トランスジェンダー追悼イベントの不愉快

11/21/2007 - 8:52 pm | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

11月20日、ポートランドステート大学においてヘイト・クライム(人種やセクシュアリティなど被害者の属する社会集団への憎悪によって動機づけられた犯罪)によって殺害されたトランスジェンダーの人たちを追悼するイベントに参加。このイベントは毎年各地で同じ日に行なわれている。実際、毎年恒例にしなければいけないほど、米国内だけでも月に1件に近いペースでこうした犯罪は報道されているーー報道されていないものも多数起きていると思われる。

まず最初は、今年一年間で犠牲となったトランスジェンダーの人たちの名前と経歴が読み上げられる。親近感を持たせるためか「わたしの名前は〜です…こういう経緯で殺されました」みたいなセリフとして読み上げられるのだけれど、とても不自然。殺された人が自分のことをどう表現していたのか親しかった人などから話を聞いて再構成したのなら良いけれども、ちょっとそうとは思えない。というのも、被害者の一人にストリートで売春していた MTF の人がいたのだけれど、「わたしはトランスジェンダーのセックスワーカーです」というセリフが入っていたから。「トランスジェンダー」も「セックスワーカー」も、ストリートではほとんど意味を知る人がいない言葉であり、ストリートで売春をしていた人が自分のことをそう描写するのはほとんどあり得ないから。亡くなった人のナラティヴを勝手に作るのはやめた方がいいと思うんだけど。

続いて、トランスジェンダーの学生による詩の朗読があり、蝋燭に火を付けて過去に殺されたトランスジェンダーの人たちの名前を次々と読み上げる。名前のリストは こちらにあるけど、これがまた長い長い… でもあまりにたくさんの犠牲者がいるため、一つ一つの名前にきちんと思いを込めるだけの時間も集中力もないのが残念。最後の方はみんな「まだ終わらないのかなぁ」みたいにそわそわしてきて、かえって死者に失礼な気がする。

このイベントにはなんだかんだでほぼ毎年参加しているのだけれど、いつも不満を感じる。主催者のトランスジェンダー活動家らは「かれらはトランスジェンダーとして生きようとしたために、トランスジェンダーに憎悪を抱く人々によって命を奪われた」と言うーーそれは間違いではないけれども、一面的な事実でしかないのではないか。命を失ったトランスジェンダーの人たちの圧倒的多数は、トランスジェンダーであると同時に黒人やラティーノであったり、移民であったり、貧困に苦しんだ人たちであったり、ホームレスだったりストリートで性労働に携わっていた人たちだ。トランスジェンダーであったことはかれらが殺された要因のごく一部でしかない。

中流階層出身の白人が大多数を占めるトランスジェンダー活動家たちは、毎年一度のイベントで貧しいトランスジェンダーの人たちの死を大々的に宣伝して、「トランスジェンダーはこんなに差別されている」と訴える。しかし、トランスジェンダー・コミュニティが経済格差や人種差別の問題に真剣に取り組もうとすることは稀だ。たとえばこれは運動系の団体ではないけれども、ポートランド最大のトランスジェンダー団体は MTF の人たちが思い思いに着飾ってレストランで食事したりショッピングを楽しんだりすることが活動の主体だったりして、事実上中流階層以上でなければ参加すらできない。それどころか、テレビドラマなんかでトランスジェンダーの人がホームレスや性労働者として描写されていたら、「ステレオタイプだ、自分たちのように普通の仕事について社会に貢献しているトランスジェンダーを出せ」と抗議までしてみせる。

トランスジェンダーの人たちによる抵抗の歴史を掘り起こしたドキュメンタリとして評価の高い映画として『Screaming Queens: The Riot at Compton’s Cafeteria』というものがある。この映画が主題とするのは、現代ゲイ・ムーブメントの発端として世界的に有名なニューヨークのストーンウォール暴動より3年も早くサンフランシスコ・テンダーロイン地区で起きたクィアたちの警察に対する抵抗だ。製作したのは、クィア・コミュニティの歴史を専門とする歴史学者たち。

その中のあるシーンで、プロデューサの一人であるトランスセクシュアルの歴史学者が事件の起きたカフェがあった地区を歩きながら、「わたしたちみたいな人が集まれる場所がかつてここにあった」と語っている。しかし実際にこのカフェに集まったのはーーそして運命の日、警察の取り締まりに一斉に反撃したのはーーストリートで売春していたゲイの男性やトランスジェンダーの女性ら、サンフランシスコの最下層を生きた人たちだった。決して博士号を持つ学者たちではない。それなのに、トランスジェンダーというだけの共通項で「わたしたちみたいな人たち」と一つにまとめないでほしいと思う。

極論すれば、トランスジェンダー・コミュニティはストリートに生きる最下層の「わたしたち」を仲間として扱おうとしないし、メディアにかれらが登場したらさかんに「あれは自分たちではない、かれらはわたしたちとは違う」と訴えようとする。「かれら」がトランスジェンダーという共通項を通して「わたしたち」に含まれるのは、かれらが死体となって道端に捨てられた時だ。自分たちトランスジェンダーはこんなに酷い迫害を受けている、こんなに素晴らしい抵抗をしてきたと言いたい時だけ、かれらの名前と段落一つに収まる程度の短いプロフィールが呼び起こされるだけだ。

こうした扱いは、トランスジェンダーの活動家がよく批判するゲイ&レズビアンの活動家のトランスジェンダー一般に対する扱いとよく似ている。例えばストーンウォール暴動にしても、ゲイ&レズビアン活動家はそれをゲイ&レズビアンによる抵抗の第一歩と位置づけたうえで、トランスジェンダーの運動が80年代になってようやく後から生まれてきたかのように語ることがよくあるが、それはストーンウォール暴動がゲイによる抵抗であると同時にトランスジェンダーによる抵抗であったことを忘却した一方的な記憶だという批判は正しい。しかしそれとほとんど同じことが、トランスジェンダーという枠内で再生産されていることにほとんどの活動家は無自覚的だ。

毎年恒例のこのイベントで、トランスジェンダー活動家らは「ヘイト・クライムによる犠牲者を忘れるな」と呼びかける。それなのに、まだ殺されていない、しかしいまストリートで、シェルターで、刑務所で、差別と貧困に苦しんでいる人たちは忘却されたままだ。生きているあいだに何もかれらのためにしようとしないのに、殺された途端に「わたしたちみたいな人たち」として記憶に登録するのはあまりに勝手じゃないかと思うのだけれど、そういう会話を少しずつでも始められないかなあと思って毎年参加しているわたしだった。

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