納得いかない英語版「ドラゴンボール」の孫悟空の「雄弁」

9/6/2004 - 2:51 pm | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

ここのところ病気でベッドに伏せている時間が長いのだけれど、ずっと寝ているわけにもいかないしヒマなので今さら某「ドラゴンボール」のDVDを借りて通しで観ていたりする。不謹慎にも「おー、これマトリックスの戦闘シーンに似てるじゃーん」とか感じてしまって、そりゃ順序が逆だという話は置いておくとして、最初DVDに日本語の音声が入っているのに気づかずに英語で観た後で、日本語トラックの存在に気づいてもう一度(退屈なシーンは飛ばしつつ)観なおしてみたところ、割とセリフが改変されているところが多い事に気づく。まぁ大半は直訳すると分かりにくい部分を分かりやすくしただけなんだけれど、一カ所とても面白い改変シーンを見つけたのでここで紹介。

問題のシーンはアニメ版「ドラゴンボールZ」の第268話(アメリカで売られているバージョンでは省かれているエピソードがあるみたいで話数がズレているので、このサイトを参考に第何話か確認した)、あらすじを無視して簡単にシーンだけ説明すると、圧倒的な力を誇る強敵「魔人ブウ」に対抗するために、主人公の孫悟空が彼をライバル視するベジータに向かって「自分と合体して最強の戦士になろう」と説得するシーン。ストーリーを知らなけりゃ合体って何それって話になってしまうけど、紹介したい内容にそれは関係ないから説明は省く。面白いのは、その説得の論理が日本語版と英語版で全然違うこと。

日本語版では、孫悟空は以下のようにベジータを説得にかかる。

悟空:だめだ、どうやったって勝てねえ。地球も、何もかもぶっ飛ばされちまう。すべて終わりだ。

ベジータ:くっ、知ったことか。

悟空:ベジータ、みんなブウに食われちまったんだぞ。クリリンも、チチも、ブルマもだ!

ベジータ:うっ。

悟空:ピッコロも、悟飯、悟天、そしてトランクスも、やつに吸収されちまった。ブウの急激なパワーアップはそのためだ。このままじゃみんな犬死にだ! オラたちも、このまま何の抵抗も出来ず殺されちまう! それでいいのか、ベジータ!

ここで仲間が殺される場面の回想シーンが入り、その後ベジータは覚悟を決めて悟空との合体に合意することになる。

ところが、英語版のスタッフは上記の説得だけでベジータが翻意するのは納得がいかないと考えたらしく、以下のような説得を追加している(悟空のとぼけた口調もあまりうまく英語版では再現されていないので、翻訳の口調も日本のそれとはイメージが違うと思う)。

Goku: Look, you’ve always talked about the Saiyan race. How we are the last of the mighty people. Well it’s time we accept we are starting a new race–the one that is just as strong, just as proud. But not if we’re caught up in so much of our old “birthrights,” to see what we have right in front of us: we’ve lost our old race, Vegeta. Let’s not lose this one too.

(悟空:見ろよ、お前はいつもサイヤ人について話していたな、俺たちが戦闘民族の最後の生き残りだと。だがな、今や新しい民族–前のものと同じくらい強く、同じくらい誇り高い民族–となる時だ。でも、生まれつきの特権だとかそんな事にこだわっていては、俺たちの古い民族が滅びたという現実すら見つめることもできない。ベジータ、この新しい民族まで失うようなことのないようにしようぜ。)

…あのー、こんなアホみたいな演説に説得力感じますかぁ? そもそも、この「魔人ブウ」編においては、それまで自分の誇りのためにしか戦って来なかった筋肉バカのベジータが、はじめて家族や仲間を守るために自分を犠牲にしてまで戦うようになった、という大きなストーリーがあるのに、それを無視してこんなクダラナイ説得を挿入する物語上の理由は全くないはず。つまり、英語版を作ったスタッフの人たちが英訳されたセリフを見て「これだけでベジータが説得されるわけがない」と感じたのだとすると、それはアニメの中のベジータの性格を考慮してと言うよりは、ただ単にそのスタッフ達が「物語」に頼って生きるような典型的なアメリカ人なんだろうと思う。彼らから見れば、ベジータが家族や仲間を思いやるようになるのは、ベジータがどんどんヘタレてきているように見えるのかも知れない。

わたしが借りてきたDVDはストーリー的には最後の「魔人ブウ」編だけだし、その全てを日本語と英語で観たわけではないので、他にも面白いセリフの改変があるのかも知れないけど、知らない。こうなったら全編検証して日米の文化的相違についての論文でも1つ書いてやろうかなぁ…って、元気になったらそんなヒマはないんだけど。

6 Responses - “納得いかない英語版「ドラゴンボール」の孫悟空の「雄弁」”

  1. 芥屋 Says:

    Macskaさん、お久し振りです。ここはちょくちょく見ています。

    >元気になったらそんなヒマはないんだけど。

    更新が無いからお忙しいのかと思っていました。
    体調を崩されているのなら、お大事にされてください。

    >「物語」に頼って生きるような典型的なアメリカ人

    さて、どうにも、議論!とか論争!につくづく倦んでしまっている私ですが、このドラゴン・ボールの英訳版の話、興味深く思いました。実は、私の掲示板において最近、ある人から『2001年宇宙の旅』と『ソラリス』の比較をしたレスをもらったのです。英米文化の影響が色濃く出ているのでは?という内容。私にはシンクロ的なテーマ提示に思えていまして、ちょっとご紹介してみます。

    *上のURLから入って三島由紀夫スレッドの下のほう、告天子(ひばり)さんという投稿者の「ソラリスから」です。

    *AUROLAでの論争は、私も反省すること多かったです。
    でわ。

  2. なんばりょうすけ Says:

    うわー、こんな極右(←誤変換)じゃなくて悟空はやだなー。
    DBのこのへんは連載でしか読んでませんが、へジータが「いい奴」になっていくのは好きだったけどなぁ。スタッフ的には悪役がいい奴になっていくのが理解できなかったか、あるいは子供には理解できないと判断したのか。。。

    お体お大事にー。

  3. Baad Says:

    Macdkaさん、その後おかげんいかがですか?

    こちらはちょくちょく覗いていましたが、コメントを付けられそうな記事がなかったりタイミングを逃したりで、始めておじゃまします。

    >「物語」に頼って生きるような典型的なアメリカ人

    という言葉に私も芥屋さんと同じく反応してしまったのですが、残念ながら『惑星ソラリス』は未見。
    でも、一般的には確かに日本映画は映像や情緒の描写に優れているし(とくに古いもの)英米の映画は文学的なものや言語に引きづられすぎて訳が分からなくなっていることがよくあるな、と思います。
    (こういうことに気付いたのはAURORAの管理人さんと別サイトで昔した会話がきっかけだったりして、ついつい出てきてしまいました。)
    でも最近は言葉や物語に必要以上に引きづられている日本映画も増えているようでがして、あんまり良くない傾向かもしれないと思っています。

    『華氏911』もようやっと見ました。私はそこそこ良かったような気がしましたが、(その前日に見た『誰も知らない』が私的にはもっと支離滅裂だったこともあるけど)ひょっとして、「今年のカンヌかなり低調だっのでは?」とは思いましたよ。
    今晩はあんまり時間がないので、また改めて来ます。

  4. Baad Says:

    Macskaさんのお名前打ち間違えていました。
    来た早々ごめんなさい。

  5. macska Says:

    みなさまこんにちはー。
    まだ病気なんですが、DV系のお仕事でサンフランシスコに来てます。

    わたし、「ソラリス」どころか「2001年宇宙の旅」も見てないんでその件については全然コメントできないです。

    というわけでドラゴンボールの話に戻るわけですが、本文で触れた悟空のベジータへの説得のシーンのちょっと前にもセリフの改変がありました。ベジータが復活(というか、死んだままだけど)する直前、パワーアップのための合体の相手が見つからずに追いつめられた悟空が、仕方がないのでミスター・サタン(普通の地球人の格闘家としては強いけれど悟空たちのレベルには足下にも及ばない)と合体を考えるシーンがあります。

    そこで、日本語版では「1000のパワーが1001になっても勝てない」だとか「もしかしたら今より弱くなっちゃうんじゃないか」とか悩んだ末に、「一か八かだ」と半ば投げやりにサタンの合体を決意するのですが、英語版だと「サタンなら力は弱いが一応武術の心得はある」と納得ずくで合体を決意するというストーリーになっています。英語版スタッフたちは、「一か八か」といういい加減な踏ん切りで合体してしまうという悟空の決意がどうしても理解できなかったのかなー、なんて思ってしまいました。

    ところでその後「人造人間編」のDVDを観てますけど(というか、来週ポートランドに帰るまで続き観れない)、ドラゴンボールって、毎週1話ずつ観るなり読むなりする分には面白くても、大量に一気に通しで観たら敵と味方が交互にどんどんパワーアップするだけのお話でしかないわけで、飽きますね。

  6. パオパオ Says:

    どうもこんばんわ。ドラゴンボールには何の興味もないんですが、Baadさんの書き込みにつられてしまって、いやほんとに、「誰も知らない」はクソ映画なんですよ。ほんと是枝って興味深いテーマを拾ってくるのに、映画として観たらすげえつまらないのはなぜなんでしょう。

    で、同じ日に公開された「華氏911」。つまんないね。だいたいムーアってテレビ番組とかなら、白人乗車拒否タクシーとか、ジュリアーニをエロ雑貨屋でからかうとか、観てて笑えるじゃない? ムーアから笑いをとったら何が残るっての。もちろん日本でも神保哲生とか宮台真司とか森達也とか、華氏911を批判してるよ。でもあなたは6月から批判してて、それもすごく説得力あるし、あなたは慧眼の人だよ。
    僕は、最初のツインビルに突っ込むシーン、あれは「セプテンバーイレブン」のオムニバス映画で名前忘れたけど某監督の撮った暗転シーンよりも、がっかりした。
    それに突撃取材でも、「お子さんをイラクに」とか議員にいうけど、ほとんど相手にされてない。泣きそうになった、あれ観て。すごく悲しい映画だ、華氏911。
    でも「ロジャー&ミー」「ボーリング〜」からずっと故郷に執着しているのは、少しだけ良いと思えるけどね。

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