山形浩生さんのサイトからお越しの方へ(クメール・ルージュの「ジェンダー犯罪」に関連して)
2009年4月13日 - 10:42 PM | |アクセスログを見ていて、山形浩生さんの最近の噂と題するページからこのブログへのアクセスがかなりあることに気付いた。以前、カンボジアのトランスセクシュアル女性がクメール・ルージュ時代に受けた迫害について告発している、というニュースに関連して、山形さんがその「最近の噂」ページで書いていることがおかしいと感じたので、別ブログ(*minx*)の方でコメントしたのだけれど、そのためか「クメール・ルージュのジェンダー犯罪とやらを重要だと思う人もいるみたいだが」と(英語で)書いてある部分がこのブログ、つまり macska.org へのリンクになっている。
でもわたしがその話を取り上げたのは別ブログにおいてであり、macska.org のどこにもクメール・ルージュの話は書いていないから、事情を知らない人がこのブログに来て関連した話を探しても見つけようがない。それじゃあんまり不親切だと思うので、山形さんのサイトからこちらに来た人が議論を見つけられるように、以下に関連エントリへのリンクを示しておく。
まず発端となったのは、昨年9月3日付けの山形さんのこちらの記事。
それに対する、わたしの批判。
さらに、この記事に対するさまざまな反響に対するお返事がこちらにある。
- ブクマコメント回答1:トランスセクシュアルの人に対する表記
- ブクマコメント回答2:「比べるもののないような悪」を比較対象とすることについて
- ポリティカルコレクトネスという「非政治」
- ポリティカルコレクトネスという「非政治」(2)
これだけリンクを紹介しておけば、わたしがどういう議論をしているのか理解していただけるのではないかと思う。というのも、山形さんの書き方だと、まるでわたしが「クメール・ルージュのジェンダー犯罪を告発することはとても重要だ!国際法廷の場でどんどん追求せよ!」と主張しているような印象を与えるのだけれど、それはわたしが実際に言っていることとは少し(というか、かなり)ポイントがずれている。
山形さんは今回のクメール・ルージュに対する国際法廷のあり方にいろいろ批判があると思うんだけれど、わたしは山形さんと違って現地の状況を良く知らないので、積極的に「こうあるべきだ」的な主張は行なっていない。それは、はじめのエントリで「わたしは、山形さんがNGO一般に懐疑的な理由や、クメール・ルージュの犯罪を際限なく追求することに否定的な理由は理解しているつもりだし、その多くの部分には同調さえしている」と書いている通り。
山形さんはたしかに、ジェンダー犯罪なんて取り上げるに足らないと書いた。それをわたしは批判した。だからわたしはジェンダー犯罪を取り上げるべきだという主張だと思ったのかもしれないけど、そうじゃないの。国際法廷がどうあるべきか、どのような犯罪をどの程度追求するかについてはわたしは判断できないけど、勇気を奮い立たせて自分や自分の仲間が受けた被害を告発した人を愚弄するな、とわたしは言っているの。わたしが問題にしているのは、クメール・ルージュの犯罪じゃなくて(いや、それももちろん問題だと思うけど)、その犯罪の被害を受けた人に対する山形さんの扱いなのね。
「クメール・ルージュ裁判におけるトランスセクシュアル被害者の告発」のエントリをきちんと読んでもらえればわたしが実際に何を言おうとしているのかは伝わると思うので、山形さんのところからリンクをたどってこちらに来た人は、ぜひそのエントリだけでも読んでください。