東京女性財団のトンデモパンフ『GENDER FREE』を今こそ笑う

2007年3月2日 - 9:15 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

日本において「ジェンダーフリー」という言葉が広まるきっかけとなった東京女性財団編のパンフレット『GENDER FREE』。山口智美さんによってこのパンフの著者らがバーバラ・ヒューストンの論文の趣旨を180度誤読していたことが暴露されて以来、保守派だけでなくフェミニストから見てもトンデモ文献と化してしまったけれど、実際読むとそんなことはどうでもよく思えるほどぶっ飛んだ内容があって読めば読むほど頭がクラクラしてくる。ずっと封印してきたけれど、現在スタンダードな「ジェンダーフリー」はもはやこのパンフのものとは全然違うモノなのでイデオロギー的な批判や擁護はもはや意味がないと判断し、当時のバカ学者のトンデモぶりを示す貴重な歴史的資料として笑うことにします。
まずは16ページにある「やってみましょうミニ・テスト」という項目。

単語を説明してください
GENDER-BIASを考える際のキー概念
1. EQUAL OPPORTUNITY
2. GENDER-EQUITY / SEX-EQUITY
3. FAIRNESS / SEX-FAIR
4. GENDER-SENSITIVE
5. GENDER-BIAS
6. SEXISM / SEXIST
7. TOMBOY / SISSY
8. ANDROGYNY
9. FEMINISM / FEMINIST
10. WOMEN’S/MEN’S STUDIES

…ってこれ、いきなり英語テストですか!? 「ジェンダーセンシティヴ」とかはともかく、英語で「TOMBOY」(回答によると「おてんば(女の子)」)とか「SISSY」(回答では「いくじなし(男の子)」)なんて言葉覚えてどうなるってのー。それに、「SEX-FAIR」ってなにそれ、セックスのお祭り?(実際、”sex-fair” で検索したら、セックスについてのお祭り系イベントばかり出てきた。)
この「ミニ・テスト」の回答の方にもすごい内容がある。

2. 性的公平さ
“equality” と似ていますが、法的・社会的意味あいが強い。

ええーっ、「法的・社会的意味あい」ではない「平等 (equality)」って何なんだよ!?
公平と平等の違いは、そんなことじゃないだろうに。

4. ジェンダー問題に対する敏感さ
これが今求められています。
5. ジェンダー・バイアス
男女の特性に関して文化的に作り上げられた性差を固定的なものとしてとらえる見方。

「ジェンダーセンシティブ」はヒューストンの言った意味と違うし、どちらもえらく内面の問題として扱い過ぎ。まぁそんなマジレスしても仕方がないけど。てゆーか、カタカナで「ジェンダー・バイアス」と書いて回答と言えるのかどうか。そのままじゃんかよー。

6. 性差別(主義)・性差別主義者
レイシズム(人種差別)にならって作られた言葉。

歴史的にはこれは事実で、セクシズムというのは過去50年ほどのあいだに広まった言葉。だけど、用語の英語における語源をこのパンフで紹介してどーする。

8. 両性具有
男性性と女性性の両方を持ち合わせていること。しばしばフェミニストの理想を述べる際に出てくるコトバ。

そんな一面的な「フェミニストの理想」紹介はやめてくれーっ。

9. ラテン語のフェミナ(女性)から作られた言葉。
男女平等の信念にもとづいた女性の権利の主張と、その立場を取る人。

ラテン語から作られたのはフランス語の féminisme だと思うけど。英語の feminism はその単純なマネ。

10. 女性学・男性学
わが国でも、大学や市民講座で開設されるケースが増えて来ました。

単語の説明になってないー。なんか趣旨忘れてませんか?
で、一通りジェンダーフリーの概念を説明したあと、批判を予期してか20ページには次のような内容が書かれている。

「こだわるようですが、ジェンダー・フリーだと、どうしても人間が中性になっていくような気がするんですが。だって、逐語訳すれば、『性別からの自由』じゃないですか。」
では、こう考えてみたらどうでしょう?
ジェンダー・フリーは、
人々の行動を不自由なもの、不幸せなものにしてしまう、
「ネガティブな意識や行動」から自由になること。
男女の「魅力的でポジティブな部分の特徴」についての
フリーではないのです。
「それなら少し、ほっとしますね。」
どんな時代にあっても、
異性はお互いに惹かれあう存在でなければ…
男らしさ女らしさ、大いに結構!

もう、わけが分かりません。このパンフのイラストをパラパラめくりながら見たところ、女性キャラのほとんどがスカートをはいている(スポーツをしている、掃除をしている、など例外はある)けど、「女性=スカート」という決めつけは「魅力的でポジティブ」なんだろうか。
とりあえず、「どんな時代にあっても〜」から分かる通り、「ジェンダーフリーは性的少数者への配慮も含む素晴らしい言葉だ」というのは後付けの好意的な解釈だったということは確認。それを言質あるいは根拠にして、性的少数者の側が配慮を求めていく戦略はOKだと思うけどね。
こういう少数派への配慮のなさは、23ページにある次のようなチェックリストにも如実に表れている。

あなたのご両親の性役割は?
現在お母さまだけが・お父さまだけがしておられる家事を思い出して、書いてみましょう。
改めてジェンダーの視点で、ご両親の間の性役割を見てみると、いかがでしたか?

両親を持たない人や、親が同性カップルである人の存在は想定すらされていない様子。
次は、26ページにある「男子・女子って言葉好きですか?」と題するコーナー。

子どもたちはこの言葉…というより、この分類の仕方を学校で覚えます。
(…)
しかも、これが使われるときは、たいてい、異性への嫌悪や敵意が含まれています。

ええーーっ、知らなかったー。
嫌悪や敵意って、すごいなそりゃ。

そして生徒たちは、男子女子という言葉を、性別コード、つまり、同性と異性を区別するための暗号に使うのです。それが、子どもたちのジェンダー・アイデンティティに、しっかりと刻みこまれていくわけです。

何が言いたいのか全く不明。誰か分かる人いますか?
続く27ページ。「子どもの頃、私がなりたかったもの」と題して、幼児期から高校期まで男女別に「将来なりたい職業」がリストアップされている。注目はなんといってもこれ。

幼児期・男
1位 運転手・パイロット
2位 スポーツ選手
3位 TVキャラクター

男の子たちが大きくなったらなりたいモノの第3位は「TVキャラクター」! あははは。
次は夫婦別姓について扱った28ページ。

最近話題の夫婦別姓問題は、高まってきた女性の自立欲求と地位向上がからんで、生まれたものです。
(1)夫の姓に帰属することによって、それまで作り上げてきた「自分」を失う感じがする。とくに夫の親や親戚から「うちのグループの新入り」扱いされるのが不愉快。
(2)男性が女性より「学歴・経験・経済力」があって、夫と妻が対等でなかった時代は、結婚して夫の姓を名乗ることは、妻にとって一種の地位の上昇を意味した。しかし男女が互角の力を持つ時代では、むしろ夫の性に帰属することは、ある意味で地位の「下降」ともなる。
こうした心理的・社会的な背景があって、別姓への主張が起きているのでしょう。

いかにも学者が頭の中で考えそうなくだらない議論で、実際に別姓を要求して運動している人が読んだら怒りそうだけど、何度も言う通りマジレスしても仕方がない。ここの注目ポイントはそこじゃなくて、最後の方の「むしろ夫の性に帰属することは」という部分。「姓」のはずが「性」と誤植されている…って、FTMかよ! 結婚したら男性になってしまうとは、なんと恐ろしい。
しかし、それより恐ろしいのが29ページにある次の文章。

個を大切に考える人が増えてくる中で、日本のファミリー・ネームとギブン・ネームの順番も、問題がありそうです。まず「山田」がきて、次ぎに「花子」の順序では、花子さんは、どうしても山田ファミリーの一人に過ぎないという印象になって、「個」が軽視される感じです。欧米のように「花子、山田」なら、ずっと印象が違います。花子という個人が強調されれば、その後に、たとえ山田がこような木村がこようが、大したことではなくなるでしょう。

なんじゃこりゃー。「花子、山田」だと印象が違うって、そりゃ違和感バリバリなだけですよ。おまけに、順序を入れ替えれば夫婦別姓はどうでもいいみたいな態度はどーにかしてって感じ。だいたい、欧米では個人の名前が先だから個を尊重しているっていう時点であやしそうだけどなー。
さらに、共働きについて書かれた30ページから。

アメリカ人に言わせると「有用な人材は、家にいたくても社会が放っておかない。しかるべき職業に引っ張り出してしまう。家にいる女性は、有能でないことの証明みたいなもの。だからみんな自己確認のために働こうとする。日本で、能力のある若い女性が、専業主婦にあこがれる理由が分からない」のだそうです。
日米の女性の自立心の違いもあるでしょうが、日本では働くお母さんをサポートするシステムが整っていないために、女性たちは早くから、職業との両立を断念してしまうのでしょう。働く女性が、家族からのサポートはむろん、十分な社会的サポートを受けられるような時代が来ることを、願わずにはいられません。

このアメリカ人、すごい無茶苦茶言っていますが、主婦になろうとした女性が無理矢理引っ張り出された例なんてわたしは一度も聞いた事がないです。一体どこにこんなアメリカ人がいるんよ。第一、アメリカでは働く女性の社会的サポートが整っているかのような書き方だけど、全然違うよなぁ。
34ページには子どもの自己像の4都市国際比較が掲載されているのだけれど、東京との比較に選ばれた3都市が「ハルビン」「サクラメント」「ストックホルム」という渋い選択。…なのはいいんだけれど、よく見ると「スットクホルム」と表記されているから、もしかしたらわたしが思っていたよりもさらにマニアックな選択なのかもしれない。
続いて35ページから。

過去の社会の置き土産であるジェンダー・バイアスを、私たちの文化の中から少しずつでも減らしていきたいという願い…その理想を、すでに達成しかかった社会もあります。欧米の人々を考えてみましょう。日本人のように情緒で動く国民と違って、合理的思考と行動様式を特徴とする西洋の人々は、短い期間にジェンダー・フリーの社会に近づこうとしました。
(…)
演歌を好きな日本人が結構多いことからもわかるように、情緒性を大切にする日本人には、ジェンダー・バイアスの不合理さを頭で理解しても、気持ちがついていかないことが多いようです。

演歌のせいかよ! ってゆーか、「欧米の人々」とか「西洋の人々」ってそれ誰よ?
不思議なアメリカ人や「西洋の人々」だけでなく、41ページでは帰国子女まで動員している。

世界各地から帰国した子どもたちが、よく、こう言います。
「日本の学校には、男女の間に何だか高い壁があって、自然に接してない感じです。ちょっと、息苦しい。
小さいころからの育てられ方は、例えば、おもちゃやランドセルの色とかも、男女で画一的でしょう。学校でも男女で縄張りというか、棲み分けみたいなのがあって、混ざろうとしない。不自然でヘン。向こうじゃ、試合に勝ったりしたら、興奮してハグ(抱き合う)して、楽しかったなぁ。
変わらないかなぁ、日本の学校。」

異性と「興奮してハグ(もしくはハグして興奮)」したいだけなのかよ、というのはともかく(しかし、世界中と言いつつ、異性とハグする文化ってかなり偏っていそうだなー)、どう考えても「男女で画一的でしょう」という部分とか、子どもの発言じゃないよなー。それこそ「不自然でヘン」だよね。だいたい、男女のおもちゃが違わない文化ってどこの国のことだよ。
パンフの最後の方には、教師や教師志望の学生に向けたメッセージが掲載されている。次は47ページから。

これからあなたにお願いした仕事は、専門用語を使うなら、
教育における SEX-IQUITY
(または SEX-IQUALITY)の確立であり、
もう少しくだいて言えば、
SEX-FAIR CLASSROOM (性別に関して不公平な取り扱いを受けないクラス)
の経営をしていただくことです。

「sex fair」というのが「セックスのお祭り」という意味だということは既に書いたけれども、ここではさらに「専門用語を使うなら」と前置きしたうえで equity とか equality という単語を書き間違えている。間違うくらいなら、はじめから日本語で書けばいいと思うんだけどなー。
ちなみに、このあたりからイラストに混じって「What Do You Think!!」というフレーズが大きく何度も何かのロゴのように描かれているのだけれど、あれは何なのだろうか。何故「!!」なのか分からないし。
それはともかく、パンフでは実際にジェンダーフリーを実践している学校で起こったことについて、解決法とともにいくつか挙げているのだけれど、注目のエピソードはこれ(50ページ):

高学年になると、好きな子ができて、かえってその子を敬遠するようになる。そのため心では仲良くしたいと思っても行動に出にくくなってしまう。その時突破口となるのは、クラスでリーダー的な子の存在である。そういう子が男女に頓着せず声を掛け、一緒に行動しようとするタイプの子だと、周囲もそれに影響されて、男女の枠を取り払うことができる。
※個人指導、全体指導の他に、リーダー育成も大切な観点ではないか。

「好きな子に声がきけない」ことの解決が、「リーダー育成」! リーダーって、代理で告白してくれるの?
そうしてジェンダーフリーを推進するとどういう効用があるのか? 53ページにはこうある。

ジェンダー・フリーがクラスの中で進められていくと、子どもたちの住む世界は、おそらくあらゆる面で公平で、どの子にとっても住み易いものになっていることでしょう。
最近、社会問題化している「いじめ」も、ジェンダー・フリー教室の中では、姿を消していることでしょう。お互いを柔らかな心で見つめ合い、一人ひとりを大切にしようとする心が、最近の子どもたちの中から失われていることが、「いじめ」の拡大の背景と思えるのです。

なんかこのままいくと癌の治療にも効きそうな勢いだけど、最後の方はだんだん伊田広行っぽくなってきて気色悪いや。
というわけで、これでおしまい。お楽しみいただけたでしょうか。まだ見逃しているお笑いポイントがあるかもしれないので、近所に『GENDER FREE』を保有している図書館があれば、ぜひ読みにいきましょう♪

6 Responses - “東京女性財団のトンデモパンフ『GENDER FREE』を今こそ笑う”

  1. m-saki Says:

    爆笑。そしてヒドすぎw

  2. 純子 Says:

    >はだんだん伊田広行っぽく
    おそらく、伊田人脈と思われ

  3. macska Says:

    おそらく、伊田人脈と思われ

    マジレスすると、伊田さんとは違った筋でしょう。
    パンフの作者は、
     深谷和子 東京学芸大学教育学部教授
     田中統治 筑波大学教育学系助教授
     田村穀  東京学芸大学教育学部助教授
    かれらは、ジェンダー研究や女性学ではなく教育学の関係者です。米国でもそうですけど、教育学における性差別への取り組みは、女性学の方面とはあんまり繋がりがないんですね。だから、わたしは主立った女性学やジェンダースタディーズの研究者は最低でも名前だけは知っているけれど、ヒューストンとかマーティンの名前は山口さんの文章を読むまで全然知らなかったほどで。

  4. 純子 Says:

    >かれらは、ジェンダー研究や女性学ではなく教育学の関係者です。
    教育学部だから、教育学が専門とは言えないし、教育学者だから、フェミニストではないということはないでしょう。兼学していてもいいわけだから……。
    ただ
    >米国でもそうですけど、教育学における性差別への取り組みは、女性学の方面とはあんまり繋がりがないんですね。
    そうだったんですか。なるほどねえ……(–)
    深谷和子さんってこの方だよね
    http://pb.sbrain.co.jp/theme/T-18887.htm
    確かに、経歴からうかがうに、「いじめ」「援助交際」「キレる子現象 」「学級の荒れ」などが、ご専門らしい。確かに伊田さんの日本女性学会とはあまり人間関係はなさそうだなあ。
    この方がいったい、どこで、東京女性財団の方たちや、伊田さんたち、大沢真理さんたち急進的フェミニストをさしおいて、「ジェンダーフリー」の母になってしまったのか? 確かに、これは謎ですよねえ……。
    仮説1:「ジェンダーフリー」という思想は深谷さんのものではなく、東京女性財団の中で使われていたスローガンだったのを、深谷さんが雇われて、学問らしきアウトラインをあたえる仕事をまかされた。
    仮説2:フェミニズムの過激派のジェンダーレスの考え方があって、それに深谷さんが考案したジェンダーフリーの考え方が被って、フェミニズム穏健派の方たちからジェンダーレスのソフト路線を表す言葉として使われだした。
    教育学のフィールドから考えれば、
    ジェンダー=封建的で抑圧的で前近代的な陋習
    ジェンダーフリー=近代的で民主的な自由主義教育
    ということになるんだろうなあ。
    深谷さんの発言からは、戦後改革で、日本は表向きは近代的で民主的な国家になったが、まだまだ、人々の意識の中には前近代的で封建的な男女差別意識(ジェンダーバイアス)が残っている。それは教育の力で廃止されねばならない(ジェンダーフリー)という思想構造が透けて見えるような気がしますね。
    ところでちょっとイジワルだが…
    >現在スタンダードな「ジェンダーフリー」はもはやこのパンフのものとは全然違うモノなので
    正統(スタンダード)な「ジェンダーフリー」ってどんな思想なんだ。異端な「ジェンダーフリー」とどこが違うんだろう? 説明してくらはい。
    >それを言質あるいは根拠にして、性的少数者の側が配慮を求めていく戦略はOK
    その戦略だと、よけいに性的少数派の敵が増えます。やめてくらはい(^^)。

  5. POI Says:

    >現在スタンダードな「ジェンダーフリー」
    をいつまでたっても説明しないmacskaさんの間抜けぶりは相変わらずなのでした(w

  6. macska Says:

    純子さん:

    この方がいったい、どこで、東京女性財団の方たちや、伊田さんたち、大沢真理さんたち急進的フェミニストをさしおいて、「ジェンダーフリー」の母になってしまったのか? 確かに、これは謎ですよねえ……。

    別に謎でもなんでもないですけどね。別に女性学業界の方が教育学業界より進んでいるわけじゃないし。

    正統(スタンダード)な「ジェンダーフリー」ってどんな思想なんだ。異端な「ジェンダーフリー」とどこが違うんだろう? 説明してくらはい。

    ジェンダーフリーとは何か、という点については、これまでさんざん書いているのでそれを参照してください。
    それからスタンダードというのは、正統/異端の正統という意味ではなく、標準的なという意味ですが。1995年時点でジェンダーフリーという言葉がどのように紹介されたかを知るためにはこのパンフは参考になりますが、2007年の現在この語がどういう意味で使われるかを知るためには全然参考になりません。
    あと、勝手に想像力をはたらかせて様々な妄想を繰り広げた挙げ句、いつの間にかそれが確定した事実であるかのように次の主張の前提となってしまう点は、あなたの悪い癖です。気をつけてね。
    POIさん、わたしが他に書いたものをみてまだ疑問があればまた(掲示板にでも)書き込んでください。

コメントを残す

XHTML: You can use these tags: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>