日本女性学会「『ジェンダーフリー』と『バックラッシュ』を再考する」での発言要旨その他

7/1/2009 - 12:05 am | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

日曜に日本女性学会大会で行なわれたワークショップ「『ジェンダーフリー』と『バックラッシュ』を再考する」にコメンテータとしてネット経由で参加した。コーディネータは山口智美さん、斉藤正美さん、そして荻上チキさんという、わたしと一緒にシカゴのアジア学会で発表した面々で、コメンテータはわたしの他に伊田広行さん、金井淑子さん、細谷実さん、そして井上輝子さん。わたし的には、どうしてわたしがそっちのグループなのよ!という思いなのだけれど、まあジェンフリ問題について特に発表することもないし、コメンテータとして入れてもらっただけ良かったと言うべきか。ていうか、自分の名前が入った案内が出回るまで登場することすら知らなかったし。

わたしは米国からオプラの視聴者みたいにSkype経由で参加したこともあり、音声が途切れて内容を聞けなかった部分もあるので、セッション全体の報告はしない。報告が読みたい人は、他のところをあたってください。わたしが思ったことや、わたしが発言した要旨を中心に、以下に掲載しておく。

まずコーディネータである山口さん、荻上さん、斉藤さんの発表から。三人の発表に共通すると思う点は、わたしたちが「ジェンダーフリーに対するバッシング」を批判したり、男女共同参画政策を推進しようとするときに、どれだけその実態を知り理解することをしてきたか、という問題提起が大きいと思う。荻上さんの2ちゃんねる動向ウォッチや、山口さんがここのところ集中的に取り組んでいる「草の根保守運動」研究、斉藤さんの「地方における男女共同参画」実態調査などには、わたし自身驚かされたことや学んだことが多い。

しかし日本女性学会の幹部らを中心とする多くの「フェミ学者」たちは、仲間内の議論で「バックラッシュはこういう相手である」という虚像を作り上げ、一見それらに抵抗しているふりをしながら、実際にはまったく効果のない、あるいはかえって足を引っ張るような、対策をとってきた部分が多い。その極地が、日本女性学会サイトに掲載された「Q&A−男女共同参画をめぐる現在の論点」という(以前取り上げた)文書であり、それを発展させた『Q&A男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』(明石書店)だったと思う。

コメンテータの発言では、日本女性学会の元幹事であり、上記のQ&A文書を編纂した中心人物である伊田さんによる、山口さんへの反論があった。かれはもともと労働運動に関わってきた学者であり、賃金における性差別やパートタイマーの待遇などに取り組む中で、スピリチュアルシングル(スピシン)主義を提唱するに至ったという。そのうえでかれは、山口さんらはかれの「スピシン主義」を精神論だとして否定しているが間違いである、と発言したが、そんなことは山口さんの伊田批判の中心でもなんでもない。にもかかわらずここで会場に来ていた伊田応援団(某ファイトバックの会の代表で、上田美江さんという方らしい)から拍手とともに「伊田さんがんばってー」という声援が巻き起こる。これは恥ずい。わたしもこういう会議で自分が発言した途端に会場のごく一部から猛烈な拍手が起きたことがあるので分かるのだけれど、無茶苦茶恥ずかしい。この点だけは伊田さんに激しく同情する。

山口さんが、伊田さんをはじめとするジェンダーフリー論争時の女性学会幹事たちを批判したのは、伊田さん独自の考えである「スピシン主義」にこだわっていたわけではない。彼女の批判はあくまで、「ジェンダーフリー」の取り組みが多くの場合「行政や行政と組んだ団体らが、市民や生徒の意識変革を呼びかける」ことを中心化していて、それまでの女性運動が行なってきた「行政やメディアなど、権力のある側に対するはたらきかけ」を放棄するばかりか、そういった歴史を忘却・消去していることに対するものだ。その意味で、わたしは『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』に掲載された山口さんの論文は、個別の問題で彼女に賛成するかどうかはともかく、日本におけるフェミニズムに興味のある人は全員読んでおくべき文章だと思う。

伊田さんは、フェミニズムは多様で良いと思うが、お互い意見をよく聞いて理解したうえで議論する必要があると言う。そのことに反対する人はどこにもいないだろうけれど、相互理解を一番拒否してきたのは伊田さんだと思う。山口智美さんに対して一方的に「フェミニズムを誤解している」と書き散らし、そのことを批判されても一切釈明も説明もしないというのはその一例だ。かれは自分のサイトではさまざまな文章を公開し、ブログも頻繁に更新しているのに、コメントもトラックバックも受け付けていない。それでもその他の場面で応答しているならまだ良いのだが、とにかく他人の意見を聞こうとせず、一方的に相手が物事を分かっていないと決めつけるだけなのだからタチが悪い。

山口さんに対して「フェミニズムを誤解している」と言い放った件について、今回の会議では山口さんだけでなく会場にいたマサキチトセさんからも問い詰められて、伊田さんは「それは自分の考えるフェミニズムを理解してもらえていないということだ」というように釈明した。しかしこれは明らかにおかしい。実際に伊田さんがブログで書いたのは、次のようなことだ。

それに対し、双風舎の『バックラッシュ!』は、その前書きを読む限り、少し私とはスタンスの違う人もいるようだ。読んでみないとわからないし、私が尊敬する人も何人も執筆者に名を連ねているし、意見の一致する部分も多いと思うが、多分、執筆者の顔ぶれを見ても、部分的に意見は対立するであろう。

そのひとつは、「第3の道」というような概念をどう使うかだ。私も、拙著『シングル化する日本』などで書いたように、旧来型福祉国家路線や新自由主義路線ではない、第3の新しい社民主義のスタンス(それを私はシングル単位社会とも呼ぶ)をとるものだが、双風舎の本では、それをジェンダーフリー(フェミニズム)賛成、反対ではない「第3の道」のようなスタンスと重ねている執筆者もおられるようで、それには、適切に批判をしていきたいとおもう。宮台さんの主張は大丈夫と思うけど。

また私の「ジェンダーフリー」概念へのスタンスは、『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』に簡単に書いたが、双風舎の本では「ジェンダーフリーに対して批判的かつ傍観してきた論者」を集めたと前書きにあるように、何人かの人は、私とは意見が異なるだろう。

執筆者のひとり、山口智美さんなどは、かなりフェミニズムを誤解しておられるようだし。「ジェンダーフリー自体は推進しないが、デマと不安ばかり拡大再生産するバックラッシュは、それ以上にアホらしい。そろそろネクスト・ステージ(次なる局面)へ」というスタンスの人がどのようにジェンダーフリーをとらえているのか。上野千鶴子さんは、どう書いているのか注目したい。
バックラッシュ批判本が出揃う! – ソウル・ヨガ(イダヒロユキ)

ここで伊田さんは、「山口智美さんは、かなり俺の考えるところのフェミニズムを誤解しておられる」とは書いていない。明らかに、誰がどう見ても、山口さんが伊田さん特有の思想のみならず、「フェミニズム」一般を「誤解」している、と書いている。そのような一方的な中傷をしておいて、そのことを批判されても何の対処も取らないまま、公の場でその事実を突きつけられると「それはフェミニズム一般を誤解しているという意味ではなく、自分のフェミニズムに対する考え方を誤解しているという意味だった」というのは、まさしく姑息なその場限りの言い逃れだと思う。もしお互いの意見をよく聞くべきだと言うのが本心であれば、苦しい言い逃れはやめて間違いは間違いと認めるべきだと思う。

金井淑子さんのコメントでは、ジェンダー概念がいわゆる「バックラッシュ」勢力からだけではなく、トランスジェンダーをはじめとする性的少数者の側から挑戦を受けていることに注意が呼びかけられた。そのこと自体は間違っていないのだけれど、まるでこれまで「ジェンダー」を中心化する主流派フェミニズムのあり方が何の批判も受けて来なくて、ごく最近になってトランスジェンダーの人たちが登場してきてそれを挑戦するに至った、というストーリーに納得がいかない。性的少数者の人たちはジェンダーフリーとかバックラッシュとかいう話が起きるはるか以前から声を挙げていたし、性的少数者に限らず「フェミニズムは『女性』を代表するというが、その『女性』とは誰のことか?」という問いは、さまざまな方向から常に問われてきたことではないかと思う。

このあたりに関連して、会場に参加していたマサキチトセさんとo-tsukaさんのあいだでブログ上で少しやり取りが起きている。マサキチトセさんが会場でのo-tsukaさんの発言を批判する形で「『性差別の撤廃』がフェミニストの共通の問題だって、だれが決めたんだ?という疑問がある」と書いたのに対し、o-tsukaさんは次のように答えている。

すべてのフェミニスト集団が共有する課題として最大公約数として残るものは「女性差別の撤廃」でしかないので、個々のフェミニストの優先課題がどこにあろうと、共通の問題はそこにあるに決まっています。
誰が決めたとかじゃなくて、言葉の定義上そうなる(としか思えない)。違うというならどう違うか説明して欲しい。
フェミニズムの目的 – 不平文士の飲酒日記

「女性差別の撤廃」を主張しない人がフェミニストであるはずがないし、「女性差別の撤廃」を主張していれば、その他の主張がどんなにおかしくても、一応フェミニストであることを否定することもできない。そうした定義としての意味であれば、たしかにo-tsukaさんの言う通り、「すべてのフェミニスト集団が共有する課題として最大公約数として残るものは『女性差別の撤廃』」かもしれない。でもマサキチトセさんが違和感を表明しているのは、そういう定義上の問題ではなくて、「共有する課題として最大公約数として残るもの」を通して手を組むべきだ、という発言の政治性の問題だ。

「すべてのフェミニスト集団が共有する課題」とは何か。それは、女性である以外には何の社会的抑圧も受けていない、「女性」という集団の中で究極のマジョリティの立場に立つ人にとっての関心事のことだ。民族差別や性指向差別や貧困が一番の問題だと感じている女性の関心事は「すべてのフェミニスト集団が共有する課題」ではないという理由でアジェンダから取り下げられ、すべての女性にとって共通の課題である「女性差別」の解消のためだけに「すべてのフェミニスト」が連帯すべきだ、という押し付けは日常的に起きていて、o-tsukaさんがそう主張しているわけではないとしても、「共通の問題」を中心的に掲げることは、どうしてもそういう風潮を助長してしまう。

o-tsukaさんは、さらに「優先課題がどこにあるかは状況によって異なるが、究極目標が女性差別の撤廃である以上、それを邪魔するような行動があるとすればそれが利敵行為なのは間違いない。利敵行為は実によくない。」と書いている。そうした言い方のもとに、たとえばフェミニズム内部における人種差別や階級差別や権威主義や暴力といった、さまざまな不公正に対する異議申し立てが、「究極目的である女性差別の撤廃の足を引っ張る利敵行為である」として否定され、沈黙させられてきた歴史をo-tsukaさんが知らないわけではないだろう。そうした行為をo-tsukaさんが肯定しているとまでは言わないけれども、意図的でなかったとしてもそれを助長しているのは間違いない。

伊田さんがこれまで主張してきたことは、まさに「ジェンダーフリー概念に疑問を挟むことは利敵行為」であり、「共通の問題」に取り組むために、フェミニズム内部における主流派に一切の異議を唱えるべきではない、という、全体主義的なものだった。たとえば『「ジェンダー」の危機を超える! 徹底討論!バックラッシュ』掲載の論文では、かれは「ジェンダーフリー概念を批判する人(その使用に躊躇する人)は、いまの政治的文脈を見誤っている」「ジェンダーフリー概念は自信をもって使ったらいいものであり、これを使わないということは男女共同参画の流れを後退させるもの」と書いている。このような姿勢は、共著者であり今回のコメンテータの一人でもある井上輝子さんにも「原理主義的要請」として批判されている。

その井上さんの発言については、音声が途切れがちだったことと、わたし自身の発言の直前であり自分の言いたい事をまとめようとしていたこともあり、満足に聞くことができなかった。あとで録音を回してもらおうと思う。その一人前の細谷実さんの発言については、なんだかもうやる気がないのか単に話がつまらない人なのか分からないけれども印象に残ることがまったくなかったので、これもまたスルーさせてもらう。伊田さんは、わたしの視点から見れば迷惑だとはいえかれ自身が言いたいことに溢れているのが感じられたのだけれど、細谷さんはあれで何の意味があってそこにいるのかよく分からなかった。ていうか、わたしの前に発言したコメンテータ全員に共通するのだけれど、自分はこんなにやってきた、自分はこんなに進んだことを考えている、というプレゼンテーションがあまりに多くて、発表者の問題提起に十分に応対したようには思えなかった。

で、最後に発言したのがわたしなんだけれども、その内容はこれまで上に書いてきた通り。その直後にさらに音声の途切れ具合が酷くなり、せっかく双風舎の谷川お兄様やその他多くの方の発言があったのだけれどよく聞こえなかった。これもあとで聞かせてもらおう。

ところで、普段から対立している人たちが一カ所に集まって(わたしの場合は実際にその場にいたわけじゃないけど)直接批判をぶつけあうのはいいことだと思うけど、派閥対抗みたいな感じになってしまうのはイヤだね。クイズ100人に聞きましたじゃないんだし(古い)。わたしはもともとジェンフリとか関心があったわけじゃなくて、たまたま自分が関わっている分野で起きた「ブレンダ症例」がバックラッシュ派によっておかしな使われ方をしていると気付いたところからこの論争に入り込んだわけだけど、気がついたらなんとなく派閥抗争みたいなのの末席に滑り込んでしまったような気がする。もちろん、単に仲良しで一緒になっているわけじゃなくて、実際に考え方とか感性が近い人と一緒に行動しているのだとしたら、それはそれで構わないような気もするけれど、そのせいで新たな出会いを閉ざしてしまうことがないように気を付けておこうと思った。

コメントを残す

コメントを残す