「同性パートナー」(2004)収録『同性婚騒動をめぐる米国LGBTコミュニティのポリティクス』原稿公開

4/16/2015 - 11:17 pm | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

以下は、二〇〇四年に社会批評社から出版された「同性パートナー/同性婚・DP法を知るために」(赤杉康伸・土屋ゆき・筒井真樹子編著)に「エミ・コヤマ」名義で寄稿した記事『同性婚騒動をめぐる米国LGBTコミュニティのポリティクス』の原稿です。再掲についてとくに編集者や出版社の許可はもらっていませんが、十年以上前のものなので、いいでしょう(ダメでしたら連絡してください)。

当時からはいろいろ情勢も変わり、わたし自身の考えも付き合っているパートナーも変わってしまったけど(あ、でもいまでもおともだちです)、ここのところ日本でも同性間パートナーシップの公的認知をめぐり議論がはじまっていることもあり、参考になる、という声がいくつか(二つだけど)あったので、記事を掲載することにしました。あくまで現在の論点ではなく「歴史的資料である」ことを頭の中に入れたうえで、読んでください。

同性婚騒動をめぐる米国LGBTコミュニティ のポリティクス
エミ・コヤマ

◎二〇〇三年一一月、フロリダ州マイアミ。

当地で行われた恒例のコンファレンス、Creating Change は「同性婚」の話題で一色に染まった。このコンファレンスはワシントンD.C.に本拠を置くLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)権利団体National Gay And Lesbian Task Force(NGLTF。全国ゲイ&レズビアン・タスクフォース)註1 の主催で毎年違う都市で開かれ、全国から集まる数百人もの活動家が情報交換やネットワーキングにはげむ舞台でもあり、わたしもオレゴン州ポートランドのインターセックス団体 Intersex Initiative の代表として二人のスタッフを引き連れて参加していた。

ちょうどこの年、米国で同性間性行為を違法とした州法(いわゆるソドミー法)に連邦最高裁判所で違憲判決が下ったり、隣のカナダの一部の州で同性婚が認められるという躍進があり、さらに東部のバーモント州で同性カップルに一定の権利を認めたシビル・ユニオン法が成立したばかりでなく、そのシビル・ユニオン法を実現に導いた元州知事ハワード・ディーン候補が民主党の大統領候補者指名選挙で序盤をリードしていた。註2 こうした大きな変化の中、来年こそは米国でも本物の同性婚が実現する年だという機運が高まっていた。確かに、ここ十年くらいの間で各地で雇用や住居を巡る差別を禁止する法律が制定されるようになっており、残る法律上の不平等は結婚制度と軍隊(平時においては同性愛者の入隊が禁止されている)程度しか残っていない。

わたし自身は、トランスセクシュアルの女性(MTFTS)のパートナーと遠距離交際をしており、「非拘束的」な関係(お互いに、相手が第三者と付き合っても構わないと同意した関係、ただしわたしの場合めったにオプション行使する機会がないのだけれど)という事で納得している。それは、遠距離だからという事で選んだ形態でもあるし、お互い過去にドメスティック・バイオレンスの被害を受けた経験があり、自分が望まない関係に拘束されたくないという意識もあったため、そのような合意に至ったという経緯がある。そういう立場から言えば、政府が介在して特定の相手との関係にわたしを拘束するような「結婚」という制度には個人的にはそれほど魅力を感じていない。

しかし、ことさら異性カップルだけ特別扱いして同性カップルを排除するような差別的な扱いには反対であるし、現在は元気だがHIVに感染しており、AIDSを発症して末期に近づいた時「法律上は赤の他人」に過ぎない自分のパートナーが病室に通してもらえるかどうかを心配している男性をはじめ、友人・知人の中には切実な理由で結婚を希求する同性愛者がたくさんいる。いや、わたし自身だって、将来何らかの事情によって結婚という選択肢を求めないとは限らない。そういったさまざまな意味から、同性婚実現に向けた運動は支援する立場。わたしの他にも「個人的には結婚は求めないけれど、求める人たちが存在する以上、同性婚の権利は支持する」というクィアたちは多いはずだ。

ところが、マイアミで行われた Creating Change コンファレンスの初日の同性婚についての基調講演には唖然とした。NGLTFの幹部でもある講演者は近年起きたさまざまなLGBTの権利拡張を並べ立てた上で、「今もっとも大切なのは同性婚の権利を実現することであり、それを批判するのはわれわれの運動を分裂させる行為だから許されない」と演説したのだ。これには、わたしだけでなく多くの参加者から異論が噴出し、閉会式の最中での抗議行動も噂される中、二日後には撤回声明が出される騒ぎになった。

もちろん、その講演者個人が「今もっとも大切な問題は同性婚の問題だと思うから、自分はそれに集中したい」と言うのであれば構わない。あるいは、「同性婚の問題は大切なんだから、もっとみんな力を入れようよ」と呼びかけるのだって良いだろう。

だからといって、「同性婚こそがもっとも大事であり、異論を述べるのはわれわれの運動を分裂させる行為だ」とまで言ってしまうと、他の問題に関心を持つ人たちは黙っていろという事になってしまう。それで、もし同性婚が実現したら、次はまた別の問題にちゃんと取り組んでくれるのだろうか?もし失敗して、同性婚を禁止する憲法修正条項が成立してしまったら、「運動を分裂させた」人たちの責任にするつもりのか?

同性婚をわたしたちの運動の中心に据えるという事が何の対話も相談もなく勝手に決定され、「運動を分裂させる」という理由でそうした対話自体を拒絶する雰囲気が作り出されようとしている、と批判したのはわたしが最も尊敬する活動家の一人である、アンバー・ホリバー氏 註3 であるが、まったくその通り。

さいわい、LGBTの運動は一つの団体の指導層によって一方向に動員されるような全体主義的な運動ではないし、そうしたトップダウン的動員に対しては各方面から批判が噴出する程度の健全さは存在する。しかし、同性婚制度を要求する運動の中では、えてしてあの講演で表明されたのと同種のシングル・イッシュー的な態度、すなわち同性婚一つしか視野に無く、他の問題に無頓着な政治姿勢が多いように感じられる。そうやって「運動の分裂」を攻撃する行為は、かえって「同性婚実現」を求める自分たちの運動を分裂している事に気づくべきだ。

     *    *    *

マスコミや政治プロセス(議会、住民投票など)を通して大々的に「同性婚反対」の声を挙げているのはキリスト教徒の中でも特殊な教義解釈を持つ、いわゆる「宗教右派」勢力だが、LGBT活動家の中でも先進的あるいは急進的な人たちの間では、同性婚に対する批判、あるいは少なくとも同性婚を重視する戦略に対する厳しい批判を提示している。それらの批判の中には、以下のような種類がある。

1)ラディカル・フェミニズムの文脈における結婚制度批判。結婚制度は男性が女性を所有する制度の名残であり、男尊女卑と強制異性愛主義の遺物なので、同性愛者が好き好んで真似する必要はない、むしろ結婚制度自体の解体を目指すべきだとする立場。主に、一九七〇年代に第二波フェミニズムを通して、レズビアンとしてカミングアウトした女性に多く聞かれる意見だが、ここまで単純明快すぎる論理を主張する人は、さすがに最近のフェミニズムには少ない。ラディカル・フェミニストから現実路線に転向したナオミ・ウォルフのように単純に「伝統を拒否するのではなく、それに主体的にコミットすることがむしろ望ましい」的なことを言わなくとも、伝統的な結婚制度を部分的に受け入れつつ、その意義をずらしたりすり替えたりする戦略の方が今のフェミニズムでは主流であろう。

レズビアン・コミュニティの描写と社会批評を組み合わせて、二〇年もの間続いている人気コミック”Dykes To Watch Out For” 註5 でも、ラディカル・フェミニズムを引きずる主役キャラと、彼女のパートナーでポストモダン・フェミニズムを駆使する女性学講師が、市長の決断により同性婚認定が開始された市役所の前で同性婚をするかしないかで揉める様子が描写されているが、後者が言ったプロポーズの言葉は「わたしと一緒に、ヘゲモニックなディスコースをなぞらえつつ、同時に不安定化するというパラドキシカルな事をやりませんか?」。こうした対立がジョークとして成立する程度には、ラディカル・フェミニズムも残っているとは言えるが、もはやレズビアン・コミュニティでもラディカル・フェミニズムの主張が幅を利かせる状況ではない。

2)「反資本主義」「無政府主義」といった立場からの結婚制度批判。単純に言えば、前項の立場の「ゲイ男性版」であるが、はっきり言ってサンフランシスコに住む一部白人ゲイ男性活動家のコミュニティ以外にはほとんど広がりがない。彼らによると、結婚制度というのは私有財産と遺産相続制度を支えるための資本主義的な装置であり、性差別・人種差別・同性愛差別などさまざまな抑圧が染み込んでいるため救いようが無い。サンフランシスコにあるゲイ・シェイム(つまり、メインストリーム化・お祭り化した「ゲイ・プライド」のアンチ)という団体 註6 がこの立場を取っており、二〇〇四年二月にサンフランシスコの市役所で同性婚の認定がはじまると、早速「結婚制度批判」キャンペーンを繰り広げた。

ちなみに、サンフランシスコの活動家業界でゲイ・シェイムの主張が一定のシンパシーを得たのは、必ずしも彼らの主張に同調しているからではない。サンフランシスコにおいて同性婚が実施される前に行われた市長選挙 註7 において、大半の活動家たちは当選したギャビン・ニューサムを「弱者の敵」として批判し、対抗馬のマット・ゴンサレス「緑の党」候補を熱狂的に支持していたという経緯があり、同性婚実施で一躍ニューサムがクィアたちのヒーローになった事に戸惑っているのだ。ニューサムは民主党員だが(サンフランシスコに共和党員はほとんどいない)、市議としてホームレス排斥法案を次々と提案することでのし上がってきた「超保守派」(サンフランシスコの基準では)。頻繁に当地を訪れているわたしの感触では、選挙中ニューサムをさんざん罵ってきた活動家たちの頭の中では、今さらニューサム賛美に同調するわけにもいかないという意識が(無意識かもしれないが)働いたのだろうと思う。

サンフランシスコから三週間遅れて、わたしが住むポートランドでも同性婚認定がはじまったが(後述)、ポートランドでこの決定を下したのはリベラル派として市民の支持を得ているマルトノマ郡の行政官たちであり、ポートランドのクィア・コミュニティにおいてはサンフランシスコと比べて素直に同性婚実現を喜ぶ傾向が見られた。

3)特定のパートナーとの結婚を求めず、一生シングルとして生きることや、複数のパートナーとの間で新たな「家族」の形態を目指すことを指向する人たちによる、「カップル」特権への批判。自由主義社会においては、個人がどのような「家族」を生きようと自由であるはずで、政府が特に「カップル」だけを認知したり特権を与えたりするのはフェアではない、という主張。確かに言い分は正しいと思うのだが、こうした主張をする人たちは運動体だとか政治勢力としてまとまっておらず、今のところ影響力はない。ただし、核家族を一つのユニットとする社会の有り様にはさまざまな問題があるのが明らかなので、今後よりルースな「家族」形成を求める声は高まるはず。同性婚の是非とは切り離して、議論していく必要はあるだろう。

4)ブッシュ政権が福祉削減の手段として(異性愛カップルの)「結婚奨励」「家族の価値」を政策と掲げている現在、同性愛者たちが「結婚」を至上のものとみなした運動を展開することは、福祉削減に苦しむ貧困層の人たち、特にシングルマザーを今よりも追いやる事になるのではないかという懸念。こうした意見は Creating Change でも複数の参加者から聞かれたが、メディア上ではクィア理論家リサ・ドゥガン氏 註8 がThe Nation誌(三月一五日号)に寄稿した”Holy Matrimony!”が鋭い。

「結婚奨励」政策は、ブッシュ大統領 註9 による「温情的な保守主義」施策の一種であり、主に福祉受給者であるシングルマザーたちを対象に、福祉受給の条件として「結婚」を薦めるプログラムを受講させるなどして、彼女たちが結婚して夫に養ってもらうよう導く政策。もちろん、今や中流階級だって共働きが当たり前の経済状況なのに、結婚によって貧困を解決しようというのは合理性のかけらもない愚策。そればかりか、貧困の原因を産業構造の変化や労組の弱体化に便乗した労働条件の悪化、あるいは政府による貧困行政の失敗ではなく、貧しい人たちの性生活や家族観に押し付ける無責任な政策で、貧困対策を口実として宗教右派勢力が理想とするような男尊女卑の結婚観を再現しようという施策にも見える。

こういう社会状況にある時、同性愛者たちが「結婚のメリット」ばかりを強調する運動を繰り広げることは反動的であるという見方はできる。現に、同性婚を主張する人たちの中では「次の戦場は同性カップルが養子を迎える権利」とばかりに、「子どもの発育に必要なのは家庭に二人の親が存在することであり、親が同性愛のカップルか異性愛のカップルかは関係ない」という主張が堂々と展開されているが、この議論を押し進めると「シングルマザーは自分の子どもに必要な環境を与えていない、同性でも異性でも良いからとにかく結婚すべきだ」となる。結婚が権利であると同時に結婚しない事も個人の権利であること、そして貧困など社会問題の解決策として結婚を奨励するのは間違いであることを踏まえた上でないと、同性愛者の権利を主張しているはずが、いつの間にかブッシュ政権の福祉削減政策に巻き込まれる事になりかねない。

5)同性婚も良いが、それより切羽詰まった問題が他にたくさんあるではないかという主張。ニューヨークで貧しいトランスジェンダー・トランスセクシュアルの人たちの法律相談をしているFTMの弁護士・ディーン・スペード氏 註10 は、「われわれの運動はシンボリックな勝利ばかり得たがるくせに、目の前の問題に向き合おうとしない」と言う。「(同性間の性行為を禁止する)ソドミー法に違憲判決が下ったことをさかんに祝っているが、一体全国で何人の人がソドミー法違反で刑務所に入れられていると言うのだ(違憲判決の前でもソドミー法は事実上死文化しており、現実にはほとんど執行されていなかった)。それに比べて、貧困が原因で投獄されたクィアたちの方がどれだけ多いだろうか。」本当にクィアたちの権利擁護を考えるのであれば、福祉や行政サービスの削減について何の行動を取らずにソドミー法だけを問題とするのはおかしいという考え方だ。

この立場から見れば、「同性婚」も本来運動の中心に据えるほどの問題ではない。なぜなら、「結婚によるメリット」とされていることの大半は、婚姻によらずとも当然誰もが持つべき基本的な権利であるか、深刻な社会制度の不備を個別に埋め合わせるだけでしかない。例えば、法的に結婚が認められれば配偶者の健康保険に加入できるという議論であれば、そもそも数割もの国民が健康保険を受けられないというような現状は先進国では類を見ない問題だ。要するに、同性婚推進論は、こうした大規模な社会的格差・不均衡を放置したまま、上・中流階級の同性愛者たちだけ上・中流階級の異性愛者と同じ特権を勝ち取ろうというムシのいい話ではないか、というわけだ。

これまでの分類を読めば分かるとおり、わたし自身は4と5にシンパシーを感じる立場であり、3には中立、1と2にはやや批判的だ。わたしは同性婚の実現を求めるが、それはわたしが望む社会的な変革のごく一部でしかない。市場競争主義を国是としたようなこの国の政治・経済体制が、実際のところさまざまな差別や不均衡のために公平な競争のスタート地点にすら立てない人たちを大量に生み出しつつ、あらかじめ勝敗の分かり切った出来レースに終始していることをわたしは変えたいのであって、一部の同性愛者だけを「勝ち組」に加えるための運動に加担したくはない。

◎二〇〇四年三月、オレゴン州ポートランド

サンフランシスコに遅れること三週間、ダイアン・リン行政官らの決断により、わたしの住む街ポートランドを含むマルトノマ郡 註11 は、同性カップルに結婚証明書を発行する全米で二番目の郡となった。同性婚開始当日の三月三日早朝、待ちに待った結婚証明書を手にするため列をなす同性カップルたちとその友人・家族や支援者、そして同性婚に反対する宗教右派系の活動家双方の熱気に包まれたマルトノマ郡役所に向かった。

わたしが現場に到着した時、プラカードを持った反対派は四人。それに対し、まだ開いていない役所の外に行列していたカップルたちは百人を優に超えており、建物の外壁三面に沿ってずらりと並んでいた。他にも、書類記入を手伝ってくれるボランティアや、何台ものテレビカメラとそれを扱うクルーやたくさんの記者、そしてわたしを含めた野次馬(というか、結婚するカップルたちを祝福するために駆けつけたコミュニティの人たち)も多数。やがて役所のドアが開き、その数分後に最初のカップルがやっと手にした結婚証明書を高く掲げてカメラのフラッシュを浴びていた。

大量のバラを持ち寄って、当日結婚するカップルたちに一本ずつプレゼントして歩いている男性がいた。少し遅れて現場に到着した人たちは長い時間立ったまま待たされる事になったけれど、誰もイライラしていない。何ヶ月か前にちょっとした喧嘩をしてしまってしばらく会ってなかった知人に再開して、九年間の同棲の末ついに結婚するパートナーを紹介される。もう何年も会っていなかった大学の同級生もいた。やがてどこからかビートルズの「愛こそがすべて」を歌う声が聞こえて、全体での大合唱になる。この平和的で幸せ満開な光景を見て、それでも同性婚は認められない、社会秩序を崩壊させると言える人がいるだろうか、と思った。

反対派の活動家たちは、「結婚は男性と女性との間だけ」「神の裁きを覚悟せよ」「イエス・キリストを受け入れろ」といったプラカードを掲げ、またその中の何人かはノンストップで同性愛がいかに異常で変態で罪悪であるか叫び続けていた。これまでわたしが参加したLGBTの権利を訴えるデモや集会では、反対派の側からこうした罵声が浴びせられるとこちらの側も興奮して醜い罵声の応酬に引きずり込まれる事が多かったのだが、今回に限っては誰も気にしていない。わたし自身、彼らの罵声が全く気にならない。

思えばこの十五年ほど、オレゴン州のLGBTコミュニティは、常に宗教右派による合法・非合法合わせた攻撃に怯えてきた。「オレゴン市民連盟」という極右団体は、住民投票を通じて性的少数者の人権を剥奪する戦略を全米の保守団体に先駆けて繰り広げ、一九八八年から二〇〇〇年までに四度にわたって、同性愛者の人権剥奪を狙った住民投票を仕掛けてきたのだ。最初のを除いて全て僅差で否決に終わったものの、選挙戦の最中に何者かによって起こされた爆弾テロ 註12 で何の罪もない同性愛者が殺害されるなど、資金面からも精神面からもオレゴンの性的少数者たちは多くの犠牲を払わされてきた歴史がある。それが今では、こうして圧倒的な道徳的優位に立ち、相手の罵倒を笑い飛ばすだけの余裕が出来たのだ。それに気づいたとき、涙が出るほど感激した。

あの日の経験を元に言うならば、わたしは米国における同性カップルの権利について、決定的に楽観的な展望を得る事ができた。もちろん短期的には激しいバックラッシュが予想されるし、もしかすると同性婚を禁じる憲法改正が成立するなどして後退を迫られる事があるかも知れない。だが、今後何があっても、あの日あそこに居合わせた数百人、もしかすると千人以上もの人たちがあの光景を決して忘れないし、同じように列に並んだサンフランシスコのクィアたちや、もはや列に並ばずとも当たり前の事として同性婚を認められた外国のカップルたち、そして彼らの友人や同僚や家族がいる限り、必ず同性カップルの権利は認められるようになる。あれだけ多数の人の幸せと生き方に直結する重大な問題を、単なる偏見だけを理由にいつまでも押さえつけておく事などできるわけがない。

むしろ問題なのは、同性婚を実現する過程において、あるいは実現した後、そこで立ち止まらずに、より広範な社会変革をLGBTコミュニティが求め続けるかどうかということだと思う。ちょうどそういう事を考えているとき、知り合いの活動家から「マルトノマ郡が同性婚の是非についての公聴会を開くから発言しないか」と誘われた。郡行政官の前で二分間マイクを渡されても、特に結婚する予定も展望も願望も持たないわたしに一体何を言えというのか分からないが、さんざん苦悩した上でわたしの準備した証言、というか小演説 註13 の抄訳を以下に紹介して、この文章を終わらせたい。

「みなさん、同性婚を認知すると決定したことで、マルトノマ郡の行政官が行き過ぎたと主張する人がいますが、わたしに言わせればまだ充分に行き足りていません。

例えば、結婚によって配偶者の健康保険の適用を受ける事ができるのは良いと言いますが、どのようにしても必要な医療を受けられない人や、食費を削らなければ必要な薬が買えないような人についてはどうするのでしょうか。あるいは、結婚が法的に認められれば外国籍の配偶者と一緒に暮らす事ができると言いますが、わたしたちが食べている果物を育てたり、わたしたちが泊まる宿を掃除してくれている移民労働者たちが強制送還に怯えている現状はどうするのでしょうか。さらには、法律上肉親として認知されていた方が老後安心だと言いますが、一生必死に働いても不十分な貯蓄や年金しか持てずに老後に不安を持っている人なんて、結婚しているかどうかに関わらずいくらでも存在しているという事実をどうするのでしょうか。

これらは州政府や連邦政府が対処すべき問題であり、郡の公聴会で持ち出すのはおかしいとお考えの方もいるでしょう。しかし、それを言うなら同性婚の是非だって本来州政府が結論を出すべき問題でした。しかし、州政府が全ての市民を平等に扱うという本来の使命を放棄して結婚制度における差別待遇を放置した時、マルトノマ郡は住民全ての権利を守るためにリーダーシップを発揮しました。これからもマルトノマ郡は、同性婚の問題に留まらず全国的な問題に対する独自の解決手段を示す事で、他の地域をリードし続けるよう願います。」

それは、わたしがLGBTコミュニティに期待する役割と同じである。

1.NGLTF LGBTの団体なのに団体の名称にゲイとレズビアンしか含まれていないのは何故か、という議論は何度か行われているが、正式に名前を変更してしまうとこれまで蓄積した知名度・認知度を失うのではないか、あるいは今後新たなグループを含む度に何度も名前を変えるハメになるのではないかという懸念もあり、そのままになっている。ただし、最近はロゴを変えて「タスクフォース」の部分が大きく見えるようにしたり、ウェブサイトのドメイン名を ngltf.org から thetaskforce.org に変えたりと、バイセクシュアルやトランスジェンダーの人たちを疎外しないような一定の努力はしている様子。

2.ハワード・ディーン候補 周知の通り、その後ディーン候補は失速してジョン・ケリー候補に民主党候補の座を奪われた。とはいえ、米国史上初めてインターネット・ウェブログを中心に据えた草の根選挙運動を行い、弱小候補という評価を裏切ってそこそこ健闘したことは政治のプロを驚かせた。選挙戦から撤退した後、選挙組織を市民運動へと衣替えさせたディーン氏の次の野望は、民主党内のフィクサーとして影響力を持つ事?

3.アンバー・ホリバー Amber Hollibaugh氏のエッセイ・論文集”My Dangerous Desires: A Queer Girl Dreaming Her Way Home” (2000) は超オススメ。彼女は、レズビアン&フェミニストであるにも関わらず、貧困層出身者として、性労働者として、トランスジェンダー理解者として七〇年代のレズビアン・フェミニズムから排除され、八〇年代に誰よりも早く「レズビアンとAIDS」「女性とAIDS」「クィアの老後」といった問題に取り組んだ人です。トランスジェンダー活動家・文筆家として著名なレスリー・ファインバーグ(が教条的マルクス主義に迷い込む以前)の元パートナーと言った方が分かりやすいかも。ファインバーグの小説”Stone Butch Blues”(1993) の最初のページにはアンバーへの謝辞が書かれている。

4.ナオミ・ウォルフ ダイエットに励む女性をカルト信者に例えるなど過激な表現で「女性自身によって内部化された抑圧」を訴えた著書”The Beauty Myth” (1992) でデビューし、年上のラディカル・フェミニストたちを喜ばせるも、ほんの数年で正反対の立場に大転向、「今やっと女性にチャンスが与えられているのに、女性の被害者性ばかりを強調するフェミニストのせいでチャンスを掴み損なっている」として「被害者フェミニズム」批判に回った論者。二〇〇〇年の大統領選挙では、女性に人気のないゴア副大統領のイメージ・コンサルタントとして雇われてたりする。彼女による結婚に対するコミットメント論は、論集 “Women: Images and Realities” (1995) 所収の”Brideland”などで見られる。

5.Dykes To Watch Out For ある架空の(やたらと多様性の豊富な)レズビアンコミュニティを舞台として、アリソン・ベックデル氏が毎月二本のペースで二〇年間続けているコミック。シリーズ開始当初はレズビアンばかりだったが、コミュニティの移り変わりを反映してバイセクシュアル、トランスジェンダーのキャラクターも続々登場した。その時々の社会的事件や政治状況に対する批評として読んでも面白いし、レズビアン・コミュニティの変化が分かるという意味で貴重な資料。現在、アメリカで「レズビアン・コミック」を生業として生活している漫画家は、おそらくベックデル氏ただ一人。

6.ゲイ・シェイム ゲイ・シェイムのメンバーたちは、よりメインストリームの各種LGBT団体を「体制迎合的」「異性愛文化への同化論」「資本主義的」「性差別や人種差別を放置している」などとさかんに非難しているが、わたしの知る限り内部における性差別や人種差別の実態はメインストリームの団体と大差ない。いや、自分たちだけは反体制で特別だと思い込んでいる分、おそらくゲイ・シェイムの方がタチが悪い。言う事は過激だが、本当に反資本主義なり無政府主義の主張を信奉している人は少数で、大多数はただ単にこういう団体に参加することでアノミーを解消しているだけだと思われる。

7.サンフランシスコ市長選挙 前回の市長選挙では、市政界のリベラル派の代表格でありゲイ男性でもあるトム・アミアーノ氏が当初有力と見なされていたが、ゴンサレスが突如アミアーノを裏切って「緑の党」の指名を受けて立候補した事で乱戦になり、結局決選投票で保守系民主党員のニューサムがゴンサレスを僅差で破って当選した。市長選挙をきっかけに「緑の党」が自党の支持基盤を切り崩す事を恐れた民主党は、市長選挙としては異常なくらい組織の引き締めを行い、ビル・クリントン前大統領、ダイアン・ファインスタイン上院議員(元サンフランシスコ市長)、バーバラ・ボクサー上院議員、さらには黒人市民権運動指導者のアル・シャープトン師まで動員してニューサムを支援したことで、二大政党の底力を見せつけた。二〇〇〇年大統領選挙といい今回のサンフランシスコ市長選挙といい、今の選挙制度が続く限り緑の党が出しゃばるとロクな事がない。

8.リサ・ドゥガン ニューヨーク大学歴史学&アメリカン・スタディーズ教授。フェミニズムやクィア理論をポップに語ることができる新世代の学者。クリントン大統領の浮気スキャンダルを巡る報道から現代アメリカの性意識を論じる著書”Our Monica, Ourselves: The Clinton Affair and National Interest”(2001) はさすがにちょっとポップ過ぎて、おカタい学問界の一部で顰蹙を買っているという噂。個人的には好きです、彼女のスタイルは。

9.ブッシュ「大統領」 こんな事日本人に向けた本で愚痴っても仕方がないのだが、わたしはブッシュが大統領であるとは認めていない。二〇〇〇年の大統領選挙は、ジョージ・W・ブッシュが弟のジェブ・ブッシュ(フロリダ州知事)と共謀して大統領の地位を詐取したクーデタである。

10.ディーン・スペード 自身もFTMTSで、貧しいトランスジェンダー・トランスセクシュアルの人たちのために法律相談をする団体”Sylvia Rivera Law Project”を設立した弁護士・活動家。反資本主義・反グローバリズムの活動家としても活躍中で、ニューヨークで二〇〇二年に行われた世界経済フォーラム(例年スイスで行われるが、九・一一事件後の復興を支援する目的でニューヨークに誘致された)に抗議する集会に参加した後、本人の性自認の通り男性用のトイレを使用したところ不法侵入として逮捕された。大げさなスローガンに流されず、目の前にある貧困の問題に地道に取り組む人で、わたしが尊敬する活動家の一人。反グローバリズムのデモでマクドナルドの窓を破って喜んでいる連中が、全員彼の百分の一ずつでも着実な事をやってくれれば、きっと世の中良くなるはずなのに。

11.マルトノマ郡 米国では、郡は州より小さく市より大きい行政単位。結婚は州法によって定められており、郡が実際の手続きを担当する。サンフランシスコにおいて郡行政官ではなく市長による決断で同性婚が実施されたのは、実はサンフランシスコでは市と郡の範囲がぴったり一致した珍しい例であり、市長は郡の行政官としての役割も兼任するようになっているから。サンフランシスコと違い、ポートランド市など他の市の市長は結婚制度に関する権限を何も持たない。ちなみに、マルトノマというのは昔ポートランド周辺に住んでいたネイティヴ・アメリカンの部族の名前。ポートランドという名称はメイン州ポートランド出身の人がそう名付けただけであり、直訳すると「港の土地」という名前のわりには海岸から二時間ほど離れている。

12.爆弾テロ 九・一一事件以来、やたらとテロという言葉で大騒ぎするようになっているが、もともと米国では極右団体によるテロ事件が多発していた。古くは(今もあるが)KKKによるリンチに始まり、市民権運動の拠点となっている黒人コミュニティの教会に放火したり、妊娠中絶手術を行うクリニックの爆破や医師の殺害、そして同性愛団体の事務所などに対する攻撃などだ。選挙戦の最中にオレゴンで同性愛者二名が爆弾テロに倒れた事件は全国に衝撃を与え、ニューヨークで当時発足したばかりの直接行動グループ The Lesbian Avengers が「向けられた炎を抱え込み、自分たちの力に変える」というテーマをスローガンに盛り込んだり、デモ行進などの活動において炎を飲み込んだり吹いたりするスタント・アクションを取り入れたりするきっかけとなった。

13.証言、というか小演説 あれだけ苦しんでエラそうな発言内容を準備したのだが、結局当日のスケジュールの都合が付かなかったため、実際は演説しなかった。代わりに、関係者にメールで送っておいたが、ああいうエラそうな内容はメールで送られると「何だこいつ」程度にしか思われないであろうだけに残念。

コメントを残す

コメントを残す