質問をスルーしちゃう性癖は改められた方がよいのでは。

    >例えば、観ないで「肯定的」な評価が書かれていた場合でも、水原さんは今回と同じようなコメントをつけたのでしょうか?

  28. 水原文人 Says:

    >それでは、いい加減「映画についての論評は映画を観なければ一切してはならない」という根拠でも挙げて頂くよう、ここに要求しておきましょうか?

    すでにしてありますが? 見ていないものをどうやって論じるのですか?

    メチャクチャですな。ホント、私怨だけで投稿するからこうなる。

  29. 水原文人 Says:

    >本来「健常者・障害者」の問題じゃないんですよ。例に出したのは、やむを得ず観られないという人たちもいるのに、そういった人たちの表現の自由を制限するような主旨をあなたが書いているからです。

    見てもいない作品について評価を下すのは、「表現の自由」ではなく単なる傲慢であり、それが否定的なものであれば無根拠な誹謗中傷です。オシマイ。

  30. 水原文人 Says:

    >例えば、観ないで「肯定的」な評価が書かれていた場合でも、水原さんは今回と同じようなコメントをつけたのでしょうか?

    誹謗中傷にはなりませんが、なにか?

  31. 水原文人 Says:

    >あと、明確な質問をスルーしちゃう性癖は改められた方がよいのでは。

    そりゃあんたのことでしょう(爆笑)。

  32. 水原文人 Says:

    >ここ、「一般論」が語られていることも読解出来ないのですか? 

    読解できるわけがありません。一般論ではなくこのブログで出て来た特定の言論について語ってるんですが? 論点スリカエはおやめ下さい。

    私怨で他人を貶めるためだけに投稿している人って、本当にみっともないですね。

    masckaさんに迷惑なので、これ以上あなたのような倒錯野郎にここでレスをつけるのはやめます。もうしわけないですが

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain

    こちらへどうぞ。

    あとはmasckaさんがDVDでご覧になるまでお待ちします。アホ横山なんぞ相手にして混乱させてしまってすみませんでした。

  33. 横山好雄 Says:

    >すでにしてありますが? 見ていないものをどうやって論じるのですか?

    ですから、どんな立場の人でも、例外なく、映画は(映像を含めた)「総体」を論じなきゃいけないなどということがあるのですか? あなたの信念・信仰以外に何かあるのであれば、ちゃんとその根拠を挙げてから言って下さい。

    >見てもいない作品について評価を下すのは、「表現の自由」ではなく単なる傲慢であり、それが否定的なものであれば無根拠な誹謗中傷です。オシマイ。

    何を言っているのか…。
    プロットなりシナリオなりで「筋」自体が分かっているのであれば、その筋自体を批判することに何の問題があろうか。これが「表現の自由」でなくて何だというのだろう?この映画評論家とやらは。
    要は、自分の好きな監督の好きな作品が批判されたことに単純にキレただけの話だわ。その証拠に「肯定的」な評価なら観てなくてもいいってんだから。
    まぁそんなことだろうとは思っていたが、しかしここまで簡単に誘導にのるかねぇ普通。

    >>あと、明確な質問をスルーしちゃう性癖は改められた方がよいのでは。
    >
    >そりゃあんたのことでしょう(爆笑)。

    どこですか? 挙げてごらん?
    結局最後は地金が剥がれて、印象操作に腐心すると。毎度のことだが…。
    で、結局今回もこちらの問い質しはことごとく無視すると。

    >読解できるわけがありません。一般論ではなくこのブログで出て来た特定の言論について語ってるんですが? 論点スリカエはおやめ下さい。

    これが本当に読解出来なかったんだとすると、映画評論家なんて商売は務まらんと思うが。

    >私怨で他人を貶めるためだけに投稿している人って、本当にみっともないですね。

    「他板」のことをさんざん持ち込んだのはあなたですよ。「私怨」がどちらかは読んでいる人が容易に判断するでしょう。

    >masckaさんに迷惑なので、これ以上あなたのような倒錯野郎にここでレスをつけるのはやめます。もうしわけないですが

    さんざんMacskaさんにトンチンカンなレスつけて迷惑を与え続けてきた人が、最後にこういうことを言うかねぇ(笑)。
    これも自己投影の一種なんでしょう。

    水原さんが書かない限り、私もこれで終わりにします。
    映画評論家の中には、こと映画が絡んでくると、すさまじく教条的な、そして本当に差別的な人がいることが分かったというのが唯一の収穫ですかね。

  34. celine Says:

    > 水原さん

    > 単に「映画館が苦手」だったら「甘ったれんな」でおしまいですが、「障害」が関連してるのならやむをえないですね。というわけで、「苦しい言い訳を続ける余裕があったら、早く見に行けば?」は、障害に関わる理由であることを知る前の話です。

    私の言いたかったことは、「障害に関わる理由」云々にまで触れる発言の前に、「映画館が苦手」という言葉からちょっと想像力を働かせたり、理由をそれなりに聞くとかがあったのでは、ということなんです。
    相手と話をしていて「映画館が苦手」、「バスや地下鉄が苦手」などと聞けば、私にはピンと感じるものがあります。もちろんこういう私の感じ方は「特殊」なんだろうと自覚していますから「こんな感性を共有できませんか」なんて言うのは圧力的で失礼なことだとは理解しています。

    ただ、〔「映画館が苦手」だったら「甘ったれんな」〕という言い方はちょっとどうかなと思います。映画を見ていないことの理由に「映画館に行くのがめんどうだ。」なら「甘ったれんな」でしょうが・・・。それに〔やむをえない〕なんていう言い方になると、はたから見てもなんか攻撃的な物言いに聞こえます。

    水原さんの書き込みを読ませていただくと、障害や差別の問題に確固としたご自分の意見を持っていらっしゃることが分かりますし、映画というそれこそ「表現の世界」に関わるお仕事をされているようなのでなおさらそれを感じたわけです、私としては。

  35. celine Says:

    補足・・・

    上に書いた「私にはピンと感じるもの」というのは、よく考えたら失礼な(勝手な憶測)物言いでmacskaの感情を害するものになっているかも知れません。
    もし感情を害されたなら、どうかご容赦ください m(_ _)m

  36. celine Says:

    今度は訂正です・・・・(-_-;)

    macskaの感情→macskaさんの感情

    ごめんなさい。

  37. 水原文人 Says:

    >ただ、〔「映画館が苦手」だったら「甘ったれんな」〕という言い方はちょっとどうかなと思います。映画を見ていないことの理由に「映画館に行くのがめんどうだ。」なら「甘ったれんな」でしょうが・・・。

    いえ、それだったら映画についての文章など書かなければいいということであり、映画に関する文章を書くのであったら見ておくのは当然の責任ですから、「苦手」だけではそりゃ無責任でしょう。

    むろん「障害」があっても無責任なことには変わりないのですけれどね。そこから先は権利とか責任の問題ではなく、配慮とか心配り、気遣いの問題です。

    >水原さんの書き込みを読ませていただくと、障害や差別の問題に確固としたご自分の意見を持っていらっしゃることが分かりますし、

    いえ、まったくの常識的なことを言ってるだけですよ。「障害や差別の問題に」ことさら興味があるわけでもありません。興味があるのは人間がなにを選択するのかの問題ですし。

  38. 水原文人 Says:

    >水原さんが書かない限り、私もこれで終わりにします。

    アホ。自分の都合の悪いところをスルーするのは相変わらずだが、

    masckaさんに迷惑なので、これ以上あなたのような倒錯野郎にここでレスをつけるのはやめます。もうしわけないですが

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain

    こちらへどうぞ。

    って書いてあるだろうが(苦笑)。

    というわけで続きはこちらです

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?range=1&base=12770

  39. 横山好雄 Says:

    celineさん、横レス失礼します。

    >いえ、それだったら映画についての文章など書かなければいいということであり、映画に関する文章を書くのであったら見ておくのは当然の責任ですから、「苦手」だけではそりゃ無責任でしょう。

    何度同じことを繰り返せば気が済むのですか?
    観ていなくても、ある種の[映画に関する文章を書く]ことは出来るし、Macskaさんに限って言えば、さんざん「映画そのもの」(あなたの言葉で言う総体)についての論評ではないと言明されています。さんざん反駁されている主張を繰り返しぶつけるのは「無限ループ」と申しまして、そういう症状が出ている人には「冷静な議論など出来ない」というあなた自身の言葉もあります。結局これも「自己投影」なんですね。
    みっともないのでいい加減やめて下さい。

    >むろん「障害」があっても無責任なことには変わりないのですけれどね。そこから先は権利とか責任の問題ではなく、配慮とか心配り、気遣いの問題です。

    「観ていない」という断りがあれば無責任でも何でもありません。読み手はそれを了解して読む以上、誤解の生じる余地もない。
    あなたの信仰・信念までを他者におしつけるのは、いい加減やめて下さい。

    >いえ、まったくの常識的なことを言ってるだけですよ。「障害や差別の問題に」ことさら興味があるわけでもありません。興味があるのは人間がなにを選択するのかの問題ですし。

    「常識的」でないからこそMacskaさんも反論し、私も拘って反駁しているわけです。脳内にある「常識」とやらを他人にまで押しつけるのは迷惑ですのでやめて下さい。

  40. 横山好雄 Says:

    >って書いてあるだろうが(苦笑)。

    どうしてあなたの「俺様ルール」(爆笑)に従わなきゃならないのでしょうか?

    (つか、そんなこと一投稿にまとめろよ、連投アラシ野郎が。こっちまで二投稿になっちまったじゃねえか。)

  41. 水原文人 Says:

    > どうしてあなたの「俺様ルール」(爆笑)に従わなきゃならないのでしょうか?

    誰も従えなんて言うとりませんが? ただここで続けても無意味だから他所に移しますよ、って明言してあることに対して、

    > >水原さんが書かない限り、私もこれで終わりにします。

    って返答は日本語読めてないだろーが、って話。私ゃ「書かない」なんて書いてないのに、なんで「私も」になるんだよ(爆笑)。

  42. 横山好雄 Says:

    「ここでのやり取り」を、議論相手の承諾も無しに勝手に移すって言うんだから、そんなもの「俺様ルール」と言われても当たり前です。

    > >水原さんが書かない限り、私もこれで終わりにします。

    はあくまで「ここ」での話でしょ?
    日本語読めてないのはどっちなのでしょうか。

    ちなみに私の方は
    http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_index
    にて続けております。

  43. 水原文人 Says:

    >> >水原さんが書かない限り、私もこれで終わりにします。

    って結局終わりにしてないなぁ(爆笑)。39番っていったい何よ? 僕が「常識」と言うとるのは「差別」とか「障害」の話であって、おたくの発狂した議論とは無関係なんだが、日本語読めないの?

    > はあくまで「ここ」での話でしょ?

    そんなことあなたはどこにも書いておいででありませんが? それどころか移行先のURLをわざわざ削除してるのはあんたなんだが?

    > 日本語読めてないのはどっちなのでしょうか。

    書いてないことを読めるか、っつーの。相変わらず物理的に不可能なことが分かってない阿呆。

    >ちなみに私の方は
    >http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_index
    > にて続けております。

    ああなに? わざわざあなたにお願いしないと書き込みできない掲示板で続けるわけ? 絶望的なエゴイストやね。わたしゃあなたにわざわざ「投稿させて下さい」なんてお願いする気がしないので、どうぞご勝手に。

  44. 水原文人 Says:

    >Macskaさんに限って言えば、さんざん「映画そのもの」(あなたの言葉で言う総体)についての論評ではないと言明されています。

    だから自分でその気がなくても結果としてそう読解されることを書いてしまっていることも説明済み。無限ループもいい加減にして下さいな…

    続きはこちらへどうぞ

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12773&range=1

    あなたに「お願い」しなくちゃいけない掲示板になんて、なんで俺が書き込まなくてはならないんだ?(爆笑)。

  45. 水原文人 Says:

    >あなたに「お願い」しなくちゃいけない掲示板になんて、なんで俺が書き込まなくてはならないんだ?(爆笑)。

    しかも今月の初旬にアク禁にされたし。物理的に書き込めず、その権利がないと表示されたんだから、サーバーの不都合であろうがなんだろうが、説明責任は権利者・主催者のあなたにあるのも当たり前・・・っていうのも、どうもわかってないらしい。

  46. a thousand Says:

    横レス、失礼します。

    >>いえ、まったくの常識的なことを言ってるだけですよ。「障害や差別の問題に」ことさら興味があるわけでもありません。興味があるのは人間がなにを選択するのかの問題ですし。

    >「常識的」でないからこそMacskaさんも反論し、私も拘って反駁しているわけです。脳内にある「常識」とやらを他人にまで押しつけるのは迷惑ですのでやめて下さい

    何が「常識的」かの判定は難しいのですが、「障害や差別の問題に対する一般的な(世間的な?)考え方」というのは、実は水原さんの様なものなのかもしれない、と思えます。

    例えば
    (NO.3:水原文人さんより)
    > 社会としては最大限、バリアフリーなどで障害者の生活が不便でなくなるように努力する責任があります。
    > これは当然のことです。

    > でもそこから先、
    > つまり外部からの働きかけとしてできる物理的な処置の先にある、
    > 個々人の内面の問題に他者が介入するのは、
    > それは個々人の人格を否定する不遜な行為にしかなりません。

    ご存知の方も多いと思いますが、ホームに電車が入ってくる際「危険ですので、黄色い線の内側までお下がりください」とアナウンスが入りますが、あの黄色い線は、視覚不自由者誘導ブロックという材料で、材料名の通り目の見えない人の誘導をする役目をしております。(この「視覚不自由者誘導ブロック」は、新しく作る大きな交差点では、必ず設置するように決められています。そういう意味では”物理的バリアフリー”は形としては進んでいる、と言えます)
    アナウンスの内容を良く聞くまでもなく、視覚不自由者誘導ブロックは危険ラインの外側にあります。実際、転落した経験のある視覚不自由者の方はおられるそうです(職場で話題に上った際の、噂話程度の知識ですので、絶対的に正確ではないかもしれませんが)。
    なぜ、危険ラインの外側に誘導ブロックがあるのか考えたのですが、そこの位置にないと今度は逆に電車に乗ること、が危険になるからだと思います。

    転落者が多い、が事実だとすると、”物理的バリアフリー”を進めていったとしても”不便でなくなる”場合は出現します。
    では、どうすればいいのかというと、誘導ブロックを安全側に設置し、電車が入ってきた時に、誰でもが視覚不自由者の方を、驚かせることなく誘導することが出来ること、が望ましいと思います。
    ですが、実際にはそうなってはいません。これは「バリアフリー」=物理的な処置→そこまでしか外部からの働きかけは出来ないという考え方が、世間一般の考え方だからなのではないでしょうか。

    つまり、

    > 一方障害者の存在を社会として受け入れて共生しようという社会的な意志が欠けている。
    (↑macskaさん「水原さんへお返事(映画「ミリオンダラー・ベイビー」ネタバレ」から引用)

    状態が、現時点での「常識」なのではないですか?

  47. 水原文人 Says:

    a thousand さん、こんにちは

    >では、どうすればいいのかというと、誘導ブロックを安全側に設置し、電車が入ってきた時に、誰でもが視覚不自由者の方を、驚かせることなく誘導することが出来ること、が望ましいと思います。

    そこも含めて物理的・身体的なサポートの範疇だと思いますが。四肢に障害がある人に対してでも、荷物を持ってあげるとかのサポートは誰にでも出来るはずであり、どんどんやればいいことではないでしょうか? ただ他者である我々が出来るのは、基本的にはそうした身体的・物理的なサポートどまりでしょう。精神的な励ましなどについては、やはりある程度親しいとか、ある種の関係性がないとできないことだと思います。もちろん礼儀として「お大事に」とか「頑張って下さい」とかの言葉はかけられますが、尊厳死を望んでいる人がどう決断するかは、結局人それぞれだと思います。

    ただ法制度としての尊厳死の保証にも、いろいろ問題はあると思います。macskaさんがアメリカの運動家の方の文章を挙げて論じておいでのことが逆に、そこに「制度」として個人の尊厳を守ることの難しさを提示しているとも考えられますね。

    現実には主人公は死を望むのであれば医者にそう告げれば呼吸器を外してもらえたはずであり、コーチに頼まなければいけない絶対的な理由は一切無かった。

    外形的な事実としてはその通りです。しかし「ただ死ぬ」ことで個々人の尊厳が保証されるわけではないと思います。死を選ぶときに誰にそれを頼むのか、誰の手にかかって死ぬのかは、実は相当に大きな問題でしょう。

    しかし制度として安楽死や尊厳死を保証する時には、やはり医師の手でなければいろいろ問題はおきます。法的なガイドラインとしていろいろクリアする条項を設けておかないと、殺人罪が成立してしまう可能性も大きいわけですし。

    つまりここにも矛盾があります。社会制度としてなにかを確立したときに必ずそこからこぼれ落ちる個別例・個人をめぐる矛盾は生まれるでしょう。これはなにも障害者の問題に限ったことではありませんね。

    それはともかく

    > ですが、実際にはそうなってはいません。これは「バリアフリー」=物理的な処置→そこまでしか外部からの働きかけは出来ないという考え方が、世間一般の考え方だからなのではないでしょうか。

    違うと思います。単に多くの人はできれば自分が面倒なことに関わりたくないだけだと思います。手助けくらいそんなに面倒ではないんだからやってもいいとは思いますが、たとえば駅の建物を完全にバリアフリーにしようと思うだけで、けっこうバカにならない経済的投資が必要となります。資本主義社会では効率性は主に金銭だけに換算されてしまうという特性を持っていますし。

    しかし今の日本の場合、多くの人が手助けをしようとしないのは、別にただ物理的に面倒(手間が増える)だけではないのではないか、とも思えます。「情けは人のためならず」ということわざが随分誤解されている傾向がありますが、身体的な障害などで困っている人をごく普通に気の毒に思って手助けする、いわゆる「憐憫」を動機とする行為がその当事者を傷つけるのではないか、という配慮が、多くの人にはたらくようになっていることがあるのではないか、と考えられます。いわばそれが今の日本社会の「常識」になってしまっていることは否定できないと思います。現に「情けは人のためならず」がここまで誤解されているのですから。

    しかも「かえってよくない」みたいに思えれば手助けをしない自分に罪悪感を抱かなくて済むわけですから、この理屈は実は健常者の側にどこまでも都合良く出来た「常識」である、とも言えます。

    ひとつには出自に関する差別(人種差別・民族差別)や性差・性的志向に関する差別と、障害者に対する差別には現実的に大きな位相の差異が出て来ざるを得ないのに、「差別」に対するアレルギー的な心理が強すぎてそこを無視してしまう人が多すぎるようにも思います。相手が「朝鮮人」であることに哀れみを抱くなんてのは差別意識の裏返し以外のなにものにもならないのですが、たとえば盲人には目が見えないことは客観的な「障害」、というか不便さとして厳然としてあるわけですから、そのことについて不便さを気遣い出来るサポートをするのは、当然の良心の問題でしょう。ただ目が見えないからたとえば映画が見れないというのはどうしようもない現実であるとして、では映画が見られないから「不幸」かどうかなんてのは、人それぞれでしょう。映画が大好きだった人、それこそ映画監督が後天的に視力を失えばすさまじく不幸であろうことは理屈としては想像できますが、それだって本人がどうなのかと言えば小説家として再出発しちゃったりできる人もいるので、障害・不便さと幸福であるか不幸であるかは、決してイコールで結ぶことはできない。他人に手助けされてありがたく思い、人の心の温かさを感じる幸福もあれば、そこでプライドが傷つく不幸もあるのかも知れませんし。

    まあアイリッシュでカトリックでボクサーをやってると言えば、後者のようなプライドを重んずる文化のなかにはあります。そうした文化ないし社会が障害者を不幸にすることもあるのかも知れませんが(一方でカトリックですからチャリティーの精神は重要な教義でもありますけれど)、そこでそれを一概に否定できるのか−−そうしたマチズモ的文化そのものは批判の対象になりますが、民族文化の尊重という次元の問題も出て来るし。一方であらゆる文化が、制約や抑圧や矛盾をはらんでいるというのもまた現実でしょうし、あらゆる文化の持つ倫理がその文化の現実のなかで齟齬を来たし矛盾を露呈し限界をさらけ出すものでもあります。理想化でも杓子定規な「正義」のおしつけでもなく、クリティカルな視点を持つ必要がありますが、クリティカルな視点もまた暴走すればその現実のなかで齟齬を来たし矛盾を露呈し限界をさらけ出すこともあるでしょう。

  48. 横山好雄 Says:

    >アホ。自分の都合の悪いところをスルーするのは相変わらずだが、

    議論というのはこういう「印象操作」だけではだめなのです。「どこにスルーした箇所があるのか挙げてごらん?」と、私は既に書いています。

    >って結局終わりにしてないなぁ(爆笑)。39番っていったい何よ? 僕が「常識」と言うとるのは「差別」とか「障害」の話であって、おたくの発狂した議論とは無関係なんだが、日本語読めないの?

    [日本語読めないの]はそちらでしょう。
    「(このスレッドに)水原さんが書かない限り、(このスレッドでは)私もこれで終わりにします」【A】という主旨なのは文脈上明らか。勿論他の人からのレスがつけば応対せざるを得ないわけだから、そのことについてはとやかく言いません。当たり前だけど。
    ただその(他の人への)レス内容がとんでもなければ、そりゃ横レスはします。単にそれだけの話じゃないですか。ちゃんと読めば分かるでしょ、こんなこと。

    >僕が「常識」と言うとるのは「差別」とか「障害」の話であって、おたくの発狂した議論とは無関係なんだが、日本語読めないの?

    そんなものは「健常者社会」側が勝手に作り上げた幻想の常識であって、それを否定する障害者当事者・支援運動のたどり着いた地平が「障害学」なのです。で、「障害学」を通して見れば、あなたの言う常識とやらが、その常識観故にいかに「差別的」であるかが証明されるという構図なのです。
    それは追々ちゃんと批判してあげると、もうしつこい位に何度も言っています。いい加減「健常者社会の視点」だけをもとに、「常識、常識」などと吹聴するのはやめて下さい。(無知故なんであまり非難も出来ませんが。)

    >そんなことあなたはどこにも書いておいででありませんが? それどころか移行先のURLをわざわざ削除してるのはあんたなんだが?
    >書いてないことを読めるか、っつーの。相変わらず物理的に不可能なことが分かってない阿呆。

    【A】の文脈が読めないって、コレ↑本気で言ってるんですか? 頭悪過ぎるんじゃないでしょうか。これは私の責任ではありませんので、八つ当たりされても困ります。
    (移行先のURLはあなた自身が紹介しているのだから、再度私が貼る必要なんてないんですけど…。わざわざ削除ってアンタ、被害妄想も大概にして下さい。)

    >ああなに? わざわざあなたにお願いしないと書き込みできない掲示板で続けるわけ? 絶望的なエゴイストやね。わたしゃあなたにわざわざ「投稿させて下さい」なんてお願いする気がしないので、どうぞご勝手に。

    少なくとも「嘘」だけはやめて頂きたい。
    「わざわざ私にお願いなどしないでも、あなたは書き込み出来た」ではありませんか。つか、それでもう既に何投稿も、現にしてきたではありませんか。エゴイストなのは、反論に詰まった途端「アク禁をかけられた」などと根も葉もない嘘をばらまいているあなた自身でしょう。
    「説明責任」が管理者の私にあることはその通り。但し、それは、メールなり、「移行板」(というのが用意されているのです)なりで「投稿出来ないが?」と、その時点で問い合わせがあった場合にのみ発生する責任です。
    あなたはそんな確認一つせず、一方的に方々で「アク禁をかけられた」と吹聴しまくってきたわけです。(今もそうです。)
    そんな人にどうやって常識的な説明責任が発生するというのでしょうか? 自己中もいい加減にして下さい。

    >だから自分でその気がなくても結果としてそう読解されることを書いてしまっていることも説明済み。無限ループもいい加減にして下さいな…

    だ、か、ら、[そう読解される]筈などないことをMacskaさんは既に説明しているのです。
    そして、あなた自身が[DVDが出るまでお待ちしています](26や32) と言っているのです。なのに37で、またぞろ反駁された主張を繰り返しているから批判しているのです。(だからこそ私の39の冒頭は[何度同じことを繰り返せば気が済むのですか?]と始まっているのです。)

    もう少しじっくりと、前後の流れを再確認してから書いたらどうでしょう? あなたは一事が万事この調子ですから。

    http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_index (継続BBS/横山分のみ提示 笑)

  49. 水原文人 Says:

    >議論というのはこういう「印象操作」だけではだめなのです。「どこにスルーした箇所があるのか挙げてごらん?」と、私は既に書いています。

    ですからどこをスルーしてるのかは書いてますが? 35番をご覧下さい。

     付け加えるならばあなたは僕がmacskaさんを批判しているのがこのページの18番に引用してある部分であることを故意に無視して、勝手に「一般論だ」と吹聴したはてに無根拠に他人を差別主義者呼ばわりしておいでですね。

    >「(このスレッドに)水原さんが書かない限り、(このスレッドでは)私もこれで終わりにします」【A】という主旨なのは文脈上明らか。

    どこが? わざわざ引っ越し先のURLを含む

    もうしわけないですが

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain

    こちらへどうぞ。

    を削除した上で(つまり、恣意的印象操作)

    >水原さんが書かない限り、私もこれで終わりにします。

    と書いたのがあなたなんですが?

    >「わざわざ私にお願いなどしないでも、あなたは書き込み出来た」ではありませんか。つか、それでもう既に何投稿も、現にしてきたではありませんか。

    ええ。ところがすぐに投稿できなくなりました。で、そのことを批判したところ、おたくの忠犬らしきGBG氏から事細かな投稿規定の説明がありましたが、なにか?

    おたくの投稿規定には確かに「わざわざあなたにお願いしないと書き込みできない掲示板」が明記してありますよ。

    >だ、か、ら、[そう読解される]筈などないことをMacskaさんは既に説明しているのです。

    「私はリベラリストだから」「障害学の理論と実践をやってるから」そんなこと書くはずはない、という以上のことは説明されていませんがなにか? 自分が自分のことをどういう人間だと思い込みたいかと、実際になにをやっているかが必ずしも一致しないのは当たり前。議論はテクストそのものにまずのっとって行われることも当たり前ですけど?

    またオレ様ルールか…

  50. 水原文人 Says:

    >そして、あなた自身が[DVDが出るまでお待ちしています](26や32) と言っているのです。なのに37で、またぞろ反駁された主張を繰り返しているから批判しているのです。

    あのぉ、37はcelineさんへの返答として立場を一般論的に説明しただけなんですけれど? なにをヒステリックになっておいでなんでしょうか?

    やっぱり私怨投稿者はダメだねぇ…

    >もう少しじっくりと、前後の流れを再確認してから書いたらどうでしょう? あなたは一事が万事この調子ですから。

    あのぉ、このMacskaさんのブログにおける議論の流れをまったく把握してないから、Celineさんに僕がただ説明しただけのことについて噛み付いてるのはあなたなんですけど?(笑)

    まあ、アホ横山流ではアホ横山と意見が対立したとたんに「前後の流れを再確認」とか言い出すのが毎度のパターンなんですけどね。

  51. 水原文人 Says:

    ところでMacskaさん、

    >最近話題の屋外インストレーション「The Gates」を見ることができた。

    うらやましい…。クリストのおっさんも毎回ワンパターンながらよくやりますね。今まで彼のインスタレーションは写真とフィルムでしか、見たことがないのが悲しい…

    ご紹介のリンク先の写真では、今回使っているオレンジ色の布の質感はなかなか素敵ですね。

    ただ写真で見る限りでは、作品としては「ドイツ帝国議事堂」だとかほどの迫力は、ないですね。もっとふんだんに布を使って、セントラルパークの西側の通り道がまったくの異世界に変貌するぐらいのことをやって欲しかった。

    >背景に見える先週降った雪の残りと剥き出しになった土があまりにみすぼらしいので、もう少し暖かい季節だったら良かったのにと思った

    …というのでは、ちょっと当て外れっぽいような…

    ++++++++++++++

    …という上記の雑談にも、実は問題性はあります。現物ではなく縮小した写真から判断しているだけでは、本当のところの迫力は分からないからです。「見ずに批評」とまでは言えずとも、クリストの作品を批評しているのか、それを撮った写真を批評しているのかの境界が非常に曖昧になる。

    で、その写真を見て「迫力がない」と言っているだけであって、実は写真の撮り方の問題であるかも知れないわけです。

    無論、クリストのようなランドアート系のインスタレーションなどの現代アートの場合、表現のプレゼンテーションのあり方自体が現物を見せることだけではないという面が、コンセプトの一部として既に存在しています。現物でなく写真などで批評されることが当初から前提にされているのだから、写真だけで批評することが一概に否定できるわけではない。メディアにとりあげられること自体がこの種のコンセプチュアル・アートの表現手段のひとつでもあるのだし、ことご紹介のサイトは、クリストの公式サイトですし。

    とは言うものの、やはりオレンジの布に囲まれて、その質感を至近で感じながらセントラルパークを歩いて行ける体感はできないので、このサイトだけを見てThe Gatesを「見た」ことになるのかどうかは非常に微妙。こと「迫力」の問題で論ずるのには、相当に無理がある。「見てないじゃん、あんた」でおしまいにされてしまう危険は常にあります。

    理屈として布で日常的空間を非日常空間に作り替える/見慣れた光景が変貌する、というコンセプトは分かりますが、その表現としての力は、やはり写真などの二次的情報から想像するしかなくなってしまうわけですよね。

    ++++++++++++++

    それはともかく、一度生で見たいクリスト。う ら や ま し い。

    東京タワーか国会議事堂を布でくるんでくれないかなぁ…

  52. 水原文人 Says:

    サイトには…

    > To experience the artwork, one immerses oneself into that environment.

    と書いてある…。やっぱり現物を見ないと本当には分からない…

  53. celine Says:

    > 水原さん

    >> ただ、〔「映画館が苦手」だったら「甘ったれんな」〕という言い方はちょっとどうかなと思います。

    > いえ、それだったら映画についての文章など書かなければいいということであり、映画に関する文章を書くのであったら見ておくのは当然の責任ですから、「苦手」だけではそりゃ無責任でしょう。

    水原さんのご意見が「映画を観ないで映画について(関して)語る(評論する)のは傲慢であり、無責任である。」ということは充分承知しております。その点については横山さんのご意見とどちらが妥当であるか私にとって判断しかねるところがあるのですが、いずれにせよそれらの意見の当否とは別なところで、「甘ったれんな」が「映画館が苦手」と言明したことそのものに対する非難の物言いになっていたので「ちょっとどうかなと思います。」と書いたのです。
    macskaさんの文章をちゃんと読めば、「映画館が苦手」を「映画は観る気がない」のエクスキューズにしているわけではないことは充分わかることですし、「ビデオが出たら観ようと思います」ともお書きになっているのですから、ふつうは、いきなり「甘ったれんな」と返すのではなくて「どうして映画館が苦手なの?」ぐらいの話になるんではないかということです。

    今回の水原さんの初めの頃の文章から察すると、あなたは「映画館が苦手」の発言を「映画は観る気がない」もしくは「観ていないが、映画についての文章は書く」ということへのエクスキューズにしている(しようとしている)と頭から思い込まれたように私には見えます。そして議論を優勢に進めるための非難材料に仕立てることだけに目がいったようにも見えるんですね。(←これ、「邪推だ」と言われるとは思いますが^^;)

    > むろん「障害」があっても無責任なことには変わりないのですけれどね。そこから先は権利とか責任の問題ではなく、配慮とか心配り、気遣いの問題です。

    ですから、「観るつもりはないけど書く」というのであれば無責任だと言えるでしょうが、エクスキューズとして使ったのではない「映画館が苦手」という発言に対していきなり「甘ったれるな」や「無責任」をぶつけるのは、ちょっとどうかな、それこそ「配慮とか心配り、気遣いの問題」ではないでしょうかというのが私が最初にお話した主旨なのです。

    >> 水原さんの書き込みを読ませていただくと、障害や差別の問題に確固としたご自分の意見を持っていらっしゃることが分かりますし、

    > いえ、まったくの常識的なことを言ってるだけですよ。「障害や差別の問題に」ことさら興味があるわけでもありません。興味があるのは人間がなにを選択するのかの問題ですし。

    なぜ文章が「いえ」で始まるのか、ちょっとピンときません。
    あなたの書き込みを読んで「自分の考えに確信というか信念を持っているように感じた」という旨を書いたのであって、考えが方が「常識的」なのかどうかに触れたわけではありません。ですから、私の文章に対して否定の「いえ」から始まるご返事では「障害や差別の問題に関する意見については私は自信、信念がない」と受け取られてしまいますよ(笑)。

    あっ、分かりました。これって謙遜の言い回しなんですね?
    でも、そういう「応答の仕方」って無意識に出てくる癖みたいなもので、ご自身ではそれ(謙遜になっていること)にお気づきになっていない場合が多いのかも。
    (心理分析的に言うと、謙遜の文を書きたいけれど、それがあからさまに見えるのはプライドが許さないから、つい「いえ」で始めてしまうっていうことかな^^;)

    #3、4日ほど留守しますのでレスをいただいてもお返事は遅れるかと思いますので、よろしく。

  54. GBG Says:

    >ええ。ところがすぐに投稿できなくなりました。で、そのことを批判したところ、おたくの忠犬らしきGBG氏から事細かな投稿規定の説明がありましたが、なにか?

    「事細かな」投稿規定の説明って、これのことですか? 全然「事細か」じゃないんですけど。きわめてシンプル。

    「投稿希望の旨」を先ずお伝えください。追って「投稿可設定」に入ります。」

    何でこれが「事細か」なんですか?(爆笑) たいした手間じゃないでしょう(しかも最近は水原さんだけはこの手続きを踏まずとも、それまで何回も投稿できていたわけです。あなたからみたら「忠犬」である私なんか、一度ならず二度もはねられました(笑)水原さんVIP扱い(笑)

    投稿はねられたらまず、サーバーの不調の可能性を疑う。それでもダメなら、流転板の場合、移行板があるから、そこでその旨伝える。それでも改善されなければ再度訴えるなり抗議する。この手順を追わないかぎり、(仮にアク禁かけられたのが事実だとしても)「説得力がないんですよ」ってさんざん申し上げたのです。
    確かにその部分=パブリックな説得力をもつような手順については「事細か」に説明しました。水原さんは「パブリック」ってことばを良く用いるので、そのあたりを中心にお話すれば話がスムーズにいくと思ったもので。だって、こんなこと、立場性とか見解の相違とかと関係ないでしょ。時系列の問題なんだから。パブリックということのひとつは、見解の相違がある相手と共生するルールで合意を形成するってことなんですから。

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12416&range=1
    >>現に私は2月6日夜に投稿しようとして投稿できませんした。アク禁にされたと解釈して当たり前でしょう?
    >それを言うなら私もそうですよ。一度投稿しようとしてできませんでした。そういう時は移行板で、申請すればよかったんですよ。それで私はできましたよ。私以外にもここ数日で何人かいますが。それもしなかったわけでしょう?

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12439&range=1
    >ちょっと面倒だけど、それくらいするのが人様の掲示板におじゃまする側のの「パブリック・マインド」なんじゃないの?
    >(要するに一回投稿できなかったくらいで、、、、サーバーのトラブルとかあらゆる可能性も考慮せず早合点した、、、がもっとも好意的解釈。そうだとしても決め付けに走った時点でもうアウト。あるいは逃げる口実ができたと喜んだのかな。人にはさんざん煽って返信をセカしておいて、、自分はだんまりだもんなあ、そんな「水原公」ルールがパブリックだっていうんなら、そんなパブロフの、、じゃなかったパブリックなんざいらんわ。)

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12450&range=1
    >>>(要するに一回投稿できなかったくらいで、、、、サーバーのトラブルとかあらゆる可能性も考慮せず早合点した、、、がもっとも好意的解釈。
    >>
    >> そうかも知れませんね。それならばそう説明すればいいだけの話なのに、掲示板主催者たるものが「あんなのは典型的な遁走の常套句」なんて感情的罵倒に走ってるんだから、
    >>
    >あれあれ、もしも時系列が正しくないならすり替えですよ。(仮定ね、あくまでも)
    >水原さんが先にアク禁された、と言ったのではないですか?(違うなら確かに罵倒ですね。)
    >つうか、早合点はあなたのせいであって、横山さんのせいじゃないでしょ。説明責任はこの場合横山さんにないでしょ。投稿する側が投稿規程を読む責任があるんですよ。これがパブリックマインド。甘ったれんじゃないよ、まったく(笑)

    でこれに対する水原さんの返答が、↓
    >まずアク禁にされたから、アク禁にされたと言っただけですけど?

    でした。だからその証明をしてくださいって言っているのに、、、

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12462&range=1
    >> そりゃ噛み合うわけないでしょう?万物流転の忠犬が必死で自分たち(ってそんなふうに自分の所属集団を想定する心理自体が、不気味なわけだが)の都合を吠え立てているだけなんですから
    >>

    >いやいやいや、そういうに飛躍しないように。とくに↑の( )の中、主語不明。もっと基本的な話なんですから。
    >Q「されたとなぜいえる」
    >A「されたからだ」
    >
    >こういうのは、パブリックな効力を持つ議論ではないでしょ。
    >時系列的に、水原さんが「アク禁にされた」とどっかの掲示板に書き込んだのと、横山さんが「アク禁などとデマを撒き散らすな」と言ったのとどっちが先なのよ?
    >挙証責任はあなたの側にあるでしょ。
    >そういう手間を省いて決め付けることで「議論」になってるって思い込んじゃうほうが、自分の所属集団にしか通用しない非パブリックなメンタリティーなんですよ。

    >>アク禁は僕の誤解かも知れませんが、誤解なら誤解だといえばいいのに、「あんなのは典型的な遁走の常套句。あれがROMに信じて貰えると「本気で思っている」んだとしたら、ちょっと救いようのない馬鹿。

    >ってことはやっぱりあなたが先に誤解して、アク禁だって言いふらしたわけね。だったらやっぱりあなた甘ったれだわ。パブリックマインドの欠如。

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12500&range=100
    >> 時系列的に、水原さんが「アク禁にされた」とどっかの掲示板に書き込んだのと、横山さんが「アク禁などとデマを撒き散らすな」と言ったのとどっちが先なのよ?

    >僕が先に決まってますが?

    ・・・つまり、何らかの事情で投稿がはねられて早合点して、一方的に被害妄想に走ったか、あるいは投稿そのものをせず、はねられたフリをして逃げた水原さんが、「アク禁にされた」とどっかの掲示板に書き込んだ。で、その後で、横山さんが、「アク禁などとデマを撒き散らすな」と警告した。
    ただそれだけのことなんですがね。

    それともうひとつ、水原さんあなたは、こともあろうに
    「macskaさんが、『ビデオで見るかもしれないけど、犯罪である海賊版でいいや』というふうに事実上そう言っていると受け取られてもしょうがない発言」をしたと『吹聴』していますね。
    いいかげんにしてくださいね。
    http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_plain?base=2884&range=1

  55. 横山好雄 Says:

    >ですからどこをスルーしてるのかは書いてますが? 35番をご覧下さい。

    見ましたけど…、35番のどこにあるのですか?(笑)  次回お願いします。

    >付け加えるならばあなたは僕がmacskaさんを批判しているのがこのページの18番に引用してある部分であることを故意に無視して、勝手に「一般論だ」と吹聴したはてに無根拠に他人を差別主義者呼ばわりしておいでですね。

    無視してませんよ。Macskaさんの文章が、「観た上」でのものであったのならいいわけでしょう? それって結局、私が一番最初に書いた、
    >>見ないで映画に対する評価として受け取られることを書いておいでだからです。
    >突き詰めれば、水原さんが言っているのはこれだけなんだけど、一体何故それがいけないのでしょうか?
    ってことでしょう?
    ちなみにMacskaさんは、[仮に観ていても文章の内容が変わっていたとは思えない]と述べていますね。
    読者(私も)が混乱しますので、ここで一旦確認しておきましょう。
    あくまで「未見が問題なのである」という理解でよいですか? 
    他にもあるのならそれも述べておいて下さい。但し「原文番号」を表示するのをお忘れなく。(あなたの場合、コロコロ言ってることが変わるという性癖がありますから、確認のために必ず原文Noを提示するように。)

    >>「(このスレッドに)水原さんが書かない限り、(このスレッドでは)私もこれで終わりにします」【A】という主旨なのは文脈上明らか。
    >どこが? わざわざ引っ越し先のURLを含む
    >もうしわけないですが
    >http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain
    >こちらへどうぞ。
    >を削除した上で(つまり、恣意的印象操作)

    つまりこう↓書けばよかったのですか?(笑)
    ——-
    >masckaさんに迷惑なので、これ以上あなたのような倒錯野郎にここでレスをつけるのはやめます。もうしわけないですが
    >http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain
    >こちらへどうぞ。
    水原さんが書かない限り、私もこれで終わりにします。
    映画評論家の中には、こと映画が絡んでくると、すさまじく教条的な、そして本当に差別的な人がいることが分かったというのが唯一の収穫ですかね。
    ——-
    で、これ↑を読んで、「(このスレッドに)水原さんが書かない限り、(このスレッドでは)私もこれで終わりにします」と読解出来ない人があなた以外にいるとでも?

    >ええ。ところがすぐに投稿できなくなりました。で、そのことを批判したところ、おたくの忠犬らしきGBG氏から事細かな投稿規定の説明がありましたが、なにか?

    また嘘ですか。で、その投稿不可とやらは今も続いているという意味ですか?

    >おたくの投稿規定には確かに「わざわざあなたにお願いしないと書き込みできない掲示板」が明記してありますよ。

    別に「お願いしろ」なんて書いてありませんよ。とりあえず「投稿希望」を表明してくれれば[即「投稿可能」の設定に切り替え]ると言っているだけですが。
    こんな程度の話を「わざわざあなたにお願いしないと書き込みできない」と捉えるなんて、ちょっと精神が卑屈過ぎるんじゃないでしょうか。

    >あのぉ、37はcelineさんへの返答として立場を一般論的に説明しただけなんですけれど? なにをヒステリックになっておいでなんでしょうか?

    あたたたた。そうですか。それは失礼いたしました。
    ですが「一般論」の方が私にとっても都合がいいのですがねぇ(笑 既述)。で、一般論ということで「第一次やり取り」の終わりに戻るわけですね。とりあえずあなたが勝手に「移行宣言」をした後の私の質問が残っています。(ROMはここにいますので、ここでお願いします。)
    ——-
    >すでにしてありますが? 見ていないものをどうやって論じるのですか?
    ですから、どんな立場の人でも、例外なく、映画は(映像を含めた)「総体」を論じなきゃいけないなどということがあるのですか? あなたの信念・信仰以外に何かあるのであれば、ちゃんとその根拠を挙げてから言って下さい。
    ——-

    >やっぱり私怨投稿者はダメだねぇ…

    私、水原さんに私怨を抱くほどダメージになるような、そんな反論を頂いたことは今に至るまで無いのですが…。

    >あのぉ、このMacskaさんのブログにおける議論の流れをまったく把握してないから、Celineさんに僕がただ説明しただけのことについて噛み付いてるのはあなたなんですけど?(笑)

    あのぅ、トンチンカンなら批判されて当然なんですけど? (ここまでのやり取りでそれは指摘してありますが?)
    それと、Macskaさんにも言われてましたけど、出来たら「一回分一投稿」という決まりでやりませんか? 読者の読みやすさ(理解の容易さ)もあるでしょうし。連投アラシみたいなことしないでさ。

  56. 水原文人 Says:

    >見ましたけど…、35番のどこにあるのですか?(笑)  次回お願いします。

    35番を見れば一目瞭然ですが? あなたがスルーするために削除した部分を含めて再現引用してあるんですから(苦笑)。セコいゴマカしがお得意ですね。

  57. 水原文人 Says:

    >ですが「一般論」の方が私にとっても都合がいいのですがねぇ(笑 既述)。

    なんで私があなたの都合に合わせなければならないんですか? あなたの私怨投稿はROMや、たとえばCelineさんのような他の投稿者に迷惑ですから、「デスマッチ板」であるぶん運営の公平性が明記されてる

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain

    …で続きをやりましょうと言ってるんですが?

    >ですから、どんな立場の人でも、例外なく、映画は(映像を含めた)「総体」を論じなきゃいけないなどということがあるのですか?

    「しなきゃいけない」という問題でなく、単に「できない」だけなんですけれど? ストーリーだけでは、その人物の行動を肯定的に描いているのか否定的に描いているのかも分からないのが映画なんですけど?

    Macskaさんのネタ元であるCNNの記事

    http://edition&#46cnn.com/2005/SHOWBIZ/Movies/02/07/film.million.dollar.backlash.ap/

    には、ロジャー・エバートのコメントも載ってますが、エバート氏はフランキー(イーストウッド)の行動を自分自身は賛成していないと言った上で、こう書いてますよ

    “It’s a movie for grown-up, mature audiences in which people do things we don’t necessarily agree with,” Ebert told The Associated Press. “What kind of movies would there be if we expected everyone in them to do what we think they should do?”

    (訳)これは大人のため、成熟した観客向けの映画で、そのなかで人物がやる行動は必ずしも我々の賛成するものじゃない」とエバートはアソシエイテッド・プレスに語った。「もし登場人物すべてが、我々がそうしなければならないと思っている通りに行動するだけだったら、どんな映画になるだろう?」

    ちなみにMacskaさんが引用した町山氏の日記のイーストウッドのコメントには若干間違い(といいうほどのものでもないけど)があって、彼が尊重したのは「原作」ではなく、脚本に書かれた登場人物がどう行動するかだったようです。彼が最初に読んでやる気になったのは脚本であって、原作ではない(公式ウェブサイト参照)。で、CNNの記事には、NYタイムズからの引用として

    “How the character handles it is certainly different than how I might handle it if I were in that position in real life,”
    「人物がどう(状況に)対処するかは、私が実人生で同じ状況になったときにやる対処とは確実に違う」

    どっちにしろあなたが勝手に一般論に敷衍した

    >どんな立場の人でも、例外なく、映画は(映像を含めた)「総体」を論じなきゃいけないなどということがあるのですか?

    なんて質問に私は答える義務などないし、そんなことちっとも言っていないわけですが、見ていないで

    。もともと障害者の権利に否定的な人物が、障害者の殺害をロマンティックに美化した映画を作ったというだけの話であり、いかに登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない」

    なんて評価はそもそもできるはずがない(「ロマンチックに」も「美化」も、演出に関わる問題であって、まして脚本そのものを読んだわけでもない人には判断できるはずがない)、と言うだけなんですが? 「権利」の問題ではなく、単に物理的・身体的に不可能であるだけです。で、出来ないはずの評価をパブリックなインターネット上でやってしまえば、そりゃ言論行動として無責任である、と言ってるだけですけれど? テクニカルな問題としては、誹謗中傷にすらなりますね。

    まあ、あなたの目的が私怨から僕を貶めるためであるのがメインで、あとは「お仲間」と認識するMacskaさん防御にでも駆けつけたおつもりなんでしょうけど、そのために相手が言ってもいないことを捏造するような「議論」(になってないが…)の進め方は迷惑しごくであるだけです。
    ついでに、これもすでに説明済みのこと(かつあなたが例によってスルーしてますが)

    「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。」

    もなにも、イーストウッドは彼の最近の監督策の常として登場人物のキャアクターに沿った物語展開を尊重しているのだろうし、そのことは公式ウェブサイト

    http://milliondollarbabymovie.warnerbros.com/

    で詳細に答えていますから、見当違いでしかもエバートの言葉を借りれば「大人の、成熟した観客」でない人からの的外れな指摘ってことで終わりでしょう。見ていればバカでない限り、あるいは政治的信念らしきものかなにかに凝り固まっているか、映像に寄る物語表現に対する感受性がよほど鈍感な人でなければ、どういう映画であるかはたぶん見れば分かるんじゃないでしょうかね? その上で批判するのならどうぞってことで、見てないで批判してもまず説得力がないし、不当な決めつけになるだけです。

    あ、ちなみに予告編も公式ウェブサイトで出ています。ある程度どんな雰囲気の映画であるか、イーストウッドとスワンクの人物設定はなんとなく分かりますよ。

    >あのぅ、トンチンカンなら批判されて当然なんですけど?

    だからあなたは批判されてるわけですね。僕がCelineさんに対して「常識的」と言ったのは、障害とか差別とかの問題に特化した答えであることは文脈上明白でして、作品をどう批評するかについての常識とは関係のない話だったんですが(笑)。まぁ、人が言っていないことを捏造した「踏み絵質問」にこだわるから、あんな初歩的なミスをするのでしょう。そんな頭に血が上った人をここで相手にしてはROMの方にも他の投稿者にも迷惑ですから、移行しましょうと提案してるんですけどねぇ(苦笑)。よほど都合が悪いみたい…

  58. 水原文人 Says:

    補足。

    要するにですね、見ていなければ肯定するんでも「期待できる」、否定的に言うんでも「あまり期待できない」とか「つまらなそう」程度のことしか言えないわけです。それを見ないで「納得出来ない」なんて言われたら、作り手からすればそれこそそんな納得できない話はないし、その理由が「障害者の権利に消極的」からというんだったら、そりゃ“魔女狩り”でございます。個人の判断としてはいっこうに構わないんですけれど、ネット上で「ネタバレ注意」とか言った上でその手の決めつけをやるんでしたら、そりゃあまりにも大人げない、成熟してない人間のやることであって、はっきり言って無責任、ということです。

    まあアホ横山様に言論の責任なんて語ったところで、馬の耳に念仏でしょうけど(笑)。なにしろご自分のプライドのためなら捏造・誹謗中傷・罵倒なんでもアリ、しかもそのことについて凄まじく無自覚なうえ、公平性が期待される掲示板主催者の身でありながらそういう言辞の連発ばっか、しかもその掲示板にはあなたにお願いしなきゃ書き込めないと明記されてるんですから、お話になりません。

  59. 水原文人 Says:

    ついでに言うと…

    >2000年に障害者がかれらを差別した施設を訴える権利を大幅に制限する法律を支持する立場からテレビのトーク番組に次々出演したり、連邦下院で証言までしている「反・障害者の権利」の論客なのだ。

    …ってのはイーストウッドも無邪気すぎるとは思いますが、しかし…

    > イーストウッドは「差別的待遇を受けた障害者は、施設に対して問題を指摘してから90日間の是正期間を与えた後でなければ訴えてはいけない」という法改正を推進した。彼がこうした立場を取ったのは、イーストウッド氏自身が所有するホテルが障害者によって訴えられたことがきっかけらしいが、

    …というのは、件のCNNの記事にも出ているのですが、

    His testimony came after a disabled woman sued him because his historic inn lacked wheelchair access. A jury sided with Eastwood on all but two minor violations.

    …という事情ではあるようです。経営しているホテルというのは「Historic Inn』、つまり歴史的な建物を利用している宿屋だったわけで、そこに車椅子の障害者用のスロープを設置できるかといえば、けっこう微妙な問題ではないのでしょうか? CNNのこの記事を資料としていることをMacskaさんは自分の文章のなかで表明しているわけで、そこで「歴史的な宿屋」を「イーストウッド氏自身が所有するホテル」とだけにしてしまい、「障害者の権利を定めた法律が成立してから当時で既に10年も経っていたのだから是正期間はそれで十分だったはずだ」ってのは、ちょっと印象操作が過ぎるのではないか、とは思います。

    「歴史的」であることが売りなんだから、なるべく改造は加えたくないのが人情でしょう。無論車椅子の人にとっては不便であるのはその通りなんですが、「10年も経っていたのだから是正期間はそれで十分だった」って、車椅子の障害者に直接訴えられないかぎりはなるべく改造したくない、という事情は分からないではないわけで、たぶん訴えられるかなにかするまで何もしないでしょうから、訴えられてから90日の猶予があれば、そこで改造策を考えて云々というのも、筋が通っていないわけではないですよね。

    日本でたとえていえば、山形の銀山温泉の大正時代の建築(確か重文指定)の宿屋が障害者対応を迫られても、かなり困るってことはあるわけです。できれば手は加えたくないのが人情ではあります。

    ちなみにイーストウッド所有の宿屋は裁判では2つのマイナーな違反だけとがめられただけだそうです…

    だからって、そりゃ陪審員は基本的に”マジョリティ”(=健常者)の側でしょうから、彼らもまた障害者の権利について鈍感であったかも知れないと言えばその通りだとも思います。私自身としてはどっちが「正しい」とはおいそれと判断はできません。ただことさらイーストウッドを貶める動機がないのであれば、「所有のホテル」が「歴史的な宿屋」であったことくらいは言及しておいた方がフェアさは保てただろうし、より深い議論の契機にはなっただろうとも思います。障害者の権利と歴史性、どっちを優先すべきか、というような。

    あと、邪推だとかえらい剣幕でなじられた一件について言うと、CNNの記事はこのようなコメントで結ばれてました。

    The high profile of Oscar contenders often brings out the critics.

    “A Beautiful Mind,” the 2001 best-picture winner, drew complaints for omitting unflattering aspects about the life of mathematician John Forbes Nash. Similar gripes were aimed at 2000’s “The Hurricane,” which earned a best-actor nomination for Denzel Washington, who played boxer Rubin “Hurricane” Carter, imprisoned nearly 20 years for three murders before the convictions were overturned.

    Tobacco companies criticized the whistle-blower drama “The Insider,” a 1999 best-picture nominee, saying the film took liberties to place their industry in a harsher light. “60 Minutes” correspondent Mike Wallace also said “The Insider” painted an unfair picture of how he and the news show handled a confrontation with the tobacco industry.

    “The Academy Awards are a huge platform for all kinds of people with all kinds of agendas, some worthy and some not so worthy,” said Peter Rainer, contributing editor for New York magazine and past president of the National Society of Film Critics, which picked “Million Dollar Baby” as best film of 2004.

    “It’s an irresistible force for people to try to piggyback on to, to try to walk in that spotlight and get something out of it for themselves,” added Rainer, who said he liked “Million Dollar Baby” but that it was not one of his top film choices of last year.

  60. 水原文人 Says:

    DVDをご覧になる前に悪いんですけど、Macskaさんは、

    町山さんだけじゃなくて、いろいろな人の評論を読んでみても、
    「尊厳ある生」に触れられているものがないように思うので…

    …と書いておいでですね。ところが他ならぬMacskaさんがいちばん信用しているらしいスティーヴン・ドレイク氏の「Ragged Edge Online に掲載された論評」には

    Frankie manages everything for Maggie. He gets her into a rehab facility (looks like a high-end nursing home); he finds courses for her to take at City College.

    Turns out Maggie doesn’t want any of it. She doesn’t want to live like this, she tells him. All she ever wanted to be was a boxer and she got that.

    とはちゃんと書いてあるわけです。Macskaさんにとってリハビリや市民大学の講義は「尊厳ある生き方」ではないのかも知れませんけど、フランキーにMacksaさんの考える「尊厳ある生き方」を押し付けてもしょうがないわけで、彼の置かれた環境や彼が生きて来た人生からして思いつく精一杯のことはやってると、とりあえずは考えられないのでしょうか? 少なくともそう判断する材料は、映画が彼をどう描いているかに関わっているわけで、やはり見ないと論評は無理です。逆に映画は映画に写ってるものと音響トラックで聞こえるものしかないんですから、見りゃそれで済むわけですが。

    …というか、CNNの記事にしてもドレイク氏の論評にしても、紹介する記事はちゃんと読みましょうよ。でないとどうしようもないところでボロを出す羽目になります。

    そもそも当初の町山智宏の文章からの引用にも

    キャラクターの背景を丹念に描くことで主人公たちの選択を納得できるものにしている。
    また主人公たちがカソリックであることで彼らの選択がより重いものになっている。
    それにその選択を「正しかった」と断じてはいない。
    主人公は「許されざる者」として十字架を背負う。
    そして観客に議論の余地を残している。

    …と書いてあるわけで、それを前提にしながら

    もともと障害者の権利に否定的な人物が、障害者の殺害をロマンティックに美化した映画を作ったというだけの話であり、いかに登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない

    …となぜ書けるのでしょうか?

    あともう一つ、Macskaさんは社会批評をやってるんだと主張してますが、それだったらなぜコメント59の末尾で触れたようなCNNの記事のまとめ方そのものを問題にしないのでしょうか? 故クリストファー・リーブ氏にしても彼自身のやったことの「責任」を云々することに重きを置いて、それがどう社会に受容されたかをちゃんと切り離した上でそこに重点を論評しようとしなかったのでしょうか? そっちこそ「社会批評」が視野とするところなんですが。

    まだMacskaさんが引用しているスティーヴン・ドレイク氏の論評(も、作品に関してはかなり色眼鏡のかかっていることがあからさまで、あまりいい批評とは言えない文章ではありますが)は、一応社会批評のレベルでやってる面があります。

    These films don’t reflect the typical disability experience, which, for most of us, is just the experience of living our lives. Books and movies about our simple struggle to live life in an oppressive society receive little notice from the public, press or critics. It’s only when a disabled person, real or fictional, says they want to die that the movie becomes a hit, the book a bestseller.

    これ自体があまり正確でないことは『レインマン』やなどの例を挙げて指摘済みですが(『ビューティフル・マインド』でもよかったんだけど)、必ずしも正確とは言えませんね。もっとも英語でdisabled personと言ったばあい、発達障害や精神障害が包括されるのかどうかは微妙ですが。ただそれでもまだ、『レナードの朝』があります。安楽死ないし尊厳死を選ぶなんてラストは、ハッピーエンドが要求されるハリウッドでは、かなり異例。

    でもそうは言っても

    Books and movies about our simple struggle to live life in an oppressive society receive little notice from the public, press or critics

    っていう指摘自体は間違ってない。映画作家も小説家も批評家も大半の受け手(観客・読者)も、その意味では「健常者」の側であり、障害者の生活の実態について知らないのは(私自身も含め)その通りなのだから、しょせん視点の問題からして「そっち側」になってしまうわけですから。だから身障者の視点からの映画、というわけでたとえばニューヨークのDCTVなんかはそういうワークショップもやってますが、一方で身障者がインディーズの規模ではない映画を作ろうとしたら、保険がつかないなどの制約があるのもまた現実。またそういう視点の作品が一般観客はともかく、マスメディアでまず取り上げられるか、ちゃんと公開できるかと言えば、「商業性がない」という理由でなかなか相手にされないという社会の現実は明らかにあるわけです。

    たとえばMacskaさんにしてもそういうところにまで話を広げられるなら、社会批評としてもっと読み応えのあるものが書けたのではないかと思いますよ。ここまで来ると本格的にMacskaさんが説明しておいでだった障害学の

    障害学では日本語における「障害」を、身体的な機能の制限を意味する「インペアメント」と、そうした身体的な特徴によって社会参加の機会を奪う社会制度としての「ディスアビリティ」に区別します。もちろんそんなに明快に区別できるものなのかというのは怪しいところもあるのですが

    …の微妙な境界領域に入り込んで、障害者の権利を本当に広げるための議論にもなったはずだと思いますが。イーストウッドが所有していた「歴史的な宿屋」の裁判の件にしたって、もう少し突っ込めば被告に有利な判決を出した陪審に代表される社会全体の意識の問題をもう少しあぶり出しに出来たのではないでしょうか?

    結果として個人に対する批判とか「責任の追求」、あるいは映画を見ずにけなしていることがメインの文章として読解されてしまうものを書いてしまったことが、やはり議論として弱いのではないか、と結論せざるを得ません。あなたはそれを意図したつもりはなかったのかも知れませんが、実際に書いたことだけでなく資料に対する当たり方それ自体が、「社会批評」と呼べるレベルになっていないわけです。

    一例を挙げれば、先に挙げたドレイク氏の英文の要約だとあなたが主張する部分なんですが、

    It’s only when a disabled person, real or fictional, says they want to die that the movie becomes a hit, the book a bestseller.

    障害者が死を希望するようになって、はじめて障害がロマンティックな描写を支える小道具として意味を持つのだ。

    と「要約」するのではあまりにあなたの主観が入り過ぎで、社会に対する批判としてもっとも強いはずの「the movie becomes a hit, the book a bestseller」が抜け落ちてますし、「小道具」云々に至ってはまったくあなたの意見でしかありませんよね。

    クリティークでまず最初にやるべきことは、対象をよく見ることです。そうでなくては有効な批評として成立しません。

  61. 水原文人 Says:

    あちゃー、この前の前の投稿の最後で/blockquoteをちゃんと打たなかったせいで謎のレイアウトになってしまったようです。すみません、できれば修正して下さい。

  62. 水原文人 Says:

    訂正その2

    ドレイク氏の文章からMacskaさんが引用している部分で、いちばん的を得ていて適確なのは、ここでしたね。

    These films don’t reflect the typical disability experience, which, for most of us, is just the experience of living our lives.

    もっとも、それを言い出したら果たして我々表現者が「typical」なものに向かうのか、ってことになります。

    私個人として言えば、本能としてあまりそっちには行きません。その意味では、たとえば『ミスティック・リバー』や『真夜中のサバナ』とかの最近のイーストウッドの映画に対する考え方(『バード』以降、と言えるかも)は、私自身の姿勢とたぶんかなり共通していて、『ミリオンダラー・ベイビー』のプロダクションノートだとかを見てもその考え方は貫かれているようなのですが、個々人をまず丁寧に描くことをまず出発点として置いているからです。

  63. 水原文人 Says:

    補足その1

    たびたびすみませんm(_ _)m。ただドレイク氏の文章にも「やっぱコレは色眼鏡だろ〜」と思わざるを得ないところが多々あり、典型的なのはここ

    He wakes Maggie up and tells her he will do what she wants. He’ll shut off the ventilator, she’ll fall asleep and then he’ll inject her with something so she “will stay asleep.” We hear Scrap’s voice, telling us the substance is “adrenaline.” Yep, that was the sequence: Turn the vent off first, then inject with a stimulant. This is, in reality, a recipe for an agonizing death, combining suffocation with your heart feeling like it will explode.

    だってフランキーは医師じゃなくて、相当に古くさい感覚のアイリッシュのボクシング・トレーナーであるらしいのだから、そんな「正しい安楽死のやり方」なんて知ってるわけないじゃんか。間違えて当たり前。自分の「常識」である「知識」を、他人がすべて共有しているわけではない。

  64. 水原文人 Says:

    Celineさん、

    > 「観るつもりはないけど書く」というのであれば無責任だと言えるでしょうが、エクスキューズとして使ったのではない「映画館が苦手」という発言に対していきなり「甘ったれるな」や「無責任」をぶつけるのは、ちょっとどうかな、それこそ「配慮とか心配り、気遣いの問題」ではないでしょうかというのが私が最初にお話した主旨なのです。

    文脈上、あくまで「映画を見ていないのにそれに対する批判を(その批判の根拠が明確でないのに)書く」ことへの非難のなかで出て来ただけのものです。別に映画全般について「映画館が苦手」だから「見ない」ことを批判などしてませんよ。

    > 今回の水原さんの初めの頃の文章から察すると、あなたは「映画館が苦手」の発言を「映画は観る気がない」もしくは「観ていないが、映画についての文章は書く」ということへのエクスキューズにしている(しようとしている)と頭から思い込まれたように私には見えます。

    文脈上、そうとしか読解できないと思います。元々映画を見ないで、見なければ分かるはずのないところを批判した(結果として、誤解があったことは真っ先に指摘された)ことがまず最初にあるのに、エクスキューズでなくてなぜ「映画館が苦手」が出てくるのでしょうか? 

    > >> 水原さんの書き込みを読ませていただくと、障害や差別の問題に確固としたご自分の意見を持っていらっしゃることが分かりますし、
    >
    >> いえ、まったくの常識的なことを言ってるだけですよ。「障害や差別の問題に」ことさら興味があるわけでもありません。興味があるのは人間がなにを選択するのかの問題ですし。
    >
    >なぜ文章が「いえ」で始まるのか、ちょっとピンときません。

    単に否定しているからです。障害の問題やそれに対する差別という相当に複雑な問題について、「確固としたご自分の意見」なんて持てるはずがありません。「確固たる自分の意見」があるとしたらそれは「障害や差別の問題」についてではなく、人間とその社会そのものに対する見方をめぐることであって、私はできるかぎり「ティピカル」とか「ステレオタイプ」を排して個人を見た方がおもしろいし、そこを突き詰めた方がかえって普遍性に到達するとも思います。

    パブリックな場での言論行動の責任についての「確固とした意見」でしたら、「ご自分」でもなんでもなく、極めてベーシックで常識的な話です。

  65. flekram Says:

    > だってフランキーは医師じゃなくて、相当に古くさい感覚のアイリッシュのボクシング・トレーナーで
    > あるらしいのだから、そんな「正しい安楽死のやり方」なんて知ってるわけないじゃんか。

    フランキーが正しい処置を知らないことは問題じゃないでしょ。
    処置を間違えた結果、ものすごく苦しんで死ぬという描写になっていれば、批判の対象にはならない。

    処置を誤っているのに苦しまずに死んだのなら、それは製作者が勉強不足なだけ。

    水原さんって、
    「映画の批評をするならその映画についてちゃんと勉強しろよコラ」と言う意見は持っているのに、
    「障害者の映画を作るなら障害者についてちゃんと勉強しろよコラ」という意見には反対なんだね。

    不思議な人だ。

  66. 水原文人 Says:

    > 処置を誤っているのに苦しまずに死んだのなら、それは製作者が勉強不足なだけ。

    それがどこに書いてあるんですか? むしろドレイク氏の評論で書かれいるモーガン・フリーマンのナレーションのタイミングからすると、わざわざそれに言及することがなにを強調してるのかの方によほど関心が向くんですけど?

    >「障害者の映画を作るなら障害者についてちゃんと勉強しろよコラ」という意見には反対なんだね。

    「障害者についてちゃんと勉強」するもなにも、『ミリオンダラー・ベイビー』はべつに「障害者の映画」ではないみたいなんですが? で、安楽死についてなら、それについて「勉強不足」かどうかは、正直言って今出てる資料だけでは、判別不能なんですけど?

    かつ、予告編や公表されてるスチル、ナレーターとしてモーガン・フリーマンが出て来ているらしい構造からすると、この映画はそもそも「寓話」であるらしいんですけど。イーストウッド自身、一応90年代が舞台になっているけど、美術などの時代考証はわざとズラしているところがあるって言ってるのですが?

  67. 水原文人 Says:

    補足:

    で、「アドレナリン」が刺激剤であることは、少なくともアメリカでは常識。実を言えばたぶんボクシングのトレーナーであれば、それがなんであるかぐらいは知ってるでしょう。でも実際に自分が流し込んだものが「アドレナリン」であるかどうかをフランキーは知る立場にあったかと言えば、たぶん無理(ラベルに書いてあったのかどうかは、画面で見ないと確認できないけど)。で、そこでナレーションで(つまり、フランキーのその時の主観ではない情報として)「それはアドレナリンだった」と入るんだったら、それがドラマツルギー的に意味することはドレイク氏が思い込んだのとは逆の意味であった可能性が高い。

    以上、見ないで「プロットの説明」だけで推測してることであるだけで、見ないとなんとも言えませんが…

  68. flekram Says:

    映画を見ずに「プロットの説明」からの推測に基づいてドレイク氏の文を批評していた水原氏であった。それって水原主義的に OK なのか?

    やっぱ不思議な人や。

  69. 水原文人 Says:

    > 映画を見ずに「プロットの説明」からの推測に基づいてドレイク氏の文を批評していた水原氏であった。それって水原主義的に OK なのか?

    あのぉ、ドレイク氏の文章を批評対象にしてるだけですが、それがなにか?

    不思議な人だなぁ…。って、イチャモンつけたい主義の典型であれば非常に分かり易いのだが。

  70. 水原文人 Says:

    >イチャモンつけたい主義の典型

    …に自分がなってしまうのも難なのですが、スティーヴン・ドレイク氏の『ミリオンダラー・ベイビー』評はよく読んでいるといろいろ面白いのでして…

    http://www.raggededgemagazine.com/reviews/drakemillionbaby.html

    Maggie asks Frankie to do what her dad did for the dog.

    Reality-check time: In Maggie’s story, there is no suggestion that the dog was suffering or wanted to die. Maggie and her brother laughed at the way he “flopped” to get around, though. It’s pretty likely Dad’s motivation in killing the dog was that he couldn’t count on anyone to care for it after he couldn’t do it himself any more.

    この、子供時代に父が犬を殺した、っていうエピソードがあること自体は、マギーのバックグラウンドを示唆するものとして知っていたんですけど、「殺してくれ」と頼むところでその話をするんだとは知りませんでした。これってかなり重要で、ドレイク氏は「Maggie asks Frankie to do what her dad did for the dog」って言う形で彼女がフランキーに自分を死なせる「手助け」を頼むことまでちゃんと書いていて、その犬の死がいわゆる「安楽死」というよりは「It’s pretty likely Dad’s motivation in killing the dog was that he couldn’t count on anyone to care for it after he couldn’t do it himself any more」だったこともちゃんと指摘してるのに…。なのになぜマギーが望む「死」について、

    Frankie allegedly “helps” Maggie because she can’t do it herself.(中略) All Maggie has to do to die is to ask.

    って書けるのか、私にはますますわけが分からなくなって来ました。

    だってこの犬の死の話が出て、父が犬を死なせたのは「he couldn’t count on anyone to care for it after he couldn’t do it himself any more」という理由であることも分かっていて、そしてマギーが「同じことをして」と、父親代わり−−つまり自分を「take care」してくれる最愛の相手であるフランキーに頼む、という展開ですよね。フランキーもけっこう歳で、マギーは31歳だか32歳という設定なのだから…って考えると、ここで明記されているプロット展開だけでもいろんな意味合いが考えられてしまい、決してただ「ボクシングができないから死ぬ」ことだけがマギーの動機ではないことにも気がついておかしくないと思うんだけど。

    先述の「アドレナリン」っていうナレーションの件に関してもそうなんだけど、氏がプロットについてやっている詳細な記述からすればかなり突拍子もない決めつけが連発されているようにしか思えないのですが。

    あと、マギーが身体の自由を失う事故の経緯もこのようにちゃんと説明されている…

    Maggie finally gets her shot at the championship. She appears to demolish her opponent, but makes the mistake of turning her back on her when she’s down. The other boxer comes up and hits her, knocking Maggie to the floor. Maggie’s head hits a bench on the way down, and apparently snaps her neck.

    …のにですね、彼女が生き続けることを拒絶する理由を

    All she ever wanted to be was a boxer and she got that.

    …まではよく分かるんだろうけど(普通に解釈するにたぶんそういうことなんだろうけど)、その続きのコレは…

    She had fans; she was on the covers of magazines. She doesn’t want to get to the point where she can’t even remember living her dream any more.

    …てのはさすがに底意地が悪すぎじゃないですか? いや台詞ではそういうことが出て来たとしてもですね、彼女が絶望的な状況に追い込まれたの理由が試合相手の卑怯で残酷なルール違反の不意打ちだったのであれば、口にしなくてもその幻滅と絶望感はそうとうなものだろうと考えるのが普通だと思うんですけど。

    言うまでもなく、映画の登場人物が自分の内心をぜんぶ台詞で説明するんだったら、そりゃヒドい駄作であるだけでありまして、こと『ミリオンダラー・ベイビー』の場合、ドレイク氏の批評を含むどんな資料を読んでも、マギーもフランキーも相当に不器用で自分の気持ちをなかなか素直に言葉にできないタイプの人間であるようなんですが…

    なんでかなり丁寧に映画のなかで起こっている事件の詳細まで記述しているのに、その解釈がことごとくここまで強引で不自然なのでしょうか? 

    CNNの記事だともっと凄いんですけど

    many of the same critics are bothered by the Spanish film “The Sea Inside,” starring Javier Bardem as Ramon Sampedro, who fought a 30-year campaign for his right to die after a paralyzing accident. The film is among Oscar nominees for best foreign-language picture.

    Both movies draw on stereotypes that disabled people cannot lead worthwhile lives, said Stephen Drake (中略) ”I really can’t imagine this kind of awards attention for somebody who put out a film that relies on the worst stereotypes the audience holds about homosexuality,” Drake said.

    …ってですねぇ、『The Sea Inside (Mar adentro)』っていうスペイン映画(監督はアレハンドロ・アメナバール)は、実話なんですけど。むろん実話をベースにしているからってステレオタイプ的描写になっているかどうかはまったく別次元の問題なんですけど、「 stereotypes that disabled people cannot lead worthwhile lives」つまり安楽死・尊厳死反対って言うんでしたら、この主人公が自分の尊厳死の権利を30年かけて勝ち取ったこと自体は「最悪のステレオタイプ」もなにも、まさに事実なんですが。

    無論「尊厳死」に関してはさまざまな問題があり、尊厳死と称してその実家族が遺産目当てその他で早く死んで欲しい(というか、「殺したい」)という事情があり得たりするのは、日本でも起こった尊厳死事件でありました。そういった「尊厳死の権利」の主張のなかで見落とされがちな問題について果敢に発言し運動していること自体は大変に評価すべきことなのですけれど、ことこの2本の映画に対する批判のやり方はあまりに「尊厳死反対」が全面に出過ぎて、かえって生きるにせよ死ぬにせよそれが深く個人の尊厳に関わっていることを無視しがちな急進的なヒステリーに陥っている感じがします。

    どちらの作品も「尊厳死」にせよ「尊厳をもって生きる」ことにせよそれをめぐるいろいろな問題がディテールを通して提起されているようでもあり、もっと建設的な利用法もあったんじゃないかと思えてしまうのですが。

    むろん、「健常者」がマジョリティである社会において尊厳死を望む当事者の実感がどうしても議論から無視されがちであるという現状への危機感は分からないではないんですが、その「声」の挙げ方がこうも乱暴な断定調になってしまっていると、説得力が弱まってしまうのは致し方ないような。

  71. 水原文人 Says:

    すみません!またblockquoteの終わりのタグ打ち間違えた!

  72. 横山好雄 Says:

    >35番を見れば一目瞭然ですが? あなたがスルーするために削除した部分を含めて再現引用してあるんですから(苦笑)。セコいゴマカしがお得意ですね。

    ですから、「見ましたけど、どこにあるのですか?」と聞いています。
    「35番」のどこに、その再現引用とやらがあるのですか? もし番号間違いであれば、自らの間違いを根拠に「セコいゴマカし」と相手を非難したわけですから、これはちゃんと撤回の上謝罪して下さい。

    それと、二度手間になるので先に指摘しておきますが—。「31番」で以下のやり取りが出てきます。
    >>あと、明確な質問をスルーしちゃう性癖は改められた方がよいのでは。
    >そりゃあんたのことでしょう(爆笑)。
    で、「33番」で私は、
    >どこですか? 挙げてごらん?
    >結局最後は地金が剥がれて、印象操作に腐心すると。毎度のことだが…。
    >で、結局今回もこちらの問い質しはことごとく無視すると。
    と、応じたわけですね。これが前提(議論の流れ)です。

    その後、「38番」で、またまたあなたに[自分の都合の悪いところをスルーする]と言われましたので、
    >議論というのはこういう「印象操作」だけではだめなのです。「どこにスルーした箇所があるのか挙げてごらん?」と、私は既に書いています。
    と、再度応じたわけですね。
    つまり、私が[都合の悪いところをスルー]した番号は、「31番より前」から挙げられなくてはならないという応酬構成になっています。まぁこれが分からないほどオツムが弱いとは思っていませんが、一応念の為書いておきます。
    (ROMの方におかれましては、彼がこういう点に真摯に対応出来るお人かどうか、ちゃんと見ておいて下さい。)

    >なんで私があなたの都合に合わせなければならないんですか?

    [都合がいい]と書いたのは、元々私の主張が「一般論」に基づくものだからでしょ? そんなこと、もう既にやり取りの中で出てきていますが? 「27番」再読。 
    対して「32番」で、水原さんは、[読解できるわけがありません。一般論ではなくこのブログで出て来た特定の言論について語ってるんですが? 論点スリカエはおやめ下さい]と言っています。
    なのに「50番」ではこう言う。
    >あのぉ、37はcelineさんへの返答として立場を一般論的に説明しただけなんですけれど? なにをヒステリックになっておいでなんでしょうか?
    試しに「37番」を見ると—
    >いえ、それだったら映画についての文章など書かなければいいということであり、映画に関する文章を書くのであったら見ておくのは当然の責任ですから、「苦手」だけではそりゃ無責任でしょう。

    ↑これが一般論なのだと言う。
    何だ、結局「観ないで映画についての文章を書くことの是非」という「一般論的議論」だったということじゃない(笑)。「27番」の私の問い質しに答えた「32番」は、やっぱり適当に言っただけだったのですね。いい加減な奴。

    >あなたの私怨投稿はROMや、たとえばCelineさんのような他の投稿者に迷惑ですから、「デスマッチ板」であるぶん運営の公平性が明記されてる
    >http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain
    >…で続きをやりましょうと言ってるんですが?

    だ、か、ら、何で水原さんの「俺様ルール」に私やここの読者が付き合う理由があるんですか?と聞いています。今度は「迷惑」云々が逃げ出す口実ですか? さすがに「アク禁」はもう使えませんものね(嘲笑)。

    >>ですから、どんな立場の人でも、例外なく、映画は(映像を含めた)「総体」を論じなきゃいけないなどということがあるのですか?
    >「しなきゃいけない」という問題でなく、単に「できない」だけなんですけれど? ストーリーだけでは、その人物の行動を肯定的に描いているのか否定的に描いているのかも分からないのが映画なんですけど?

    [ストーリーだけ]ってのが恣意的・姑息・卑怯な印象操作ですね。最初から私は、「シナリオ」も挙げてこのやりとりを始めています(19番)。
    大体「できない」なんて言うのは、あなたが出来ないだけの話しであって、シナリオやプロットを元に映画を論じて何が悪いとの反問の答えになどなっていません。出来ない水原はしなきゃいい、出来ると思った書き手はすればいい、それだけの話でしょう。
    「22番」あたりにループしてしまいますので、具体的に「何でいけないのか」をいい加減述べて下さいよ。

    >(訳)これは大人のため、成熟した観客向けの映画で、そのなかで人物がやる行動は必ずしも我々の賛成するものじゃない」とエバートはアソシエイテッド・プレスに語った。「もし登場人物すべてが、我々がそうしなければならないと思っている通りに行動するだけだったら、どんな映画になるだろう?」

    これが私のどういった主張に対する反論(?)なのか、皆目見当がつきません(本当に分からない…。) 先ずそれを教えてほしい。

    >どっちにしろあなたが勝手に一般論に敷衍した
    >>どんな立場の人でも、例外なく、映画は(映像を含めた)「総体」を論じなきゃいけないなどということがあるのですか?
    >なんて質問に私は答える義務などないし、そんなことちっとも言っていないわけですが、

    言ってますよ。
    >>それとも水原さんは、「観られない」境遇の人は一切映画についての論評・評価はしてはいけないという主旨を開陳したいのでしょうか。(実際そういうことになるわけですが。この辺の「健常者至上の差別意識」もものすごいですね。)
    >現に見えないんだからしょうがないでしょう? 
    >>「現に見えない」ことは、その映画について語れる(論評・評価)自由を妨げる理由にはなりません。何様だよあんた。
    >物理的に見えないのになにを論じるんですか? 

    >なんて評価はそもそもできるはずがない(「ロマンチックに」も「美化」も、演出に関わる問題であって、まして脚本そのものを読んだわけでもない人には判断できるはずがない)、と言うだけなんですが? 

    [脚本そのものを読んだ]のであれば、別に観ないで論評(一般論だぞ)してもよいということでいいですね? 最初から私は、(突き詰めれば)こういう主張しかしていないのだけど。
    錯乱しているのか何なのか、いつのまにか水原さんは相手の主張に与してしまっている。大丈夫なのか…。

    >「権利」の問題ではなく、単に物理的・身体的に不可能であるだけです。で、出来ないはずの評価をパブリックなインターネット上でやってしまえば、そりゃ言論行動として無責任である、と言ってるだけですけれど? テクニカルな問題としては、誹謗中傷にすらなりますね。

    [物理的・身体的に不可能]、が、あからさまに「(障害者)差別」的ですね。
    映画のどの面に着目して論評するか、そんなことは書き手の恣意・自由の範疇であります。あなたの信念・信仰(絶対映像を観てからでないと論評してはいけない)に他者が付き合う理由などこれっぽっちもありません。アホかいな。

    >まあ、あなたの目的が私怨から僕を貶めるためであるのがメインで、あとは「お仲間」と認識するMacskaさん防御にでも駆けつけたおつもりなんでしょうけど、

    いやいや、事実はこうでしょう。
    「万流」から遁走したあなたは、それでも何を言われているか気になってしょっちゅう訪問する。するとMacskaさんが、横山に好意的な文脈で、自身のブログにて『ミリオンダラー・ベイビー』について書いているのを知る。よし、映画ならこっちのもんだ。そう思ったあなたは早速ここに来て揚げ足取りのような批判を書き込む。Macskaさんの説明があっても、全くおんなじ繰り返しを、延々と偏執的に。議論が圧されてきたって大丈夫、そん時は、いつものように論点をコロコロ変えて、最後は膨大な映画の知識を書きなぐろう。そうすりゃ誰も反論出来まい。何せボクは人生かけてるからね。視覚に障害が出来たら自殺だってしちゃうくらいなんだぜ。映画知識に持ち込めば怖いもんなんてないぜ。
    (大爆笑)
    まっ、いわばこういった「江戸の仇を長崎で」があなたの目的でしょう(笑)。だって私の立場からすれば、議論の途中で逃げ出した、あなたのその痕跡だけが万流に残っているわけだから、私怨など抱きようがない。あなたが私に私怨を抱くのならまだしも。
    まっ、これが「邪推」であるのなら、元々のあなたの上も「邪推」だということです。

    >ついでに、これもすでに説明済みのこと(かつあなたが例によってスルーしてますが)
    >「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。」

    誤読・曲解・捏造・歪曲なのはMacskaさんが説明済み。

    >だからあなたは批判されてるわけですね。僕がCelineさんに対して「常識的」と言ったのは、障害とか差別とかの問題に特化した答えであることは文脈上明白でして、作品をどう批評するかについての常識とは関係のない話だったんですが(笑)。

    だから、それについては「48番」で既に応対しています。

    >まぁ、人が言っていないことを捏造した「踏み絵質問」にこだわるから、あんな初歩的なミスをするのでしょう。

    ミスなど皆無なんですけど。挙げてごらん? ちゃんと論理的に説明してあげるから。

    >そんな頭に血が上った人をここで相手にしてはROMの方にも他の投稿者にも迷惑ですから、移行しましょうと提案してるんですけどねぇ(苦笑)。よほど都合が悪いみたい…

    水原さん二度目なんですよ?遁走するの。ROMはここにいて、ここでこれまでのやり取りを読んできたわけです。パブリック、パブリック、パブリックとあなたはよく書きますけど、相手の承諾(問いかけすらない)も無しに一方的に移行するなんてパブリック以前の問題でしょう。あなたはまたまた時制(時系列)無視で[提案してる]なんて嘘をついていますが、勝手に宣言して勝手に去っていったのはあなた自身であって、私は提案などされていません。いい加減「嘘」だけはやめましょうよ。

    >要するにですね、見ていなければ肯定するんでも「期待できる」、否定的に言うんでも「あまり期待できない」とか「つまらなそう」程度のことしか言えないわけです。

    あなたは当該映像作品を観ないでこう書いています。
    >『白鳥の血』の脚本を最初に読んだときの僕の反応は、多くの人々のそれとあまり変わらないだろう—とても出来が悪く、馬鹿げている。映画批評家としての僕であればこのようなものを批評すること自体を断るだろうし、元俳優の卵としてはこのような台本をオファされたら侮辱と受け取るだろう。
    http://www.iacnet.ne.jp/~sair/event/2001/collabo01.html

    これ↑と、ここに至るまでの主張との整合性について説明して頂けますか?
    これについては2、3の反論パターンを想定し、それについての反駁も用意してありますので思いっきりどうぞ。(さすがに、テレビはいい、映画はダメなんてのは想定外だけど。爆)
    ROMの皆さん、ここでの彼の回答は要注目ですよ(笑)。

  73. 水原文人 Says:

    >ですから、「見ましたけど、どこにあるのですか?」と聞いています。
    > 「35番」のどこに、その再現引用とやらがあるのですか? もし番号間違いであれば、自らの間違いを根拠に「セコいゴマカし」と相手を非難したわけですから、これはちゃんと撤回の上謝罪して下さい。

    ああ失礼、38番です。どっちにしろあなたが「アホ。自分の都合の悪いところをスルーするのは相変わらずだが」を引っ張って来たのがその38番ですから、あなたがセコいごまかしをしている事実自体は、まったく変わりませんがね(苦笑)。

  74. 水原文人 Says:

    >あなたは当該映像作品を観ないでこう書いています。
    >>『白鳥の血』の脚本を最初に読んだときの僕の反応は、多くの人々のそれとあまり変わらないだろう?とても出来が悪く、馬鹿げている。映画批評家としての僕であればこのようなものを批評すること自体を断るだろうし、元俳優の卵としてはこのような台本をオファされたら侮辱と受け取るだろう。

    「脚本」に対する論評だからに決まってますが、あなたアタマおかしいんですか?

    (爆笑)

    私怨でストーキングがよほどお好きなようですねぇ。だからそんなのはハタ迷惑なんですけど?

  75. 水原文人 Says:

    >>「しなきゃいけない」という問題でなく、単に「できない」だけなんですけれど? ストーリーだけでは、その人物の行動を肯定的に描いているのか否定的に描いているのかも分からないのが映画なんですけど?
    >
    > [ストーリーだけ]ってのが恣意的・姑息・卑怯な印象操作ですね。最初から私は、「シナリオ」も挙げてこのやりとりを始めています(19番)。

    最初からMacskaさんはシナリオを読んでないんですけど? それどころかスティーヴン・ドレイクの批評で言及されている細部もかなり無視していることが分かってしまいました。つまりそれで「〜納得出来ない」なんて書くのは論外だと言うだけの話です。あなたが「シナリオ」を持ち出そうがなんだろうが、そもそもここで論じられていることとは関係ないんですが?

    > 大体「できない」なんて言うのは、あなたが出来ないだけの話しであって、シナリオやプロットを元に映画を論じて何が悪いとの反問の答えになどなっていません。

    見ていなければ映画そのものは論じられません。同じシナリオを忠実に踏襲したって演出によってぜんぜん違ったものになるんですから、っていう主旨のことを何遍書かせるんだか。都合の悪いところをスルーして我田引水する悪癖って、なんとかなりませんか?

    しかもそれって、映画だけでなく演技などパフォーミングアーツの現代についての最悪の無知をさらけ出してることになるんですけど? 演劇においても現代は戯曲の時代である以上に演出家の時代なんですが? ピーター・ブルックなんて『ハムレット』をコメディに演出してしまうんですから…

    > 出来ない水原はしなきゃいい、出来ると思った書き手はすればいい、それだけの話でしょう。

    だから見ていない映画について、どうやって「ロマンチックに美化している」とか評価できるんですか? これも何度言えばいいのやら。

    > 「22番」あたりにループしてしまいますので、具体的に「何でいけないのか」をいい加減述べて下さいよ。

    してますが? それこそ最初っからしてますけど? あなたが上記のように都合の悪いところを必死で無視して、強引に一般論めいたその実単なるコジツケの「踏み絵質問」による私怨粘着を続けているから、あなたが一人で勝手にループしてるだけでしょう?

    > >(訳)これは大人のため、成熟した観客向けの映画で、そのなかで人物がやる行動は必ずしも我々の賛成するものじゃない」とエバートはアソシエイテッド・プレスに語った。「もし登場人物すべてが、我々がそうしなければならないと思っている通りに行動するだけだったら、どんな映画になるだろう?」
    >
    > これが私のどういった主張に対する反論(?)なのか、皆目見当がつきません(本当に分からない…。) 先ずそれを教えてほしい。

    あなたの主張全体が「大人のため、成熟した観客向けの映画」を受け入れる能力に欠如してるってだけのことですが、なにか?

    『白鳥の血』のことをわざわざググるかなんかして探して来られたのは大変にご苦労さまなんですけど、あのプロジェクト自体がシナリオだけでもやはり映画作品は論じられないことの具体的実例になってることに気がつかないんだから、絶望的ですな。私怨だけで必死にあら探ししているから、あれがどういうコンセプトのアートプロジェクトであったのかも気がつかない(爆笑)。

    あれはねぇ、みんなが同じシナリオを使うのを前提にして、それに対する批評的な視点を個々のアーティストがどう提示できるのか、っていう実験なんですけど? つまりシナリオだけ読んでもなにも分からないことの典型なんですが? まったく、この21世紀の初めに中年のインテリぶりっこがポストモダンとか「解釈」とかの基礎なんて当然知ってるはずなのにそれに気がつかない。当該のサイトにちゃんとコンセプトが明記されてるのに読めてすらいないんだから、私怨にとりつかれたガキってのはマジでどうしようもないですね。

    だからハタ迷惑だっていわれてるんですが?

  76. 水原文人 Says:

    >まっ、いわばこういった「江戸の仇を長崎で」があなたの目的でしょう(笑)。

    典型的な自己投影ですな。あのぉ、私がここにアクセスしたのは、移行しましょうよと提案してる「問答野暮用」掲示板に貼ってあるリンクからなんですが?

    > だって私の立場からすれば、議論の途中で逃げ出した、あなたのその痕跡だけが万流に残っているわけだから、私怨など抱きようがない。

    あのぉ、投稿しようとしたら投稿できなかっただけなんですけど? あなたの敵意丸出しで論理的に破綻してる投稿を前提とすれば、あなたがアク禁をかけたと推測するのはかな〜り妥当な話でして、なんせそもそもあなたにお願いしないと投稿できないことがわざわざ明記されているような掲示板ですからねぇ…

    誤解であるなら(サーバーの不具合だとかであるのなら)、それをちゃんと公平性を持って説明するのが、管理者&主催者であるあなたの責任だってことも、まだ分からないんですかねぇ。すでにここでも指摘してるんだけどなぁ…ってのもスルーしてるし(爆笑)。

    僕が投稿出来なかったことがあなたの恣意的なアク禁なのか、サーバーの不具合などの理由であるのかは、あなたにしか分からないことであり、だから私がアク禁だと思い込んだとしてもそれは当たり前、説明責任はあなたにあるんですけど? サーバーの不具合なら不具合で、あなたの主催し管理してる掲示板で起こったことなんだから、誤解だったとしても現に書き込めなかったその点については、謝るのがあなたの責任なんですがねぇ・・・。ってこんなこと、私怨に凝り固まったいい歳こいたガキであるアホ横山様に分かるわけがないのであるが・・・

    まあ元々、あなたの独裁独善掲示板であなたが書いていることは、すでに僕が書いたことのコピペだけで済んでしまうお話ばかりなんで、わざわざ相手にするのも不快なだけだったんですが?

    そのことはすでに

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?range=1&base=12481

    に書いてあるって…ってここのブログのコメント21番ですでにご紹介申し上げてるんですが、またスルーか…。

  77. Baad Says:

    ところで、『白鳥の血』は映画監督として参加したんですか?それとも批評家と映画監督の両方の立場ですか?
    そこだけわかりにくかったのでちょっと質問。

  78. 水原文人 Says:

    > ところで、『白鳥の血』は映画監督として参加したんですか?それとも批評家と映画監督の両方の立場ですか?

    とうぜん作家としてですが、その作家のバックグラウンドとしては批評家であることは含まれるんでしょうね。わざわざ自覚するほどのことじゃないんですから。

    …というか、実情は言い出しっぺが友達で、彼に頼まれたからだけなんですけど(恥)。どっちにしろ「映画監督」というほどのモノじゃないですね。あれはビデオアートとして作ったものだし、テクストの朗読以外は全部自分でやったことだし…なにも「監督」なんてしてません。

  79. 横山好雄 Says:

    >ああ失礼、38番です。どっちにしろあなたが「アホ。自分の都合の悪いところをスルーするのは相変わらずだが」を引っ張って来たのが
    その38番ですから、あなたがセコいごまかしをしている事実自体は、まったく変わりませんがね(苦笑)。

    あなたは「ROMにどう思われるだろう?」なんて考えたことはないのですか? あなたは、(あなたお得意の)「パブリック」な場で議論して
    いるという自覚はありますか?
    私は前コメントでこう書いているのだから、上のような言い分が通るわけないでしょ? 
    (再録)
    【それと、二度手間になるので先に指摘しておきますが—。「31番」で以下のやり取りが出てきます。
    >>あと、明確な質問をスルーしちゃう性癖は改められた方がよいのでは。
    >そりゃあんたのことでしょう(爆笑)。
    で、「33番」で私は、
    >どこですか? 挙げてごらん?
    >結局最後は地金が剥がれて、印象操作に腐心すると。毎度のことだが…。
    >で、結局今回もこちらの問い質しはことごとく無視すると。
    と、応じたわけですね。これが前提(議論の流れ)です。
    その後、「38番」で、またまたあなたに[自分の都合の悪いところをスルーする]と言われましたので、
    >議論というのはこういう「印象操作」だけではだめなのです。「どこにスルーした箇所があるのか挙げてごらん?」と、私は既に書いて
    います。
    と、再度応じたわけですね。
    つまり、私が[都合の悪いところをスルー]した番号は、「31番より前」から挙げられなくてはならないという応酬構成になっています。
    まぁこれが分からないほどオツムが弱いとは思っていませんが、一応念の為書いておきます。
    (ROMの方におかれましては、彼がこういう点に真摯に対応出来るお人かどうか、ちゃんと見ておいて下さい。)】(再録以上)

    以上、頭おかしいのは水原さんの方ですよ。

    >「脚本」に対する論評だからに決まってますが、あなたアタマおかしいんですか?

    嗚呼…、一番幼稚な反論が出てきちゃいましたね(笑)。

    >私怨でストーキングがよほどお好きなようですねぇ。だからそんなのはハタ迷惑なんですけど?

    水原さんさぁ、あなたよくこういうこと言うけど、たかだかネットの掲示板程度でそんなに「私怨」ばっかり発生させてるの? それじゃぁネット
    議論もつらいでしょ?(笑)
    私はたかがBBSの議論程度で、「私怨」なんて発想自体出てまいりません(当たり前だよ全く)。昨今、ネットの掲示板で悪口かかれてその
    相手を殺しちゃうなんて小学生も出てきてしまったようですが、水原さんの発想ってこの小学生あたりとおんなじものなんでしょうね。

    >最初からMacskaさんはシナリオを読んでないんですけど? 

    当たり前です。Macskaさんが論じたことに映像もシナリオも必要無いんですから。
    大体、だからこそ、最初から「一般論としての提示」だとあなたの頭でも理解出来るようにシナリオが挙げられているというのに…。

    >それどころかスティーヴン・ドレイクの批評で言及されている細部もかなり無視していることが分かってしまいました。つまりそれで「〜納得出来ない」なんて書くのは
    論外だと言うだけの話です。

    論外のわけがないんですが? 既に明らかになっているプロットを元に、主人公(たち)の選択を「納得出来ない」と評すことなんてごくごく当たり前に認められる
    言論範疇です。これのどこが悪いのかさっぱり分かりません。で、どこが悪いのかを水原さんはこれまで一度も挙げてくれません。

    >見ていなければ映画そのものは論じられません。同じシナリオを忠実に踏襲したって演出によってぜんぜん違ったものになるんですから、っていう主旨のことを何遍書かせるんだか。都合の悪いところをスルーして我田引水する悪癖って、なんとかなりませんか?

    ループさせないでくれます? どんな立場の人も、例外なく、「映像を含めた[映画そのもの]を論じなければいけない」わけがないんでしょう? で、あなたは、(本来はそう主張してたくせに)[そんなことちっとも言っていない]と「57番」で述べたわけです。
    であるならば、今回[見ていなければ映画そのものは論じられません]と繰り返すのは徒に議論をループさせる禁則になるわけです。パブリックな場での議論なのですから、
    ちゃんと論争上のルールは守りましょう。

    >しかもそれって、映画だけでなく演技などパフォーミングアーツの現代についての最悪の無知をさらけ出してることになるんですけど? 

    別に無知だとは思っていません。
    聴覚障害者は「音楽そのもの」は聞けないかもしれませんが、楽譜を読めるのであればそれで一定の音楽批評は出来るでしょう。その時、「実際に聞かずに書くな」とでも言っている
    のがここでの水原さんで、私はあらゆる言論(批評・批判含め)はどんな立場の人にも平等に開かれてあるべきだと主張しています。
    また、視覚障害者は映像・舞台表現自体は観れないかもしれませんが、しかし、シナリオ・戯曲がもし点字で読めるのであれば一定の映画批評・演劇批評は出来るだろうと言って
    います。その時、「実際に観ないで書くな」とでも言っているのが水原さんで〜(略)。こういったことを総論(一般論)的に「差別的」であると批判しているのです。

    >だから見ていない映画について、どうやって「ロマンチックに美化している」とか評価できるんですか? これも何度言えばいいのやら。

    実際に観た人の先行論評を元に、書き手がそう結論づけることに問題があるわけがないでしょう。異論者が「ロマンチックに美化していない」と思うのであれば、そう反論すれば
    いいだけの話。(但し、観ていないあなたにはまだそれは出来ません。水原屁理屈に則ればね。)
    で、断定に過ぎたと書き手が思ったのであれば、それは撤回なり訂正なりすればいい。
    実際そういう展開の下とっくに決着していた所に、トンチンカンに割り込んできてグダグダグダグダと同じ主張を繰り返したのが水原さん。そういう構図です。

    >してますが? それこそ最初っからしてますけど? あなたが上記のように都合の悪いところを必死で無視して、強引に一般論めいたその実単なるコジツケの「踏み絵質問」に
    よる私怨粘着を続けているから、あなたが一人で勝手にループしてるだけでしょう?

    してないでしょ。
    だからどれがそうなのか、一度くらいちゃんと「原文No」を示しなさいよ。逃げ回ってばっかじゃないよあなたは。

    >あなたの主張全体が「大人のため、成熟した観客向けの映画」を受け入れる能力に欠如してるってだけのことですが、なにか?

    よほどバカな映画監督でない限り「そこに至る苦悩」なんて丁寧に描くのが当たり前です。だからこそ観客は感情移入出来るわけだし、その選択に納得したりもするのです。
    しかし、それに恐怖を覚える当事者たちが現にいて、実際抗議行動を起こしているわけです。当事者だからこそ感得出来るメッセージをそこに読み取っているわけです。
    成熟した大人であるならば、そこで一度立ち止まってみて「現実」を考えてみることは決して無駄なことではないでしょう。果たして彼/彼女らの抗議行動は妥当であるのかどうかと。
    ただ映画に感動したからいいってんなら、それこそ最も幼稚な映画鑑賞者ということになるでしょう。
    あなたはそういうタイプの人ですね。

    >あれはねぇ、みんなが同じシナリオを使うのを前提にして、それに対する批評的な視点を個々のアーティストがどう提示できるのか、っていう実験なんですけど? つまりシナリオだけ読んでもなにも分からないことの典型なんですが? まったく、この21世紀の初めに中年のインテリぶりっこがポストモダンとか「解釈」とかの基礎なんて当然知ってるはずなのにそれに気がつかない。当該のサイトにちゃんとコンセプトが明記されてるのに読めてすらいないんだから、私怨にとりつかれたガキってのはマジでどうしようもないですね。

    必死ですね。元々のコンセプトなんて私の質問には何にも関係ないんですけど…。(ちなみに関連ページには全て目を通しています、当然のことながら。)
    [このタイのテレビドラマ]と書いている以上、それはこのテレビドラマを批評したことになります。大体タイトルまで挙げてMacskaさんの文章は「映画批評だ」(笑)と言ったあなたですから、これははっきり認めてもらわなくては困る。その場その場で、これはドラマ総体、これは脚本批評なんて、そんなご都合主義が通るのであれば苦労はありません。
    「出来が悪く、馬鹿げている」かどうかは、実際の映像を観なければ判断出来ない筈でしょ?これまでの水原主張では。
    なのに「何で脚本を読んだだけでここまでこのドラマを酷評出来るのですか」というのが私の質問です。
    (再録)
    >要するにですね、見ていなければ肯定するんでも「期待できる」、否定的に言うんでも「あまり期待できない」とか「つまらなそう」程度のことしか言えないわけです。

    以上、ちゃんと説明するように。
    (誤解されると嫌なので言っておきますが、ここでの水原論評は勿論OKというのが私の立場)

    >典型的な自己投影ですな。あのぉ、私がここにアクセスしたのは、移行しましょうよと提案してる「問答野暮用」掲示板に貼ってあるリンクからなんですが?

    阿呆みたい。「邪推」のぶつけ合いっていう遊びみたいな箇所なのに(笑)。
    こんな点にマジで応答するとは夢にも思っていませんでした流石に。

    >誤解であるなら(サーバーの不具合だとかであるのなら)、それをちゃんと公平性を持って説明するのが、管理者&主催者であるあなたの責任だってことも、まだ分からないんですかねぇ。すでにここでも指摘してるんだけどなぁ…ってのもスルーしてるし(爆笑)。

    頭おかしいのはやっぱり水原さんの方でしょう。私はスルーなどしてませんよ。「48番」でこう書いている。
    【「説明責任」が管理者の私にあることはその通り。但し、それは、メールなり、「移行板」(というのが用意されているのです)なりで「投稿出来ないが?」と、その時点で問い合わせがあった場合にのみ発生する責任です。
    あなたはそんな確認一つせず、一方的に方々で「アク禁をかけられた」と吹聴しまくってきたわけです。(今もそうです。)
    そんな人にどうやって常識的な説明責任が発生するというのでしょうか? 自己中もいい加減にして下さい。】

    >僕が投稿出来なかったことがあなたの恣意的なアク禁なのか、サーバーの不具合などの理由であるのかは、あなたにしか分からないことであり、だから私がアク禁だと思い込んだとしてもそれは当たり前、説明責任はあなたにあるんですけど?

    自己中もいい加減にして頂けます? 私ははっきり「アク禁などかけていない」と述べています。
    こんな言い分が通るのであれば、それこそあなた自身が書き込めなかったことを証明してみて下さい。出来なければお得意の「嘘」をついてるってことでしょう(笑)。
    まっ、それ位不可能な要求をあなたはしているわけです。
    私が謝る? 何に対して? バカパカしいにも程があります。

    >まあ元々、あなたの独裁独善掲示板であなたが書いていることは、すでに僕が書いたことのコピペだけで済んでしまうお話ばかりなんで、わざわざ相手にするのも不快なだけだったんですが?
    >そのことはすでに
    >http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?range=1&base=12481
    >に書いてあるって…ってここのブログのコメント21番ですでにご紹介申し上げてるんですが、またスルーか…。

    脱力しますねぇ。その「コピペとやらに反論したもの」からあなたは遁走しているわけですが?
    大体水原さん、どれだけの量反論されてると思ってんの。細かい「各論」含め、私はあなたの書いたもの殆ど全てを論駁してあるんだけど。「12481」(これも再反論は何もなし)だけであとは全てに頬かっむりだもんなぁ。
    楽でいいですね。

  80. 水原文人 Says:

    >つまり、私が[都合の悪いところをスルー]した番号は、「31番より前」から挙げられなくてはならないという応酬構成になっています。

    はぁ。あなたがこのブログのコメント欄でなにが具体的に問題になっているかを一貫してスルーして、文脈上存在もしていない「一般論」を捏造していることは何遍も指摘済みですが、なにか?

    >脱力しますねぇ。その「コピペとやらに反論したもの」からあなたは遁走しているわけですが?

    はぁ。あなたが元の投稿を全く理解しないでトンチンカンな反論を、高飛車な罵倒でごまかしていることを、

    >http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?range=1&base=12481

    では指摘してあるんですがね…。

    >自己中もいい加減にして頂けます? 私ははっきり「アク禁などかけていない」と述べています。

    信用出来ませんな(笑)。なんせあなたにお願いしないと投稿出来ないと明記してある掲示板で、現に投稿出来なかったという事実があるんですから。誤解だとしたら丁寧に説明するのが掲示板運営者の責任なんですけどねぇ、ところがあなたは自分の掲示板にその件についてなんて書いてます?

    自己中心の無意味な粘着もいいかげんにしたらどうでしょうか(爆笑)。

    >【「説明責任」が管理者の私にあることはその通り。但し、それは、メールなり、「移行板」(というのが用意されているのです)なりで「投稿出来ないが?」と、その時点で問い合わせがあった場合にのみ発生する責任です。

    そんなあなたの自己中なルールになぞ従うつもりはまったくありません。ネット上の掲示板というのは原理原則としてオープンでパブリックなものなのでね。

  81. 水原文人 Says:

    >成熟した大人であるならば、そこで一度立ち止まってみて「現実」を考えてみることは決して無駄なことではないでしょう。

    あにょねぇ…、エバートはフランキー自身の選択に賛成してないと言ってるし、監督のイーストウッドも自分ならそうしない、って言ってるんですが? 何読んでるの?
    Macskaさん自身が引用している町山の論評にも「それにその選択を「正しかった」と断じてはいない。主人公は「許されざる者」として十字架を背負う」って書いてあるんだけど?

    だから「これは大人のため、成熟した観客向けの映画で、そのなかで人物がやる行動は必ずしも我々の賛成するものじゃない」ってエバートは言ってるわけでしょうが…。映画全体がその主人公の選択を否定しているのかも知れんでしょうが…。そんなもの見いてみないと分からないって話を、何度したら理解するんでしょうかねぇ? 最初っからあなたがスルーしてるのは、まさにこのもっとも肝要な論点なんですけどねぇ…

    なにが議論されているのか、前後をちゃんと確認してから投稿しましょうね♪

    >既に明らかになっているプロットを元に、主人公(たち)の選択を「納得出来ない」と評すことなんてごくごく当たり前に認められる言論範疇です

    あのねぇ…。Macskaさんは

    「この映画のストーリー展開についてイーストウッドは「原作の小説に従っただけ」と言っているという。しかし、監督としてどの小説を映画化するかを選んだのはイーストウッド自身なのだから説明とはなっていない。もともと障害者の権利に否定的な人物が、障害者の殺害をロマンティックに美化した映画を作ったというだけの話であり、いかに登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない」

    「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。」

    …と書いているから、なんで見てないでそんなこと言えるの、って話になってるですけど。あなたこのポイント何度スルーしたら気が済むの? 論点はそこにあるんだけど? この文言が映画それ自体と、監督のイーストウッドに言及してのものじゃなくてなんなの?

    >>しかもそれって、映画だけでなく演技などパフォーミングアーツの現代についての最悪の無知をさらけ出してることになるんですけど? 
    >
    >別に無知だとは思っていません。

    シノプシスと脚本と演出の違い、現代の表現とはなによりも解釈の問題だってことを無視してるから、「無知」って言われてることをスルーしないでくれます?

    > 聴覚障害者は「音楽そのもの」は聞けないかもしれませんが、楽譜を読めるのであればそれで一定の音楽批評は出来るでしょう。その時、「実際に聞かずに書くな」とでも言っているのがここでの水原さんで、私はあらゆる言論(批評・批判含め)はどんな立場の人にも平等に開かれてあるべきだと主張しています。

    だから聞こえなかったら指揮者や演奏者の解釈は認識できないでしょうし(後天的に聴覚を失っただけで、その前に音楽の訓練を徹底的に受けた人なら別でしょうけどね、たとえばベートーヴェン)、現実の舞台をみなければピーター・ブルックが『ハムレット』をどう解釈してブラックコメディにしてしまったのかなんて間接的にしか分からんでしょうなぁ。

    …つうか、この「論点自体」が、あなたが何を議論されていたのかを意図的にでっちあげた偽善議論でしかないのは、明白なんですけどねぇ。

    >「出来が悪く、馬鹿げている」かどうかは、実際の映像を観なければ判断出来ない筈でしょ?これまでの水原主張では。

    脚本のできが悪い、って書いてあるんですけど(笑)。

    >必死ですね。元々のコンセプトなんて私の質問には何にも関係ないんですけど…。(ちなみに関連ページには全て目を通しています、当然のことながら。)

    だったら少しは、何が議論されているんかという文脈は尊重しましょうね♪。 「なにが議論されてるのかを理解してから」の類いの発言って、反論に窮したときのあなtの常套句みたいですけど、他人に要求するならその前にまず自分で実践しましょうね(爆笑)。

    ホント、ここまでメチャクチャ書けるのは私怨で冷静さを失ってるからだろう、っていうこちらの思いやりにも気づかんらしい。あなたがただの自己中のバカであるって自己主張したいのなら、別に構わないんですが。

  82. 水原文人 Says:

    >>だから見ていない映画について、どうやって「ロマンチックに美化している」とか評価できるんですか? これも何度言えばいいのやら。
    >
    > 実際に観た人の先行論評を元に、書き手がそう結論づけることに問題があるわけがないでしょう。

    大有りですな(苦笑)。ロマンティックとか美化ってのは大いに主観の問題でして、それを「先行批評」に売り渡しちまったら、ただの受け売り屋のプロパガンダで、およそ信頼性のある批評とは言えませんわ(爆笑)。

    しかも「先行批評」には、たとえば「これは大人のため、成熟した観客向けの映画で、そのなかで人物がやる行動は必ずしも我々の賛成するものじゃない」とか、「それにその選択を「正しかった」と断じてはいない。主人公は「許されざる者」として十字架を背負う」とか書いてあって、唯一「ロマンティック」が出て来るドレイク評ですら、それは『ミリオンダラー・ベイビー』への直接言及とは必ずしも言えない文脈なんですけど…

    >で、断定に過ぎたと書き手が思ったのであれば、それは撤回なり訂正なりすればいい。
    > 実際そういう展開の下とっくに決着していた所に、トンチンカンに割り込んできてグダグダグダグダと同じ主張を繰り返したのが水原さん。そういう構図です。

    あのぉ…。ぜんぜん撤回しないでいっそう力を込めて

    「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。」

    なんて書くから、そんなことなぜ断言できるねん? って僕が介入しただけなんですけど? なんだか重要な具体的な論点をぜんぶすっぽかした詭弁だらけですねぇ…

    >>>典型的な自己投影ですな。あのぉ、私がここにアクセスしたのは、移行しましょうよと提案してる「問答野暮用」掲示板に貼ってあるリンクからなんですが?

    >
    >阿呆みたい。「邪推」のぶつけ合いっていう遊びみたいな箇所なのに(笑)。
    >こんな点にマジで応答するとは夢にも思っていませんでした流石に。

    あのぉ…「典型的な自己投影ですな。あのぉ、私がここにアクセスしたのは、移行しましょうよと提案してる「問答野暮用」掲示板に貼ってあるリンクからなんですが?」ってのは、口調からしておちゃらけであることは明白だと思うんですけどぉ(爆笑)。

    一方、あなたが最初に書いたのはコレね

    いやいや、事実はこうでしょう。
    「万流」から遁走したあなたは、それでも何を言われているか気になってしょっちゅう訪問する。するとMacskaさんが、横山に好意的な文脈で、自身のブログにて『ミリオンダラー・ベイビー』について書いているのを知る。よし、映画ならこっちのもんだ。そう思ったあなたは早速ここに来て揚げ足取りのような批判を書き込む。Macskaさんの説明があっても、全くおんなじ繰り返しを、延々と偏執的に。議論が圧されてきたって大丈夫、そん時は、いつものように論点をコロコロ変えて、最後は膨大な映画の知識を書きなぐろう。そうすりゃ誰も反論出来まい。何せボクは人生かけてるからね。視覚に障害が出来たら自殺だってしちゃうくらいなんだぜ。映画知識に持ち込めば怖いもんなんてないぜ。
    (大爆笑)

    醜悪なほど、相手を貶めんがための妄想力の籠ったご玉稿であります(苦笑)。こんなんばっかだから、「私怨じゃないの」と推測せざるを得ないわけですな。

  83. 水原文人 Says:

    発狂して論点になっていない「一般論」を勝手に捏造しているアホ横山様への分かり易い説明として、元のhttp://macska.org/index.php?p=74からコメントを転載しときます(45番)

    > 「プロットのみからイデオロギーが判断されてしまう」というシチュエーションが、映画にとってけっこうな「記憶」というか「悪夢」をよみがえらせるという背景もあるかもしれません。

    …というよりですねぇ、そんなことで判断されてしまえば、じゃあワシらが一生懸命心血注いで映画作ってることはどうしてくれるねん? ってことになってしまうわけですね。もう至極単純にそういう話でしかない。

    極端な話、ビデオで見ただけだったら「それではオマエは俺の映画を見たことにはならない」ってインタビュー拒否するタル・ベーラというハンガリーの狂人もいるし、あのロバート・アルトマン大先生は

    「私は常に自分の映画に、一回見ただけではすべては気がつかないような要素を入れようとしている。もし私の映画が本当に好きならば、最低でも2回は見なければならない。できれば3回でもね。映画の隅っこの部分まで、すべてに内容を詰め込んでいるんだ。」

    と豪語しておいでです。

    http://www2.neweb.ne.jp/wd/quad/sub2/fujiwara/sub2-b6.htm

    で、横山氏の発狂した捏造論点に戻って言えば、そもそも権利として「見ないで批評してはいけない」なんて誰も言っていない。別に禁止しているわけではなくって、そんな批評をしたって説得力ないから、やるだけ無駄ですよっていう可能か不可能かの原則論の話でしかない。

    で、たまたまMacskaさんのhttp://macska.org/index.php?p=74における論評は、その大きなミスをやっていることに無自覚で、本人が「社会批評」のつもりだといくら教鞭しても、現実の文言として

    「この映画のストーリー展開についてイーストウッドは「原作の小説に従っただけ」と言っているという。しかし、監督としてどの小説を映画化するかを選んだのはイーストウッド自身なのだから説明とはなっていない。もともと障害者の権利に否定的な人物が、障害者の殺害をロマンティックに美化した映画を作ったというだけの話であり、いかに登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない」

    …と書いてしまってるから、「そんなこと言うにはまず見てないとダメでしょ」と言う意味でまずryu2netさんにやんわりと指摘され、ところがそこで逆に

    「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。」

    などと書くから、問題になったわけです。しかも具体的な論点がMacskaさんの文章そのものであることを必死でスルーしているのは、いったいどういう意図があるのか謎。そんなことやってるから無限にループするしかなくなるわけで、まったく、何が議論されているのかをちゃんと把握してから議論に参加して欲しいモノであります。(ふう…。何度同じこと言えばいいのやら)。

    (Macskaさん、蒸し返しになってしまってすみません)。

    ところが「そんなやり方では説得力ないだろーが」という意味での「やってはいけないこと」でしかないのを、アホ横山氏はどこをどう勘違いしたのか「権利はあるはずだ!」とブチ切れているわけですね。

    仰せの通り、別に誰もそれを権利として否定しているわけではない。ただたいした論拠もなく「いかに登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない」なんて言う文言で映画を全否定してしまっては、そんなアンフェアな決めつけ言論としての強度に欠けますよ、というのが顕著な具体例であるわけで。

    「そりゃモノ書きとしてやってはいけないことでしょ」と言うのは、なぜやってはいけないかと言えば、そんなことやったらあなたのモノ書きとしての信頼性がガタ落ちになるから、です。そこで見ていないし先行した批評やレポートに出ていたプロットのディテールすらいい加減に読み飛ばしているのがバレバレなのに、それでも「いかに登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない」「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任」なんて言ってしまえば、そりゃあんたあまりにも傲慢でしょう、となじられるのは当たり前。

    書くことの自由というのは、当然ながらその書いたことについて批判され得る責任とセットになっているのが言論なわけですから。そこで無根拠に他人の批判を書けばそれは「誹謗中傷」であり、度が過ぎて実害が伴うようであれば「名誉毀損」にすらなるわけです。だから結果としてそういうドツボに陥らないためにも、たとえば映画についてその映画そのものを否定しようとするのなら、とりあえず現物は見ておいてちゃんと脇を固めておくのがモノ書きとしての知恵。

    それを小学校だか中学校の学級委員かなにかじゃあるまいし、なにかの規則で禁止されてるんだと思い込んだ横山様が幼稚なだけなのでありますな。要するにバカ単純であって…というよりも

    私はあらゆる言論(批評・批判含め)はどんな立場の人にも平等に開かれてあるべきだと主張しています。
    また、視覚障害者は映像・舞台表現自体は観れないかもしれませんが、しかし、シナリオ・戯曲がもし点字で読めるのであれば一定の映画批評・演劇批評は出来るだろうと言って
    います。その時、「実際に観ないで書くな」とでも言っているのが水原さんで〜(略)。こういったことを総論(一般論)的に「差別的」であると批判しているのです。

    ってのに至っては、要するに他人を貶めることで「私はこんなに立派なんだ〜」と自己陶酔したいだけなんじゃないの、と勘ぐりたくもなります。まぁだとしたら、ここまでムキに支離滅裂なことを書き続けるアホ横山様の動機として「私怨」以上のものが推測できるわけで、その方が「自分にお願いしなきゃ書き込ませない掲示板」を投稿規定で堂々と書き込んでしまえる無自覚な倒錯も説明できてしまうわけですな。

    ただその「私はエライんだ」横山を担保するために他人をダシにして他人が言ってもいないことを決めつける暴走ぶりは、ホント迷惑なだけなんですけどね…

    …あまりにもくだらない話で終始してもしょうがないんで少しは役に立つ「社会批評」的なことを言えば、「映画を見ないで映画を論じるな」(→ツッコミどころ満載のモノを書いてしまって自分が損するから)みたいな話を、あたかもそう決められたルールでもあるのかと言う風に誤読するのって、これってやたらと校則が細かい学校による生徒の「生活管理」とやらと、公式通りにやれば唯一の「正解」に到達するみたいな「知」の領域についての誤った幻想を植え付ける受験教育が、よりにもよってもっとも多感な中学高校の十代半ばの自分にセットで同時期に押し付けられる日本の教育制度のもたらしたものすごい弊害が透けて見えて来なくもないのですよね。

    まあそんななかで「正しさ」が与えられたものとして存在するかのような幻想を刷り込まれてしまえば、『許されざる者』以降のイーストウッドのえらく複雑で入り組んだ倫理的問題の提示の仕方なんて、受容出来るはずがないのだけど。日本では映画評論業界でも『ミスティック・リバー』のなんとも後味の悪い結末が全般的に忌避さえていたりするのだし(なんとショーン・ペンが最後にケヴィン・ベーコンに向かって肩をすくめてみせるとても重要なショットを、「そんなのありました?」なんて言う人すらいっぱいいたんだし)。

    まあMacskaさんに限らず、映画館なりDVDなりでご覧になるにあたっては、そういう重要なショットを見落とさないように…老婆心ながら。別に専門的な知識が必要とかそんなことじゃなく、ただ見ていれば見えるだけの話なんですけれどね。

    映画を見るのは別に受験勉強じゃありませんから、正解なんて求めないように。どうも『ミリオンダラー・ベイビー』は『許されざる者』とか『ミスティック・リバー』以上に、見る者が試される映画であるようなんで。

  84. 水原文人 Says:

    > ただその「私はエライんだ」横山を担保するために他人をダシにして他人が言ってもいないことを決めつける暴走ぶりは、ホント迷惑なだけなんですけどね…

    …というか、私がダシにされるだけであればいいんですけど、現実に差別に晒されていたり、あるいは自分の抱えた障害故に「出来ない」こともいっぱいある障害者の方々をダシにしている無神経な偽善には、ほとほと虫酸が走るわけですが…

    例のアホ横山独裁独善掲示板で出て来たあまりにも無神経な発言については(もう何度か挙げてますけど)

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?range=1&base=12481

    …で指摘してあります。まったく、世の中でどれだけバリアフリー対応になってない階段があるかも想像できず、車椅子生活者の実際上の「不便さ」を

    エレベーターがある場所ならそれを使うでしょうし、無い場所なら「人手」を使えば済む話です。それをステレオタイプに[車椅子の人は階段も上り下りできない]と表現する。そしてそういったことを殊更「不便」の内実として「当たり前・かわいそう」と喧伝する。これが「差別的」でなくて一体何でしょう。

    なんて意味不明なことを平然と書いておる…。

    たとえば東京は実は丘陵地が多くて、中央線以北の古い町並みには階段でしか移動できないところがゴマンとあるの。山手線の主要駅では、たとえばうちの最寄り駅の高田馬場でさえバリアフリーに完全には対応しておらず、車いすの人が来れば駅員が何人も出て来て階段のリフトを開いて、って世界なの。で、私が住んでいる部屋はエレベーターなしのマンションの4階。ちょっと身の回りを見回すだけで車いすで不便なところなんてすぐに見つかる。車いすでなくとも杖とか松葉杖でも十分に不便。それが客観的に見て不便なのは現実であって、だからそれに気づいたら少しは手助けはできるしどんどんやるべきって話をしているのに、なんだねこの返信は?

    で、新幹線ができて4時間ぐらいで広島に行けるのと、出来る前は一昼夜かかっていたのとではどっちが便利かなんてのは当たり前の話。ただその便利さによって人間が幸福になったのかどうかは、個々人の価値観に関わることで一概には言えない。それをごっちゃにしているのはただただ「自分は差別をしていない」とか「お前は差別者だ」と決めつける自己陶酔の理論でしかなく、そんなこと言ってる暇あったら階段で往生しているお年寄りの荷物でも持てっつーの。実に全く、このテの偽善的な「差別」論モドキはばかばかしい。

  85. 水原文人 Says:

    >ただその便利さによって人間が幸福になったのかどうかは、個々人の価値観に関わることで一概には言えない。

    それどころか人間なんてしょせん、障害者に限らず、みんなそれぞれに限界を抱え、その限界を時には克服し、時にはその限界を受け入れて、自分のできることを一生懸命やることでしか充実した人生なんてありえず、「幸福」だとか「尊厳」だとかには到達できないわけ。

    便利か不便かはまったく別の話。私のように山手線・他線乗り入れの交通の便のいいところに住むのは「便利」だけど、移動には不便でももっと緑が多くて落ち着いた郊外の方が幸福になれる人はいっぱいいる。なんでそれを「障害」に特化してごっちゃにしとるねん?

  86. celine Says:

    celineです。横山さんのコメント(76)にあった

    > 但し、観ていないあなたにはまだそれは出来ません。水原屁理屈に則ればね。

    を読んでちょっと驚いてしまいました。水原さんって『ミリオンダラー・ベイビー』を実際に観ないでこれまで色々と書かれて(論じられて)きたんですか?
    あちゃ〜、私はすっかり水原さんが実際に映画を観た上でmacskaさんを批判しているものだとばかり思っていました。
    となれば、ここで議論されていることの前提というか、水原さんの仰っていること、主張に対する見方が大きく変わってしまいます^^;

    それから、水原さんのコメントの中に「ROMやcelineさんに迷惑になる」云々のご発言がありましたが、少なくとも私は迷惑なんか感じておりません。興味をもって拝見(ROM)させていただいておりますので、お気になさらずに続けて下さってけっこうですよ^^;

    で、ROMに徹するつもりでもないので思ったことを少し・・・

    > 「大人のため、成熟した観客向けの映画」

    「大人のため、成熟した」なんて言い分には、「子供ぽっい着想や偏狭な固執的な考えを持った人々にはこの映画の良さ、真価は理解されないだろう」という一方的で独善的なものを感じます。
    映画を鑑賞して何を思い、どう感じようと、それは人それぞれ自由かつ様々でしょうし、観る人の「能力」についていちいち言われるのは余計なお世話です、って言いたいですね。観客層の「質」を予めふり分けなければ映画が(製作者側の意図通りに)正しく鑑賞されない、「真価」が理解されないというなら、「大人」、「成熟した」の基準を客観的に示せ、とも言いたくなりますね。
    映画なんて、老若男女、障害がある人もない人も、それぞれ自由に、思うままに味わい、そして評価すればいいんじゃないでしょうか。

  87. a thousand Says:

    横レスです…。

    横レスですが、当投稿は現在行われているお二方のやり取り(映画のストーリーを元に何かを論じることは可能か否か?)には関係しておりません。
    また、私は映画にはあまり詳しくありませんし(クリント・イーストウッドは流石に知っておりますが)、障害者問題にも詳しくは有りません。「障害学」という学問の存在も知りませんでした。…ですので、それぞれに詳しいお二方(映画に詳しい水原さん、障害学に詳しいmacskaさん)から見ると、トンチンカンな内容の書き込みになっているかもしれません。あと、私は英語が読めませんので、以下内容は、この板での日本語の内容のみをベースに書いております。…ですので英語が読める方にとってもトンチンカンかもしれません…(なんだかへこんできた)。

    水原さんが問題にされている以下の部分について、私なりに考えたことを書かせていただきます。

    Macskaさん>
    もともと障害者の権利に否定的な人物が、障害者の殺害をロマンティックに美化した映画を作ったというだけの話であり、いかに登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない」

    水原さん>
    なんて評価はそもそもできるはずがない(「ロマンチックに」も「美化」も、演出に関わる問題であって(略)

    macskaさんの言う、「障害者の殺害をロマンティックに美化」は、スワンクの呼吸器を外すのがフランキー、という現実には行い得ないエピソードを指しているのではないですか?
    つまりあくまで「映画の筋」にのっとった「感想」に過ぎず、「映画の演出」を「論じた」のでは無い、のではないですか?

    ちなみに「スワンクの呼吸器を外すのがフランキー」が「障害者の殺害をロマンティックに美化」と感じられる人には感じられる理由は

    水原さん>
    死を選ぶときに誰にそれを頼むのか、誰の手にかかって死ぬのかは、実は相当に大きな問題

    ↑これは「一般論」です。この「一般論」をこの映画にあてはめてみます。

    「スワンクが「死」を選ぶ時、出来れば自分の愛する人物=フランキー、の手にかかって死にたい、と願うに違いない。」

    多くの観客は↑スワンクの願いに共鳴するものと思われます。それがドレイク氏の目には、以下のように映じます。

    ドレイク氏(訳macskaさん)>つまり、現実には主人公は死を望むのであれば医者にそう告げれば呼吸器を外してもらえたはずであり、コーチに頼まなければいけない絶対的な理由は一切無かった。さらには、主人公が療養していた施設には警備員もいなければ鍵をかけたドアもアラームもないなど、米国の同種の施設としては非常に不自然。殺害シーンをロマンティックに演出させることを最優先させた結果、一歩下がってみると非現実的な描写ばかりになっている

    「ミリオンダラー・ベイビー」は主人公スワンクの生涯を描いた物語です。生涯、ですので「生」と「死」、の「死」も物語の重要な部分です。
    この「死」の描写が現実的ではない、というのが上記の部分における、ドレイク氏の主張です。

    が、観客の多くはこの「非現実」を知らないか、あるいは知っていても受け入れます。なぜならばそれは、この物語が「スワンクの生涯=「生」と「死」」を描いた物語であり、その「死に方」が「愛するものの手にかかっての死」であるのは、物語の上では納得のいくものだからです。

    そして、観客のこの「許容」がmacskaさんのいう

    macskaさん>わたしが問題にしているのは、彼女の選択ではなくて、
    そういった選択の物語を消費する社会の方です

    にあたるのではないでしょうか。
    つまりmacskaさんは「映画」を批判しているのではなく、「社会」を批判しておられるのはないですか?

    もう1点の
    macskaさん>触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。

    ですが、これは全文を読んでみたところ
    macskaさん>
    なるほど、映画そのものの問題ではなく、観客の感性の方の問題なのかも。
    町山さんだけじゃなくて、いろいろな人の評論を読んでみても、
    「尊厳ある生」に触れられているものがないように思うので…
    というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。
    社会が障害者から「尊厳」を奪っているからこそ、自ら望んだ死という選択に障害者が追い込まれているわけだし。(以下、略)
    Comment by Macska – 2/16/2005 @ 8:46 am

    と、なっており、まず最初に
    「映画そのものの問題ではなく、観客の感性の方の問題」となっており、
    続いて「触れられていても」は「いろいろな人の評論を読んでみても」に対応しており、
    また、「個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任」は「社会が障害者から「尊厳」を奪っているからこそ…」に対応しているように読めます。
    ですので、この一文は全体を読むと映画に対する批判、というよりは社会に対する批判に読めるのですが…。

  88. GBG Says:

    celineさん、横レス失礼します。

    >映画を鑑賞して何を思い、どう感じようと、それは人それぞれ自由かつ様々でしょうし、観る人の「能力」についていちいち言われるのは余計なお世話です、って言いたいですね。

    同感です。ですが、残念ながら水原さんはそう思ってはいないようです。
    私自身は(日本以外のある場所で)この映画を見ました。下のリンクにもあるように、一回見ただけではなんともいえない部分が多々ありましたが、ドレイクさんの主張も一概に否定できないという印象は得ました。(よろしければ下のリンクをご一読ください)
    http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_plain?base=2895&range=1

    これについて、別の掲示板で水原さんは私に噛み付いてきました。
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_index?base=12892range=20
    12843〜12901までとびとびで続きます。

    彼の発言をいくつか列挙しましょう。(ただし【G】で始まる箇所のみ私の発言)

    >ところがですねぇ、アカデミー賞4冠の『ミリオンダラー・ベイビー』はまだ日本公開されておらず、日本時間午前2時台で「眠い」となる地域で公開されてるのは台湾だけなんですね〜
    > いったいどこに住んで、どこで見たんだ? どこに住んでるんだおまいは??
    > ま、どーせアホ横山に取り入りたいがばっかりに見てもないのに嘘書いたんじゃねぇのか、という可能性がかな〜り高い。
    > いったいどこに住んで、どこで見たんだ? どこに住んでるんだおまいは??
    >
    >【G】 答える義務はございません(爆) (しかし赤いフォント・サイズ5で書くほどムキにならなくても。みっともないですよ)
    >
    >はあ。別に答えろなんて言ってませんよ。ただ何処で見たかを言えないのなら、あなたが嘘をついている可能性が高くなるだけなんですけど?

    >で、どっちにしろ見ていたとしたら見ていたで、自分が所属している集団と幻想している掲示板(たかが掲示板だといふのに…)へのゴマすり忠犬根性が発達するあまり、自分が鵜呑みにしたことのチェックのためだけに見ているという精神状態であることを自分で暴露しているわけで、大人の、成熟した観客とはおよそ言えない。映画館にわざわざ金払って言ってスクリーンの前にでくの坊のように座ってるだけの、時間とお金の浪費のただのバカであることがまたまた証明されてしまいましたトサ。
    >やっぱ映画館に座っていても自分のおバカ頭の偏見だけで映画そのものが見えてない典型…。時間の浪費だからわざわざ行かなきゃいいのに。

    >だいたい、なぜアイリッシュの無骨なボクシングトレーナーのおっさんが、その正確な手順を知らなきゃならんのだ? (笑)。
    >
    >>【G】愛するものの安楽死を実行するというのならせめてそれくらいは知らなければならないと思います。
    >
    >アホ。また自分の思い込む「義務」と、他人にとってどうそれが可能なのかがごっちゃになってる。絶望的。ホントに人間理解力がない。
    >そりゃイーストウッドの映画なんか見ない方がいいわ(爆笑)。見ても分からんだろ〜ね。ロジャー・エバートによれば
    >“It’s a movie for grown-up, mature audiences in which people do things we don’t necessarily agree with,”
    >なんですけど、GBGやアホ横山一派は「grown-up, mature audiences」とはとてもじゃないけど、言えない。
    >【G】「思います」ってのはもちろん「思い込み」さ。
    >じゃあ何かい? 映画ってのはどう思うべきかまで観客に要求する「芸術」なのかね?
    >驚いたね。
    >
    >誰もそんなこと言うとりませんが、なにか? ただ自分の思い込む「義務」と、他人にとってどうそれが可能なのかがごっちゃになって、それで「納得出来ない」とか「引いた」とか言ってるのは、あなたが他人に自分の思い込みを強引に押し付ける幼稚な人間であることを証明してることになるってだけなんですけど?

    (注↑この部分、かなり自己投影入ってます。「他人に自分の思い込みを強引に押し付ける幼稚な人間」はどっちなのか。)

    >> 【G】それと、私がどこで映画を見たかを「パブリックな掲示板」で明かさなきゃ理由はないんですよ。もう少し大人になろうね。
    >大人になるべきはあなたでしょうね。「不自然だ」と指摘された以上、その不自然さを払拭することをしなければ、「あいつ嘘言ってるんじゃネェか?」っていう思い込みがパブリックに蔓延するだけなんですけどね。で、どこの映画館かぐらいバラしたところで、あなたに個人的な損害が出る可能性のある「個人情報の暴露」にはフツーに考えてならんでしょう。

    (↑こういうところも水原さんの傲慢さの表れです。残念なことです。)

  89. GBG Says:

    「アク禁」のことで一言。
    実はここMacskaさんのブログで先日、私の投稿が一向に反映されないことがありました。(理由は後でご説明いただき、現在は54として反映されています)
    水原さんの考え方では、私は説明を求めることもなく、どこか別の掲示板で、「macskaさんが僕をアク禁にした」って吹聴していいことになります。
    しかも、Macskaさんはそれにいちいち答える義務があるらしい。根拠なく言いがかりを付けるのは自由。その言いがかりに答える責任が掲示板主宰者にあるってのは、どう考えても倒錯しているんじゃないでしょうか。だって水原さん自身こう書いてあるんですよ。

    (80)書くことの自由というのは、当然ながらその書いたことについて批判され得る責任とセットになっているのが言論なわけですから。そこで無根拠に他人の批判を書けばそれは「誹謗中傷」であり、度が過ぎて実害が伴うようであれば「名誉毀損」にすらなるわけです。

    この場合の水原さんの責任とは、せめて「アク禁にされた」という具体的な根拠を提示することです。しかし水原さんのいうことといったら、「されたからされた」か、「横山ならしかねない」といった類のものです。

    そう「思う」のは自由だと思います。「思う」だけなら。しかしそれを「パブリックな掲示板やブログ」で書くのはいかがなものでしょう? もちろん、文章としてのクオリティーもお粗末なのではないでしょうかね。

  90. a thousand Says:

    水原さんが尊厳死の問題点について

    水原さん>
    無論「尊厳死」に関してはさまざまな問題があり、尊厳死と称してその実家族が遺産目当てその他で早く死んで欲しい(というか、「殺したい」)という事情があり得たりするのは、日本でも起こった尊厳死事件でありました。

    上記のように、書かれておりますので、便乗して、最近新聞で読んだ尊厳死、安楽死について、一つ書かせていただきます。

    …と、言いつつ、記憶だけを頼りにしておりますので、アレコレと重要な点が曖昧なのですが…。

    相当乱暴に要約しますと「筋ジストロフィーの息子さんに依頼されて、安楽死を行った母親に、実刑判決が下された。息子さんは症状が××まで進行した場合、母親に自分を死なせて欲しい、と頼んでいた。その頼みに母親は応じた。」
    はっきり記憶している事だけを書きますと上記のようになります。
    いくつかの重要な要素が抜け落ちたままで論じることは出来ないのですが…。
    (例えば
    �この事件が実際には何年前に起こったのか。介護保険制度が導入させる前だったのか後だったのか。
    �筋ジストロフィーとありましたが、一口に筋ジスと言っても症状は様々であって、この件の場合はどうだったのか。
    �症状が××まで進行した場合の××の内容
    �この息子さんの症状がいつ頃から出始めたのか、病状の進行の速度は?
    など)

    この件は(お母さんの証言を信じるなら)当事者たちが望んだ死です(…ですので、水原さんの尊厳死に対する懸念とは、ちょっと次元が異なってはおりますが…)。
    息子さんはお母さんに、殺人罪が適用される可能性の高い行為を依頼しており、またお母さんも殺人罪が適用される可能性の高い行為であることを実行しております。これは推測ですが、お母さんも息子さんもそのこと(殺人罪が適用される可能性の高い行為であること)を承知していたものと思います。
    で、あってもこの死は当事者が望んだ死であり(お母さんの証言を信じるなら)「尊厳死」である、と言えると思います。
    当人が望み、お母さん側もその意を汲んで行われた尊厳死を司法が、どうのこうのするのがおかしい、という問題提議もあるとは思います。
    ですが、その前に、この「尊厳死」については問わねばならないことがあるような気がするのです。

    …全然まとまってないのですが、macskaさんが言いたいのは、こういう事なんじゃないかなぁ…と私は思ったのです。

    …で、なんだか「流れ無視」になっておりますので、ROMに戻ります。
    お邪魔しました

  91. 水原文人 Says:

    a thousand さん、

    >…全然まとまってないのですが、macskaさんが言いたいのは、こういう事なんじゃないかなぁ…と私は思ったのです。

    …というかですね、Macskaさん自身が引用している町山智宏の評を読む限り、

    それにその選択を「正しかった」と断じてはいない。
    主人公は「許されざる者」として十字架を背負う。
    そして観客に議論の余地を残している。

    …と町山氏は論じているわけで、まさに「尊厳死」についてはそういう問題こそ『ミリオンダラー・ベイビー』が提示していると言うふうにしか、私には読めないのですけれど、いかがお考えでしょうか?

    >息子さんはお母さんに、殺人罪が適用される可能性の高い行為を依頼しており、またお母さんも殺人罪が適用される可能性の高い行為であることを実行しております。

    この「息子さん」を「マギー」に、そして「お母さん」を(父親代わりの)「フランキー」に置き換えたら、まさに『ミリオンダラー・ベイビー』の展開そのものですね。で、ドレイク評のかなり詳細な記述を見る限りでは、どうもフランキー(お母さん)はマギー(息子さん)を安らかに眠ったまま死ねるようにするつもりで、間違えてアドレナリンを注射してしまった(断末魔の凄まじい苦しみをもたらすことになる行為)らしいわけです。

    どうしても見れないのなら、せめて「先行批評」のなかでも自分が真っ先に引用している町山評と、自分がもっとも信頼しているらしいドレイク評をもう少し精読していれば、「ロマンチックに美化」なんて安易な結論はとりあえず忌避しただろうと思わずにはいられません。要するに趣味にせよなんにせよネットという誰でも読める場でモノを書くには、あまりにも無防備すぎるわけではあるんですが。

    …と言いつつ、僕だってドレイク評は割と最近読んで、かなり詳細に記述しているところは正直驚いたわけですが。で、逆にフランキーがマギーを殺すシーンでモーガン・フリーマンのナレーションがはいるタイミングだとか、なぜそこまで見ていてああいう解釈になるんだろう、とこれはまったく素朴に思うわけです。まぁ「アドレナリン」が聞き取れなかったらしいGBG様は論外として(笑)、ドレイク氏はもともとかなり観察眼のある人だろうと、評を読んでいる限りは思うわけですね。

    それだけに結論のひきだしかたになるとおよそ納得できない、性急でバイアスかかりまくりで自分が記述している詳細に反するような文言が多いのには、まったくもって不思議ではあります…

    …と言って、その理由の見当がつかないわけではないわけで、私が「社会批評」をやるとしたら、CNNのまとめかたとドレイク評ですね。障害者差別というのがいかに根深いものであるかのイン点とアウト点がそこに表出しているような気がするので。

  92. flekram Says:

    > あのぉ、ドレイク氏の文章を批評対象にしてるだけですが、それがなにか?

    水原主義では、推測を根拠に他人の主張を色眼鏡と批判して OK なんだ。それは「誹謗中傷」じゃないのかなあ?

    どうやら水原氏はアドレナリンを打ったこと自体が誤りだと思っているようですが、それは違います。アドレナリンを多量に投与すると心臓が止まります。ペットの安楽死では、致死量のアドレナリンを打つやり方は一般的なようですね。入手しやすいからでしょうな。

    では何がまずいかというと、呼吸器を止めてからアドレナリンという順番が問題だとドレイク氏は言ってるわけです。

    “Yep, that was the sequence: Turn the vent off first, then inject with a stimulant. This is, in reality, a recipe for an agonizing death, combining suffocation with your heart feeling like it will explode.”

  93. 水原文人 Says:

    >水原主義では、推測を根拠に他人の主張を色眼鏡と批判して OK なんだ。それは「誹謗中傷」じゃないのかなあ?

    推測ではなく、書かれていることを前提にしてますが、なにか?

  94. flekram Says:

    > 推測ではなく、書かれていることを前提にしてますが、なにか?

    「書かれていること+そこから勝手に推測した映画の内容」でしょう。で、さらに悪いことにその推測が間違っているわけですな。

    たとえ水原さんが今映画を見られない状況にあるとしても、観客がどのように受け取ったかという情報はウェブをちょっと調べるだけで得られます。

    そうしていれば、観客はマギーの死因を “a lethal dose of adrenaline” と正しく理解していることがわかります。そして、専門的な知識を持っている人はともかく、一般の観客はマギーが激しく苦しんだとは思っていないこともわかります。

    さらに、アドレナリンはフランキーが事前に用意して病院に持ち込んだものだということ、アドレナリンの投与後すぐに心電図が平坦になるシーンが入っていること、モーガン・フリーマンのナレーションのより正確な内容は、”He gave her a single shot. There was enough adrenaline to do the job a few times over.” だということ、などもわかるので、誤ってアドレナリンを使ったと解釈する余地はなく、心臓を止めるのを目的にやったことだと判断できるはずなんですけどねえ。

    結局水原さんって、他人に勉強を強要するが自分では勉強しない人ってことで FA?

  95. celine Says:

    celineです。

    > thousandさん

    thousandさんがコメント87で書かれた「事件」についてですが、「尊厳死」(事件)と書かれていたり、「安楽死」と記述されていたりと曖昧な形の説明になっておりますね。「尊厳死」と「安楽死」では理解されるその意味や要件が違ってきますので、その点を曖昧なままに『ミリオンダラー・ベイビー』の対照材料にしたりすると、別な問題や論点も生じてくると思います。もう少し事件内容や背景をしっかり把握されてから紹介、説明されてはいかがでしょうか。

    ちなみに、筋ジストロフィーではありませんが、外見的には似た症状で一般の人にはほとんど区別がつかない病気にALS(筋萎縮性側索硬化症)があります。この病気の重度障害患者の「死の選択」に関わる深刻な問題についてコメント(1)で触れました。よろしければご参考ください。

    http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2005dir/n2621dir/n2621_02.htm

    > 水原さん

    >> 息子さんはお母さんに、殺人罪が適用される可能性の高い行為を依頼しており、またお母さんも殺人罪が適用される可能性の高い行為であることを実行しております。

    > この「息子さん」を「マギー」に、そして「お母さん」を(父親代わりの)「フランキー」に置き換えたら、まさに『ミリオンダラー・ベイビー』の展開そのものですね。で、ドレイク評のかなり詳細な記述を見る限りでは、どうもフランキー(お母さん)はマギー(息子さん)を安らかに眠ったまま死ねるようにするつもりで、間違えてアドレナリンを注射してしまった(断末魔の凄まじい苦しみをもたらすことになる行為)らしいわけです。

    どうして、「まさに『ミリオンダラー・ベイビー』の展開そのもの」なんて言えるのでしょうか。

    映画のプロットやストーリーから分かる限りでは、マギーからフランキーへの「殺人依頼」はボクサーとして成就できない人生を絶つという動機がメインになっていると思いますが、thousandさんが紹介されたような「事件」の息子からの母親への「殺人依頼」の動機には、マギーのそれとは一緒にできない、「親の介護の多大な心労を解消してあげたい」という息子としての切ない苦しい思いが存在している可能性も充分に予想できると思います。また、thousandさんの「説明」とは異なりますが、母親自身が老いて介護ができなくなることや自分が死んだ後の息子の前途を悲観しての「安楽死」というような「事件」も起きています。

    いずれにしても、そのようなことに想像を働かせれば、重度障害の息子と彼の介護を続けて来た母親の間に起きた「事件」を映画のストーリーとダブらせて「『ミリオンダラー・ベイビー』の展開そのもの」だなんて、とてもそんなに簡単には言えないと思います。つまり、水原さんは観ていない映画と曖昧な形でしか説明せれていない患者と母親の間の「事件」を簡単に比較対照されているわけです。

    要するに、「「ロマンチックに美化」なんて安易な結論」は引き出せない」ということを主張したくて息子と母親の間の「事件」が映画と同じ「展開」だと書かれたのだと思いますが、それって、ご自分が何度も批判してきた「見ずして論じる、語る」ことと同じ構図になっているのではないでしょうか。これまでの議論を読んでいて、「映画そのものを観ずしては何も語れない」とは言えないなと私は思いはじめていますので、水原さんに「論じるな、語るな」なんて言うつもりは全くありませんが、ちょっと矛盾しているなと感じるわけです。

  96. celine Says:

    ところで、日本においてふつう「尊厳死」というと、「確実に避けられない死期を間近にした人が、延命だけが目的のいたずらな医療的措置(治療ではない)を断って人格の尊厳性を最後まで保って死を迎えること」と一般には受け取られていると思います。この場合「人格の尊厳性」を失うこととは、日本尊厳死協会などの見解を参考にすれば、例えば脳死のように意識が完全に消失し、かつその回復の見込みが完全に絶たれた状態を指していると考えられます。そして、そのような状態になった時の実際の流れとしては、生前における本人の「尊厳死の意思」が家族によって医師に伝えられ、医師の判断、診断によって「延命中止措置」が取られることになるのではないかと思います。

    「尊厳死」について微妙な問題、意見や考え方が分かれている点のひとつに「人格の尊厳性」が保たれている「境界」をどこに引くかという問題があり、脳死状態に至った時とする意見や広い意味での植物状態にまでそれを拡大すべきという意見もあるようです。どちらにしても「意識の消失」が尊厳死を社会的に許容するためのひとつの前提として捉えられているかと思います。
    (ちなみに、医学的かつ厳密に「意識の完全な消失」を証明するのは非常に難しいと聞いています)

    もし、「意識の消失」に至っておらず、耐えられないほど持続的な苦痛が続き、それを取り除くことが不可能な状態にある時、苦痛を取り除くための死ということになれば、それは「安楽死」と呼ばれるものだと思います。ただ、現在の日本では、積極的安楽死にせよ消極的安楽死にせよ、安楽死は未だ法的に許されていません。以上のことから考えると、水原さんが紹介された

    > 無論「尊厳死」に関してはさまざまな問題があり、尊厳死と称してその実家族が遺産目当てその他で早く死んで欲しい(というか、「殺したい」)という事情があり得たりするのは、日本でも起こった尊厳死事件でありました。

    やthousandさんが紹介されたような「事件」は簡単に尊厳死(事件)と言ってしまうのではなく、安楽死(事件)ではないかと検討する部分も残っているように思います。

    また、水原さんは「自分が失明したら生きる意味が無くなるから死を決意するだろう」という主旨のことを書かれていますが、今のところ世間では、そういった死を尊厳死とは見ずに「人生に希望を失った、悲観した」ための「自殺」と見る人も多いのではないかと思います。
    もちろん、尊厳死という観念は「他人はどう思おうが、この死に様は自分にとっての尊厳死である。」というような極めて主観的な心の中の問題だとする意見も充分成立すると思いますが、それを言うなら、そのような主観にのみその意味づけをおく「尊厳死」と、社会における共感というか共通の認識を何らかの形で得ようとする、もしくは得ることを前提にした「尊厳死」のふたつに分けて捉え、それらを確認し合いながら議論を進める必要があるように思います。

    例えばの話ですが、水原さんご自身が是と考えておられた「映画作家の失明→尊厳死」をモチーフにした映画を作った場合、それは観客大衆にどう受け入れられる(感情移入される)でしょうか。当然、ストーリーや演出、主人公の心理描写などによって受け入れられ方は変わるでしょうし、多くの人が「納得がいく」映画に仕上がることもあるかも知れません。
    では次に、聴力を失った音楽家の「尊厳死」を描いた映画はどう観客に受け入れられるでしょう?また、車椅子生活者になった野球選手の映画はどうでしょう?指を失ったピアニストが死を選択した映画ならばどうでしょう?
    何故このようにたたみかけた問いを投げかけるのかというと、我々はどこまでが「尊厳死」と言えて、どこからが「尊厳死」とは呼べない「自殺」(場合によっては他者の幇助を借りた自殺)になるのだろうかということをふと考えるからです。
    「軽度の障害で死を選択するのは「尊厳死」とは言えない。深刻な重度の障害から死を選ぶのが尊厳死だと言えるだろう。」という人がもしいたら、「その線引きはどこでするのですか?」と私は問うてみたい。昨今、見ず知らずの人同士の「集団自殺」が立て続けに報道されていますが、「自殺」だと世間が言っても彼らにしてみれば「真っ当な人生を成就できない故の尊厳死」という思いがあるのかも知れません。そういった個人それぞれの心の内面意識としての「尊厳死」と、一定の社会的コンセンサスを求める「尊厳死」との分別をどのように捉えるか、それは悩ましい問題になると思います。ただ、そのような問題があるにしても、映画『ミリオンダラー・ベイビー』のマギーの選択は、本人にとっては「尊厳死」なのかも知れないが、それは(少なくとも日本の)社会的コンセプトとしての「尊厳死」とは呼べないのではないか、「映画」の展開から「尊厳死」という言葉を安易に拡大してしまうのはどうか、という疑問は生じています。

  97. celine Says:

    またまたcelineです。連続投稿ですみません^^;

    うがった想像になるかも知れませんが、次のようなことをふと考えました。

    仮に、同映画の監督であるクリント・イーストウッドもしくは製作者や脚本家、演じる俳優達の愛する家族の一員に人工呼吸器を装着しながらも家族に囲まれてそれなりに充実した生を送っているALSの患者がいたとしましょう。そのようなバックグランドをもった映画関係者がはたして「ミリオンダラー・ベイビー」のようなプロットの映画製作に参加しようとする(自身の意思として参加できる)でしょうか?
    このようなことを想像してみると、件の映画は結局は「障害の世界から遮断された健常者の製作による健常者のためのある種のエンターティメントとしての映画」になっているのではないだろうか?とふと考えてしまうこともあるわけです。
    映画は自由な発想の元に作られるべきだということを全面的に支持する一方で、そこで描かれている障害者の他者幇助による自死が障害を抱えた生を否定的に捉えるメッセージとして働いているという疑問、批判の声が現実の障害者や彼らと身近に伴に生きている家族から上がってくることは、私には否定できない、頷けるものを感じます。
    この辺の感じ方ということになると、映画主人公の心理や動機がいかに納得的、説得的に描かれていようと、逆に言えばそのように描かれていればいるほど、それは強くなるのかも知れません。そのような疑問や批判をもつ人たちにとっては、実際に映画を観なければ感じることができない主人公の心理描写や展開よりも映画の基本的プロットが本質的に問題になる、あえて言ってしまえば、映画を実際に観なくともそのような疑問は生じ得るし、したがって批判は成し得る、許されるのではないだろうかという考えも私の中に生じてきています。

  98. 水原文人 Says:

    > 「親の介護の多大な心労を解消してあげたい」という息子としての切ない苦しい思いが存在している可能性も充分に予想できると思います。また、thousandさんの「説明」とは異なりますが、母親自身が老いて介護ができなくなることや自分が死んだ後の息子の前途を悲観しての「安楽死」というような「事件」も起きています。

    お言葉ですが、ドレイク評の犬の死への言及を読むと、その部分もマギーの死を望む理由として相当にありそうなんですが? どっちにしろ人が死を望む理由なんて、通常単一の動機に還元できるわけではないのだからこそ、ディテールが重要なんじゃないですか?

    >また、水原さんは「自分が失明したら生きる意味が無くなるから死を決意するだろう」という主旨のことを書かれていますが、今のところ世間では、そういった死を尊厳死とは見ずに「人生に希望を失った、悲観した」ための「自殺」と見る人も多いのではないかと思います。

    そうでしょうね。ではその「死」が社会によってどう分類されるかが、果たしてその個人個人にとってどれほどの意味を持つのでしょうか? それこそ価値観の押しつけなのではありませんか? もちろん世間とか社会というのがある程度そういう構造を持っていることは確かであり、それは人間が社会的生物である以上いたしかたのないことではありますが、だからって肯定したり正当化したりしていいという問題ではないでしょう。

    > ただ、そのような問題があるにしても、映画『ミリオンダラー・ベイビー』のマギーの選択は、本人にとっては「尊厳死」なのかも知れないが、それは(少なくとも日本の)社会的コンセプトとしての「尊厳死」とは呼べないのではないか、「映画」の展開から「尊厳死」という言葉を安易に拡大してしまうのはどうか、という疑問は生じています。

    そもそも「尊厳死」がテーマになっている映画だとは、今のところ僕はちっとも思ってませんが、それは個々人の解釈の問題だろうと思います。

    >仮に、同映画の監督であるクリント・イーストウッドもしくは製作者や脚本家、演じる俳優達の愛する家族の一員に人工呼吸器を装着しながらも家族に囲まれてそれなりに充実した生を送っているALSの患者がいたとしましょう。そのようなバックグランドをもった映画関係者がはたして「ミリオンダラー・ベイビー」のようなプロットの映画製作に参加しようとする(自身の意思として参加できる)でしょうか?

    まず、実話をベースにするのであれば、少なくとも当人の遺族に話を聞きに行ったりはするでしょう(完全に「自分の意思」とは言えないでしょうが)。

    で、もし映画監督とか俳優の身近にそういう立場にある方がいれば、当然そのことを参考にはするでしょうね。たとえばスコセッシが『救命士』を作ったときには、自分の両親の死が反映されていたそうですよ。

    > この辺の感じ方ということになると、映画主人公の心理や動機がいかに納得的、説得的に描かれていようと、逆に言えばそのように描かれていればいるほど、それは強くなるのかも知れません。そのような疑問や批判をもつ人たちにとっては、実際に映画を観なければ感じることができない主人公の心理描写や展開よりも映画の基本的プロットが本質的に問題になる、あえて言ってしまえば、映画を実際に観なくともそのような疑問は生じ得るし、したがって批判は成し得る、許されるのではないだろうかという考えも私の中に生じてきています。

    疑問を持つのもある感情を持つのも、それ自体は個々人の内面の問題ですから「許される」以前に誰かが禁じられる類いの問題ではないと思いますけど? ただそれを公に表明した場合に説得力を持つのかと言えば、感情論的な同情は一部から得られるかも知れないにせよ、そのレベルでは単にセンチメンタルなプロパガンダの論理であり、責任ある言論であるとみなされたり説得力を持つのは、かなり難しいわけですね。まして「批評」として成立しているかどうかの問題となると…。

    >このようなことを想像してみると、件の映画は結局は「障害の世界から遮断された健常者の製作による健常者のためのある種のエンターティメントとしての映画」になっているのではないだろうか?とふと考えてしまうこともあるわけです。

    極めてステレオタイプな見方に満足すれば、そういうものでしょうね。

  99. 水原文人 Says:

    > 極めてステレオタイプな見方に満足すれば、そういうものでしょうね。

    たとえば健常者vs障害者、みたいな一元的な二項対立構図に還元してしまえば、そうなるんでしょうね。私個人から言えばそんな区分けは福祉行政上の便宜としてあるに過ぎず、たとえば後天的な障害の場合、ある日突然、なにかの「障害」で「障害者」と分類される結果になったからと言って、その人がその人であること自体はなんにも変わらないとしか思えないわけですが。

  100. 横山好雄 Says:

    昨日の夕方投稿したのですが(No.91 flekramさんの次)、「コメントスパム規制」に引っかかったようです。どうやらMacskaさんは不在らしく(恐らく)、丸一日待ちましたが反映されませんので多少加筆訂正の上改めて投稿しておきます。
    Macskaさん、先投稿は無視して下さって結構です。すみません。

    >>つまり、私が[都合の悪いところをスルー]した番号は、「31番より前」から挙げられなくてはならないという応酬構成になっています。
    >
    >はぁ。あなたがこのブログのコメント欄でなにが具体的に問題になっているかを一貫してスルーして、文脈上存在もしていない「一般論」を捏造していることは何遍も指摘済みですが、なにか?

    スルーも何も、あなたの脳内の、[このブログのコメント欄でなにが具体的に問題になっているか]なんて話は、もうとっくにMacskaさんのレスで解決済みです。単にあなたが、他板でMacskaさんが横山に好意的なのを「怨んで」(笑)、江戸の仇を長崎で討とうとトンチンカンな批判を繰り返していただけでしょう。
    大体私は最初から、「一般論」として、「未見批評の是非」について批判・反論しているのであり、そんなことはそれこそ何度も指摘済みですが何か? (その指摘に対し、あなた自身が一般論だと認めているのですが? ご自分の発言をコロコロコロコロ変えないで頂けます?)

    今まで、Macskaさんとのやり取りの中の水原語録には基本的にとやかく言ってこなかったわけですが、そちらさんのご希望ですからこっちにとっては好都合です。
    とりあえず第一点、何故“映画も観ていないのに”以下のようなことが断言出来るのですか? 

    >で、『ミリオンダラー・ベイビー』はその選択をそのまんま、肯定も否定もせずに描いてます。

    ちゃんと説明して下さいますか?

    >はぁ。あなたが元の投稿を全く理解しないでトンチンカンな反論を、高飛車な罵倒でごまかしていることを、
    >http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?range=1&base=12481
    >では指摘してあるんですがね…。

    都合のいい所だけ(のみ)を引っ張ってきて、それで反論している気になれるんだからよほどお気楽な人生なのでしょう。それに、読者が検証すべき私の原文アドレスさえ提示されていない。原文を参照されたらROMに自分のみっともなさがバレちゃいますからね。気持ちは分かる…。
    水原さんがそこに至るまでにどんな理屈を述べていたのか、どういう文脈で私がその反駁を書いているのか、そういったことをROMに検証させない態度は卑怯って言われても仕方がない。(大体「出所明示」は引用の大原則だと言うのに。)

    >>【「説明責任」が管理者の私にあることはその通り。但し、それは、メールなり、「移行板」(というのが用意されているのです)なりで「投稿出来ないが?」と、その時点で問い合わせがあった場合にのみ発生する責任です。
    >
    >そんなあなたの自己中なルールになぞ従うつもりはまったくありません。ネット上の掲示板というのは原理原則としてオープンでパブリックなものなのでね。

    これのどこが自己中のルールなのか?(爆) 
    問い合わせが無い以上、説明など出来ないではないか(笑)。また時制無視かよ。

    >>成熟した大人であるならば、そこで一度立ち止まってみて「現実」を考えてみることは決して無駄なことではないでしょう。
    >
    >あにょねぇ…、エバートはフランキー自身の選択に賛成してないと言ってるし、監督のイーストウッドも自分ならそうしない、って言ってるんですが? 何読んでるの?
    Macskaさん自身が引用している町山の論評にも「それにその選択を「正しかった」と断じてはいない。主人公は「許されざる者」として十字架を背負う」って書いてあるんだけど?

    あのねぇ…(疲れるわ)、エバートが賛成するとかしないとか、イーストウッドが自分ならそうするとかしないとか、そんなことが何の関係があるのかね? あなたは他者の倫理観で左右されて、「映画の評価がコロコロ変わる」のかね?
    私の言いたいことはその直前のこっち。

    >よほどバカな映画監督でない限り「そこに至る苦悩」なんて丁寧に描くのが当たり前です。だからこそ観客は感情移入出来るわけだし、その選択に納得したりもするのです。
    しかし、それに恐怖を覚える当事者たちが現にいて、実際抗議行動を起こしているわけです。当事者だからこそ感得出来るメッセージをそこに読み取っているわけです。

    で、「成熟した大人であるならば〜」につながるのだ。
    (ついでに再録)
    >ただ映画に感動したからいいってんなら、それこそ最も幼稚な映画鑑賞者ということになるでしょう。あなたはそういうタイプの人ですね。

    それとついでに言っておくが、水原さんはよく町山氏の、そこの部分だけをいいように引用するが、その後にはこうもある。
    >しかし、それでもなお、この映画は、同じ状況に置かれている人たちにとっては「死んだ方がまし」と言われているような気もするだろう。
    何読んでるの?( (C)水原文人 )

    >だから「これは大人のため、成熟した観客向けの映画で、そのなかで人物がやる行動は必ずしも我々の賛成するものじゃない」ってエバートは言ってるわけでしょうが…。映画全体がその主人公の選択を否定しているのかも知れんでしょうが…。そんなもの見いてみないと分からないって話を、何度したら理解するんでしょうかねぇ? 最初っからあなたがスルーしてるのは、まさにこのもっとも肝要な論点なんですけどねぇ…

    だ、か、ら、観ていない水原にそんなこと言われて誰が納得するのかって話なんだよ。 (celineさんもそういう意味合いで83を書いたのだと想像する。あくまで想像だけど。)
    Macskaさんは“現に観た人”の論評・評価を紹介し、それに賛意を表明しているに過ぎない。それのどこに問題があるのか? そりゃ[主人公の選択を否定しているのかも知れん]。が、まだ観ていないあなたにそれを言う資格など一切ないではないか。「観た上」で、その主人公の選択を否定していたよと指摘するのならまだしも。
    頭おかしいのかアンタ。

    >なにが議論されているのか、前後をちゃんと確認してから投稿しましょうね♪

    オマエが言うなよ(笑)。

    >>既に明らかになっているプロットを元に、主人公(たち)の選択を「納得出来ない」と評すことなんてごくごく当たり前に認められる言論範疇です
    >
    >あのねぇ…。Macskaさんは
    >「この映画のストーリー展開についてイーストウッドは「原作の小説に従っただけ」と言っているという。しかし、監督としてどの小説を映画化するかを選んだのはイーストウッド自身なのだから説明とはなっていない。もともと障害者の権利に否定的な人物が、障害者の殺害をロマンティックに美化した映画を作ったというだけの話であり、いかに登場人物の心理が丹念に描かれていても納得できない」
    >
    >「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。」
    >…と書いているから、なんで見てないでそんなこと言えるの、って話になってるですけど。あなたこのポイント何度スルーしたら気が済むの? 論点はそこにあるんだけど? この文言が映画それ自体と、監督のイーストウッドに言及してのものじゃなくてなんなの?

    だから、何故言えない(言っちゃいけない?)のかがさっぱり分からないんだよ。
    現に観た人(ドレイク)の先行批評をちゃんと紹介し、自身はそれに納得したからそこから敷衍してそう結論づけたわけだろが。
    大体の話、[ロマンティックに美化]は、別に、あるカットの演出云々の話ではなく、現実から『ミリオンダラー・ベイビー』を逆照射した時に明らかになる滅茶苦茶さを婉曲に表現しているわけだよ。だから、「実際にそのシーンを観なければロマンチックがどうか分からない(言えない)」なんていう水原さんの物言いにはあきれ返るしかないわけ。もうバカかと、アホかと。
    (この辺りのことはthousandさんがうまくまとめてくれています。84番)
    後段の[というか、触れられていても〜]については、もう何度もMacskaさんが説明済み。こういう偏執的なとこが「小学生」だと方々であなたはバカにされてるわけ。これも何度も教えてきたけど。

    >だから聞こえなかったら指揮者や演奏者の解釈は認識できないでしょうし(後天的に聴覚を失っただけで、その前に音楽の訓練を徹底的に受けた人なら別でしょうけどね、たとえばベートーヴェン)、現実の舞台をみなければピーター・ブルックが『ハムレット』をどう解釈してブラックコメディにしてしまったのかなんて間接的にしか分からんでしょうなぁ。

    あのねぇ、常に[指揮者や演奏者の解釈]をおり込まなければいけないってことはないわな。書き手の自由でどんなものでもいいの。聴覚に障害があるのであれば楽譜から感得出来る範囲でそれをやればいいし、観られない立場の人も同。
    水原さんの場合「信念・信仰」としての批評・論評というものが先ずあって、それに当てはまらないものを排除せよと言っているのと同じ。そういう「差別的」なもの言いを批判しているだけだよ。

    >>「出来が悪く、馬鹿げている」かどうかは、実際の映像を観なければ判断出来ない筈でしょ?これまでの水原主張では。
    >
    >脚本のできが悪い、って書いてあるんですけど(笑)。

    だからそれが傲慢なんですよ。
    その脚本をどう描くのかの演出によって、
    そこから読み出される意味はまったく違うのですから。
    演出ひとつ、カメラワークひとつである物事を肯定的にも、否定的にも描けるのが映像というメディアです。

    再回答、よろしく。逃げるなよ。

    >大有りですな(苦笑)。ロマンティックとか美化ってのは大いに主観の問題でして、それを「先行批評」に売り渡しちまったら、ただの受け売り屋のプロパガンダで、およそ信頼性のある批評とは言えませんわ(爆笑)。

    「ロマンティックとか美化」については上述。
    しかし、こんなことは水原本人にも当てはまることではないか。先にもちょっと述べたが、水原さんはエバートや町山の先行批評を根拠にして必死に抗弁している。自分は観てもいないくせに(大爆笑)。構図は全く同じなのだが?

    >しかも「先行批評」には、たとえば「これは大人のため、成熟した観客向けの映画で、そのなかで人物がやる行動は必ずしも我々の賛成するものじゃない」とか、「それにその選択を「正しかった」と断じてはいない。主人公は「許されざる者」として十字架を背負う」とか書いてあって、唯一「ロマンティック」が出て来るドレイク評ですら、それは『ミリオンダラー・ベイビー』への直接言及とは必ずしも言えない文脈なんですけど…

    で、町山の[しかし、それでもなお、この映画は、同じ状況に置かれている人たちにとっては「死んだ方がまし」と言われているような気もするだろう]は一切示さないと。楽でいいよなぁ、こういうダブスタ性格って。

    >で、横山氏の発狂した捏造論点に戻って言えば、そもそも権利として「見ないで批評してはいけない」なんて誰も言っていない。別に禁止しているわけではなくって、そんな批評をしたって説得力ないから、やるだけ無駄ですよっていう可能か不可能かの原則論の話でしかない。

    何か随分後退しちゃいましたなぁ(笑)。
    [そんな批評をしたって説得力ないから][やるだけ無駄]云々って言うのは、それぞれそれを読んだ読者自身が判断すればいいことですよ。何でわざわざ水原さんが、ここのROMの代表のような顔してMacskaさんにそのことを諭さなければならないのでしょうか? Macskaさんの文章を読んで上のような理由で「説得力がない」と感じた人がいたとしましょうや。しかしまた、全然そんなふうには感じない人だっていたでしょう。要はそれぞれでしかないわけ。自分の「主観」を客観的とでも思っているのでしょうか水原さんは(笑)。

    >〜における論評は、その大きなミスをやっていることに無自覚で、本人が「社会批評」のつもりだといくら教鞭しても、現実の文言として

    「ミス」といのはあなたの主観でしかなく、こんな恣意的なまとめ方をされたんではたまったものではありません。いい加減にして下さい。

    >…と書いてしまってるから、「そんなこと言うにはまず見てないとダメでしょ」と言う意味でまずryu2netさんにやんわりと指摘され、ところがそこで逆に
    >「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。」
    >などと書くから、問題になったわけです。

    こらこらこら。他人事のように言いなさんな。ryu2netさんにやんわりと指摘され、次のMacskaさんのレスでとっくに片付いた問題。そこに最初から居丈高・攻撃的な口調で割りこんできて、ここまで滅茶苦茶にしたのが水原。
    まったく、どうしてこうも自分だけに都合よく解釈できるかな。楽でいいですね。

    >ところが「そんなやり方では説得力ないだろーが」という意味での「やってはいけないこと」でしかないのを、アホ横山氏はどこをどう勘違いしたのか「権利はあるはずだ!」とブチ切れているわけですね。

    そりゃそうでしょう。だって水原さんの言っていることをはそういうことですもん。視覚障害者は映画を論じちゃいけない。聴覚障害者は音楽を論じちゃいけない。そうにしかならない。
    大体一番最初に私はそのことを問うています。
    【再録】
    >>見ないで映画に対する評価として受け取られることを書いておいでだからです。
    >突き詰めれば、水原さんが言っているのはこれだけなんだけど、一体何故それがいけないのでしょうか?
    (中略)
    それとも水原さんは、「観られない」境遇の人は一切映画についての論評・評価はしてはいけないという主旨を開陳したいのでしょうか。(実際そういうことになるわけですが。この辺の「健常者至上の差別意識」もものすごいですね。)
    【再録以上】
    それに対してどう答えたか。
    >現に見えないんだからしょうがないでしょう? 

    これじゃ「排除の論理」と批判されても仕方ないでしょう? 後だしジャンケンはいい加減にしてほしいものです。

    >>私はあらゆる言論(批評・批判含め)はどんな立場の人にも平等に開かれてあるべきだと主張しています。
    また、視覚障害者は映像・舞台表現自体は観れないかもしれませんが、しかし、シナリオ・戯曲がもし点字で読めるのであれば一定の映画批評・演劇批評は出来るだろうと言って
    います。その時、「実際に観ないで書くな」とでも言っているのが水原さんで〜(略)。こういったことを総論(一般論)的に「差別的」であると批判しているのです。
    >
    >ってのに至っては、要するに他人を貶めることで「私はこんなに立派なんだ〜」と自己陶酔したいだけなんじゃないの、と勘ぐりたくもなります。

    勘ぐるだけじゃパブリックな議論とは言いません。上のようなことはそれこそ小学生でも分かる当たり前のことであって、こんな程度のことを、こと映画になった途端素直に受け入れられないあなたの方がおかしいわけです。

    >…あまりにもくだらない話で終始してもしょうがないんで少しは役に立つ「社会批評」的なことを言えば、「映画を見ないで映画を論じるな」(→ツッコミどころ満載のモノを書いてしまって自分が損するから)みたいな話を、あたかもそう決められたルールでもあるのかと言う風に誤読するのって、これってやたらと校則が細かい学校による生徒の「生活管理」とやらと、公式通りにやれば唯一の「正解」に到達するみたいな「知」の領域についての誤った幻想を植え付ける受験教育が、よりにもよってもっとも多感な中学高校の十代半ばの自分にセットで同時期に押し付けられる日本の教育制度のもたらしたものすごい弊害が透けて見えて来なくもないのですよね。

    これもこの人の常套手段ですのでよく覚えておいて下さい。自分の異論者は全て「学校教育の弊害」になっちゃう人なんです水原さんって。これはよく出てきます。(そしてこういう議論と全く関係ない点についてえらく饒舌になるわけです。相手の質問は完全に無視しまくりのくせに。笑)
    こういうのって、ここまでROMってくれた人たちならよく分かるかもしれません。とにかく自分の異論者はとことん我慢出来ない性質なんですね。GBGさんを「横山の忠犬」って罵倒したりとか。
    要するにこういうやり方を先に示すことによって、更なる異論者の登場を抑止しているわけです。誰だってごく普通に議論したいと思っているのに、こんな罵倒を浴びせられるのが予め分かっていたら躊躇しちゃいますものね。まったくもって卑怯者の典型です。

    >あそんななかで「正しさ」が与えられたものとして存在するかのような幻想を刷り込まれてしまえば、『許されざる者』以降のイーストウッドのえらく複雑で入り組んだ倫理的問題の提示の仕方なんて、受容出来るはずがないのだけど。日本では映画評論業界でも『ミスティック・リバー』のなんとも後味の悪い結末が全般的に忌避さえていたりするのだし(なんとショーン・ペンが最後にケヴィン・ベーコンに向かって肩をすくめてみせるとても重要なショットを、「そんなのありました?」なんて言う人すらいっぱいいたんだし)。

    ねっ、予想どおり結局「映画知識」での逃げに頼り出したでしょ?(笑)

    >あMacskaさんに限らず、映画館なりDVDなりでご覧になるにあたっては、そういう重要なショットを見落とさないように…老婆心ながら。別に専門的な知識が必要とかそんなことじゃなく、ただ見ていれば見えるだけの話なんですけれどね。

    もう絶対観ずに「プロット」だけで批判し続けようと決意を新たにしました。「バカ映画評論家」へのアンチテーゼですな。

    >映画を見るのは別に受験勉強じゃありませんから、正解なんて求めないように。どうも『ミリオンダラー・ベイビー』は『許されざる者』とか『ミスティック・リバー』以上に、見る者が試される映画であるようなんで。

    作者の意図がどこにあろうが、そんなこととは無関係に、その映画自体が発するメッセージには危険なものがあることは知っておいて下さい。特に特定の人たちからの抗議行動があると知った時には、やはり一度そこで立ち止まってみて、その抗議内容の「是非」について考えてみて下さい。その上で、やはり映画と現実は別物だとして映画を擁護することもよいでしょう。逆に、抗議はもっともだとして映画を批判することも自由です。
    [正解なんて求めない]なんて、観た映画からは何も学ばないと言っているに等しく、これほどバカバカしい物言いも無いと明確に知っておいて下さい。

    >…というか、私がダシにされるだけであればいいんですけど、現実に差別に晒されていたり、あるいは自分の抱えた障害故に「出来ない」こともいっぱいある障害者の方々をダシにしている無神経な偽善には、ほとほと虫酸が走るわけですが…

    先に自分がどんな主張をして、どんな文脈で批判されているのかも示さない人間の言うことじゃないでしょう。虫酸が走るのはこっちなわけで…。

    >例のアホ横山独裁独善掲示板で出て来たあまりにも無神経な発言については(もう何度か挙げてますけど)
    >http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?range=1&base=12481
    >…で指摘してあります。まったく、世の中でどれだけバリアフリー対応になってない階段があるかも想像できず、車椅子生活者の実際上の「不便さ」を
    >
    >エレベーターがある場所ならそれを使うでしょうし、無い場所なら「人手」を使えば済む話です。それをステレオタイプに[車椅子の人は階段も上り下りできない]と表現する。そしてそういったことを殊更「不便」の内実として「当たり前・かわいそう」と喧伝する。これが「差別的」でなくて一体何でしょう。
    >
    >なんて意味不明なことを平然と書いておる…。

    詳しくはhttp://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_plain?base=2863&range=1にあります。そんなとこだけかいつまんで「意味不明」と吹聴(印象操作)したって意味はないと言うのに…。
    以下は簡単にしときます。さすがにここまでは本ブログで踏み込む気はないので。

    >たとえば東京は実は丘陵地が多くて、中央線以北の古い町並みには階段でしか移動できないところがゴマンとあるの。山手線の主要駅では、たとえばうちの最寄り駅の高田馬場でさえバリアフリーに完全には対応しておらず、車いすの人が来れば駅員が何人も出て来て階段のリフトを開いて、って世界なの。で、私が住んでいる部屋はエレベーターなしのマンションの4階。ちょっと身の回りを見回すだけで車いすで不便なところなんてすぐに見つかる。車いすでなくとも杖とか松葉杖でも十分に不便。それが客観的に見て不便なのは現実であって、だからそれに気づいたら少しは手助けはできるしどんどんやるべきって話をしているのに、なんだねこの返信は?

    もう根本的になんにも分かっていないのかと…。
    結局水原さんが言うような実例が「障害者を不便にしている」というだけの話なんだよ。[階段でしか移動できないところがゴマン]とあるのは障害者側の問題ではなく、この健常者社会が最初から障害者などいないものとしてこの社会を設計してきたことの証左・帰結に過ぎないんだから。だから本質は、「車椅子だから不便」なのではないのだ。車椅子では移動出来ないような社会構造が「不便を作り出した」わけ。
    だから、「不便ですね、気の毒ですね」っていう水原さんのような意識で障害者に手を貸している限り、この健常者社会の障害者差別は永遠に消えることはないって話をしているのだ。
    (誤解してほしくはないが、勿論手を貸すこと自体は当然のことだぞ。)
    「障害学」を少しでも勉強してみれば、上のようなことは恥ずかしくて書けないものなのだ。

    >で、新幹線ができて4時間ぐらいで広島に行けるのと、出来る前は一昼夜かかっていたのとではどっちが便利かなんてのは当たり前の話。ただその便利さによって人間が幸福になったのかどうかは、個々人の価値観に関わることで一概には言えない。それをごっちゃにしているのはただただ「自分は差別をしていない」とか「お前は差別者だ」と決めつける自己陶酔の理論でしかなく、そんなこと言ってる暇あったら階段で往生しているお年寄りの荷物でも持てっつーの。実に全く、このテの偽善的な「差別」論モドキはばかばかしい。

    「便利」「不便」も[個々人の価値観に関わることで一概には言えない]のだよ。エレベーターがある場所ならそれを使えば、無い場所なら「人手」を使えば、「不便」なんて概念は少なくともその場面では吹っ飛ぶ。
    にも関わらず、障害者というだけで、車椅子というだけで、一律に「不便だ、不便だ」「気の毒だ、気の毒だ」とあなたがしつこい程主張してきたから反批判している。
    障害者に不便を強いている(作り出している)のはあくまでもこの社会なのだ。決してその人の身体の問題ではない。

    >たとえば健常者vs障害者、みたいな一元的な二項対立構図に還元してしまえば、そうなるんでしょうね。

    何故今頃になってのうのうとこういうことが書けるのか本当に理解に苦しみます。水原さんは一体Macskaさんにどう詰問してきたでしょう?

    >この映画のヒロインは「障害者」なんですか、それとも「女ボクサー」なんですか?

    しつこい位、Macskaさんにこう問うていました。さんざん[健常者vs障害者、みたいな一元的な二項対立構図に還元]してきたのは水原自身ではないですか。
    本当に頭がおかしいのではないか。

  101. celine Says:

    > 水原さん

    > ドレイク評の犬の死への言及を読むと、その部分もマギーの死を望む理由として相当にありそうなんですが?

    そうなんですか?
    その「相当にありそうな」という点をもう少し具体的に説明していただけませんか。
    マギーの死を望む理由(その動機、心理)については、Webで見られるいくつかの批評を見ても、「ボクサーとして成就できない人生に絶望し、死を望む」というのが映画の主要なプロットだと理解していましたが、違うのでしょうか?それに、水原さんがここでこれまで書いていたこともその線に沿ったものだと私は理解しておりましたが。

    > 通常単一の動機に還元できるわけではないのだからこそ、ディテールが重要なんじゃないですか?

    ですから、その重要なディテールを捉える材料に乏しい(映画も観ていない、「事件」の詳細も知らない)からこそ、

    > 映画のストーリーとダブらせて「『ミリオンダラー・ベイビー』の展開そのもの」だなんて、とてもそんなに簡単には言えないと思います。

    と書いたのです。

    >> また、水原さんは「自分が失明したら生きる意味が無くなるから死を決意するだろう」という主旨のことを書かれていますが、今のところ世間では、そういった死を尊厳死とは見ずに「人生に希望を失った、悲観した」ための「自殺」と見る人も多いのではないかと思います。

    > そうでしょうね。ではその「死」が社会によってどう分類されるかが、果たしてその個人個人にとってどれほどの意味を持つのでしょうか? 
    > それこそ価値観の押しつけなのではありませんか?

    他者が〔「自殺」と見る〕ことが水原さんにとっては「価値観の押しつけ」になるのですか?
    死に行く本人にとっては「分類」など意味を持たないというのであれば、「価値観の押しつけ」にも感じないということになると思いますけど。

    > そもそも「尊厳死」がテーマになっている映画だとは、今のところ僕はちっとも思ってませんが、

    ええ、私もそう思っています。
    「尊厳ある死」、「尊厳死」がメインのテーマになっているのでしたら、もっともっと取り上げられる(べき)ものがあったと思います。

    > まず、実話をベースにするのであれば、少なくとも当人の遺族に話を聞きに行ったりはするでしょう(完全に「自分の意思」とは言えないでしょうが)。

    あの、「遺族」って私の書いた主旨を大きく取り違えていませんか?私の文章をもう一度よく読んでいただけませんか。

    > 疑問を持つのもある感情を持つのも、それ自体は個々人の内面の問題ですから「許される」以前に誰かが禁じられる類いの問題ではないと思いますけど? ただそれを公に表明した場合に説得力を持つのかと言えば、感情論的な同情は一部から得られるかも知れないにせよ、そのレベルでは単にセンチメンタルなプロパガンダの論理であり、責任ある言論であるとみなされたり説得力を持つのは、かなり難しいわけですね。まして「批評」として成立しているかどうかの問題となると…。

    「単にセンチメンタルなプロパガンダの論理」って、お言葉ですが、私には単に上滑りする修辞句を並べたものにしか読めないのですが・・・。
    「責任ある言論とはみなされない」とはどのようなことを根拠に述べられているのか、今一度要点を上げて示していただけますか。
    「説得力を持つのか」どうかについては、実際に私のように、『映画』を観ずプロットだけを知ることによって『映画』を批判した障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じた人間がいるわけですし、「説得力を持たない」という客観的な根拠、論拠をもっと示していただかないと・・・・・。

    > たとえば健常者vs障害者、みたいな一元的な二項対立構図に還元してしまえば、そうなるんでしょうね。私個人から言えばそんな区分けは福祉行政上の便宜としてあるに過ぎず、

    障害があるかないかの区分けは「福祉行政上の便宜」って、何を仰ろうとしているのかよく分かりませんが、解釈によってはかなりの暴論に聞こえてしまうのですが・・・

    > たとえば後天的な障害の場合、ある日突然、なにかの「障害」で「障害者」と分類される結果になったからと言って、その人がその人であること自体はなんにも変わらないとしか思えないわけですが。

    別に肉体や人格が入れ変わってしまうような意味では誰も「変る」などとは考えていないと思いますが、失明して視覚障害者になった映画評論家が自死を決意したりするのは、他者や社会との関わりを絶ってしまうという点では、人間のあり方、つまりその生き方を大きく「変える」ことになるのではないでしょうか。そのような、他者や社会との関わり方が「変わる」ということは、社会を切り離して考えられない存在としての人間のその生き方が「変る」ということを意味すると思います。

    障害を負って物ごとの見方や人との関わりあい方が「変る」という人は少なくないと思います。
    たとえば、パーキンソン病に罹患し年々進行する障害の中で長い闘病生活を送っているマイケル・J・フォックス氏は彼の自伝、『Luky MAN』の中で「この病気にならなければ、ぼくはこれほど深くて豊かな気持ちになれなかったはずだ。」、「この病気と障害によってぼくの人生は大きく転換した。」と書いています。

    水原さんは「健常者vs障害者」という「二項対立構図」の「ステレオタイプ」思考の中に全てを閉じ込めてしまっていると私を批判しているようですが、上記の「変わる」ということで示されるような、健常者の日常ではなかなか見えない、障害を経験したり、彼らと間近に共生して見えてくるものとしての、障害と他者・社会との関わり、そのあり様が『ミリオンダラー・ベイビー』という映画では見えてこない、映画のメインテーマ、モチーフをそこに置いていないのは理解できるとしても、製作側にはそれがなかなか見えていないのでは?という疑問を投げかけたのです。その意味で私は

    >> 件の映画は結局は「障害の世界から遮断された健常者の製作による健常者のためのある種のエンターティメントとしての映画」になっているのではないだろうか?とふと考えてしまうこともあるわけです。

    と書いたのです。

  102. 水原文人 Says:

    >そうなんですか?
    > その「相当にありそうな」という点をもう少し具体的に説明していただけませんか。

    すでに68番に書いてありますんで、そちらを読んで頂けませんか?

    >それに、水原さんがここでこれまで書いていたこともその線に沿ったものだと私は理解しておりましたが。

    ドレイク評を読んだら、どうもそう解釈するのはバカ単純すぎるらしいことに気づいたわけですが。

    >>ですから、その重要なディテールを捉える材料に乏しい(映画も観ていない、「事件」の詳細も知らない)からこそ、
    >
    >> 映画のストーリーとダブらせて「『ミリオンダラー・ベイビー』の展開そのもの」だなんて、とてもそんなに簡単には言えないと思います。
    >
    >と書いたのです。

    表層的に入手できる限りの情報では、基本的に同じ構図だと言うことです。

    >他者が〔「自殺」と見る〕ことが水原さんにとっては「価値観の押しつけ」になるのですか?

    「尊厳死」と「自殺」を区分けして、「尊厳死」ならば許されるみたいな文脈では、そうです。本人にとっては自分の尊厳を守るために自殺するわけですから、「尊厳死」と呼んでなんの問題があるんでしょうか?

    >死に行く本人にとっては「分類」など意味を持たないというのであれば、「価値観の押しつけ」にも感じないということになると思いますけど。

    本人が「感じなければいい」という問題なんでしょうか? ならば尊厳死の権利を勝ち取る男の実話を映画化してそれがなにが問題なのかよく分からなくなりますが。

    >「単にセンチメンタルなプロパガンダの論理」って、お言葉ですが、私には単に上滑りする修辞句を並べたものにしか読めないのですが・・・。

    事実の分析に基づかないで感情だけで批判するのは「単にセンチメンタルなプロパガンダの論理」と言われておしまいですが、なにか?

    > 「責任ある言論とはみなされない」とはどのようなことを根拠に述べられているのか、今一度要点を上げて示していただけますか。

    「別にそんなこと言ってませんがなにか?」と反問されておしまいになったり、エバートみたいなおっさんに「これは大人の映画だからね〜(まあチミはガキだから分からないんだね〜)」とイヤミをぶち噛まされたら逆ギレする以外に能がなくなるからだと思いますが?

    > 「説得力を持つのか」どうかについては、実際に私のように、『映画』を観ずプロットだけを知ることによって『映画』を批判した障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じた人間がいるわけですし、

    「障害者」にセンチメンタルな思い入れだけはある人なら、そうでしょうね。というよりGBGのことでしたら単なる私怨ですから、気にしないで下さい(笑)。

    詳しくはこちら

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?range=100&base=12800
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?range=100&base=12900

    >障害があるかないかの区分けは「福祉行政上の便宜」って、何を仰ろうとしているのかよく分かりませんが、解釈によってはかなりの暴論に聞こえてしまうのですが・・・

    どういう解釈ですか?

    >失明して視覚障害者になった映画評論家が自死を決意したりするのは、他者や社会との関わりを絶ってしまうという点では、人間のあり方、つまりその生き方を大きく「変える」ことになるのではないでしょうか。

    誰の話ですか? 映画評論家であれば文芸評論などに切り替えることはけっこう可能だと思いますが。私がそうであればそうしますけど?

    >障害を負って物ごとの見方や人との関わりあい方が「変る」という人は少なくないと思います。

    障害を負うまでもなく、人間は日々周囲の環境に影響を受けて変わり続けるものだと思いますが? わざわざ「障害者」を特化することもないと思いますが。

    >あの、「遺族」って私の書いた主旨を大きく取り違えていませんか?私の文章をもう一度よく読んでいただけませんか。

    尊厳死を描くのだとしたら、当のご本人は亡くなっているのではありませんか? ちなみに尊厳死の直前にお話をうかがうのであれば、相手の体調などに配慮するのは当然のことであります。

    >上記の「変わる」ということで示されるような、健常者の日常ではなかなか見えない、障害を経験したり、彼らと間近に共生して見えてくるものとしての、障害と他者・社会との関わり、そのあり様が『ミリオンダラー・ベイビー』という映画では見えてこない、映画のメインテーマ、モチーフをそこに置いていないのは理解できるとしても、製作側にはそれがなかなか見えていないのでは?という疑問を投げかけたのです。

    まあ、「障害」だけを特化して神聖化すれば、そういうふうにも見えるものなのかも知れませんね。たとえば泥沼の離婚騒動なんかでも人間は変わるものなんですが(ソンドラ・ロックとの泥沼法廷闘争を経て、イーストウッドの作風はずいぶん変わったりしてるわけですが)。

    黒木和雄監督は、『父と暮らせば』の宮沢りえの圧倒的な名演について、「貴乃花との婚約破棄だとか、スキャンダルで大変だったことをすべて肥やしにしておられる、素晴らしい女優です」と絶賛しておいででしたが。

    >あちゃ〜、私はすっかり水原さんが実際に映画を観た上でmacskaさんを批判しているものだとばかり思っていました。

    あなたが他人が明記していることを読みもせずに妄想を膨らませていたとしても、私の責任ではありません。たとえば私がちゃんと明記しているのに、「私はすっかり水原さんが実際に映画を観た上でmacskaさんを批判しているものだとばかり思っていました」なんて卑劣な印象操作をしたりするようなことを「単にセンチメンタルなプロパガンダの論理」と言ったりするわけなのですね。

    アホ横山様もそうなのですが、相手が言ってもいないことを批判するようなおかしな真似はおやめ下さい。

  103. 水原文人 Says:

    アホ横山様、

    >もう根本的になんにも分かっていないのかと…。

    そりゃあなたでしょう?

    > 結局水原さんが言うような実例が「障害者を不便にしている」というだけの話なんだよ。

    だから現実問題として不便であるのだから、出来る限りバリアフリーを押し進めればいいだけの話であり、そうは言っても現実的にまだまだ難しくて実現していないのなら、出来る限りバリバリお手伝いすればいいだけの話だ、と申し上げているのですが? 「社会が差別している」なんて当たり前のことはわざわざ言及するほどのことですらなく、そんなもん共通理解に決まってますが?

    で、現に不便であるのと、「幸福かどうか」はまったく別問題なのに、「そしてそういったことを殊更「不便」の内実として「当たり前・かわいそう」と喧伝する。これが「差別的」でなくて一体何でしょう」なんて曲解で自分が気に入らない他人を貶める手段として現に困っている人たちをダシにしたりするから、あなたの存在そのものに虫酸が走るというレベルに不快感が達しているわけですね。

    > [階段でしか移動できないところがゴマン]とあるのは障害者側の問題ではなく、この健常者社会が最初から障害者などいないものとしてこの社会を設計してきたことの証左・帰結に過ぎないんだから。

    なにを分かりきったことを今更叫んでいるのでしょうか? じゃあそのなかで現に困っている人についてなんとかしなくちゃいけないのに、その困っていることに気づくことすら拒絶してるのがあなた様なんですが?

    もう、メチャクチャですな(失笑)。

  104. 水原文人 Says:

    >スルーも何も、あなたの脳内の、[このブログのコメント欄でなにが具体的に問題になっているか]なんて話は、もうとっくにMacskaさんのレスで解決済みです。

    何度同じことを指摘してもスルーするわけですね(爆笑)。あなたが蒸し返しさえしなければMacskaさんに対して大変に気の引ける指摘を繰り返すのはやめておきたいんですがね…

    あのぉ…。ぜんぜん撤回しないでいっそう力を込めて

    「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。」

    なんて書くから、そんなことなぜ断言できるねん? って僕が介入しただけなんですけど? なんだか重要な具体的な論点をぜんぶすっぽかした詭弁だらけですねぇ…

    いい加減にしたら?

    >こらこらこら。他人事のように言いなさんな。ryu2netさんにやんわりと指摘され、次のMacskaさんのレスでとっくに片付いた問題

    だから

    「というか、触れられていても、個人の努力で「尊厳」を勝ち取れ的な扱いは無責任。」

    なんて書いておいて片付くわけがないだろうが(爆笑)。

    >「便利」「不便」も[個々人の価値観に関わることで一概には言えない]のだよ。エレベーターがある場所ならそれを使えば、無い場所なら「人手」を使えば、「不便」なんて概念は少なくともその場面では吹っ飛ぶ。

    現にない場所がいっぱいあるんだからその点では不便、ってだけの話なんですが? また足が不自由であればパラリンピックなどの障害者スポーツ以外は、まずスポーツができないでしょうし、耳が不自由であれば音楽は聴けないでしょうし、私のような軽度な難聴でも(どうも耳の問題ではなくいわゆる発達障害らしい)空港でアナウンスを聞き損ねて大騒ぎになったことはありますし…って程度のことは、机上の空論で「差別しない私」に自己陶酔したい人でなければ当然気になるはずなんですがねぇ? 無論助監督だとかスタッフと同行してるときには私が聞き損ねるものを彼らが聞いてくれたりするわけでカヴァーはされるわけですが、そのギャラがないときだとか、スタッフに言葉が分からず私だけが分かる場合だとかは、どうしようもないわけなんですがね。まあそんなところにまで「バリアフリー」を要求する気もしないし、これがどうもただの難聴ではなく発達障害の一種であるらしいぶんかえって便利なことも多々あるわけですから、そんなに気にはしないわけなんですけどね。

    まあ机上の空論で自己陶酔に浸りたい輩にはなにを言っても無駄だとは思うが…

    >だから、何故言えない(言っちゃいけない?)のかがさっぱり分からないんだよ。

    だからあなたがそもそもこういう強引であり得ない質問をし出すことの背後にあるであろう日本の教育の問題にまで言及しておきましたが? いい加減「言っちゃいけない」なんて権利だか禁止だかの他人が言ってない「一般論」にすり替えるのはおやめ下さい。

    >>あそんななかで「正しさ」が与えられたものとして存在するかのような幻想を刷り込まれてしまえば、『許されざる者』以降のイーストウッドのえらく複雑で入り組んだ倫理的問題の提示の仕方なんて、受容出来るはずがないのだけど。日本では映画評論業界でも『ミスティック・リバー』のなんとも後味の悪い結末が全般的に忌避さえていたりするのだし(なんとショーン・ペンが最後にケヴィン・ベーコンに向かって肩をすくめてみせるとても重要なショットを、「そんなのありました?」なんて言う人すらいっぱいいたんだし)。

    >
    > ねっ、予想どおり結局「映画知識」での逃げに頼り出したでしょ?(笑)

    はあ? ただ実例を挙げただけでして、こんなのは知識なんてなくても見れば分かることの類いでしかないんですが?

    > >脚本のできが悪い、って書いてあるんですけど(笑)。

    > だからそれが傲慢なんですよ。

    どこが?

    >その脚本をどう描くのかの演出によって、
    >そこから読み出される意味はまったく違うのですから。
    > 演出ひとつ、カメラワークひとつである物事を肯定的にも、否定的にも描けるのが映像というメディアです。

    そうですよ。だから?

    > 再回答、よろしく。逃げるなよ。

    逃げるも何も、脚本としてひどいから脚本としてひどいと書いてあるだけですが? なにループしてんの?(爆笑)

    ホント、あんた一回死んだ方がいいんじゃない?

  105. 水原文人 Says:

    >黒木和雄監督は、『父と暮らせば』の宮沢りえの圧倒的な名演について、

    ちなみに、東京近辺の方々は、いま岩波ホール@神保町でアンコール・ロードショー中です。

    http://www.pal-ep.com/chichitokuraseba/chichitokuraseba-top.htm

    上映館情報
    http://www.pal-ep.com/chichitokuraseba/htm/gekijou.htm

    一応、拙論ですみませんが、論評…

    http://www2.neweb.ne.jp/wd/quad/sub2/fujiwara/sub2-b11.htm

    …少しは役に立つこと書かんと…

  106. 水原文人 Says:

    我ながらひつこいけど(苦笑)。

    >無い場所なら「人手」を使えば、

    だから誰の人手を使うんだよ? その人が「困ってる」「不便だろう」って認識を持たないで、誰が気づいて手を貸すんだよ?
    まあどうせアホ横山様なんかは、困ってるかもしれないことに気づきもしないんだろうか?

    で、たぶん手伝ったことなんてないから知らんのだろうけど、こちらが手伝える杖のレベルの場合、手伝いとか申し出たらだいたい半々の確立でひどく恐縮されたり遠慮されたりもするもんなんだが? つまり先方は先方でひどく気を使われたりするわけなんだが?

  107. 水原文人 Says:

    ここも机上の空論独善屋の無知鈍感無神経の極みなんで、一応指摘

    >たとえば東京は実は丘陵地が多くて、中央線以北の古い町並みには階段でしか移動できないところがゴマンとあるの。

    …っていう地域に限って、その街にずっと愛着をお持ちのご老人が、足が不自由でも毎日階段を上り下りしないと生活できないその場所に住んでおいでだったりするんだが? で、私道だったりしたら自治体がバリアフリー化の資金を出すわけではないし、そもそもそのスペースがないし、そうした町並みを壊すことになる工事を当のご老人たちが嫌がられたりすることもあるんだが? たとえばこんなのも「便利」「不便」と「幸福」「不幸」の決定的な違いだったりするわけだが?

    自己陶酔はやめて少しは現実を見て、当事者の視点で考えてみたら?

  108. 水原文人 Says:

    >>なんて評価はそもそもできるはずがない(「ロマンチックに」も「美化」も、演出に関わる問題であって、まして脚本そのものを読んだわけでもない人には判断できるはずがない)、と言うだけなんですが? 
    >
    >[脚本そのものを読んだ]のであれば、別に観ないで論評(一般論だぞ)してもよいということでいいですね?

    おひおひ、いつになったら日本語読めるようになるんだ?(爆笑)。

    「「ロマンチックに」も「美化」も、演出に関わる問題であって、まして脚本そのものを読んだわけでもない」

    どうやったらこれが「[脚本そのものを読んだ]のであれば、別に観ないで論評してもよい」と読めるんだ?ついに発狂したのか??

    なおかつ、

    その1。そもそも「(一般論だぞ)」もなにも、一般論なんてあなたの都合に合わせてやる必要が何処にあるんだ?(これ何度目だ?)

    その2。脚本を読んだだけであなたが何を感じようがあなたの勝手(これは2回目か3回目)。

    その3。ただし脚本を読む訓練と能力がなければ、そもそも「論評」できるほどには読めません。脚本は内部資料のテクニカルな文書で、特殊な書式で書かれているし、そもそも出来のいい脚本ほど演出の解釈に向けて開かれているから(これは一応、新ネタ)

    その4。どっちにしろ脚本だけでは、演出は分からない。(これ何度目だ?)

    ホント、少しは冷静になったら?

    ついでに無自覚な差別主義者横山様の、ご自身の独裁独善掲示板における妄言。

    >【Aさん、あなた自分のことを同性愛者って言わない方がいいよ。ほかの同性愛者が迷惑するから。】
    >
    > 何故これが「差別発言」なのか説明して頂きたい。

    http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_plain?range=1&base=2865

    なんで同性愛者であるというだけで、こんなバカなことを言う自己満足似非市民運動系の自我が未成熟なワガママ女(ちなみに、これを実際に発言した実在の人物)のお気に入りのペットかなにかに貶められなければならないんだ?(爆笑)それが差別でなくてなんだって言うんだ??

    ホモであるだけで「いい人」でなければならないなんて、それだけで十分な差別になるんだが? 性格がよかろうが悪かろうが、そんなのはホモである個々人の勝手。なんでヘテロなら性格悪かろうが自我が未成熟なワガママ父権制かしづき女の気に入られようが気に入られまいが、ヘテロ全体の「迷惑」になぞならないのに、ホモであれば「迷惑」であるなんて言われなきゃいけないわけ?

    そんなことも分からんで差別がどーたらとか言ってるのかおまいは?

  109. 水原文人 Says:

    Macskaさんへ、

    いかにどこぞのバカの偽善に虫酸が走って腹が立ってるとはいえ、ちょっと乱暴な言葉連発ですみませんm(_ _)m。

  110. GBG Says:

    1.(99水原君の投稿について一言)

    (Celineさん)
    >> 「説得力を持つのか」どうかについては、実際に私のように、『映画』を観ずプロットだけを知ることによって『映画』を批判した障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じた人間がいるわけですし、

    (水原君)
    >「障害者」にセンチメンタルな思い入れだけはある人なら、そうでしょうね。というよりGBGのことでしたら単なる私怨ですから、気にしないで下さい(笑)。
    >詳しくはこちら

    <以下リンク省略。『印象操作』ではありません。水原君、よろしく(爆)>

    ハァ〜〜? どうしてここで私GBGが出てくるのかね? とりあえずいかなる解釈の余地があるのか考えてみた。

    「『映画』を批判した障害者」は、私自身が障害者であるかどうかはここでもどこでも言明していないので、該当しない。(水原君なら「障害者じゃない証拠を出さないということはかな〜リ怪しい」みたいなことを言いかねないが)

    おなじく、仮に私が障害者で、「『映画』を観ずプロットだけを知ることによって『映画』を批判した障害者」と解釈したとしても、私はすでにこの映画を観てしまった(水原君は信じたくないみたいだが 爆)ので、該当しない。
    (まあ以上2点の解釈の余地は低いんだが念の為)

    「『映画』を観ずプロットだけを知ることによって(『映画』を批判した)障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じた人間」と解釈しても、映画についての印象を私が書いたのは「観た後」なので該当しないし、そもそもCelineさんが、「実際に私のように、」と言及している以上、ことさら「GBGのこと」を「気にし」て書いているはずがない。

    そう、ここでは、Celineさんが『ご自身を実例として』、「共感」=「(多かれ少なかれ)説得力を持つと感じた」人間がいるので、水原君が”「説得力を持たない」という客観的な根拠、論拠をもっと示してくれ”とお願いされているという構図である。それすら分からないほど頭が悪い人間だとも思えないのだが、とぼけているのだろうか?

    で、なんで私GBGを引き合いに出す必要があるの? 「単なる私怨」で「気にし」てるのはアンタ一人だ(爆)
    ヤダヤダ、実際に映画を観た人間がいることが「気に」なってしょうがないんでしょうかね。【自分こそ見ていない】もんだから??
    (「プロの映画評論家のくせに、実際の映画を観もしないで、素人に噛み付いているバカ」がいるんだね、って私の知人があきれておりました。以上、ご報告までに)

    さて、
    私GBGに言及する部分を除いて交通整理すると、

    >(Celineさん)実際に私のように、障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じた人間がいる
    というコメントに対し、

    >(水原君)「障害者」にセンチメンタルな思い入れだけはある人なら、そう(=共感する)でしょうね。
    と答えている。
    そして、「Celineさんも、あなたの言う”「障害者」にセンチメンタルな思い入れ「だけ」(←ここも重要!)はある人”の一人である。」と水原君は考えている。

    ということになります。
    そう受け止められてもしょうがないことを君は書いているわけだが、その解釈でよろしいか?

    何の脈絡もなかったにせよ、わざわざ私の名前が引き合いに出された以上、それぐらい要求してもいいでしょう。それに答えるのが「パブリック」な言論人(腹イタタ、、)でしょう。返答をお待ちしております。

    2.
    以上とはまったく別な話題だが、素朴な疑問がある。横山さんが君に69でした質問を君は見事にスルーしているわけだが、答えていただけないだろうか。

    >>なんて評価はそもそもできるはずがない(「ロマンチックに」も「美化」も、演出に関わる問題であって、まして脚本そのものを読んだわけでもない人には判断できるはずがない)、と言うだけなんですが? (57 水原君)

    >[脚本そのものを読んだ]のであれば、別に観ないで論評(一般論だぞ)してもよいということでいいですね? 最初から私は、(突き詰めれば)こういう主張しかしていないのだけど。
    >錯乱しているのか何なのか、いつのまにか水原さんは相手の主張に与してしまっている。大丈夫なのか…。(69 横山さん)

    散々Macskaさんを、「観てもいない映画をあれこれ評価するのは傲慢」と言い放った君だ。「パブリック」な責任を果たしてもらおうじゃないか。

    君の名言を80から再録して終わる。

    >書くことの自由というのは、当然ながらその書いたことについて批判され得る責任とセットになっているのが言論なわけですから。そこで無根拠に他人の批判を書けばそれは「誹謗中傷」であり、度が過ぎて実害が伴うようであれば「名誉毀損」にすらなるわけです。

    隗より始めよ。

  111. GBG Says:

    入れ違いで69への「回答拒否の回答」?があったが、
    >その1。そもそも「(一般論だぞ)」もなにも、一般論なんてあなたの都合に合わせてやる必要が何処にあるんだ?

    横山さんの都合って問題ではなく、「パブリック」に対して開かれた回答があなたに求められているんじゃないですか。
    あなたの主張の原則が「ダブルスタンダード」に見えるので、そのスタンダードを明確にしてくださいって話だけですよ。
    それが「パブリック」な議論の前提なんですよ。

    というのは、あなたの原則論としてはじめに、
    「観てもいない映画をあれこれ評価するのは傲慢」
    というのがあって、Macskaさんを批判してきたわけでしょ。

    なのに、君自身が後で書いた箇所で、それと論理的な矛盾がある(ように解釈できる)から、説明してってだけの話でしょ。

    「脚本そのものを読んだわけでもない人には判断できるはずがない」
    これの対偶の命題は「判断できるのは脚本そのものを読んだことのある人だ」ってことになるわけです。
    (もちろん、それ以外に「映画を観た人」は当然入るんで、本来は「映画を観たわけでもなく、さらに脚本そのものも読んだことが、、、」と書くべきでしょうが、それは今までの流れから分かるのでべつにいいです。まさか「映画は観たけど脚本は読んでない人」は想定されていないでしょうから。)

    簡単な質問なんですよ。

    水原君の信じるor考える一般論としては、「判断できる」のは
    1.映画を実際に観た人のみで、脚本を見ただけで映画は観ていない人は入らない。
    2.映画を実際に観た人か、あるいは、脚本を見ただけで映画は観ていない人のみ。

    どっちなのですか?

    それと、
    >>【Aさん、あなた自分のことを同性愛者って言わない方がいいよ。ほかの同性愛者が迷惑するから。】
    >
    > 何故これが「差別発言」なのか説明して頂きたい。

    これは、「別板」の話なんですから当該板でされてはいかがでしょう?(爆) できない理由なんてないんですから。

    それと、どうしても「引用」したいというのなら、せめてその前後も入れないと極端な印象操作になりますよ。(つうか、印象操作っていう難しい単語を使う以前に、ただ気に食わないフレーズが出てきたとたんに頭に血が上って冷静な議論ができないってだけの話なのかな、、、)

    >ところで、いい機会だから[「差別」を論じ]合いたいと思う。
    >別途以下の論点を提起する。建築屋さんとのやり取りの中でもちょっと出てきてるしね。
    (以上が、水原君が「引用」した横山さんのコメント部分の直前。この次が水原君の「引用」部分。)
    >
    >【Aさん、あなた自分のことを同性愛者って言わない方がいいよ。ほかの同性愛者が迷惑するから。】
    >
    >何故これが「差別発言」なのか説明して頂きたい。

    (以上が水原君が「引用」した部分。以下がそれに直接つながる部分)

    >例の一文に比して、これが差別発言であるとは私には思えない。
    >誤解無きよう付言すれば、この発言に問題が無いと言うつもりは一切ない。例の一文が差別的でないと水原さんは言うわけで、なら何故この発言は>差別発言になるのか、その間の整合性を私は疑っている。
    >というわけで、よろしく。逃げないでね(笑)。

    で、この問にあなたは逃げてしまって、「アク禁かけられた」との無根拠の放言を繰り返し、何のつもりかここでいちゃもんを繰り返しているわけです。

    (注:「例の一文」とは、これまた別板の、水原君の
    「限りなく精神障害予備軍に近づいておいでなのに対して、憐憫を禁じ得ませんな」
    です。以下参考)
    http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=29614&range=1
    http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_plain?base=2805&range=1
    http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_plain?base=2828&range=1
    http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_plain?base=2832&range=1

  112. 水原文人 Says:

    > ハァ〜〜? どうしてここで私GBGが出てくるのかね? とりあえずいかなる解釈の余地があるのか考えてみた。

    celineさんが挙げているケースにたまたま該当するからに決まってますが、なに自意識過剰になってるん? 限りなく精神障害予備軍に近づいておいでなのにまるで自覚できてない模様で、実にお気の毒ですねぇ。

    >>誤解無きよう付言すれば、この発言に問題が無いと言うつもりは一切ない。例の一文が差別的でないと水原さんは言うわけで、なら何故この発言は>差別発言になるのか、その間の整合性を私は疑っている。

    「同性愛」の属性に、野崎優子のペットであることなど含まれないからに決まってますね(爆笑)。限りなく精神障害予備軍に近づいておいでなのにまるで自覚できてない模様で、実にお気の毒です。いい精神科医をご紹介しましょうか?

    >というのは、あなたの原則論としてはじめに、
    >「観てもいない映画をあれこれ評価するのは傲慢」
    > というのがあって、Macskaさんを批判してきたわけでしょ。

    あのぉ…、80番をあと100回ぐらい読み直してみれば?

  113. 水原文人 Says:

    > いい精神科医をご紹介しましょうか?

    つーか、アホ横山様といいGBG様といい、とりあえず精神分析くらいは受けてみた方がよさそうですね。『問答有用』でとっくの昔に結論が出ている話をぐだぐだと他人を排除する自己中心独善独裁掲示板で続け(反論があるならなぜその場に書き込まないんだ?)、しょうがないから当の本人が書き込んでやったら妄言オンパレードの挙げ句アク禁(現に書き込めなかったんだから、説明責任はあなたのご主人様にあることは何度もあなたに説明済み、で彼は一度もその責任を果たしてない。で、「横山さんの言うことこそ絶対だ」と言わんばかりの発言を批判されて一度もまともに反論できた試しはないことはhttp://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plainを読めば一目瞭然ね)。

    いいかげん繰り返しも鬱陶しいんだが、「あなた本格的に発狂してるんじゃない?」「倒錯」「気が狂ってるんじゃない?」などなどは全部、意味するところは「精神障害」という語と同じね。というか、「発狂」「狂ってる」「倒錯」「気違い」などなどが「差別的」とされる、元々は日本独特の風土(90年代にアメリカに多少波及したが)「言葉狩り・言い換え」のなかで最初は「精神病」、それも「病」じゃちとまずいんで「精神障害」と言い換えられて来たのが、「精神障害」が一般語彙に定着していったことに関する日本社会全般の理解なわけね。問答で騒いだ人々はその表層的に語彙の違いだけであるのに、前者には反応せず、後者にはなぜか反応したわけ。それこそ「精神障害」を忌避し隠蔽し差別する社会的心理の表出の典型なわけやな。

    意味するところが同じなのになんでその語彙の魔力だけがかくも肥大するわけ? ってわけで、バルト大先生がご存命だったら「表象の帝国」のパート2のためにネタを進呈したいほど。

    まあGBGさんは精神分析も必要かもしれんが、その前にまず自分の頭があまりよくないことは自覚した方がいいよ。

    しかしお二人そろってループが好きだねぇ…

  114. 水原文人 Says:

    > いいかげん繰り返しも鬱陶しいんだが、「あなた本格的に発狂してるんじゃない?」「倒錯」「気が狂ってるんじゃない?」などなどは全部、意味するところは「精神障害」という語と同じね。というか、「発狂」「狂ってる」「倒錯」「気違い」などなどが「差別的」とされる、元々は日本独特の風土(90年代にアメリカに多少波及したが)「言葉狩り・言い換え」のなかで最初は「精神病」、それも「病」じゃちとまずいんで「精神障害」と言い換えられて来たのが、「精神障害」が一般語彙に定着していったことに関する日本社会全般の理解なわけね。問答で騒いだ人々はその表層的に語彙の違いだけであるのに、前者には反応せず、後者にはなぜか反応したわけ。それこそ「精神障害」を忌避し隠蔽し差別する社会的心理の表出の典型なわけやな。

    そうそう、「自己投影」も「精神障害」に総称される問題のひとつね。あんたやって使うとるやん。ならあんたも横山様も、パラノイア患者を差別しとるわけか? そうとはならんだろ?

    少しは学習能力というものをきちんと作用させてはいかがでしょうか?

  115. 水原文人 Says:

    > 横山さんの都合って問題ではなく、「パブリック」に対して開かれた回答があなたに求められているんじゃないですか。

    なんで私が言ってもいないことが文脈上明白なことを横山様が勝手に曲解誤読した、かつ80番でその誤読曲解のメカニズムについての推論まで私がわざわざ提示していることに関して、私に回答する責任が生じるねん?

    つーか、

    >「パブリック」に対して開かれた回答

    って何語? ここがパブリックに向けて開かれたインターネット上である以上、ここに書かれたことはすべて自動的にパブリックに対して開かれたことになるんだが?

    ホント、GBG様のバヤイ、日本語のネット掲示板デビューはもう少しお勉強して、日本語がちゃんと読めるようになってからの方がいいと思うよ。

  116. 水原文人 Says:

    そうそう、アホ横山様やその忠犬としての行動に無自覚なGBG様がここで騒げば騒ぐほど、横山様主催の独善独裁掲示板から私が「遁走した」なんて幻想がガタガタ崩れ落ちる可能性が高いことに、そろそろ気づかないものですかねぇ? で、現に書き込めなかったからアク禁になったと判断しただけ。なんで他人の投稿をまったく読解できてないことが明白なあんな破綻した論理に罵倒語を上乗せして(ちなみに、「精神障害」と同じことを意味することになる語も多数乱発)ゲイ差別まで連発してるような不愉快な奴に対して、メールとか「移行板」とやらでわざわざ問い合わせてやらねばならんのだ?(苦笑)。

    自我が未成熟なくせに極度に肥大した自己中の自己陶酔ってのは、ホント疲れますね。そうそう、むろん自分の発言のおかしさを問いつめられた瞬間に、それまで私に媚を売っていたのが「あなた自分のことを同性愛者って言わない方がいいよ。ほかの同性愛者が迷惑するから」なんて喚き出したさる女性も同様ね。

    ほんと、精神分析くらい一度受けたら?

  117. celine Says:

    > 水原さん

    >>> ドレイク評の犬の死への言及を読むと、その部分もマギーの死を望む理由として相当にありそうなんですが? 

    >> その「相当にありそうな」という点をもう少し具体的に説明していただけませんか。

    > すでに68番に書いてありますんで、そちらを読んで頂けませんか?

    水原さんが言いたいのは↓この部分だと思われますが、これはドレイク批評の深読み(もしくは誤読)だと思いますね。

    ———————————————————————
    ドレイク氏は「Maggie asks Frankie to do what her dad did for the dog」って言う形で彼女がフランキーに自分を死なせる「手助け」を頼むことまでちゃんと書いていて、その犬の死がいわゆる「安楽死」というよりは「It’s pretty likely Dad’s motivation in killing the dog was that he couldn’t count on anyone to care for it after he couldn’t do it himself any more」だったこともちゃんと指摘してるのに…。
    ———————————————————————

    マギーの父が犬を死なせたのは「there is no suggestion that the dog was suffering or wanted to die」とあるように「安楽死」ではなく、「he couldn’t count on anyone to care for it after he couldn’t do it himself any more」という父の「思い、動機」から生じたものではないかとドレイク氏は書いていますが、しかしこれはあくまでも「安楽死」のプロットを否定した後のドレイク氏の犬を殺した父の動機推察です。しかしそれが、マギーが父のその「思い、動機」を理解しており、それをフランキーに語るということが映画のプロットになっているという説明ではありません。水原さんはそのようなプロットを是体にしているようですが、それはどこを見ても書かれていません。
    (もちろん、明確なことは映画を観ないとなんとも言えませんが・・・。また、観てもはっきりしない場合もあるでしょうけど)

    仮に、そのようなプロット立てで作られているいるとしても、水原さんが言われるような、マギーの死の経緯とthousandさんが紹介されていたような重度障害の息子の命を母親が絶った「事件」を同じ「展開」である、同質であるということにはならないでしょう。

    >> それに、水原さんがここでこれまで書いていたこともその線に沿ったものだと私は理解しておりましたが。

    > ドレイク評を読んだら、どうもそう解釈するのはバカ単純すぎるらしいことに気づいたわけですが。

    水原さんのドレイク評にある深読み、誤読については上の通り。

    >> ですから、その重要なディテールを捉える材料に乏しい(映画も観ていない、「事件」の詳細も知らない)からこそ、

    >>> 映画のストーリーとダブらせて「『ミリオンダラー・ベイビー』の展開そのもの」だなんて、とてもそんなに簡単には言えないと思います。

    >> と書いたのです。

    > 表層的に入手できる限りの情報では、基本的に同じ構図だと言うことです。

    動機や心理の基本的なところで大きく異なる可能性が充分ありますので、「同じ構図」というのは早計です。
    「同じ構図」と仰るなら、どのように同じなのか、死ぬ側、「殺す」側の心理や動機を解説していただけませんか。その上で、どう違って何が問題になるのかを説明させていただきたいと思いますが、いかがでしよう。

    >> 他者が〔「自殺」と見る〕ことが水原さんにとっては「価値観の押しつけ」になるのですか?

    > 「尊厳死」と「自殺」を区分けして、「尊厳死」ならば許されるみたいな文脈では、そうです。本人にとっては自分の尊厳を守るために自殺するわけですから、「尊厳死」と呼んでなんの問題があるんでしょうか?

    私の書いたことをもう一度よくお読みいただけませんか。
    「『自殺』は許されないが、『尊厳死』ならば許される」などとは書いておりません。生き方、死に方を決めるのは最終的には本人自身ですから、自らの死に方を「尊厳ある死である」と表明するのは全く個人の自由でしょうし、と同時に他者の死に方、死に様をどう見るかということもこれまた個々人の内心の自由でしょう。私が言いたかったのは、共感を求めて社会的コンセンサスを得られるものとしての「尊厳死」という時には、いかなる「死」も無条件にそれに当てはめられるものではないでしょうということです。

    >> 死に行く本人にとっては「分類」など意味を持たないというのであれば、「価値観の押しつけ」にも感じないということになると思いますけど。

    > 本人が「感じなければいい」という問題なんでしょうか? ならば尊厳死の権利を勝ち取る男の実話を映画化してそれがなにが問題なのかよく分からなくなりますが。

    「感じなければいい」ということではなくて、

    >>> 「死」が社会によってどう分類されるかが、果たしてその個人個人にとってどれほどの意味を持つのでしょうか?

    などと、あなたが「自殺」と「尊厳死」といった「分類」が個人個人にとっては意味がないかのように書かれたので、その論理にしたがえば、死に行く本人にとっては、「価値観の押しつけ」(つまり何らかの「分類」を当てはめること)は、本人にとって、すでに意味のない、感じないものになっているのではないかと書いのです。

    >> 「単にセンチメンタルなプロパガンダの論理」って、お言葉ですが、私には単に上滑りする修辞句を並べたものにしか読めないのですが・・・。

    > 事実の分析に基づかないで感情だけで批判するのは「単にセンチメンタルなプロパガンダの論理」と言われておしまいですが、なにか?

    そうですか、水原さんはここまで「事実の分析」「だけ」にもとづいて批判しており、相手は「感情だけで」批判してきたと言いたいのですね。相手の批判には事実はない、自分の批判は全て事実に基づくと・・・。
    まあ、何とも凄い物言いですね(笑)。

    >> 「責任ある言論とはみなされない」とはどのようなことを根拠に述べられているのか、今一度要点を上げて示していただけますか。

    > 「別にそんなこと言ってませんがなにか?」と反問されておしまいになったり、エバートみたいなおっさんに「これは大人の映画だからね〜(まあチミはガキだから分からないんだね〜)」とイヤミをぶち噛まされたら逆ギレする以外に能がなくなるからだと思いますが?

    「別にそんなこと言ってませんがなにか?」は私も水原さんに発したい言葉ですけど、今回は。
    根拠をお聞きしたかったのですが、全然、その体をなしておりません、・・・期待はずれでした。

    >> 「説得力を持つのか」どうかについては、実際に私のように、『映画』を観ずプロットだけを知ることによって『映画』を批判した障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じた人間がいるわけですし、

    > 「障害者」にセンチメンタルな思い入れだけはある人なら、そうでしょうね。というよりGBGのことでしたら単なる私怨ですから、気にしないで下さい(笑)。

    どうしてここで私の発言に託けてGBGを引き合いに出され、「気にしないで下さい」となるのか分かりません。
    ご本人からも批判が出ていますが、水原さんがここでGBGさんを引き合いに出された論理的必要性は全くないのですから、全く感情的なものとしか解釈できません。

    > 詳しくはこちら

    > http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?range=100&base=12800
    > http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?range=100&base=12900

    このBBSのタイトルには『私怨を晴らすために嘘八百を垂れ流して自分を慰める終末処理場』とありますが、中身をちらっと見るだけでも罵倒、侮蔑語、卑猥語でいっぱいという感じですね。
    にもかかわらず、ここは「事実の分析に基づ」く批判の場なんでしょうね(笑)。

    >> 障害があるかないかの区分けは「福祉行政上の便宜」って、何を仰ろうとしているのかよく分かりませんが、解釈によってはかなりの暴論に聞こえてしまうのですが・・・

    > どういう解釈ですか?

    「障害をもった人には福祉行政上の便宜をはかる」なら理解できるんです(例えば足が不自由な人には車椅子を用意するとか)が、「障害の有無の区分けは福祉行政上の便宜」って、まず日本語としての意味が取りづらいのですね。「障害の有無の判断は福祉行政が便宜的にやっている」とも受け取れちゃうんですが、そうすると行政の障害に対する恣意的判断はOKとの意味も受け取れちゃうということですね。

    >> 失明して視覚障害者になった映画評論家が自死を決意したりするのは、他者や社会との関わりを絶ってしまうという点では、人間のあり方、つまりその生き方を大きく「変える」ことになるのではないでしょうか。

    > 誰の話ですか? 映画評論家であれば文芸評論などに切り替えることはけっこう可能だと思いますが。私がそうであればそうしますけど?

    水原さんご自身が語っておられたことに沿って書いておりました。
    「もし、失明したら生き甲斐としての職業(映画評論や映像作り?)が成就できないから生きる意味が無くなる。だから死を決意するだろう」という主旨のことを書かれており、それが私にはちょっとインパクトありましたので。
    でも、死を決意するんじゃなくて「文芸評論」に切り替えることにしたんですか。

    >> 障害を負って物ごとの見方や人との関わりあい方が「変る」という人は少なくないと思います。

    > 障害を負うまでもなく、人間は日々周囲の環境に影響を受けて変わり続けるものだと思いますが? わざわざ「障害者」を特化することもないと思いますが。

    障害を負うということによって特に見えてくるもの、物ごとの見方や人との関わりあい方が特に「変る」部分があるのではという主旨です。例えれば、子供を持って親の気持ちが実感として分かるというようなことでしょうか。

    >> あの、「遺族」って私の書いた主旨を大きく取り違えていませんか?私の文章をもう一度よく読んでいただけませんか。

    > 尊厳死を描くのだとしたら、当のご本人は亡くなっているのではありませんか? ちなみに尊厳死の直前にお話をうかがうのであれば、相手の体調などに配慮するのは当然のことであります。

    やっぱり元の文意を掴んでいただいていないようですね。

    ———————————————————————-
    仮に、同映画の監督であるクリント・イーストウッドもしくは製作者や脚本家、演じる俳優達の愛する家族の一員に人工呼吸器を装着しながらも家族に囲まれてそれなりに充実した生を送っているALSの患者がいたとしましょう。そのようなバックグランドをもった映画関係者がはたして「ミリオンダラー・ベイビー」のようなプロットの映画製作に参加しようとする(自身の意思として参加できる)でしょうか?
    ———————————————————————-

    この質問からどうして「当人の遺族」という言葉が出てくるのでしょう。

    >> 上記の「変わる」ということで示されるような、健常者の日常ではなかなか見えない、障害を経験したり、彼らと間近に共生して見えてくるものとしての、障害と他者・社会との関わり、そのあり様が『ミリオンダラー・ベイビー』という映画では見えてこない、映画のメインテーマ、モチーフをそこに置いていないのは理解できるとしても、製作側にはそれがなかなか見えていないのでは?という疑問を投げかけたのです。

    > まあ、「障害」だけを特化して神聖化すれば、そういうふうにも見えるものなのかも知れませんね。たとえば泥沼の離婚騒動なんかでも人間は変わるものなんですが(ソンドラ・ロックとの泥沼法廷闘争を経て、イーストウッドの作風はずいぶん変わったりしてるわけですが)。
    > 黒木和雄監督は、『父と暮らせば』の宮沢りえの圧倒的な名演について、「貴乃花との婚約破棄だとか、スキャンダルで大変だったことをすべて肥やしにしておられる、素晴らしい女優です」と絶賛しておいででしたが。

    障害が今回の映画の主要なモチーフでないのは分かりますが、クライマックスの部分でそれが扱われているわけですから、その部分についての人間描写には観客の目が大きく注がれると思いますね。
    文意が伝わらなかったようなので申し上げておきますが、監督の作風や俳優の演技力を問題にしたカキコではありません。

    >> あちゃ〜、私はすっかり水原さんが実際に映画を観た上でmacskaさんを批判しているものだとばかり思っていました。

    > あなたが他人が明記していることを読みもせずに妄想を膨らませていたとしても、私の責任ではありません。たとえば私がちゃんと明記しているのに、「私はすっかり水原さんが実際に映画を観た上でmacskaさんを批判しているものだとばかり思っていました」なんて卑劣な印象操作をしたりするようなことを「単にセンチメンタルなプロパガンダの論理」と言ったりするわけなのですね。

    「水原さんの書き込みは実際に映画を観た上でのものだと思った」のは確かに私の推測に過ぎませんでした。でも、「卑劣な印象操作」をするために書いたのではありませんよ。映画評論が職業だと知ったこともあって尚更強くそう思っていたのですから。

    「明記している」とありますが、一連のコメントの中で「私は未だ映画を観ていない」とはっきり明言されていたということでしょうか。そうであれば見落とした私が失礼な言い方をしたということになりますので、そのところを教えてください。その上でちゃんと謝罪したいと思います。

  118. 水原文人 Says:

    >しかしそれが、マギーが父のその「思い、動機」を理解しており、それをフランキーに語るということが映画のプロットになっているという説明ではありません。

    あの…。マギーってそんなにバカなんですか…。彼女が「父が犬にしたのと同じこと」をしてくれって頼むんだと、ドレイク評には書いてあるんですが…。で、その思い出話自体がマギーの回想であるらしいんですが…

    >しかしそれが、マギーが父のその「思い、動機」を理解しており、それをフランキーに語るということが映画のプロットになっているという説明ではありません。

    見ても鵜呑みの先行情報の色眼鏡でなにも見えない典型であります。つまり「『映画』を観ずプロットだけを知ることによって『映画』を批判した障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じた人間がいるわけ」でしたら、見てもその先行情報だけで実はなんにも見られないバカがいるということです。

    >でも、死を決意するんじゃなくて「文芸評論」に切り替えることにしたんですか。

    いいえ、日本語読めないんですか? 

    「誰の話ですか?」「私がそうであれば」

    と書いてあるからには、どう考えたって仮定の話にしかなりませんが? ちなみに「失明」であれば「私がそうなったら」がフツーの日本語です。

    >> 障害を負うまでもなく、人間は日々周囲の環境に影響を受けて変わり続けるものだと思いますが? わざわざ「障害者」を特化することもないと思いますが。

    >障害を負うということによって特に見えてくるもの、物ごとの見方や人との関わりあい方が特に「変る」部分があるのではという主旨です。例えれば、子供を持って親の気持ちが実感として分かるというようなことでしょうか。

    だからあなたが「子供を持って」の例を自ら示しておいでのように、そんなのは別に「障害」に特化することではありませんね。それこそ泥沼離婚闘争でも(以下略)。

    >やっぱり元の文意を掴んでいただいていないようですね。

    元々意味不明ですから、意味不明ななりに「当事者」の体験が反映されるよう努力はするものであることを申し上げただけです。

    >仮に、同映画の監督であるクリント・イーストウッドもしくは製作者や脚本家、演じる俳優達の愛する家族の一員に人工呼吸器を装着しながらも家族に囲まれてそれなりに充実した生を送っているALSの患者がいたとしましょう。そのようなバックグランドをもった映画関係者がはたして「ミリオンダラー・ベイビー」のようなプロットの映画製作に参加しようとする(自身の意思として参加できる)でしょうか?

    「監督であるクリント・イーストウッドもしくは製作者や脚本家、演じる俳優達の愛する家族の一員に」であれば、ハナから参加しているわけで、後段の仮定がさっぱり分かりませんし、マギーという人物は別にALSではないのですから、ますますもって意味不明ですね。当然ながらボクサーで、試合では勝ったのに相手の卑劣な行為で全身に障害を負った例がもし原作者のインスピレーションになっていたのだとしたら、それは反映されたでしょうね。原作者はボクシングの世界でずっと働いて来た人らしいですから。

    >障害が今回の映画の主要なモチーフでないのは分かりますが、クライマックスの部分でそれが扱われているわけですから、その部分についての人間描写には観客の目が大きく注がれると思いますね。

    「障害」が扱われているといえばその通りでしょうが、どちらかと言えば不慮の事故(?)で突然人生が変わってしまったことが扱われているというふうに考えた方が、ストーリー構成上は自然ではないでしょうか? 最後の部分だけ切り離されて存在してるわけじゃなし。

    >文意が伝わらなかったようなので申し上げておきますが、監督の作風や俳優の演技力を問題にしたカキコではありません。

    こちらこそ文意が伝わらなかったようですが、映画監督にせよ脚本家にせよ俳優にせよ、リサーチはするものです。むろんモノ作りのリサーチというのは、当事者に聞くと言うだけがリサーチではありませんが。

    >「水原さんの書き込みは実際に映画を観た上でのものだと思った」のは確かに私の推測に過ぎませんでした。でも、「卑劣な印象操作」をするために書いたのではありませんよ。

    でしょうね。わざと厳しく(多少意地悪に)書いたことは認めます。ごめんなさい。ただ結果としてそう受け取られても仕方がない文章になっていますよ、ということです。

    >「明記している」とありますが、一連のコメントの中で「私は未だ映画を観ていない」とはっきり明言されていたということでしょうか。そうであれば見落とした私が失礼な言い方をしたということになりますので、そのところを教えてください。

    この上のどこかにありますよ。自分で探して下さいな。なんでそんなになんでもかんでも他人に押し付けるんですか? そういうのは「甘ったれるな」でおしまいですよ。

    日本では6月公開予定らしく、まだ試写も始まっていません。

    > 映画評論が職業だと知ったこともあって尚更強くそう思っていたのですから。

    ですから批評を書くのも仕事のひとつですが、それだけだったらたぶん失明しても文芸評論とか、あるいは映画史の本を書くこととかはできるんですけど? あまり他人の職業を前提にした先入観に囚われるのは、議論のやり方として得策ではありませんよ。

    >このBBSのタイトルには『私怨を晴らすために嘘八百を垂れ流して自分を慰める終末処理場』とありますが、

    ありゃそこで名指しされてる三名に対するイヤミでしょうね。

    >中身をちらっと見るだけでも罵倒、侮蔑語、卑猥語でいっぱいという感じですね。
    > にもかかわらず、ここは「事実の分析に基づ」く批判の場なんでしょうね(笑)。

    当たり前でしょうね。罵倒だろうがなんだろうが、徹底的にやりあうことで「紛争処理」を目的にしているところなんですから、おためごかしの偽善が通用しない分、より生々しく事実が議論され得るわけです。育ちのよ過ぎる方にはショックでしょうが。

    この掲示板は、「問答有用」や周辺掲示板、ならびに関連2ちゃんねるスレッドなどにおいて、紛争をまきおこした問題について削除なしで議論・論争・観察するために設置されたものです。(中略)要は徹底的に後腐れなくということです。

    と明記されてるでしょう? まあそこにノコノコ顔を出して来たら徹底論破されて「もう眠い」とか言って尻尾を巻いて消えて行ったのがGBGなわけです。

    ちなみに「卑猥語」がどこにあるのかは分かりませんが。ああ(ば)かもめ様ね。あれは晒されていることに無自覚な腐れ団塊の成れの果てですから、テキトーに無視して下さい(笑)。

  119. 水原文人 Says:

    あかん、またblockquoteの終わりを打ち間違えた! Macskaさん、ごめんなさい。

    英文で「天皇制」を説明すると言う地獄の責め苦の企画書執筆に没頭しておりまして(←いいわけ)。

  120. celine Says:

    >>しかしそれが、マギーが父のその「思い、動機」を理解しており、それをフランキーに語るということが映画のプロットになっているという説明ではありません。

    >あの…。マギーってそんなにバカなんですか…。彼女が「父が犬にしたのと同じこと」をしてくれって頼むんだと、ドレイク評には書いてあるんですが…。で、その思い出話自体がマギーの回想であるらしいんですが…

    彼女が〔「父が犬にしたのと同じこと」をしてくれって頼んだ〕のはその通りですが、幼かったマギーが彼女の父親が犬を死なせた動機や心の内まで理解していたというプロット設定にはなっていないというのが、ドレイク評で書かれていることです。と同時にこれは、検索で得た米国の映画評論家の2、3のWeb批評記事や日本語サイトで既に映画をご覧になった方が書いているブログ記事から判断できたことでもあります。
    父親の犬に対する「動機や心の内」を幼心のマギーが理解していたか否かの設定によって、そしてそう理解していたとして、そのことがフランキーに死を依頼する中でマギーの口から何らかの形で語られているかどうかの設定で、観客の彼女の死に対する受け取り方も大きく違ったものになるでしょうということなんですね。それは、あなたが「ディテールが重要」といったこと、そのものになります。
    そしてさらに前回コメントで申し上げたかったポイントは、仮にそのような「ディテール」になっていたとしても

    >> 水原さんが言われるような、マギーの死の経緯とthousandさんが紹介されていたような重度障害の息子の命を母親が絶った「事件」を同じ「展開」である、同質であるということにはならないでしょう。

    ということなのです。プロットを色々を考えてみても、両者の「展開」を同質に捉えるような話ではないとことです。

    ところで実際のところ、水原さんはどこまで正確にその辺のディテールとか脚本的な内容を把握されているのでしょう?

    >見ても鵜呑みの先行情報の色眼鏡でなにも見えない典型であります。つまり「『映画』を観ずプロットだけを知ることによって『映画』を批判した障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じた人間がいるわけ」でしたら、見てもその先行情報だけで実はなんにも見られないバカがいるということです。

    何をおっしゃりたいのか、よく分からない日本語になっているので、意見の述べようがありません。

    >>でも、死を決意するんじゃなくて「文芸評論」に切り替えることにしたんですか。

    >いいえ、日本語読めないんですか? 

    >「誰の話ですか?」「私がそうであれば」

    >と書いてあるからには、どう考えたって仮定の話にしかなりませんが? ちなみに「失明」であれば「私がそうなったら」がフツーの日本語です。

    何かよく飲み込めない書き方ですね。「私がそうであれば」の「そう」は失明することを指すのではなく「職業」を指すのですか。
    まあ、別にこの辺のところは細かく拘る考えはありません。水原さんの発言を受けて同じような設定を一例として描いただけですから。

    >>> 障害を負うまでもなく、人間は日々周囲の環境に影響を受けて変わり続けるものだと思いますが? わざわざ「障害者」を特化することもないと思いますが。

    >>障害を負うということによって特に見えてくるもの、物ごとの見方や人との関わりあい方が特に「変る」部分があるのではという主旨です。例えれば、子供を持って親の気持ちが実感として分かるというようなことでしょうか。

    >だからあなたが「子供を持って」の例を自ら示しておいでのように、そんなのは別に「障害」に特化することではありませんね。それこそ泥沼離婚闘争でも(以下略)。

    ですから、別に「障害」に特化させろと言っているのではありません。
    人が背負う経験それぞれ(子供を持ったり、障害を抱えたり、大切な人に大きく心を傷つけられる失恋を体験するとか)によって、物ごとの見方や人との関わりあい方の「変化」の仕方にも差が出るでしょうから、それぞれの「変化」を捉え、理解し洞察していく上では、それらの経験を一緒くたにはできないでしょうってことです。

    >>やっぱり元の文意を掴んでいただいていないようですね。

    >元々意味不明ですから、意味不明ななりに「当事者」の体験が反映されるよう努力はするものであることを申し上げただけです。

    「意味不明」と思われたなら、はじめにそれを仰ればいいでしょうに。

    >「監督であるクリント・イーストウッドもしくは製作者や脚本家、演じる俳優達の愛する家族の一員に」であれば、ハナから参加しているわけで、後段の仮定がさっぱり分かりませんし、マギーという人物は別にALSではないのですから、ますますもって意味不明ですね。当然ながらボクサーで、試合では勝ったのに相手の卑劣な行為で全身に障害を負った例がもし原作者のインスピレーションになっていたのだとしたら、それは反映されたでしょうね。原作者はボクシングの世界でずっと働いて来た人らしいですから。

    今回の映画を作った製作者側(監督でも俳優でも)の誰かの中に次のような家族背景を抱えた人がいたら、そのひとは映画人として今回のようなプロットの映画を製作していただろうか、参加していただろうか、という問題提起だったのですね。
    その映画人の家族背景というのは、愛する肉親の中にまさにマギーの障害を類推させるようなALS患者がいて、人工呼吸器を着けながら重い障害を抱えながらも彼(彼女)と伴に前向きな生を送っていると想定してみるわけです。
    つまりそれは、「障害の世界から遮断された健常者の製作による健常者のためのある種のエンターティメントとしての映画になっているのではないだろうか」ということへの角度を変えた問いかけでもあったわけなんですね。

    >>「明記している」とありますが、一連のコメントの中で「私は未だ映画を観ていない」とはっきり明言されていたということでしょうか。そうであれば見落とした私が失礼な言い方をしたということになりますので、そのところを教えてください。

    >この上のどこかにありますよ。自分で探して下さいな。なんでそんなになんでもかんでも他人に押し付けるんですか? そういうのは「甘ったれるな」でおしまいですよ。

    「なんでもかんでも他人に押し付けるんですか」ってそんなに何を押しつけたでしょうか?

    探し方が悪いのか私には見つかりませんでした。失礼ですが、本当に明記されたのでしょうか。
    疑いたくはありませんので、どこに書かれたのか教えてくれませんか。

    >>中身をちらっと見るだけでも罵倒、侮蔑語、卑猥語でいっぱいという感じですね。
    >> にもかかわらず、ここは「事実の分析に基づ」く批判の場なんでしょうね(笑)。

    >当たり前でしょうね。罵倒だろうがなんだろうが、徹底的にやりあうことで「紛争処理」を目的にしているところなんですから、おためごかしの偽善が通用しない分、より生々しく事実が議論され得るわけです。育ちのよ過ぎる方にはショックでしょうが。

    罵詈雑言が飛び交う中では建設的な議論は進まないだろうというのが私のスタンスなので、参加は遠慮しておきます^^;

  121. GBG Says:

    >celineさんが挙げているケースにたまたま該当するからに決まってますが、(99)

    水原君が「決まってますが」と書くときは大抵、「全然決まっていない」ことが多いのです。
    具体的に、

    (Celineさん 98)
    >> 「説得力を持つのか」どうかについては、実際に私のように、『映画』を観ずプロットだけを知ることによって『映画』を批判した障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じた人間がいるわけですし、

    のどこが私GBGに該当するのか、明確に答えるように。それから↓の質問にもスルーしないように。

    【Celineさんも、あなたの言う”「障害者」にセンチメンタルな思い入れ「だけ」(←ここも重要!)はある人”の一人である。】

    という意味のことを水原君は書いている。その解釈でよろしいか?

    「アク禁」問題については86の再掲で十分。
    >この場合の水原さんの責任とは、せめて「アク禁にされた」という具体的な根拠を提示することです。しかし水原さんのいうことといったら、「されたからされた」か、「横山ならしかねない」といった類のものです。
    >
    >そう「思う」のは自由だと思います。「思う」だけなら。しかしそれを「パブリックな掲示板やブログ」で書くのはいかがなものでしょう? もちろん、文章としてのクオリティーもお粗末なのではないでしょうかね。

    もうひとつ。これも明言を避けて逃げ回っているが、
    >水原君の信じるor考える一般論としては、「判断できる」のは
    >1.映画を実際に観た人のみで、脚本を見ただけで映画は観ていない人は入らない。
    >2.映画を実際に観た人か、あるいは、脚本を見ただけで映画は観ていない人のみ。
    >
    >どっちなのですか?

    権利として否定していないのは分かりましたから、その観点からのお答えは結構です。「モノ書きとしての知恵と信頼性」の話としてどちらなのですか? 答えてください。

    それと、これは横レスなのですが、
    >>>>失明して視覚障害者になった映画評論家が自死を決意したりするのは、他者や社会との関わりを絶ってしまうという点では、人間のあり方、つまりその生き方を大きく「変える」ことになるのではないでしょうか。(Celineさん 98)

    >>>誰の話ですか? 映画評論家であれば文芸評論などに切り替えることはけっこう可能だと思いますが。私がそうであればそうしますけど?(99 水原君)

    >> 映画評論が職業だと知ったこともあって尚更強くそう思っていたのですから。(114 Celineさん)

    >ですから批評を書くのも仕事のひとつですが、それだけだったらたぶん失明しても文芸評論とか、あるいは映画史の本を書くこととかはできるんですけど? あまり他人の職業を前提にした先入観に囚われるのは、議論のやり方として得策ではありませんよ。(115 水原君)

    「誰の話か」は本筋上どうでもいいはずですが、(本筋は水原君の「なにかの「障害」で「障害者」と分類される結果になったからと言って、その人がその人であること自体はなんにも変わらない」VS Celineさんの「後天的な障害をもつことは、社会を切り離して考えられない存在としての人間のその生き方が「変る」ということを意味する」 これも水原君がわざと論点を拡散している疑いあり)

    水原君あなたはこれまでこういってきているんだが。
    >私は基本的に尊厳死の賛成派で、職業(=「生き甲斐」「生きる意味」)がら、たとえば失明しただけでも死んだほうがいいと自分では思っています。(2/25付記事へのコメント25)

    >前のページにも書きましたが、僕は自分が失明したら自殺する覚悟はしています。それは私の個人的な選択。別に社会に強制されたんでもなんでもない。(9)

    どっちなのさ? 自分の書いたことをさすれたというのなら、素直に認めたら?+「他人の職業を前提にした先入観に囚われる」を謝罪して撤回したら?

    「日本語ができない」のはどっちなのさ?(っていうレベルじゃないかもはや、、、)

  122. 水原文人 Says:

    >のどこが私GBGに該当するのか、明確に答えるように。それから↓の質問にもスルーしないように。

    その延長上として、映画館に座っていても見ていないバカがいるってだけの話ですが?

    >【Celineさんも、あなたの言う”「障害者」にセンチメンタルな思い入れ「だけ」(←ここも重要!)はある人”の一人である。】

    はぁ? どうなんでしょうね? そんなことなんであなたに答えなくてはいけないんですか? また毎度おなじみの、他人が言ってもいないことの決め付けか…。ホント、もう少し日本語勉強したら?

    >本筋は水原君の「なにかの「障害」で「障害者」と分類される結果になったからと言って、その人がその人であること自体はなんにも変わらない」VS Celineさんの「後天的な障害をもつことは、社会を切り離して考えられない存在としての人間のその生き方が「変る」ということを意味する」 これも水原君がわざと論点を拡散している疑いあり

    あほか。別に障害を特化する必要もなく、人間ってのは生きているあいだじゅうに新しい経験で変わって行くと言ってるんだが? で、その継続性が一人の個人であるってだけの、ごく基本的な話なんだが?

    >どっちなのさ? 自分の書いたことをさすれたというのなら、素直に認めたら?+「他人の職業を前提にした先入観に囚われる」を謝罪して撤回したら?

    たぶん君が日本語読めてないだけなんじゃないかな(爆笑)。それはもういろんな意味で。

  123. GBG Says:

    (上の下から3行目「さすれた」は「忘れた」の打ち間違いです。失礼しました。)

    (水原君の105へ)
    【Aさん、あなた自分のことを同性愛者って言わない方がいいよ。ほかの同性愛者が迷惑するから。】との発言ね、私はその当時ROMだったけど、完全にNさんの発言は不適当だと思いましたよ。ただ、

    >ホモであるだけで「いい人」でなければならないなんて、それだけで十分な差別になるんだが?

    そういう問題でもなかろうと。まあ、「同性愛者」だけを特化して神聖化すれば、そういうふうにも見えるものなのかも知れませんね(爆)「同性愛者」のところを例えば「帰国子女」「映画評論家」「クリントイーストウッドファン」などに置き換えたとてその発言の問題性は変わらないでしょう。なぜなら、ステレオタイプの俗情を肯定した上でのオヤジ・オバさん的な凡庸な処世訓でしかないからです。仮にAさんが「いい人」でないとして、Aさんの属する集団の構成員すべてが「いい人でない」ワケではない。「迷惑」というのであれば、その迷惑をかけているのは、ステレオタイプの持ち主のほうである。これが分からない人は、例えば昨年の「(似非)自己責任論」を批判できないでしょうなあ。

    同じく、君の「限りなく精神障害予備軍に近づいておいでなのに対して、憐憫を禁じ得ませんな」へのtaraなんとかの反応にも私は与しないよ。どっちをとれっていえば、この二つの件、どちらも間違いなく君の側に立つのだが。

    横山さんも、http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_plain?base=2832&range=1 においてこう書いているわけで、、、

    >いったん水原さんから離れて考えてみたら?
    >私だって、彼が「精神障害(者)に対して差別心を持っていて、ついうっかりその本音の部分が出てしまった」なんて全然思ってないよ。彼なりの戦略というか、リアクションに対する反駁の論理までちゃんと用意した上でのことでしょう。(現にそうなってるし。で、それが有効に機能しているか否かで言えば、機能していないというのが率直な感想。)
    >ただ、私が上のように思えるのは、日頃の彼の言動なりを彼の投稿によって知ることが出来ている(た)から。もっとも、殆ど斜め読みなのは白状しておきますが。
    >もし初投稿の人がいきなり現れてあの文言を書いたのだとしたら、私には判断なんか出来ません。判断出来ないって言うのはね、「人柄」を加味した上での判断ということね。
    でも、「文脈」上の判断は出来ます。それは今回と全く同じものになります。つまり「差別的発言」であるという判断。
    >当然ですよね、日頃の言動・人柄なんて全く関係無く、その文脈からだけの判断(主観的/笑)なんだから。
    >
    >「文脈、文脈」ってしつこく言うのは要するにそういうことです。少なくとも「誰が書いたか」、「本人の意図」はどうであったかは取りあえず関係ありません。じゃなきゃ発話者との「関係性」によって判断がころころ変わるってことになっちゃうからね。(それでいいってんなら、ちょっとJUNEさんと議論する有用性は認められないです私。)
    >この点だけは理解した上で論を進めてほしいなぁって思います。

    ですから、何が問題であったかってことは、どうか忘れないで頂きたい。ご多忙と察するので同情の余地もあるが、それならしばらく頭を冷やして書かないのもひとつの状況判断(笑)
    別に「敵の敵は味方」風な議論をしているわけではないので、Nさんやtara何とかさんの発言それ自体の批判を私に向けられても「お門違い」なので、そこんとこよろしく。

  124. GBG Says:

    >>【Celineさんも、あなたの言う”「障害者」にセンチメンタルな思い入れ「だけ」(←ここも重要!)はある人”の一人である。】という意味のことを水原君は書いている。その解釈でよろしいか?

    >はぁ? どうなんでしょうね? そんなことなんであなたに答えなくてはいけないんですか? また毎度おなじみの、他人が言ってもいないことの決め付けか…。

    もちろん一言一句【  】の中と同じくは書いていないさ。「〜という意味のことを水原君は書いている。その解釈でよろしいか?」と問うているのである。
    わざととぼけているのかも知れないが、では、改めて質問する。

    (Celineさん 98)
    >> 「説得力を持つのか」どうかについては、実際に私のように、『映画』を観ずプロットだけを知ることによって『映画』を批判した障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じた人間がいるわけですし、

    (水原君 99)
    >「障害者」にセンチメンタルな思い入れだけはある人なら、そうでしょうね。というよりGBGのことでしたら単なる私怨ですから、気にしないで下さい(笑)。

    この「そうでしょうね」の「そう」とは(Celineさんの98)「『映画』を観ずプロットだけを知ることによって『映画』を批判した障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じ」ることではないのかね?

    なら、君の99の発言は
    <「障害者」にセンチメンタルな思い入れだけはある人なら、「『映画』を観ずプロットだけを知ることによって『映画』を批判した障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じ」るでしょうね。>

    という意味になる。
    で、その前にCelineさんが「実際に私のように、」と書いている以上、Celineさんご自身も
    「『映画』を観ずプロットだけを知ることによって『映画』を批判した障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じた人間」の1人なのである。

    なら、【Celineさんも、あなたの言う”「障害者」にセンチメンタルな思い入れ「だけ」(←ここも重要!)はある人”の一人である。】という意味のことを君は書いているとしか解釈のしようがないではないか。

    (「何時何分何秒だよ」とか、「どこにそういう文字が書いてるのさ」といった、小学生レベルの難癖が多すぎだよ、君)

    それと、これにはまだお答えいただいていないんだが。
    >>水原君の信じるor考える一般論としては、「判断できる」のは
    >1.映画を実際に観た人のみで、脚本を見ただけで映画は観ていない人は入らない。
    >2.映画を実際に観た人か、あるいは、脚本を見ただけで映画は観ていない人のみ。

    「モノ書きとしての知恵と信頼性」の話としてどちらなのですか? 答えてください。

  125. 水原文人 Says:

    Celineさん、こんにちは

    > 彼女が〔「父が犬にしたのと同じこと」をしてくれって頼んだ〕のはその通りですが、幼かったマギーが彼女の父親が犬を死なせた動機や心の内まで理解していたというプロット設定にはなっていないというのが、ドレイク評で書かれていることです。

    え? どこに?? どっちにしろ記述はかなり精緻なのに、その解釈がそのディテールから考えるにはずいぶんかけ離れているのがドレイク評の問題点ではあるのですけどね。

    >そのことがフランキーに死を依頼する中でマギーの口から何らかの形で語られているかどうかの設定で、

    どうも双方とも相当に無骨で、なかなか自分の内心を口にしない/できない人物であるようなんですが。まあそこを全部台詞で説明してしまっては、映画としては一般論としては説明的すぎてつまらないでしょう。

    > ということなのです。プロットを色々を考えてみても、両者の「展開」を同質に捉えるような話ではないとことです。

    なぜでしょうか? 犬を殺した父の動機は、ドレイク評ではなんと説明してありますか? あなたがくだんの事件について想像したお母さんの内面と同じことではないでしょうか? 「自分が死んだら面倒見切れないから、死なせる」という。で、どうもフランキーにとってマギーは音信不通の娘に代わる、娘代わりみたいな関係らしいのですが。で、フランキーは相当に歳なのではないですか? (イーストウッド自身が74歳ですが)。

    >今回の映画を作った製作者側(監督でも俳優でも)の誰かの中に次のような家族背景を抱えた人がいたら、そのひとは映画人として今回のようなプロットの映画を製作していただろうか、参加していただろうか、という問題提起だったのですね。

    どうなんでしょう? 見てみてから決めても遅くないのではないですか? イーストウッド自身が「自分が同じ境遇に置かれたとしても同じことはしないことは確かだ」みたいなこと言ってるわけですし、別にそういう生き方を描いているからってそれを肯定しなければ映画にできないわけではないでしょう。そうした生き方はそれで理解することはたぶん必要ですが。
    >何をおっしゃりたいのか、よく分からない日本語になっているので、意見の述べようがありません。

    先入観の色眼鏡に凝り固まっていたら、映画館に座っていてもせいぜいがその色眼鏡の先入観をチェックすることしかせず、映画そのものを見ていない人が世の中にはけっこういる、ということです。たとえば政治的に自分と「敵対する」といったんみなせば、その自分の思い込みに適合するものしか見なくなる人は多いですね。http://macska.org/index.php?p=74の方でちょっと関連する会話が続いていますので、よろしければご覧下さい。

    また、だいたいにおいて自分が忌避したいものは排除します。先に挙げた『ミスティック・リバー』のラストから二番目のショーン・ペンを見逃している人が(アップなのに)けっこういたりするのも好例でして、だいたいにおいて表層的な自己の正しさの再確認のためだけに映画を見に行くような人は、このような複雑性を導入するディテールを見逃しがちですね。

    > 「なんでもかんでも他人に押し付けるんですか」ってそんなに何を押しつけたでしょうか?

    ええ。大変に遺憾ながら、ちょっとそう思いますね。アホ横山氏とその忠犬GBGのせいでちょっとパラノイアが出て来ているのかも知れませんが…

    >探し方が悪いのか私には見つかりませんでした。失礼ですが、本当に明記されたのでしょうか。

    当然書いてあるから、横山氏もそこに気がついたわけなんですが? 

    探し方が足りないのではないでしょうか? ちゃんと読まれてからレスされた方がいいと思いますよ。慌てることはないでしょう。

    > 罵詈雑言が飛び交う中では建設的な議論は進まないだろうというのが私のスタンスなので、参加は遠慮しておきます^^;

    あれはアホ横山氏とかGBGとかの投稿が、たとえばCelineさんや、あるいはMacskaさんご自身と私との対話にとって邪魔になるだろうから彼らに特化して移行を提案しただけです。現に邪魔になってますね(笑)。彼ら相手に膨大な量の無駄な言葉を費やさざるを得なくなった結果、Celineさんがいろいろ見落としされることになりますし、こちらだってついつい彼らを相手にしているときの勢いがCelineさん相手の投稿にも伝染してしまうことがないわけではありませんから。その辺りはあらかじめ、すみません。

    また彼らを相手にしていると、あまりにも基本的であると同時にほとんど言外の言で済ませるべきであるはずの、障害者の方もご覧になっている可能性が高いこの場所では極めて不快な思いをさせてしまうことを書かざるを得なくなりますから(現になりました。101番がそれです)。

    Celineさんがお気になさることはないですから、御心配なく。

  126. 水原文人 Says:

    訂正:

    >『ミスティック・リバー』のラストから二番目のショーン・ペンを見逃している人が

    ラストから二番目のショットであるショーン・ペンのアップのことです。パレードの道路を挟んで、ケヴィン・ベーコンが指でショーン・ペンをピストルで撃つしぐさをして、ショーン・ペンがそれに応じて肩をすくめるところ。

  127. 水原文人 Says:

    追記:

    >「自分が死んだら面倒見切れないから、死なせる」という。で、どうもフランキーにとってマギーは音信不通の娘に代わる、娘代わりみたいな関係らしいのですが。で、フランキーは相当に歳なのではないですか? (イーストウッド自身が74歳ですが)。

    …といってもちろん、深い絆で結ばれた二人の人間の関係が、こんなに安直な言葉で言語化できるわけはありませんが。実際の人生においても、そしてその反映/表象である物語芸術の分野においても。

  128. a thousand Says:

    a thousandです。
    …遅レスで恐縮ですが…。

    celingさん>
    thousandさんがコメント87で書かれた「事件」についてですが、「尊厳死」(事件)と書かれていたり、「安楽死」と記述されていたりと曖昧な形の説明になっておりますね。(中略)もう少し事件内容や背景をしっかり把握されてから紹介、説明されてはいかがでしょうか

    celineさんから、上記の様なご指摘(92番)を受けました。ご指摘の通りだと思います。

    macskaさん>
    「ミリオンダラー・ベイビー」は、あくまで個人的な、そして合理的な結論として「死の選択」を描くことで、一般の障害者たちが社会に「殺されている」現実を隠蔽する方向に働くと、障害者運動は受け止めている。だからこそ、障害者運動はこの映画に対して抗議活動をしているのだ。

    上記のmacskaさんの文章の”社会に「殺されている」現実”というのが、この事件の様な事を指しているのかな。と、思ったのですね。

    ですがcelineさんと水原さんのやり取りを読んで、そもそもこんな曖昧な情報で(87番)、この件はこれに該当するとかあれに該当するとか、判断しようとすること自体軽率なことだったな、と気がつきました。申し訳ありませんでした。

    あと、「尊厳死」「安楽死」についても、よくわかってないまま使用していたのだな、と思いました。
    celineさんが貼付しておられたURLを訪ねて、読ませていただきます。

    重要なご指摘、ありがとうございました。

    あ、あと水原さんの「見てない」発言ですが、14番の最後の方にありますよ。
    水原さん>
    設定を鵜呑みにできるわけも、擁護できるわけもありませんが? あのぉ、私は日本在住で、日本では6月公開予定ですから、まだ試写も始まってません。つまり僕も見てないんですけど。当然他の資料は読んでますけど、基本的にあなたへの批判・反論に用いさせて頂いているのは、あなた自身が引用している資料だけですよ(爆笑)。
    (略)
    Comment by 水原文人 – 2/26/2005 @ 8:04 pm

    この箇所ではないかと思います。

  129. a thousand Says:

    続投すみません、訂正です。

    celingさん>
    →celineさん、でした。すみません。

  130. 水原文人 Says:

    a tahousand さん、

    >この箇所ではないかと思います。

    その箇所です。ども。

  131. 水原文人 Says:

    GBGのアホへの指摘ひとつ忘れとったわ(笑)。

    >「アク禁」問題については86の再掲で十分。

    どこが? やっぱ忠犬ポチは違いますねぇ(笑)。

    >この場合の水原さんの責任とは、せめて「アク禁にされた」という具体的な根拠を提示することです。しかし水原さんのいうことといったら、「されたからされた」か、「横山ならしかねない」といった類のものです。

    現に書き込めなかったんだど何十編言ったら(爆笑)。書き込む権限がないという表示がブラウザに出れば、そりゃアク禁と受け取るのが当たり前だろーが。なんでそんな失礼なことされた上に、わざわざアホ横山様にお伺いなんぞ立てねばならんのだ?

    やっぱ忠犬根性ってのは凄いね。なんでネット掲示板ごときで、そんな服従の地位に自分を置けちゃうのかは謎だけど。

  132. 水原文人 Says:

    ↑つーかこの話題は、すでに

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12700&range=100

    ↑この辺りでGBG君を徹底論破してあげたんだが? なにループしてんの? 「もう寝ます」とか言って遁走したのはどなたでしたっけ?(爆笑)

    ホント、チミってしつこいね。一方でそこでこちらがお尋ねした問いには何も答えずにスルーしたのも忠犬GBG公なんだが、いい加減にしてくれないかなぁ?

    とりあえずこんなのがあるけど?
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12783&range=1
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12784&range=1

    ついでに横山様。
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12770&range=1

  133. 水原文人 Says:

    あれ、またこんなバカ投稿繰り返してたんだ?

    > なら、【Celineさんも、あなたの言う”「障害者」にセンチメンタルな思い入れ「だけ」(←ここも重要!)はある人”の一人である。】という意味のことを君は書いているとしか解釈のしようがないではないか。

    日本語のレトリックを知らないあんたがそう解釈したければすればいいってことでしょうね(爆笑)。そんなこと聞いてどうするの?

    >それと、これにはまだお答えいただいていないんだが。
    >>水原君の信じるor考える一般論としては、「判断できる」のは

    なんで君の決めつけただけで私がぜんぜん言ってない一般論なんぞに私が答えなければいけないんだい? 本格的に発狂してるんじゃないですか?
    80番をあと200回ぐらい読み直せば?

    ホント、自分がどれだけおかしなことやってるのか早く気づけよ。だいたい人に意味不明な質問してる暇あったら、

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12783&range=1
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12784&range=1

    この辺りへのお返事の方が先ではないか? 「滝に打たれて」云々とかナマぬかしたからには、ちゃんと説明してもらわんと困るんだがなぁ?

  134. 水原文人 Says:

    Celineさんに補足

    >別にそういう生き方を描いているからってそれを肯定しなければ映画にできないわけではないでしょう。そうした生き方はそれで理解することはたぶん必要ですが。

    まず客観的な状況としては、90年代にイーストウッドは(かなり突然に)アメリカ映画でもっとも尊敬される監督の一人になりましたから、映画人で彼と仕事がしたい人は多いでしょう。またキャストにもスタッフにも一緒に仕事をしてやり易い監督として、俳優として、プロデューサーとして、それ以前からたいへんに評判がよかった人ですから。

    また別の視点から言えば、別に家族にたとえばALSの人がいるとか、あるいは医療関係者がいるからと言って、「尊厳死」を扱う映画には出ないとかそういう選択を期待すること自体が、僕にはよく分かりません。そうする人もいれば、そうしない人もいるであろうという程度には、たいていは大人なのではないですか? 映画界というのは基本的にリベラルですし他人の自己選択には寛容ですから(そうでなければやってられない)、「尊厳死反対だからやらない」なんてことは、考えにくいと思いますよ。

    一般論として言えば、その家族が「尊厳死」を(家族の圧力その他で)選択しなければならないような状況を作り出さないでいられる人であるほど、自分の選択としてそれをする人のことにも一定の理解を示すのではないかと思いますが。Macskaさんが当初に提出していた議題に戻るなら、社会が「尊厳死」と「尊厳ある生」を当事者(患者本人)が自分で選択できる状況をまだ作り出せていないからと言って、家庭内にその状況を作りだせないわけではないのではないでしょうか? 

    これは蛇足ですが、日本みたいに我々がなにか副業をやってないと食えない状況とは違って、アメリカ映画界はユニオンに入ってしまえばけっこう高給で、裕福です。「尊厳死」に経済的ファクターがどこまで入ってくるかと言えば、一般論ではそんなにはないでしょう。インディーズはまた別ですけど。

    なおイーストウッドが「尊厳死」賛成かどうかはまったく知りませんが、なにしろ90代半ばのお母さんがまだピンピンしてますし、常連美術監督のヘンリー・バムステッドもそろそろ90じゃないか、っていうぐらいお元気な老人が周囲に多いので…どうなんだろう?

  135. 水原文人 Says:

    >「尊厳死反対だからやらない」なんてことは、考えにくいと思いますよ。

    しかも、Macskaさんが使っている資料を読む限り、そうとうにバイアスがかかっているドレイク評以外は、この映画が「尊厳死」を推奨しているとはまったく思えません。他の一定の信頼に足る批評家の評を読めば、ますますもって正邪の判断を観客に任せた、肯定も断罪もしない映画であることが評価の理由の一つであるわけで。『許されざる者』でも『ミスティック・リバー』でも『真夜中のサバナ』でも、あるいは『パーフェクト・ワールド』でも、イーストウッドは元々そういうアンビバレントな結末で観客に自分で考える余地を残す(というか、結末が重すぎて思考停止になりそう…)ことを好むところがありますし。

    つまり、まずご自身が先入観を棄ててご覧になってから考えた方がいいことだと思います、というのがとりあえずの結論。

  136. 水原文人 Says:

    こんなバカなことも書いてるのか。ったく、こちとらそんな暇人じゃないんだが

    >そういう問題でもなかろうと。

    そういう問題でしかありませんが? 

    「Aさん、あなた自分のことを同性愛者って言わない方がいいよ。ほかの同性愛者が迷惑するから。」

    と書いてあるんだが? 貴様日本語読めてるのか? なんでこんなことを言うような奴のペットにならなくちゃいけないんだ?

    >まあ、「同性愛者」だけを特化して神聖化すれば、そういうふうにも見えるものなのかも知れませんね(爆)

    アホか? 「同性愛者」だけを特化して神聖化してるのはどう読んだって「Aさん、あなた自分のことを同性愛者って言わない方がいいよ。ほかの同性愛者が迷惑するから。」と書いたバカの方だろうが? その特化して神聖化されたイメージに反するから「言わない方がいいよ。ほかの同性愛者が迷惑するから」っていう文章だろうが、これは。

    お前本格的な差別主義者だな。なにしろ…

    > なぜなら、ステレオタイプの俗情を肯定した上でのオヤジ・オバさん的な凡庸な処世訓でしかないからです。

    それこそが差別的な発想であることにすら気づいておらんからだ。つまり貴様はまったく無知で鈍感であるが故に差別を容認してるわけだ。

    ホント、一回死んだ方がいいぞ、バカ。

  137. 水原文人 Says:

    >つまり貴様はまったく無知で鈍感であるが故に差別を容認してるわけだ。

    そしてその差別偏見そのものでしかない発言を差別でないなどと抜かしてるんだから、お前は正真正銘な差別主義者であるわけだ。わかったら一回死んでくれ、ホンマ、頼むわ。

    > 仮にAさんが「いい人」でないとして、Aさんの属する集団の構成員すべてが「いい人でない」ワケではない。

    のにも関わらず、お前は「Aさん、あなた自分のことを同性愛者って言わない方がいいよ。ほかの同性愛者が迷惑するから」が差別ではないと言っているんだからな、完全な自己矛盾。貴様の言ってる「ステレオタイプの俗情を肯定」ってのが、まさに性的マイノリティ差別そのものなんだがな。

    >その迷惑をかけているのは、ステレオタイプの持ち主のほうである。これが分からない人は、例えば昨年の「(似非)自己責任論」を批判できないでしょうなあ。

    なのに分かってないバカが、そのステレオタイプに無自覚に染まってるだけならまだ罪は少ないのに、そのステレオタイプを今度は当事者に強要しようとしている「「Aさん、あなた自分のことを同性愛者って言わない方がいいよ。ほかの同性愛者が迷惑するから。」という書いたバカなんだがな。つまり差別そのもの、最悪の差別主義者。なのにお前とかアホ横山はそれを差別ではないとか言ってるんだがな?

    お前、他人の内面にこうやって介入して押しつけをすることが最大級の差別抑圧であることすら理解しとらんのか?

    > ですから、何が問題であったかってことは、どうか忘れないで頂きたい。

    バカ横山がJUNEさんに論破されてただけだが?

  138. GBG Says:

    >書き込む権限がないという表示がブラウザに出れば、そりゃアク禁と受け取るのが当たり前だろーが。

    全然当たり前じゃありません。あなたネット初心者じゃないでしょ。何度もいいますが、サーバーの故障etcさまざまな可能性があり、それらの可能性の1つに掲示板管理者による「アク禁」があるだけです。

    1つのことを証明するには、他の可能性を排除するためのさまざまな手順が必要である。
    それもせずに一方的に「アク禁掛けられた」と決め付けられると信じるあなたは本当におめでたい人です。

    あなたが現時点で主張できるのは「何らかの理由で投稿ができなかった」だけでしょう。
    それにしたって本当に投稿したのか? の疑問が残るわけです。

    移行板にあなたが「書き込めなかったぞこら」と書くことはできたわけです。
    すれば私たちROMからすると「水原さんの投稿を横山さんは排除しているのかも?」と思うでしょう。
    そして横山さんの何らかのレスが期待されます。
    何もしなければ「あ、横山さん逃げてる」との印象を持つでしょうし、何らかのレスがあれば、水原さんの投稿を待つでしょう。
    それでもレスがなければ「水原さん逃げているのかも」と思うだけです。
    しかし例えば多忙とかさまざまな理由もありえる。私もそれを考えた。

    ところが、多忙っていうわけでもなく、他の掲示板やここには書き込みがある。
    しかも、上記の手順を踏まえず一方的に「アク禁」との主張を繰り返す。

    これでどうやって水原君のいっているのを信じろというのかね?

    そういう単純な話なのに、君が強がっているだけなんですよ。

    < 補記>
    私はNさんの発言が差別でないなどとは言っていない。
    差別意識に基づく君への論難であるともちろん思っているよ。
    もう少し冷静になろうね。みっともないから。

  139. 水原文人 Says:

    > 全然当たり前じゃありません。あなたネット初心者じゃないでしょ。何度もいいますが、サーバーの故障etcさまざまな可能性があり、それらの可能性の1つに掲示板管理者による「アク禁」があるだけです。

    はあ? 今までまったくそんな問題を体験したこともありませんし、だいたい「投稿する権限がありません」って出たんですよ?
    なにいつまで忠犬やってるねん。

    だいたいこの続きは、あなたが遁走した問答野暮用でどうぞ(爆笑)。

    何度も同じこと繰り返させるなよ〜。

  140. 水原文人 Says:

    > ところが、多忙っていうわけでもなく、他の掲示板やここには書き込みがある。

    「アク禁だ」と思ったからに決まってるでしょう。なにバカ言ってるの?
    あなたがわざわざ忠犬ポチをやって説明してくれた横山流他者排除の、
    オープンな掲示板運営すらできない人格欠陥ぶりに、わざわざつき合う義務なんざぁわたしにゃございませんが?

    死ぬまで寝言言ってれば?

  141. 水原文人 Says:

    >私はNさんの発言が差別でないなどとは言っていない。
    >差別意識に基づく君への論難であるともちろん思っているよ。

    よく言いますねぇ、

    > まあ、「同性愛者」だけを特化して神聖化すれば、そういうふうにも見えるものなのかも知れませんね(爆)

    とか言ったバカがまあいけしゃあしゃあと舌の根も乾かないうちに。

    132番に答えてからにして下さいね。

    それはそうと、

    >なんで君の決めつけただけで私がぜんぜん言ってない一般論なんぞに私が答えなければいけないんだい? 本格的に発狂してるんじゃないですか?
    80番をあと200回ぐらい読み直せば?

    こちらへの返答と、君が「滝に打たれたらわかる」とかナマぬかしたコレ・・・

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12783&range=1
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12784&range=1

    …への回答は、最低限よろしく。いつまでもスルーしておいてストーカーしないで欲しいんですが? はっきり言って迷惑なんですけど?

    あと

    >どっちなのさ? 自分の書いたことをさすれたというのなら、素直に認めたら?+「他人の職業を前提にした先入観に囚われる」を謝罪して撤回したら?

    たぶん君が日本語読めてないだけなんじゃないかな(爆笑)。それはもういろんな意味で。

    この自分の大間違い、まだ気がつきませんか?(笑)

    >もう少し冷静になろうね。みっともないから。

    そりゃスルーとループと先入観ガチガチの誤読しか能がないGBGクンのことでしょうな(笑)。

  142. GBG Says:

    >「アク禁だ」と思ったからに決まってるでしょう。

    思うのはあなたの自由。しかしそれを「パブリック」な掲示板やブログに乗せた以上説明責任は生じるでしょうね。
    そして、あずかり知らぬところで「アク禁掛けられた」といわれた掲示板管理者に説明責任が生じるというのも無理な相談でしょ。

    >この自分の大間違い、まだ気がつきませんか?(笑)

    もし私が「間違えている」とすれば、君の99番
    >誰の話ですか? 映画評論家であれば文芸評論などに切り替えることはけっこう可能だと思いますが。私がそうであればそうしますけど?

    の最後の文「そうであればそうします」の一番目の「そう」が「映画評論家」、二番目の「そう」が「文芸評論家に切り替える」なんでしょうな。
    あるいは一番目の「そう」が失明することで、二番目の「そう」が「自殺」なんでしょうな。
    (しかし一般的に指示語はその直前の語句を指すので、そのような解釈は非常に厳しい。)

    でも君は「映画評論家」なんでしょ?現に。 であることは周知の事実なので、まさか「私が映画評論家であれば」の意味にはとり難いということです。(他の仕事もしているんでしょうが)
    で、いずれにせよ、君はこれまではっきりと、
    >私は基本的に尊厳死の賛成派で、職業(=「生き甲斐」「生きる意味」)がら、たとえば失明しただけでも死んだほうがいいと自分では思っています。念のため断っておきますがこれはあくまで僕個人が職業柄、目が見えなければ自分が人生を賭けてやるべきだと思っていること…というかそれしかできないんで恐らく自分の存在理由はそこにあるんだろうと思っていることができなくなるから、と言うだけであって、

    と書いているわけであって、「誤解」されるのもやむをえないのでは?

    でも君がそういう意味で書いたと言い張るのなら、この件は落着しましょう。

    ミスリーディングな書き方をした人間がいて、不幸にも書いた意図と逆の意味にとった人間が複数いたというだけの話ですから。
    それを認めていただけるなら、私の、
    >素直に認めたら?+「他人の職業を前提にした先入観に囚われる」を謝罪して撤回したら?
    のほうも謝罪して撤回しますよ。

    (しかしこんなのも、君がはじめから、「私の書き方がうまく伝わっていないようですが、、、」と一歩引けばいいだけの話なのではないかなぁ。ま、これはあくまでも私の考えだから君に押し付けるつもりはないけど)

  143. 水原文人 Says:

    >思うのはあなたの自由。しかしそれを「パブリック」な掲示板やブログに乗せた以上説明責任は生じるでしょうね。

    果たしてますけど? アクセスする「権限がない」と表示されたと、日付まで示して何度も言ってますが? それ以上の説明責任は、アク禁を自分の権利として保有しているとともに、掲示板運営について全責任を負う管理人が負うのが当たり前ですが…ってことを「問答野暮用」でも説明して君は反論できなかったし、ここでも何度も同じこと言ってるんだが、いい加減にしてくれないか?

    > 書いているわけであって、「誤解」されるのもやむをえないのでは?

    そりゃあなたの予断であり先入観に過ぎませんな。「映画評論家」だから「失明したら生きる意味がない」なんてことは一言も言っていませんし、そんな理由もありません。
    つまり他人に対する中途半端な知識で分かったつもりになっているキミがバカなだけ(爆笑)。

    「白鳥の血」なんて本人が公式に自作として認めたくない作品まで引っ張り出して来たご主人様のアホ横山に聞けば? あついは101番読めば多少は蓋然性の高い理由は見つかると思うけど?

    要するに粗雑で、議論するに値しないわけやな。まあGBGってそんなんばっかだけど。

    >ミスリーディングな書き方をした人間がいて、不幸にも書いた意図と逆の意味にとった人間が複数いたというだけの話ですから。

    では誤解した連中はみんな揃って粗雑で、他人について十分な情報も得ず、この場で読める他人の発言を十分にテクストとして検証もせずに決めつけをやってる粗雑で自己中心的な連中である、ってことになるだけでしょう(爆笑)。

    下らん先入観を持つ前に、まず文章なら文章として目の前にあるものをちゃんとよく見ればいいことじゃないですかね? そんなこと他人に関わる議論とかする際には、あまりにも当たり前のことなんですが?

    >「私の書き方がうまく伝わっていないようですが、、、」と一歩引けばいいだけの話なのではないかなぁ。

    そもそも「相手は映画評論家だ」なんて先入観を持ってる方がバカなだけですが?

    >でも君は「映画評論家」なんでしょ?現に。 であることは周知の事実なので、まさか「私が映画評論家であれば」の意味にはとり難いということです。(他の仕事もしているんでしょうが)

    そりゃ副業なんだが?

  144. 水原文人 Says:

    で、http://macska.org/index.php?p=74のどっかには本業がなんであるかも分かることが明記されているし、こっちでもBaadさんとのやり取りとか、いろいろあるわけなんだが?

    本当に、絶望的に日本語が読めてないし、他人のことを知りもせずに勝手な先入観だけで決めつけるのはやめてもらいたいんだがな? そんな先入観なぞ持ち出すまでもなく、ただそこに書かれている言葉だけを議論すればとりあえず議論そのものは成立するんだが、そんなことも分からんのか?

    本当にもう一回小学校から始め直した方がいいと思うよ。あと80番をあと500回は最低読み直すこと(爆笑)。

    甘えるのもいい加減にしろや…

  145. 水原文人 Says:

    あ、139番で自分でも間違えていた…

    >でも君は「映画評論家」なんでしょ?現に。

    違うけど? 俺はだいたい「映画評論家」なんて肩書き使ったことないんだが? 人が勝手にそう誤解して書いたものならあるかも知れんが、名刺にも企画書にも書籍の奥付にも一切、その肩書きは使っておりません

    だからロクに情報もないのに勝手に先入観を形成して、事実もテクストもろくに見ずに暴走するその悪癖をなんとかせーや。

    あとスルーしてる以下の点、そろそろよろしく(137番より)

    132番に答えてからにして下さいね。

    それはそうと、

    >なんで君の決めつけただけで私がぜんぜん言ってない一般論なんぞに私が答えなければいけないんだい? 本格的に発狂してるんじゃないですか?
    80番をあと200回ぐらい読み直せば?

    こちらへの返答と、君が「滝に打たれたらわかる」とかナマぬかしたコレ・・・

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12783&range=1
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12784&range=1

    …への回答は、最低限よろしく。

  146. 水原文人 Says:

    また打ち間違えたらしい…

  147. 水原文人 Says:

    ちなみにMacskaさん、本文中の

    >先の文章は映画評論である、という誤解。

    というのも誤読です。私は映画についての論評、クリティーク、批評になっていると言っていましたし、言い続けていますし、その理由も論証しています。

  148. 水原文人 Says:

    そうそう、GBG君の大バカぶりをもう一点。

    >でも君は「映画評論家」なんでしょ?現に。 であることは周知の事実なので

    だいたいどこで周知なのか知らんが、アホ横山様が閲覧し君も見てるらしい「問答有用」http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain掲示板界隈では、私の本業がなんであるかの方が3年ほど前から周知の事実なんだが? つまり「問答有用」からベルナールというHNの人が大騒ぎ起こして逆ギレして去って行く騒動に関して、アホ横山様が例の横山尊師様にお願いしないとアク禁にされるらしい独裁独善掲示板の「万物流転」とかいうところで、論争に参加することなくいわば裏でコソコソとブツブツ文句言う撮ったころには、君のいう「周知の事実」なんてなかったんだが?

    で、そんな周知の事実とやらをこのブログで持ち出す理由はどこにあるねん? ここに書かれていることで議論すればいいことを、なにをいろいろ他所から恣意的引用で持って来てあーだこーだ言ってるの? サイテーだね。ネット上で議論する資格ナシ。

    マジで一度、精神分析でも受けた方がいいと思うよ。妄想なんてのは自覚してるぶんには可愛いもんだが(AERAによるとかえって精神衛生上役に立つらしい)、現実と区別がつかなくなるののは危険だからね。

  149. GBG Says:

    >で、そんな周知の事実とやらをこのブログで持ち出す理由はどこにあるねん? ここに書かれていることで議論すればいいことを、なにをいろいろ他所から恣意的引用で持って来てあーだこーだ言ってるの?

    イヤまたそうやって絡むのね、君は。君自身が2/15付の記事のコメントに貼ったリンク http://www.melma.com/mag/39/m00098339/a00000026.html
    にも、君の紹介として「水原 文人(みずはら・ふみと)映画批評(ドキュメンタリー演出の藤原敏史)。」
    と書いているわけで、別に「恣意的引用」と言うのじゃないでしょ。
    お願いだからこう言うことでことを荒げないでくれるかな。君の「本業」か副業かはしらないから、「君の本業は」とは書いていないんだけど。まあ、映画批評と映画評論は違うって言うのなら別に訂正するのもやぶさかでないが。
    こんなことで難癖つけるのはいい加減ばかばかしいと思わないの?(脱力)

    大体自分の職業と絡めた話をしだしたのは君の方だぞ。
    >私は基本的に尊厳死の賛成派で、職業(=「生き甲斐」「生きる意味」)がら、たとえば失明しただけでも死んだほうがいいと自分では思っています。(2/15付コメント25)

  150. GBG Says:

    >だいたいどこで周知なのか知らんが、

    少なくともパブリックなネット空間で(爆)
    http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2004-06,GGLD:ja&q=%E6%B0%B4%E5%8E%9F%E6%96%87%E4%BA%BA

    >アホ横山様が例の横山尊師様にお願いしないとアク禁にされるらしい独裁独善掲示板の「万物流転」とかいうところで、

    まだ言ってる、、、憐憫を禁じえませんなあ

  151. 水原文人 Says:

    >こんなことで難癖つけるのはいい加減ばかばかしいと思わないの?(脱力)

    徹底的に日本語が読めないバカ、目の前に参照とすべき資料があるのにそれが目に入らないほど私怨に凝り固まってるGBGクンのことだね(爆笑)。「失明したら死を選ぶだろう」っていう理由になるのは、君がわざわざ引っ張って来ている二つうち、どっちだと思うね?

    だからますますもって先入観ガチガチでお話しにならないバカなんだよな…。

    >お願いだからこう言うことでことを荒げないでくれるかな

    荒げてるのは君なんだが? わざわざそこまで行かずとも、君がここに書き込みしているからには読んでいることが前提になってるはずのここでの議論で、すでに明示してあるんだがな? で、まず「失明したら生きる意味がない」のが前者と後者のどっちなのか、たぶん後者であろうと考えるのがそれだけでも普通なのにそこで気づかず、前者ではないことを指し示す文章が出て来たらますますもって「では後者だ」と考えるのが論理的な脳の働きなのに、それが出来ない自分の無能さダメダメさを他人のせいにしてここまでグダグダ引っ張ってるのが君なんだがな? だから君の存在自体が迷惑、という領域にすでに達してしまってるんだがな? ホント一回死ねば?

    そんな奴が「障害」だとか「尊厳」とかの議論にいちいち顔出してくるんじゃねえよ。当事者の立場を考える能力が絶望的に欠如している…というより、それをどうやったらいいのか分かってないんだからなぁ(唖然)。

    > 少なくともパブリックなネット空間で(爆)

    ググって調べることを「周知の事実」というのかなぁ? 発狂してるんじゃないの、やっぱり? そういうのは「調べたら分かること」って言うんだが?

    で、そんなことやってる暇があったら他人の発言をテクストとしてまず精読した方が、議論としてはよっぽど成立するんだがなぁ。

    >>アホ横山様が例の横山尊師様にお願いしないとアク禁にされるらしい独裁独善掲示板の「万物流転」とかいうところで、
    >
    >まだ言ってる、、、憐憫を禁じえませんなあ

    事実としてそういう恥ずかしい掲示板運営をやってるのがアホ横山様がやっている以上、そのメチャクチャさを必死で擁護している君の忠犬に軽蔑を禁じ得ないのはこちらの方なんだが?

    それよりもいいかげんにスルーするの、やめたら?

    132番に答えてからにして下さいね。

    それはそうと、

    >なんで君の決めつけただけで私がぜんぜん言ってない一般論なんぞに私が答えなければいけないんだい? 本格的に発狂してるんじゃないですか?
    80番をあと200回ぐらい読み直せば?

    こちらへの返答と、君が「滝に打たれたらわかる」とかナマぬかしたコレ・・・

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12783&range=1
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12784&range=1

    …への回答は、最低限よろしく。

  152. 水原文人 Says:

    >ど。まあ、映画批評と映画評論は違うって言うのなら別に訂正するのもやぶさかでないが。

    違うんだが?

  153. 水原文人 Says:

    訂正:

    >君の忠犬に

    「君という忠犬に」であります。むろんその「飼い主」に軽蔑を抱くのは当然の前提ですが。

  154. 水原文人 Says:

    >散々Macskaさんを、「観てもいない映画をあれこれ評価するのは傲慢」と言い放った君だ。

    だからそれはMacskaさんの文章という固有例をめぐる問題を指摘して来た議論なんだが、それだと都合が悪いらしくてありもしない「一般論」を捏造して論点をズラし、「だからそんなこと言ってないんだが」といくら指摘されようともスルーして粘着ストーカーやってるのがGBGとそのご主人様のアホ横浜アドルフ独裁独善掲示板管理人様であるわけなんだな。

    そろそろ自分たちのおかしさに気がつかないかい?

  155. 水原文人 Says:

    >>で、そんな周知の事実とやらをこのブログで持ち出す理由はどこにあるねん? ここに書かれていることで議論すればいいことを、なにをいろいろ他所から恣意的引用で持って来てあーだこーだ言ってるの?
    >
    > イヤまたそうやって絡むのね、君は。君自身が2/15付の記事のコメントに貼ったリンク 

    なんだそりゃ? 2/15付けコメントって、このお話が始まってるのはいつからやねん?

    で、そのリンク先を見れば二つ肩書きがあるのは分かるわけなんだが。そのふたつの肩書きがこの人の職業なんだろうなぁ、ととりあえず推測するのは論理的にまったくおかしくないわけで、ただし「論理的」という以上、どちらか一方を排除する理由がない限りにおいて両方を常に考えなければいけないのに、そもそも「映画評論家(註:じゃないって・爆)である」という先入観だけに固まること自体がまずおかしい。

    そこで

    >>私は基本的に尊厳死の賛成派で、職業(=「生き甲斐」「生きる意味」)がら、たとえば失明しただけでも死んだほうがいいと自分では思っています。念のため断っておきますがこれはあくまで僕個人が職業柄、目が見えなければ自分が人生を賭けてやるべきだと思っていること…というかそれしかできないんで恐らく自分の存在理由はそこにあるんだろうと思っていることができなくなるから、と言うだけであって、

    …という文章にであったら、そこで言及されている「職業的」も、当然そのふたつをまず考えるわけだね。そのときに、そう考える理由がそのどちらかであると推測することも、その両方であると推測することも、二つの肩書きから推測される仕事の内容を考慮すれば可能なわけだが、それはまだ推測のレベルでしかない。そして推測のレベルにおいても、前者だけだと結論づける根拠は皆無であり、そんなことやってるGBGはよほど頭が悪い、想像力がない、当事者のことが理解できない.

    でまずこの時点で君は死んでるんだが(笑)、さらに輪をかけて…

    >>誰の話ですか? 映画評論家であれば文芸評論などに切り替えることはけっこう可能だと思いますが。私がそうであればそうしますけど?

    と言うのにでくわしたのなら、この時点で「職業上、失明したらたぶん生きる意味がなくなる」ということの理由について、前者は完全に否定されている。どうも前者と後者両方でもないらしいと結論づけられる(あるいは前者も作用するとしても、それが決定的な理由ではなさそうだ)。

    ということは、後者だけであろうというのが当然の論理的で蓋然性の高い推測になる。

    こういった自分の責任の範疇であるはずの論理的プロセスを一切放棄して他人に甘えているのがバカなGBGなのであった(笑)。つまり日本語が読めない。

    で、そもそも「なんらかの理由でこの人は失明したら自分に生きる意味がないと考えているんだ」ということさえ分かれば十分である「尊厳死」をめぐる文脈で、その理由として本人が明記している「職業的」を必死で想像し、その想像に過ぎなことを先入観にしてそこにガチガチに固まること自体が、そもそも倒錯しまくりなんだが(爆笑)。

    プラスアルファ。

    障害者福祉をめぐる実践においても、Macskaさんの紹介している障害学においても、なにか障害があるからといってそれだけで「障害者」というステレオタイプにくくってしまわないようにするのは基本中の基本。それはまず個々人の、そこにおいて「障害」は一部であるに過ぎない人格の総体を無視し踏みにじる行為であるし、しかも実際のケアやサポートにおいても、それを有効に活かせないことにつながるから。身体障害ととりあえずはくくってしまえることでも、それが医学的に何が原因で身体のどこに障害が出ているのかは、文字通り十人十色。同じことが原因だと医学的に究明できる二つのケースでも、その結果身体のどの部位にどのように障害されているのかは異なったりする。また人間は当然ながら生活しているわけで、その障害がその人の生活のなかでどのように不便でどのように制約になっているのかは、生活環境によって違うし、なにが重荷になっているかになると性格とか価値観などによってますます異なって来る。つまり、個々人のディテールを丁寧に見つめることがまず最初の大前提。

    そんなことも分かってないヤツが「障害」とかその「差別」について云々するのは、その「権利」は誰にも止められるものではないにせよ、その結果もたらされるのは単にハタ迷惑。こと常に参照対象とされざるを得ない当事者にとっては迷惑千万。つまりその意味では「資格」はない、ただの傲慢であり、自己中心的。なのにそれに言及することで「正しいワタシ」を演出したいアホ横山様のような言動に至っては、ほとんど病的と言っていいほどの自己陶酔。

    ほんと、一回ぐらい精神分析を受けた方がいい。

  156. GBG Says:

    >>でも君は「映画評論家」なんでしょ?現に。 であることは周知の事実なので、まさか「私が映画評論家であれば」の意味にはとり難いということです。(他の仕事もしているんでしょうが)

    >そりゃ副業なんだが? (139)

    >あ、139番で自分でも間違えていた…
    >>でも君は「映画評論家」なんでしょ?現に。
    >違うけど?(140)

    なんだよ、自分でも「間違え」てんじゃん(爆)。自分に甘く他人にはネチコイ君の性格が良く現れてるね。

    でもわかったよ、

    ”「ドキュメンタリー演出」兼「映画批評家」兼「翻訳」業の水原文人君”

    これでいいのかね?
    君の職業の表記について、なお不足があるなら言ってくれ。

  157. 水原文人 Says:

    そうそう、

    「ミスリーディングな書き方をした人間がいて、不幸にも書いた意図と逆の意味にとった人間が複数いたというだけの話ですから。」

    こんなのは君がバカであるから誤解しただけ、ってのは論証済み。撤回と謝罪をお願いしますね。

    あとこっちも…

    ・132番に答えてからにして下さいね。

    >なんで君の決めつけただけで私がぜんぜん言ってない一般論なんぞに私が答えなければいけないんだい? 本格的に発狂してるんじゃないですか?
    >80番をあと200回ぐらい読み直せば?

    ↑こちらへの返答と

    ・君が「滝に打たれたらわかる」とかナマぬかしたコレ・・・

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12783&range=1
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12784&range=1

    …への回答は、最低限よろしく。

    できないでスルーするなら、粘着ストーキングはやめてとっとと引っ込むこと。

  158. 水原文人 Says:

    > 君の職業の表記について、なお不足があるなら言ってくれ。

    おひおひ、また嘘かよ。誰も職業表記について云々なんてしとらんがな。

    ただ貴様が決定的に不足した情報に基づく誤った先入観で自業自得で誤解したのに、それを他人のせいにする責任転嫁を続けて来たことが問題になってるだけなんだが?

    つまり君は日本語が読めないし議論もできない、ただの粘着ストーカーをやってる大バカであるってことがまたまた実証されただけなんだが?

    で、分かったら自分の自業自得な誤解に基づいて他人を誹謗中傷し、無駄な投稿を積み重ねてログを流したことについてはちゃんと撤回・謝罪すること。

    いい加減にしろ。

  159. GBG Says:

    >粘着ストーキングはやめてとっとと引っ込むこと。

    君が何の脈絡もなく99で私を引き合いに出さなきゃ「引っ込んで」いたさ。
    君がしつこく返答を迫っているらしい別板の2つはとっくに返答済み。
    (「アク禁」デマで逃げ回ってるお前が言うな 笑)
    132にまともな返答をしていないのは君の方。

    以上

  160. GBG Says:

    連投失礼します。

    ☆訂正
    (誤)132に
    (正)〜の下の行から始まる3行(つまり、「>なんで君の決〜」)のまともな返答をしていないのは君の方。

    132は君が一人で血が上っているだけ。

  161. 水原文人 Says:

    >君がしつこく返答を迫っているらしい別板の2つはとっくに返答済み。

    どこで? 問答野暮用にそんな投稿は見当たりませんが? 別板で返答って、なんの告知もなくそういうことするのは「返答」とは言いませんよ(爆笑)

    >(「アク禁」デマで逃げ回ってるお前が言うな 笑)

    「デマ」であることなど君は一切論証してませんが? ただ君が勝手なルールを押し付けて、それも全部論破されてるだけですが? 何度ループしたら気が済むんですか?

    >132にまともな返答をしていないのは君の方。

    はぁ? 132は私の投稿ですが、どうやってそれに返答するの? で、君の投稿に対して132で行われた自己矛盾の指摘について、なんの反論もできていないのはGBGですが?

    お前いつまでデマ流したら気が済むんだ? 

    >(正)〜の下の行から始まる3行(つまり、「>なんで君の決〜」)のまともな返答をしていないのは君の方。

    なんだそりゃ? まったく意味不明なんだが、訳の分からない「訂正」入れないでくれる?

    そうやってセコい印象操作をいくらやったところで、君がバカでありしかも恐ろしく無責任なトンデモやろうであることはもうバレバレなんだが?

    なにしろ、なにこのセコい言い訳は?

    >君が何の脈絡もなく99で私を引き合いに出さなきゃ「引っ込んで」いたさ。

    脈絡なら説明してあるけど? つーか映像テクストに限らず文章というテクストに対しても、君が書かれていることをちゃんと読めずに勝手に誤解・誤読を繰り返して、そこに書かれても表現もされていない(他人が言ってもいない)ことを妄想で捏造してストーキングを繰り返す異常な人間であることがますますもって証明されてしまっただけなんだが?

    とりあえずさっさと撤回と謝罪ぐらいしろ。貴様のやったことは明白に無根拠な誹謗中傷なんだからな(爆笑)。

  162. 水原文人 Says:

    >>(「アク禁」デマで逃げ回ってるお前が言うな 笑)
    >
    >「デマ」であることなど君は一切論証してませんが? ただ君が勝手なルールを押し付けて、それも全部論破されてるだけですが? 何度ループしたら気が済むんですか?

    …というわけで、これもGBGが謝罪撤回しなければならない項目に追加ね。

    あとこちらもどうぞ…

    ・132番に答えてからにして下さいね。

    >なんで君の決めつけただけで私がぜんぜん言ってない一般論なんぞに私が答えなければいけないんだい? 本格的に発狂してるんじゃないですか?
    >80番をあと200回ぐらい読み直せば?

    ↑こちらへの返答と

    ・君が「滝に打たれたらわかる」とかナマぬかしたコレ・・・
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12783&range=1
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12784&range=1

    …への回答は、最低限よろしく。

    だいたいなんで「返答」した相手が見る可能性が低いところにわざわざ「返答」なんてするんだ? ホント、発狂しておいでなのではないか、と。

  163. celine Says:

    > 水原さん

    できるだけ要点を絞って返信コメントしたいと思います。(それでも長くなりましたが^^;)

    >> 彼女が〔「父が犬にしたのと同じこと」をしてくれって頼んだ〕のはその通りですが、幼かったマギーが彼女の父親が犬を死なせた動機や心の内まで理解していたというプロット設定にはなっていないというのが、ドレイク評で書かれていることです。

    > え? どこに?? どっちにしろ記述はかなり精緻なのに、その解釈がそのディテールから考えるにはずいぶんかけ離れているのがドレイク評の問題点ではあるのですけどね。

    これについては後述します。

    >> そのことがフランキーに死を依頼する中でマギーの口から何らかの形で語られているかどうかの設定で、

    > どうも双方とも相当に無骨で、なかなか自分の内心を口にしない/できない人物であるようなんですが。まあそこを全部台詞で説明してしまっては、映画としては一般論としては説明的すぎてつまらないでしょう。

    たしかに、何でもかんでも「全部台詞で説明」は映画としておかしいですね。
    「口から何らかの形で語られている」は「何らかの形で演出される」ぐらいにすべきでした。

    >> ということなのです。プロットを色々を考えてみても、両者の「展開」を同質に捉えるような話ではないとことです。

    > なぜでしょうか? 犬を殺した父の動機は、ドレイク評ではなんと説明してありますか? あなたがくだんの事件について想像したお母さんの内面と同じことではないでしょうか? 

    う〜ん、私の説明がヘタなせいかもしれませんが、お分かりにならないでしょうか。
    水原さんの言葉を嫌味に拝借すれば、あなたご自身にも「色眼鏡」がかかっていませんか?

    ドレイク記事の「It’s pretty likely Dad’s motivation in killing the dog was 〜」は、“pretty likely”とあるように、あくまでもドレイク氏の推測なんですよ。【Reality-check】として、氏は「there is no suggestion that the dog was suffering or wanted to die」と書き、犬の死は「安楽死」という設定(プロット)で描かれているのではないということをまず書いています。なぜ、わざわざ冒頭にこの「安楽死」否定を持ってきたかというと、マギーの「死の幇助依頼」が犬のエピソードと同じように本来の意味での「安楽死」、つまり耐え切れない肉体的苦痛の解消としての「死」というブロット、シナリオ設定ならば、障害者団体の抗議は説得力がないものになるわけで、実際、米国でのこの映画に関するフォーラムやBBSなどのやり取りにおいて、障害者の抗議に対して「マギーの死は安楽死と言えるのではないか」という異議や反論が早くから上がっていたからです(このような意見はWebで私も確認しました)。犬の死が「安楽死」として描かれ、同様にマギーの死は安楽死という見方も成り立ち、障害者たちの「抗議」は的外れだとなるわけですね。
    ですからドレイク氏は、まずそれが当たっていないことを示し、当然帰ってくる疑問としての「では、犬殺しの「動機」には何があったのか」に答えるものとして彼は「It’s pretty likely 〜」という推測を示しているのです。しかし、これは「安楽死」を否定する合理的な理由のひとつとしてドレイク氏が推察したことであって、そのことがプロットとして描かれているということではありません。つまり、ドレイク批評の主旨は「安楽死」を否定することにあったのです。私なりにけっこう色々と調べて見ましたが、マギーの「死」へのフランキーの幇助のシナリオ、プロットとして「he couldn’t count on anyone to care for it after he couldn’t do it himself any more」(この場合の“he”は当然フランキーを指す)のようなことが映画で示唆されている、演出されているという話はひとつもありませんでした。それに、大きな障害を抱えた犬を元の飼い主と同じように他人がケアしてくれる期待を持てないということを、そのまま人間の関係に当てはめようとするのも不自然な話です。

    そもそもですね、水原さんの仰る

    >「自分が死んだら面倒見切れないから、死なせる」

    というのは、マギーの父親が自分の飼っていた犬を死なせる動機としては説得的に理解されるでしょうが、フランキーの「死」の幇助動機に当てはめるのは明らかにプロットからはズレていることになります。何故なら、フランキーはマギーの死にずっと反対し生きることを望んでいたわけであり、彼の最後の苦悩の「決断」はマギーからの強い懇願を受け入れたというプロットになっているのですから。

    さらに言えば、仮にですね、マギーの死の動機が「フランキーが背負う介護苦労を解消してあげたい」という思いやりにあって、彼女がそれを遂行するために、そしてその動機をフランキーに悟られないように、自分の死の選択があくまでも「自ら望むことである」かのように描かれたプロットになっているのでしたら、まさにそれは、「尊厳死」なんて呼べるようなものではなくなり、「介護者の苦労を思いやっての障害者の自死」を美化し肯定してしまうメッセージを発していることになります。それこそ、初めのほうで私が紹介したALS患者の「尊厳死とはとても呼べない追い詰められた死の選択」とオーバラップする問題として、障害者の方から大きな抗議の声が当然に上がってくる内容になってしまうでしょう。しかし、米国の色々な記事を読んでも、そのようなプロットになっているとはとても思えない。
    このように色々と考えてみると、「ミリオンダラー・ベイビー」におけるマギーの死の基本的なプロットは「自らの思い、人生を成就できないことに絶望した自死」ということになると思います。
    ですから、

    > (重度障害者の息子を死なせた母親の「事件」と)映画のストーリーとダブらせて「『ミリオンダラー・ベイビー』の展開そのもの(by 水原さん)」だなんて、とてもそんなに簡単には言えないと思います。

    と、何度も言ってきたわけですね。

    もちろん、上に書いてきたことが全て断言できるようなことではありませんし、実際に映画を観なければ分からない、気がつかない部分もあると思います。

    > GBG さんへ

    映画をご覧になっているとのことなのでお聞きしたいのですが、映画でのこの辺の描かれ方、プロットはどうなっているのでしょうか。ネタバレはある程度覚悟の上ですので、よろしかったらご教示ください。

    >> 今回の映画を作った製作者側(監督でも俳優でも)の誰かの中に次のような家族背景を抱えた人がいたら、そのひとは映画人として今回のようなプロットの映画を製作していただろうか、参加していただろうか、という問題提起だったのですね。

    > どうなんでしょう? 見てみてから決めても遅くないのではないですか? イーストウッド自身が「自分が同じ境遇に置かれたとしても同じことはしないことは確かだ」みたいなこと言ってるわけですし、別にそういう生き方を描いているからってそれを肯定しなければ映画にできないわけではないでしょう。そうした生き方はそれで理解することはたぶん必要ですが。

    私の言ったことはあくまでもひとつの想定なので答えも想像でしかありません。でもですね、もう少し突っ込んで考えてみたいのです。
    愛する重度障害者がごく身近にいる映画人が「自らの意思で生よりも死を選択した障害者」が世の中にはいることを理解し、そういった個々人の選択自体は否定せずに尊重したとしてもですよ、何らかの公のメッセージ性をもつ媒体の中で「そのような死に方」が観客に対し納得的、説得的に描かれた映画に、積極的に参加する(できる)だろうかと考えるのです。
    「肯定しなければ映画にできないわけではない」は理屈としてはそうなんでしょうけど、自然な人の心の問題としてどうなんだろう?ということです。

    それから、〔イーストウッド自身が「自分が同じ境遇に置かれたとしても同じことはしないことは確かだ」〕は、映画が観客大衆にどのように受け取られるかを左右するものではないと思います。「いったん生まれた作品は作者側の手を離れてしまう」でしたっけ?そのようにいうじゃないですか。

    > 探し方が足りないのではないでしょうか? ちゃんと読まれてからレスされた方がいいと思いますよ。慌てることはないでしょう。

    別に慌ててはいませんが、うっかり見過ごしておりました。失礼しましたm(_ _)m
    (> tahousandさん、「明記」のご教示の件、ありがとうございます)

    >> 罵詈雑言が飛び交う中では建設的な議論は進まないだろうというのが私のスタンスなので、参加は遠慮しておきます^^;

    > あれはアホ横山氏とかGBGとかの投稿が、たとえばCelineさんや、あるいはMacskaさんご自身と私との対話にとって邪魔になるだろうから彼らに特化して移行を提案しただけです。現に邪魔になってますね(笑)。

    > 彼ら相手に膨大な量の無駄な言葉を費やさざるを得なくなった結果、Celineさんがいろいろ見落としされることになりますし、

    私の見落としの理由を「論敵」の「膨大な量の無駄な言葉」に繋げてしまうのは強引というか、嫌味な言い方ですね。「膨大な量」を言うなら水原さんの投稿だってそれに大いに「貢献」していますよ(笑)。当該の議論に直接関係のない私をダシにしたような「論敵」非難は格好のいいものとは言えません。
    どうぞもっと真っ向勝負で・・・^^;

  164. GBG Says:

    >どこで? 問答野暮用にそんな投稿は見当たりませんが? 別板で返答って、なんの告知もなくそういうことするのは「返答」とは言いませんよ(爆笑)

    「別板」でさんざん「アク禁掛けられた〜」と吹聴して、それに対する回答責任(説明責任)を横山さん(万物流転掲示板主宰者)に押し付けているのが君だろ? なら自分で探せよ(爆)
    水原君は自分にできないことを他人に要求するな。

    (P.S.)2/15付記事(←これも君は今、頭に血が上ってるから意味がわからないみたいだけど、 http://macska.org/index.php?p=74 )のことだよ。
    これの君のコメント47は浸透力のあるすばらしい文章だと思う。(皮肉でもいやみでもない)だから別板で書いただろう、「君の文章は嫌いじゃなかった」ってね。「タフなだけじゃ不十分」なんですよ(笑)

    99が脈絡ないというのは、君が勝手に「延長上」しているから。(「延長上」何を言おうと君の自由だが、元の文章を書いたcelineさんは「延長」なんかしていないんだからさ、勝手に他人の意見を解釈して(自分の願望と同一視して)、それを押し付けないように。

    (99再録)
    > 「説得力を持つのか」どうかについては、実際に私のように、『映画』を観ずプロットだけを知ることによって『映画』を批判した障害者の方たちの抗議の言動に共感するものを感じた人間がいるわけですし、(celineさん 98)

    「障害者」にセンチメンタルな思い入れだけはある人なら、そうでしょうね。というよりGBGのことでしたら単なる私怨ですから、気にしないで下さい(笑)。(水原君 99)

    celineさんは「実際に私のように」って書いているんだからさ、勝手に「GBGのことでしたら、、、気にしないでください」ていきなり言われても困るだろうが。「気にしてるのはどっちやねん」て話。
    ま、どうせ読み落としなんだろうけどさ(爆) 鼻っ柱が強い君は自分の過ちを認められないからテキストがどうしたこうしたへりくつをこねくり回すしかできなくなるわけ。(あ、こういうときは、ね。上記のような名文も君は書けるんだから)

    これまた140の君の名文で終わる
    >他人のことを知りもせずに勝手な先入観だけで決めつけるのはやめてもらいたいんだがな? そんな先入観なぞ持ち出すまでもなく、ただそこに書かれている言葉だけを議論すればとりあえず議論そのものは成立するんだが、そんなことも分からんのか?

    「タフなだけじゃ不十分」なんですよ(笑)

  165. 水原文人 Says:

    Celineさん、いきなり苦言ですみませんが…

    > 「膨大な量」を言うなら水原さんの投稿だってそれに大いに「貢献」していますよ(笑)。

    あのぉ、よく拙文をお読み下さい(汗)。「彼ら相手に膨大な量の無駄な言葉を費やさざるを得なくなった結果」と書いておりますが…。つまりこの「膨大な量」が自分の発言に対する言及であるという意味であり、そう読解しないのは単なる誤読にしかならないのですが…。

    ですからそれに続く、

    >当該の議論に直接関係のない私をダシにしたような「論敵」非難は格好のいいものとは言えません。

    これは無根拠な誹謗中傷です。こういうことは今後一切やめて下さい。

    GBGが無根拠な誹謗中傷にまで発展してしまった誤読ですが、それ自体はあなた自身もやっている誤読であったりしたわけで、少しは慎重になられてはいかがでしょうか?

    私の職業がなんであるとかそんなことに関する憶測はどうでもいいことですし、心理や動機を云々するのにもその解釈のベースとなるテクストを誤読していてはそもそもなんの役にも立たないでしょう。

    これは三国連太郎さんとかロバート・デ・ニーロとか、もの凄い数の俳優に揃って言ってることですが、演ずる人物の心理や動機を理解するには、まず台本をすり切れるほど読むのが大事なのだそうです(苦笑)。

    ドレイク評の読解にしても、評者が政治的社会的目標として目指していることについての先入観が先に立っていて、そこで書かれているテクストそのものがなおざりになっているのではないでしょうか?

    まず父が犬を殺す動機ですが、その前にその殺すシーンの実際がかなりこと細かく描写され、そこで「It’s pretty likely」と出て来ますね。つまり、ドレイク氏独自の解釈というよりは、誰が見てもそう受け取るであろうと言う意味での解釈でしかないのではないでしょうか? 犬が病気であったわけでも死にかけているわけでもないのだし、そりゃ殺すのは自分が面倒みれなくなるからだろうと、ドレイク評を読む前にすでにオフィシャル・サイトのシンプシスで私はそう受け取りましたが。ちなみに、シノプシスではただマギーの幼少時の(トラウマ的な?)思いでとして触れられてるだけでしたけど。

    もちろん少女時代の彼女はその意味を理解しなかったかも知れませんが、物語の時点で彼女は31だか32ですよ(苦笑)。

    >犬の死は「安楽死」という設定(プロット)で描かれているのではないということをまず書いています。なぜ、わざわざ冒頭にこの「安楽死」否定を持ってきたかというと、マギーの「死の幇助依頼」が犬のエピソードと同じように本来の意味での「安楽死」、つまり耐え切れない肉体的苦痛の解消としての「死」というブロット、

    その辺りこそ、ドレイク評における解釈が(描写の精緻さにも関わらず)、どうも政治的なバイアスがかかり過ぎてるんじゃないの、と私などが思ってしまう典型なんですよね。

    はっきり言えば、ことさら「障害者の尊厳死」について政治的アジェンダを持っているわけではない私のような人間にしてみれば、それが「安楽死」だろうが「尊厳死」だろうが「自殺」だろうが、そんなことは登場人物が自分が死ぬことで守ろうとした自分の尊厳があるということに較べたら、どうだっていいことなのです。自分の生きる意味=尊厳と考えれば、それが潰えてしまうか、不可能になってしまうくらいなら「死んだほうがいい」というのは、夢とか理想とかを追っている人間であれば誰もが考えることではないでしょうか?

    もうひとつ、すでに指摘していることですが、人物設定としてフランキーはけっこう歳であり、人生の秋にあり、そしてマギーは彼にとって自分がトレーニングする最後の弟子であるという決意すらあるみたいなんですが。無論それまで必死で彼女に市民大学の講義を薦めてみたり、なんとか元気づけよう、生きる意味を持たせようとしていたらしいですが、犬のことを話されたとたんにその意味を理解する、ということだってあるのではないですか? マギーはマギーで、回復の見込みもないと自覚しているようですし、当然ずっとこのままであれば彼の重荷になるということも考えていないとは言えないでしょう。

    むろんこれはプロットとかシノプシスからの憶測でしかありませんから、実際のところ俳優や演出家がどう解釈しどう映画として定着できるかは見てみないと分かりません。ただあなたも私も見ている同じディテールから、この程度の心理の展開があり得るのではないかということは比較的容易に想像できるわけですね−−まともに感受性と想像力が働くのなら。

    だからこそドレイク評はほとんど意図的に、心理描写には踏み込んでませんね。極めて機械的に、まるでチェスのコマかパブロフの犬みたいな扱いで、どんどん自分の目指すバイアスの側に引っ張っているようにすら読解できます(あくまで、冷徹にテクストそのものを読めば、ね)。確かにハリウッド映画というのはたいがいそういう機械的な動機だけで人物が動いているものですから(エバートの言葉を再三引用してしまえば、「大人の、成熟した観客」相手では商売がキツいですから)、その感覚で読めばドレイク評は成立しています。でも他の、別に政治的な目的を意識していないいわゆる普通の批評を読む限りでも、どうもそういう映画ではなさそうですし、またこれまでイーストウッドが作って来た映画を参照しても、心理描写が心理描写としてすぐに分かるように提示されている映画でもなさそうです。

    >愛する重度障害者がごく身近にいる映画人が「自らの意思で生よりも死を選択した障害者」が世の中にはいることを理解し、そういった個々人の選択自体は否定せずに尊重したとしてもですよ、何らかの公のメッセージ性をもつ媒体の中で「そのような死に方」が観客に対し納得的、説得的に描かれた映画に、積極的に参加する(できる)だろうかと考えるのです。

    自然な人間の心として考えた場合、おっしゃっていることがまったく分かりません。

    スタッフにせよ脚本家にしてもまず脚本は読みますし、誰が監督するのかも分かっていますから、あなたが政治的な目的でかなりバイアスがかかっている評を読んで想像した「なんらかの公のメッセージ」の映画ではないことを理解すれば、積極的に参加するでしょうね。つまり前提の立て方自体が、かなりズレてるのではないでしょうか?

    どうもまずありのままに人間とその行いを見る、という姿勢が欠如されているような印象は、正直言って受けますね。

  166. 水原文人 Says:

    すんまへん…訂正

    >もの凄い数の俳優に揃って言ってることですが、

    「もの凄い数の俳優に言われたこと」

    はいし

    「もの凄い数の俳優が言ってること」

    …です。

  167. 水原文人 Says:

    Celineさん、

    たとえばあなたは

    >>と書いてあるからには、どう考えたって仮定の話にしかなりませんが? ちなみに「失明」であれば「私がそうなったら」がフツーの日本語です。

    という私の発言に対して、

    >何かよく飲み込めない書き方ですね。「私がそうであれば」の「そう」は失明することを指すのではなく「職業」を指すのですか。

    …などと書いておいでですが、なにが飲み込めないのでしょうか? 現に今の段階で目が見えていることが前提なのですから、「そう」が失明をさすのであれば「もしそうなったら」が当たり前です。「そうであったら」は基本的に不変の、現に今そうである状態しか指すことができません。

    なのになぜあなたが誤読したのかといえば、それは私の職業に関する誤った先入観に囚われていたあなた自身の責任だ、ということになります。そう言ったところの詰めが、率直に言ってあなたの議論は甘過ぎると指摘せざるを得ません。そうやって先入観で誤解していった結果、あなた自身にその意図はなくとも、無根拠な誹謗中傷をやらかしてしまうことになるのです。

    実を言えば、159番について私が指摘した箇所以外にも、似たような例はあります。

    たとえば、

    >要するに、「「ロマンチックに美化」なんて安易な結論」は引き出せない」ということを主張したくて息子と母親の間の「事件」が映画と同じ「展開」だと書かれたのだと思いますが、

    まったくのあなたの先入観であって、論理的にまったく成立しない推測です。

    「「ロマンチックに美化」なんて安易な結論」は引き出せない」のは、ロマンティックや美化がまったくの演出や演技のレベルでの話であって、プロットとして主人公が身体の自由を失った自分の教え子を殺すというストーリー展開しか知らないレベルでは、その主人公の行動を映画が肯定的に描いているのか否定的に描いているのかは分からない、ということです。

    『許されざる者』のクライマックスでは(以降ネタバレ)イーストウッド演ずる主人公がある街で大虐殺をやるわけですが、これも「ロマンチック」とも「美化」ともまったく真逆で、むしろイーストウッド演ずる主人公はこのシーンでは冷酷な「化け物」です。無論殺される側の保安官(ジーン・ハックマン)にも殺されるべき理由がないわけではないのかも知れませんが、この二人の最後の会話はハックマン「I don’t deserve this」イーストウッド「Deserve has nothing to do with it」で、ダメ押しのように「殺されるべき」「殺されるべきでない」といった理論を超越していることが示されます。土砂降りの雨のなか去って行くイーストウッドの背後に星条旗がたなびくのに至っては、実にさまざまな解釈が批評家から提起されています、おっさんは「考え過ぎだ」と笑ってるらしいですが。(ネタバレ終わり)

    実際の事件と『ミリオンダラー・ベイビー』の展開に相似性が認められるかも知れないという推測は、単にあなたがプロットの断片だけでも想像可能な人それぞれの(しかしそれでも、まだ図式的で恐らく人間の現実とはかなり齟齬のある)心の動きや行動の動機を、あなたがまったく見落としておいでなのではないか、ということを示唆するための例です。

    むろん結びつけて考える自由そのものはあなたにもあります。ただし「「ロマンチックに美化」なんて安易な結論」は引き出せない」(という文言自体私が用いた記憶がありませんが、まあパラフレーズでしょう)理由は、それが演出を含めた問題になるからであると私が再三主張している以上、論理的にはあなたの想像はまったく成り立ちません。

    本当に議論をしようとしておいでなら、そういう決めつけについては慎重になられるべきです。

    あと以前、僕が「障害者というのは、極端な話福祉行政上必要だからあるだけの区分けではないか」みたいなことを書いたのに対して、「解釈によっては」だかなんだか、極めて含みのある一言だけで片付けられた記憶があるのですが、そのことについてことらから反問させて頂いたことがその後も未解答になっております。

    Celineさんと私との意見の対立の根幹はどうもその辺りにありそうなので、ご見解をお聞かせ頂ければ幸いです。

    ちなみに「障害者支援の福祉行政」だけではちょっと言葉が足りませんで、より厳密には医療的な理由もあるのではないかとは思います。ただそのことを持って「障害者である」というアイデンティティがその人の「人格」になるのかどうかは、私は相当に眉唾であると思っております。障害、つまりなんらかのハンディキャップとなる要素があって、生活などに支障や困難が出て来ることが人格に影響を与えることについてはその通りですが、それはなにも障害に限った話ではないだろうし、またひとことで「障害」とくくれるものでもないだろうとも思います。

  168. 水原文人 Says:

    >障害、つまりなんらかのハンディキャップとなる要素があって、生活などに支障や困難が出て来ることが人格に影響を与えることについてはその通りですが、

    補足:「またその支障や困難をなんらかの形で克服したり、あるいは自分にとってむしろ肯定的に捉えられるようになるのか」を、「人格に影響を与える」の前に挿入して下さい。

  169. 水原文人 Says:

    GBGってまだおったんか?

    >「別板」でさんざん「アク禁掛けられた〜」と吹聴して、

    現に「投稿する権限がありません」って出たんだから、アク禁になったと解釈するのは当たり前だと何度言うたら…

    > それに対する回答責任(説明責任)を横山さん(万物流転掲示板主宰者)に押し付けているのが君だろ? 

    押し付けるもなにも、それに対する説明責任は独善独裁掲示板「万物流転」の主宰者であるアホ横山様にしか帰結しませんが? アク禁は主催者・管理者の専権事項であると何度言うたら分かるの?

    で、その自分の責任を放棄する以前に自覚すらしていなから、アホ横山様は本格的にアホなのであります(爆笑)。

    > なら自分で探せよ(爆)

    なぜアホ横山様にしか分からない内実をわざわざ私が探す必要があるんですかねぇ? だから君は忠犬かってバカにされてるんですよ(爆笑)。

    > 水原君は自分にできないことを他人に要求するな。

    あのぉ、自分にできるわけがない(その権限がない)しその責任もないことであって、責任が全面的に主催者であり管理者であるアホ横山様にあることは自明だ、って何度言ったら理解するんですか?

    君は本当にバカですね。

    >(P.S.)2/15付記事(←これも君は今、頭に血が上ってるから意味がわからないみたいだけど、 http://macska.org/index.php?p=74 )のことだよ。

    あの…。その記事は25日付けです。自分の方が頭に血が上って書き間違えたのが自明であることの責任を他人様に押し付けるなんて、君はどこまでメチャクチャなんですか?

    > 99が脈絡ないというのは、君が勝手に「延長上」しているから。

    脈絡があるから延長できるんですけど? 日本語分かってますか? で、すでにちゃんと説明してある脈絡をスルーしてるのは君ですが?

    > celineさんは「実際に私のように」って書いているんだからさ、勝手に「GBGのことでしたら、、、気にしないでください」ていきなり言われても困るだろうが。「気にしてるのはどっちやねん」て話。

    Celineさんにこういうことは失礼ではあるんですが、はっきり言って同じカテゴリーの症例です。まあGBGの方がさらに重度ではあるんだけど。先入観のバイアスで目の前に現にあるものすら見えなくなるっていう。

    >鼻っ柱が強い君は自分の過ちを認められないからテキストがどうしたこうしたへりくつをこねくり回すしかできなくなるわけ。

    そりゃ お ま い のことだ(爆笑)。

    そんなことはどうでもいいんだが、無根拠な誹謗中傷をやったことの謝罪と撤回は、ちゃんとやってもらおうか? なにしろ一方的に自分がバカであるだけの誤読にみに基づいて、さんざんこのブログを荒らしているのはお前なんだからな。

    ホント、GBGってバカだな(笑)。

  170. 水原文人 Says:

    で、ご都合主義に自分の過ちから逃れ続ける無責任野郎のGBGに再勧告

    それよりもいいかげんにスルーするの、やめたら?

    ・132番に答えてからにして下さいね。

    >なんで君の決めつけただけで私がぜんぜん言ってない一般論なんぞに私が答えなければいけないんだい? 本格的に発狂してるんじゃないですか?
    80番をあと200回ぐらい読み直せば?

    こちらへの返答と、君が「滝に打たれたらわかる」とかナマぬかしたコレ・・・

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12783&range=1
    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/987087/bbs_plain?base=12784&range=1

    …への回答は、最低限よろしく。

    あと、これも結局答えてないだろうがお前は(爆笑)。

    >どこで? 問答野暮用にそんな投稿は見当たりませんが? 別板で返答って、なんの告知もなくそういうことするのは「返答」とは言いませんよ(爆笑)

    で、どこで「返答」したんだ? せめてリンクぐらい貼ってくれないか? 万が一にも「万物流転」で、なんて言った日にはキミの大バカぶりがますます証明されてしまうんだがなぁ。なんしろ「アク禁」をやっておいてそれを告発されたら逆ギレしてるバカが独裁者やってる掲示板を、俺が見ている必然性なんてあるかって言うの(爆笑)。

    その当の相手が見る可能性が低い所で「返答」って、なにそれ? ホント一回死んだ方がいいんじゃない?

  171. 水原文人 Says:

    Celineさん、たびたびすみませんが、かなり肝腎なところ…

    >> 彼女が〔「父が犬にしたのと同じこと」をしてくれって頼んだ〕のはその通りですが、幼かったマギーが彼女の父親が犬を死なせた動機や心の内まで理解していたというプロット設定にはなっていないというのが、ドレイク評で書かれていることです。

    > え? どこに?? どっちにしろ記述はかなり精緻なのに、その解釈がそのディテールから考えるにはずいぶんかけ離れているのがドレイク評の問題点ではあるのですけどね。

    これについては後述します。

    こうおっしゃっておいでなのですが、結果としてドレイク評のどこにそれが書いてあったのかは、まったく後述されておいででありません。というか、実はそんなことドレイク評には書いてないのではないですか? 

    原文

    Maggie asks Frankie to do what her dad did for the dog.

    Reality-check time: In Maggie’s story, there is no suggestion that the dog was suffering or wanted to die. Maggie and her brother laughed at the way he “flopped” to get around, though. It’s pretty likely Dad’s motivation in killing the dog was that he couldn’t count on anyone to care for it after he couldn’t do it himself any more.

    恐らくCelineさんの前提の立て方が間違っているのではないかと思います。そもそもマギーの父が犬を殺した理由自体が、およそ「安楽死」にも「尊厳死」にも当てはまらないことなのですから、その同じ理由でマギーがフランキーに「殺してくれ」ということ自体が、ドレイク評の批判対象になっているのです。

    確かに、マギーの側から頼んでいることではあるからいいようなものの、もしフランキーが以前にその話を聞いていて彼女に頼まれるまでもなくそんなことをやったら、そりゃ殺人ですし(って、フランキーがやることはどっちにしろ法的に殺人ですが)、なによりも障害を負っているというだけでマギーを自分の所有物だかペットだかと決めつけてその人格・人権だけでなく命まで奪ってしまうことになります。

    ドレイク評が批判しているのは「重度の障害を負って生きることは無意味だと言っている」(パラフレーズです)という理由です。その指摘自体はその通り。ただそれが批判として有効であるかどうかは、かなり別問題ではあると思います。再び2/25付けのブログの当初の議論に戻ってしまうのですが、障害を負った生に意義を見いだし尊厳を持って生きるのか、自分のそれまでの生き方にこそ意義を見いだしていたのに、それが障害によって中断されてしまって絶望するのかは、人それぞれであるからです。

    あと

    「あと以前、僕が「障害者というのは、極端な話福祉行政上必要だからあるだけの区分けではないか」みたいなことを書いたのに対して、「解釈によっては」だかなんだか、極めて含みのある一言だけで片付けられた記憶があるのですが、」

    の件ですが、再読してみるにどうもここがご回答のようですね。

    「障害をもった人には福祉行政上の便宜をはかる」なら理解できるんです(例えば足が不自由な人には車椅子を用意するとか)が、「障害の有無の区分けは福祉行政上の便宜」って、まず日本語としての意味が取りづらいのですね。「障害の有無の判断は福祉行政が便宜的にやっている」とも受け取れちゃうんですが、そうすると行政の障害に対する恣意的判断はOKとの意味も受け取れちゃうということですね。

    うーん、こっちの方がよっぽど日本語の意味としてとりづらいんですが。後段に至っては…

    >「障害の有無の判断は福祉行政が便宜的にやっている」とも受け取れちゃうんですが、そうすると行政の障害に対する恣意的判断はOKとの意味も受け取れちゃうということですね。

    …てのは、相当にメチャクチャな曲解でしょう。

    どっちにしろ私が「たとえば健常者vs障害者、みたいな一元的な二項対立構図に還元してしまえば、そうなるんでしょうね。私個人から言えばそんな区分けは福祉行政上の便宜としてあるに過ぎず」と申し上げたこと、つまり「健常者と障害者」という区分けの問題とは、なんの関係もないような…。

    どうも本質的な答えを期待しすぎていた私が悪いみたいです。すみません。

  172. 水原文人 Says:

    で、みなさんに質問、

    >つまり「健常者と障害者」という区分けの問題

    って、そんな区分け本当にあるんですか? 福祉行政上「障害者」と認知する必要性から、一応基準はあるんでしょうけれど、「健常者」なんて人間が本当にいるんでしょうか? 前にも書きましたが私は軽度な難聴です…とずっと思っていたら、「聴こえない」というよりも「聴こえる音の種類が違う/通常なら自動的に聞き分けているはずのことが、聞き分けられない」ので、どっちかというと耳の問題とか聴覚神経系の問題ではなく、いわゆる「発達障害」の部類になるそうです。しかし医者に診せとらんので、「障害者」とは誰にも認識されない…。ちなみに不便といえば明らかに不便な点はありますが(呼び出しアナウンスとかが聴こえない)、職業上とっても便利であったりします(笑)。

  173. 水原文人 Says:

    書き忘れてたんで、追記…

    >>「別板」でさんざん「アク禁掛けられた〜」と吹聴して、
    >
    >現に「投稿する権限がありません」って出たんだから、アク禁になったと解釈するのは当たり前だと何度言うたら…

    だいたい「アク禁」食らってるんだからその板で言及できるわけないだろうが(爆笑)。

    GBGってホント、どこまで忠犬根性が染み付いてるんだ?

    こんな気持ち悪いことも書いてるし…

    >これの君のコメント47は浸透力のあるすばらしい文章だと思う。(皮肉でもいやみでもない)だから別板で書いただろう、「君の文章は嫌いじゃなかった」ってね。

    その「別板」でも言ったことだが、君のように倒錯しまくった人間に好かれることの方がよっぽど気持ち悪いんだが…。私はアホ横山と違って幇間とか忠犬を周りに侍らせる悪趣味はまったくありませんので(爆笑)。

  174. 水原文人 Says:

    ついでに…

    >>これの君のコメント47は浸透力のあるすばらしい文章だと思う。(皮肉でもいやみでもない)

    なら少しは自分の情報不足の先入観による決めつけの結果どれだけ自分がバカやってるのか、少しは反省しろ。ついでに74と77の二ページの俺の発言でも全部精読したら? 自分がいかにバカやって来たか自覚すると思うよ(爆笑)。

    まったく、学習能力のないヤツだなぁ。

  175. macska Says:

    議論続行用エントリ別に作ったので
    http://macska.org/index.php?p=97

    今後このエントリへのコメントはご遠慮ください。
    本来なら、100を超える前にこうした措置を取るつもりでしたが、入院していたためいつの間にかこんなに重くなってしまいました。