地雷を地雷と知りつつ踏み抜くような大隅典子氏の「人種の差」論

7/27/2006 - 12:11 am | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

先日ジェンダー論争関係で大隅典子さんにメールしたところ真摯なお返事をいただいてちょっと嬉しかったのだけれど、その大隅さんがブログの最新記事「人種の差」に書かれていることはいくらなんでも酷すぎだと思うのでこの場でコメントしておきます。ちなみに、われらが正統派理系フェミブロガーせぐりんこと瀬口典子さんも反論書くという噂。瀬口さんと大隅さんで「典子」の名前を賭けて真剣勝負して欲しいところ。

それはともかくその大隅さんの発言から:

バリバリの生物学者である私から見たら、オリンピックの100m走で日本選手が金メダルを取れるような日が来ることは決してないと思うし、それは、ゲノムに書き込まれていることによる限界を示している。

「決してない」というのは言い過ぎだし、そもそも「日本選手」は日本民族に限るわけでもないのだからそのような区切りで論議はできないはず。もちろん「日本民族」だって、遺伝子レベルでの同一性を持つ集団ではなく曖昧なものだけれど、大隅さんのこの記述はそれ以前の問題。

先日の学術会議シンポジウムの折に、とある人文系の方が、この手の事実に対して「そんなバカな」という顔をなさったので、こちらはとてもびっくりした。

そんな社会生物学かぶれの素人が飲み屋で言うみたいなことを研究者が口にすれば「そんなバカな」という反応をして当然。

私から見たら、例えば多くの非関西系日本人は、アングロサクソン系の平均値から見たら「うつ」的症状を示しているように思う。
ベースの会話が圧倒的に少ない。
エレベーターで知らない人同士乗り合わせても「Hi!」と声を掛ける(あるいは、眼で「私はあなたと敵対していません」と示す)のが普通であるのに対し、日本では同じ職場で「見たことがある」人に対しても、目を合わせないことが多々ある。
私は、ずっとエレベーターの上がる階数を見つめているのが苦痛なので、「梅雨はいつ明けるでしょうかね?」などと声をかけてしまうのだが。
もちろん、日本人でも海外に滞在している間は、抑制系がはずれて鬱から解放される人も多いと思うが、それでも、圧倒的にアングロサクソン系の人たちの振るまいとは違うなあということを感じさせられる。
もちろん、これはどこまでが本当に遺伝でどこまでが環境なのかは不明である。
環境要因はかなり大きいと思うのだが。

それは普通「文化的差異」と言います。

もちろん、文化的差異に生物学的な要素があるかもしれない、みたいに研究するのはOK。でも、いくら「環境要因はかなり大きい」と注意書きしても、「どこからが本当に遺伝でどこまでが環境なのか」というのは問いの立て方がおかしすぎ。

そもそも、「関西系日本人」はアングロサクソン系の平均値とそれほど変わらないのであれば、それは「関西系日本人」はその他の日本人とは違った(もしかするとアングロサクソンと共通の)遺伝子を持っているということなのか。単に地方による文化の差と考えた方がしっくり来ます。で、アングロサクソンはみんな同じなの?

さらに言えば、もしアングロサクソン系の平均値から見て他の民族が「うつ」的に見えるとしたら、それは西洋医学がアングロサクソン系を「標準」としてその他の民族を「症状を持つひとびと」に押しやったことの名残りでしょ。そこにまずツッコミいれましょうよ。しかし大隅さんはそうせずに、(非関西系)日本人が「症状を持つ」存在であるというアングロサクソン至上主義的な規定をそのまま受け入れいるように見える。アングロサクソンを崇拝したうえで、自分だけは「名誉白人」として「標準」の側に含めようという、この浅ましさ。

もう一つの差は(こちらの方がより生物学的であり、遺伝要因が大きいと思うが)、活動量である。
朝からテニスをする人、プールで泳ぐ人が、若い人たちだけでなく当たり前なのだが、こちらはそんな元気はない。
いや、20代の頃には、Gordon Conferenceの午後の空き時間にテニスをしたこともあるが、今はそんな気分ではない。
かたや、オーガナイザーのDavid Porteousでさえ(おそらく50代前半)、今日の午後はメインキャンパスから自転車でBanburyに戻り、夕食前に一泳ぎしたと言っていたので、年齢の問題というよりも人種の差の方が大きいと思う。

ここで注目したいのが、「人種の差」を考える例としてあげられていながら、David Porteous という人の「人種」が何だか一切書かれていない点。かれは有名人だから知らないほうがおかしいのだと言うのであれば、じゃあ「朝からテニスする人、プールで泳ぐ人」の「人種」が書かれていないのは何故か。文脈からするとかれらはアングロサクソンなのだろうけれど(って、大隅さんはアングロサクソンとそれ以外の白人の区別が見ただけでつくんですね?)、そのことが明記されていないということ自体が大隅さんの「白人=標準」信仰を告白している。

そういえば、生物学の世界では(他のアカデミアでどうなのかよく知らないのですが)アフリカンアメリカンが限りなく少ないのは何故なのだろう?
アフリカンカリビアンもあまり多いとは言えない。
西洋科学の発祥地ではないにもかかわらず、エイジアンはそこそこいるのに対して、明らかに有意差があると思う。
やっぱり、オリンピック選手になるとか、メジャーリーグで働く方が有利だと思うのだろうか?
それとも、学問なんて面白いと思わない、という指向性があるのだろうか?

いくらなんでもこれは酷すぎる。アフリカンアメリカンはスポーツ選手にしかなれない/ならないとでも大隅さんは考えているのだろうか。アフリカンアメリカンが科学分野で少ない理由は、アフリカンアメリカンの子どもの大多数が通う学校がどのような状態になっているかを見ればすぐに納得がいく。科学の進展はめまぐるしいのに、古い設備と10年も前の教科書を使って授業をやっているところなんていくらでもある。また、教師も社会もアフリカンアメリカンの子どもに科学は理解できないと決めつけてきちんと教えようとしないし、努力するよう促したりもしない。

わたしは生物学的な差異がないと言っているのではない。「アフリカンアメリカン」という集団に遺伝子的な同一性があるわけではないという批判を別としておおざっぱな社会的区別としての「アフリカンアメリカン」と「白人」や「エイジアン」とのあいだでさまざまな生物学的差異ーーただしくは平均値の違いーーはあるかもしれない。けれども、社会的な差別があるというのは仮定ですらないれっきとした事実だ。

それは科学界における差別とか大学における差別というだけでなく、小学生の段階から受けてきた教育の差、お腹を空かせることなく勉強にはげむことができた機会の差、親が子どもの宿題を見てくれる余裕の差、道を歩いているだけで犯罪者扱いされた回数の差、その他おそろしいほどの日常の差別の積み重ねがある。軽々しく生物学的な差異や「指向性」の違い(これを大隅さんが文化的なものとして言っているのか、心理学的なものとして言っているのか判別がつかないが)の可能性をあげるというのは、あまりにバランスが欠けている。大隅さんはラットの研究では優秀なのだろうが、社会的な現象については門外漢なんだなと感じた。

大隅さんはこのエントリのはじめに「たぶん、人文系の方から見たら目くじらを立てられそうな話題に、また敢えて踏み込んでしまうことにする」と書き、さらに「人種」間の差異について書くことは「『地雷』的な話題」としている。しかし大隅さんの記述を読む限り、細心の注意を払いつつ危険な地雷が埋まった大地を一歩ずつ歩むプロフェッショナルとしての配慮や倫理といったものが感じられない。まるで遠足にいく小学生のように嬉々としてそこら中歩き回っているかのようだ。

わたしたちが住んでいる社会では、科学的な研究が得てして間違った方向に解釈され、さまざまな差別や抑圧や暴力の口実とされる。過去の植民地主義などそのいい例だし、現在では同性愛者の差別や移民排斥にもそうした言説が見受けられる。そしてもちろん『バックラッシュ!』で瀬口典子氏らが批判しているとおり、性差別にも似非科学が利用される。そうした悪質な政治利用をとどめるためには、せめて研究者自身が真摯な性差研究・「人種」研究と似非科学的言説を明快に区別するべきではないか。

しかるに今回の大隅さんの記述は到底学術的に言って合理的な水準に達しておらず、差別主義者が唱えるトンデモ人種論(あるいはさらにナイーヴな素人論議)と区別がつかない。それはまるで、わざと「地雷」を踏んで騒ぎになるのを楽しみにしているように見える。地雷って普通避けようとするものだと思うのだけれど。

わたしは以前、一部のジェンダー論者が一見いかにもトンデモっぽいありえなさそうなことを主張して注目を浴びておいて、批判されると「実はこういう意味でした」とより弱い表現にすり替えることを批判した。政治的な方向性は違うけれど、大隅さんが今行っていることもそれに近いことであるように見える。どちらも学者としての資質に関わる問題だが、ジェンダー論がいくらわけの分からないことを主張しても実社会に実害がないのに比べて、「人種」の差異に関する言説は実害を伴う危険が高く、社会的責任は非常に大きい。

25 Responses - “地雷を地雷と知りつつ踏み抜くような大隅典子氏の「人種の差」論”

  1. ともみ Says:

    特にこのエントリーに関しては、あまりの大隅さんのナイーブぶり、トンでもぶりに私も衝撃すらおぼえました。「バリバリの生物学者」であるご自身を強調しているので、いかにも「生物学」的概念として「人種」を扱っているようにみえるのも問題ですね。せぐりんの反論が期待できるところか。しかも、扱っている事例が、エレベーターで挨拶するかしないかとか、朝からプールで泳ぐとか、どう考えても「生物学」的な関連はないだろう、、というようなものばかりだし。北米でも、地域によって、時と場合によって、知らない人と挨拶する場合もあればしない場合もあるしね。
    また、macskaさんご指摘のとおり、多くのアフリカンアメリカンがおかれた差別的な状況、教育環境の劣悪さんなど考えれば、なぜ科学分野に少ないかは一目瞭然のはず。貧困地域の高校では、予算、教員や設備不足などから、トップレベルの大学に入学するのに必須とされる科目が教えられず、結果その高校から地域のトップレベル大学に行くことはできない、ということも聞きます。アメリカで教育予算がどんどんカットされている昨今、シカゴの貧困地域の小学校の教員が一番欲しい備品は「鉛筆」だとかいう状況にもなっているわけで、、
    ちなみに、私がいる人類学分野でも、アフリカンアメリカンはひじょうに少ないです。それは、人類学という分野自体が、アフリカンアメリカンの学者を育てようとせず、サポート体制もできてないという差別的な現状、また、人類学は実学的なところがなく、将来の仕事につながる保証はまったくないという面もあるとでしょう。おそらく生物学にも共通するところがあるのでは?優秀なマイノリティ学生(マイノリティだけではないが)は、ロースクール、メディカルスクール、パブリックヘルスなどの実学系に流れる傾向もあると思います。

  2. ヨッシー Says:

    大隅さんの論は暴論であることは間違いないと思いますが、macskaさんの反論もわからない点が多くあります。質問が3つありますので、よろしければお考えをお聞かせ頂ければ幸いです。
    1.様々な集団の特性の平均値の違いの原因は、生物的な要因と環境要因(文化的な要因や差別を含む)以外にもあると思いますか?
    2.macskaさんが書かれている「生物的差異」のなかに、遺伝子レベルでの差異に帰結しない差異としてどのようなものがありますか?
    3.環境要因の一つとして、社会的な差別があることは自明だと思います。集団間に差があるときに、環境要因が主要な原因である場合、生物学的な差異が主要な原因である場合、その中間的な場合などがあると思いますが、それらを区別するのにもっとも適切な方法は何ですか?

    私が一番不思議に思ったのは、「社会的な差別」があることを根拠にして、「生物学的な差異」は重要ではないと結論している点です。「社会的な差別」があることと「生物学的な差異」が重要であることは、論理的には排他的な結論ではないと思います。
    私は、「社会的な差別」があることは自明であるし、それは許されるべきことではないが、ある生物集団間には(集団遺伝学的な意味での)遺伝子レベルでの差異が多様な側面において存在すること自体も自明であると思います。ただ、その差異は良い悪いでは全くなくて、それぞれの集団の個性とでも言うべきものだと思います。

  3. 通りがかり Says:

    大隅氏をれっきとした生物学者であり、神経学者であって、
    ラットでは優秀な研究者であると考えるから、期待するのであって、
    実際にご覧のように、事実はそうではないのです。
    私は、大隅氏と同じテーマで研究したこともありますが、
    当時彼女は、人の二番煎じで研究をしていましたし、
    今でも、考え方等、一流の研究者とはかけ離れています。
    彼女を以て、優秀な生物学者が一般にこんなであると見られるのは、
    個人的には、非常に心外なことなのです。
    彼女のコメントを生物学者としてではなく、
    その辺の井戸端会議として理解してもらえると良いと思います。

  4. でみあん Says:

    大隈さんのあまりなエントリにずっこけてしまったのですが、ああ、生物学に限らず理科系の学生だった人にはこういう認識の人もけっこう見かけるなあと思いました。ただどこかで認識が変わるなりなんなりする人もいるとは思うのですが。うーん。

  5. EMY Says:

    大隅先生、この夏のNWECの「女子高校生夏の学校〜科学・技術者のたまごたちへ」という企画で「全国の理系少女よ、好きな道を歩もう!」という講演をなさることになっているんですよね。
    この企画は(最近、「女性学・ジェンダー研究フォーラム」の後退ですっかり評判を落としているNWECにしては)ジェンダー・センシティブな催しと言えるのではないかと思います。つまり、日本で科学技術分野に進む女子学生が少ないのは、遺伝学的宿命ではないのだから、女子が参入しやすいよう、後押ししようという企画ですよね。
    そういう企画に参加しながら、アフリカンアメリカンやカリビアンアメリカンには思いが至らないというのは!

  6. スライムベス Says:

    ヨッシーさんのコメントを読ませていただきまして一番不思議に思ったのは
    「私が一番不思議に思ったのは、「社会的な差別」があることを根拠にして、「生物学的な差異」は重要ではないと結論している点です」
    と書かれている点です。
    どこかにそんな事書かれてますかね(・ω・?)
    「生物学的な差異について述べる際は慎重に」
    としか書かれてないと思いますが。

    横レス失礼しました。

  7. macska Says:

    みなさま、コメントありがとうございました。

    ヨッシーさん:

    1.様々な集団の特性の平均値の違いの原因は、生物的な要因と環境要因(文化的な要因や差別を含む)以外にもあると思いますか?

    質問に混乱が見られます。というのも、「生物学的な要因」と「環境要因」は必ずしも別個のものではないからです。わたしたちの身体は常に環境から物質を取り入れ、体内で加工して体の一部としています。文化や社会的な価値観もまた、食文化の違いや環境保護のための規制の有無、運動や身体に関するジェンダーの規範等を通して常にわたしたちの身体に取り込まれます。すなわち、「環境」や「社会」と「身体」の区別は曖昧なものです。

    また、「様々な集団」がどのように規定されているかも問題です。というのも、何が「日本人」であり何が「アングロサクソン」であるのかというのは必ずしも自明ではありません。準拠集団としてそれらが社会的に存在することは確かですが、遺伝子レベルにおける同一性が確認されているわけではありません。よって、こうした質問そのものに無理があるわけです。

    2.macskaさんが書かれている「生物的差異」のなかに、遺伝子レベルでの差異に帰結しない差異としてどのようなものがありますか?

    質問がよく分からないのですが。わたしがどのような「生物的差異」を書いているでしょうか?

    3.環境要因の一つとして、社会的な差別があることは自明だと思います。集団間に差があるときに、環境要因が主要な原因である場合、生物学的な差異が主要な原因である場合、その中間的な場合などがあると思いますが、それらを区別するのにもっとも適切な方法は何ですか?

    差別による影響をどう除外するのが適切かという問いについてなら答えは簡単です。差別をなくせばいい。「もっとも簡単」ではないけれど、「もっとも適切」であることは間違いないでしょ。それ以外の環境要因については「なくしてしまえ」というわけにもいかないので、統計学手法を用いて一部の変数の影響を除外することができるくらいでしょうが、完璧な方法には程遠いです。データがないよりはマシといったていどでしょう。

    私が一番不思議に思ったのは、「社会的な差別」があることを根拠にして、「生物学的な差異」は重要ではないと結論している点です。

    そのように結論していませんが。

    生物学的な差異の研究は結構。学術的な議論も大歓迎。しかしそうしたコミュニケーションは「地雷=人種差別や植民地主義の暴発」を踏まないように慎重に行われるべき。生物学者を名乗って単なる素人の思いつきレベルのものを書き散らすなと言っているのです。

  8. ヨッシー Says:

    macskaさん、お返事ありがとうございました。

    私の質問があいまいだったようで、また誤読がありまして申し訳ありません。

    1.関しての返答ですが、masckaさんがおっしゃっているように、環境から食物その他を取り入れている、文化的社会的な影響も受けている、というのはその通りです。でも、私はそれらはすべて環境要因だと思っています。ただ、いかなる環境においても変わらないものというのは、厳然としてあると思います。私はそれを生物学的要因と呼んでいます。環境要因には、環境と生物との相互作用を含んでいるということです。ですので、(狭い意味での)環境要因+環境と生物との相互作用による要因+(狭い意味での)生物学的要因 と(簡略化して)書くと、私は、最初の二つの項を環境要因と考えているのに対し、macskaさんは後ろの二つの項を生物学的要因と考えているのに近いということですね。どちらの考えが適切であるかどうかは別にして、意味をはっきりさせて頂きどうもありがとうございました。

    ところで、集団というのは、メンデル集団に近いものを考えていました。
    メンデル集団というのは、厳密には外部との生殖隔離が行われていて、その集団内で生殖が行われる集団のことです。
    人の場合には、厳密にはメンデル集団ではありませんが、比較的最近(10世代くらい(?)前まで)は、例えばアングロサクソン系と日本人とは、生殖隔離が行われていたとみなしても良い(ごく少数の例外があったとしても)と思います。多分macskaさんが、「準拠する集団」と呼んでいるものとごく近いと思います。
    実際に、アングロサクソン系と日本人の「集団」では、遺伝子レベルで違いがあることが最近の解析から示されています。ここでいう遺伝子レベルでの違いとは、ある遺伝子にAとBと二種類があったときに、集団間でAを持つ人とBを持つ人との割合が異なるという意味です。例えば、血液型の頻度が人種によって異なるのと同じことで、それと同様のことが多様な遺伝子においてあることがわかっています。その遺伝子レベルの違いがどのような特性の違いに結びついてるかが明らかになっている例は少ないのです(病気になりやすさなどの例があります)が、今後の研究で少しずつ増えていくことと思います(もちろん、特性の違いに結びつかない場合も多いと思います)。繰り返しますが、ある「集団」が遺伝子レベルで同一であるということではありません。

    2.については、macskaさんは具体的な例を挙げていらっしゃらないと思います。
    「私は生物学的差異がないと言っているのではない」と書かれていますので、生物学的差異とはどのようなものを考えているのかお聞きしたかったのです。具体的な例ではなく、macskaさんがあると考えている「生物学的差異」のうち、遺伝子レベルに帰結しないものがあるかをお聞きしたかったのですが、macskaさんの生物学的要因の定義で考えるといくらでもありますね。

    3.については、よくわかりました。

    私が誤読をしてしまい、大変申し訳ありません。

    私は、「人種間の生物学的差異がある(ここでの生物学的差異は私の定義で使っています)」があることを認めた上で、それについて議論する場合には誤解を招かないように慎重にコミニュケーションするべきであるというお考えであるなら賛成いたします。
    「慎重にコミニュケーションする」上で問題なことの一つは、科学的な事実を、第三者(場合によって科学者を含む当事者)が自分に都合の良い解釈と結びつけて、自分の主張に科学的根拠があるとすることが大変多いことだと思っています。また、これと同様のことが「科学」を「社会」に置き換えても起きているとも思っています。最低でも、科学的な事実とその解釈とは厳密に区別する必要があると思います。それだけでは十分でないと思いますが、macskaさんはどのようにしたらよいとお考えでしょうか?私には「できるだけ注意する」というような抽象的な方法しか思いつきません。

  9. 骨まで愛して日記 Says:

    人種概念・その2

    「人種」概念に生物学的な根拠はないという話の続きです。 朝起きたら、大隈典子氏の「人種の差」というエントリーをめぐって、大議論が巻き起こっていた。そのブログ上のコメントにも、Macskaさんのブログにも批判、意見がかなり出ている。 しかし、大隅氏のブログに登場す

  10. うさぎ Says:

    よっしーさん、っていうか
    >>macskaさんがあると考えている「生物学的差異」のうち、遺伝子レベルに帰結し>>ないものがあるかをお聞きしたかったのですが、
    遺伝子レベルに帰結することが確定している「生物学的差異」の方が現代では
    圧倒的に多いのでは無いでしょうか?それこそ日本人が100mを10秒未満で
    走る事ができる遺伝子的潜在能力を持っているか否かは現在では全く
    分かっていないと思いますが・・・。

  11. tpkn Says:

    ヨッシーさん

    > 最低でも、科学的な事実とその解釈とは厳密に区別する必要があると思います。それだけでは十分でないと思いますが、macskaさんはどのようにしたらよいとお考えでしょうか?私には「できるだけ注意する」というような抽象的な方法しか思いつきません。

    ここで批判されているのは、「「できるだけ注意する」ということがまったく行われていないことではないでしょうか。

    たとえば日本人はアングロサクソンに比べて酒に弱い、というような話であればアルコール分解酵素の有無とそれに関する遺伝子情報などを調べることで生物学的にも十分成り立つ論ですが、ここで大隅さんが述べている「非関西系」の日本人による「会話」の作法などは、いかなる意味でも社会的意味しか持たないということです。これらは、100メートル走云々ともちがって、計測不能ですね。

    なんか、大隅さんの話は、少し前の竹内久美子のトンデモ言説を彷彿させるものがあります。

  12. うさぎ Says:

    なんか自分の日本語がおかしい。言いたかったのはtpknさんじゃないが
    今現在、遺伝子情報に直結した「生物学的差異」である、と確定している現象は
    ごくわずかなはず、ってことです。
    ですからヨッシーさんの質問はmacskaさんが大隅さんのように
    自分の感覚で断言しない限りで無い限り答えようのないものと思います。
    なお、よっしーさんもご存知だとしたら釈迦に説教、ですが、いわゆる民族集団の
    差のゲノム解析というのはその作用がはっきりしているものより、役に立たない、
    と分かっているものを用いる方が標準的のはずです。

  13. ヨッシー Says:

    私のコメントにコメントして頂きどうもありがとうございます。

    tpknさん、ありがとうございました。
    私は、初めのコメントに書いてあるように大隅さんの論は暴論であると思っていますし、まさに「注意」が十分でなかったと思っています。でも、今回のように「注意」が十分であるかどうかの判断が容易である場合ばかりではないと思ったので、何かもっとわかりやすい考え方なりものさしがあるとありがたいと思ったのです。このような場にコメントするような場合にも、注意が十分であると自分では思っていても、きっとそうでない場合もあるのだろうと思います。

    うさぎさん、ありがとうございました。
    うさぎさんが書かれている事実には異論はありません。
    遺伝子情報に直結した「生物学的差異」である、と確定している現象は少数であることにはおっしゃる通りです。だからといって、それ以外の理由で「生物学的差異(私の定義です)」が起きていることにはなりません。というより、遺伝子情報に帰結しないで「生物学的差異(私の定義です)」の原因となっていると考えられる科学的に妥当な理由があれば、教えて頂きたいと思いました。私は、現在の生物学の知識の上では、「生物学的差異(私の定義です)」は遺伝子情報に帰結すると考えるのが妥当だと思っています。

    うさぎさんがおっしゃるように、現在、ゲノム解析で行われているのは、一塩基多型(SNP)と呼ばれるものが中心で、大部分は「ジャンク(がらくた)」と呼ばれる部分にある差異が中心です。ただし、これらの差異を、機能がわかっている遺伝子内の差異の研究へ結びつけようという研究が多くありますので、今後明らかになってくるだろうと考えて書きました。
    このような機能がわかっている「集団」間の遺伝子レベルの差が特性の差に結びついていることがわかっている例は、アポEの例(病気になりやすさと関係します)などごく少数です。

  14. tpkn Says:

    ヨッシーさん

    私の読んだ限りでは、大隅さんの論は「注意が十分でなかった」のではなく、注意が「まったく払われていない」状態にあると思うのです。「注意」の払われる方向が違うというか。

    大隅さんの払っている「注意」は、科学者としての発言が政治的反感を呼ばないように、あるいは政治的反感を呼ぶかもしれないがあえて言う、というように、もっぱら社会的反応あるいはPCに向けられていると思うのですが、実際の問題は、例証として挙げる事例が科学的かどうかという部分での注意が、なぜか払われていないということにあるのではないかと。

    大隅さんのブログにもPCの観点から「慎重に論ずべき」というような批判が多かったのですが、それも違うと思うんですよね。問題はPC以前に、「(アングロサクソンから見たら)うつ的症状」「(人種別の)活動量」「(アフロアメリカンの)指向性」といった例示が、すべてにおいて反証可能性を欠いているということにあるのです。単純に、科学と疑似科学をわけるポパーの指標にそって単純に考えたとしても、「注意がまったく払われていない」と言えるとではないでしょうか。ポパーの科学の定義それ自体への異論はともかく、これはモノサシとしてはいちおうメジャーで、わかりやすいのでは?

  15. tpkn Says:

    ヨッシーさんの問いかけに答えてないような感じがしたので補足しますと、極論すればPC的な「注意」は、最悪なくてもかまわないのです。科学的方法によって得た結論であれば、科学として提示すればいいのであって、たとえば科学的方法を用いた研究の結果、脳には性差があるということが明らかになれば、フェミニズムに遠慮する必要はない。ただし、それがジェンダーの違いを生み出すという話になってしまうと、現状ではトンデモとなってしまう、みたいなことでしょうか。これはPCの問題ではなくて、科学とそうでないものの線引きの問題です。

    つまり、注意すべきは科学的であるか否かそれ自体だということであって。これは、人文系がどうのこうの社会学がどうのこうの以前に、「理系」の方のとるべき態度としては何も特別なことではないはずですよね。しかし、大隅さんの今回の論は、そこんとこがおかしいのであります。

  16. ヨッシー Says:

    tpknさん、どうもありがとうございます。

    ポパーがでてくるとは思いませんでした。ポパーについてはいろいろと書きたいこともあるのですが、本筋からはずれますので…。

    tpknさんがおっしゃっていることは良くわかります。科学とそうでないものの線引きというのは、私がかいた、科学的な事実とその解釈の厳密な区別というのと類似した考え方だと思います。例えば、脳に性差が見つかれば、それは科学的な事実で、そこから先(例えばジェンダー云々)はその解釈です。

    大隅さんは、生物学者だし大学教授でもあるので、一般の人が書いたのとは違うということなのかもしれませんが、私個人としては、それにより起こることに責任がもてて、批判的な意見を含む反応を受け入れられれば、自分が考えたことをブログに書くという考え方もありなのではないかと思っています。ただし、私自身は、自分が書いたことを表に出す場合には「できるだけ注意」して、科学的な事実とその解釈とをきちんと分けたいと思っています。

  17. Josef Says:

    >大隅さんは、生物学者だし大学教授でもあるので、一般の人が書いたのとは違うということなのかもしれませんが、私個人としては、それにより起こることに責任がもてて、批判的な意見を含む反応を受け入れられれば、自分が考えたことをブログに書くという考え方もありなのではないかと思っています。(ヨッシーさん)

    私としては、学者が専門論文ならぬ「雑文」において放言するのは結構なことだと思っています。というのも、業績を上げる人はふだん馬鹿なことをいろいろ考えたり喋ったりしているもので(他人には言わない人もいますが)、そういう馬鹿なことを含めてアイデアが豊富であるからこそ業績を上げられる、という面があるからです。そんなアイデアを99パーセントが間違いであってもいいから「雑文」として書いてくれると面白いと思いますね。私が存じ上げている有能なお医者さんは、手当たり次第に「仮説」を立てる人で、そのほとんどは「そんな馬鹿な」なのですが、常人が思いつかない、思いついても馬鹿馬鹿しいという自己検閲が働いてそれ以上考えようとはしない仮説を平気で言い散らかし、時には「○○通信」という雑文にしたためたりする間違いだらけの土壌の上に彼の「業績」があるのだろうと思います。

    という点からいうと、大熊さんの話題の文章には馬鹿さ加減が全然足らない。「社会生物学かぶれの素人が飲み屋で言うみたいなこと」(macskaさん)という水準に止まっていて、「へー、生物学者ってこんな突拍子もないことまで考えてるんだ」と感心させてくれるものがない。「なぜ人間は戦争をするのか」という問いに「攻撃本能があるからだ」と答えるような陳腐さから一歩も出てないのですね。こんな程度のことなら誰にだって言える。せっかく放言するなら、「そんな馬鹿な」、でも「そんなことを考える生物学者ってある意味すごい」と思わせる放言をしてほしいものです。

  18. tpkn Says:

    > 瀬口さんと大隅さんで「典子」の名前を賭けて真剣勝負して欲しいところ。

    結果はどうだっかというと、瀬口さんのほうは「人種は科学では定義できない」というお決まりの反論に終始し、しかも批判に対しては侮辱だの失礼だのと一方的に切り捨ててしまうという幼稚な行動を見せましたが、大隅さんのブログでは賛否両論入り乱れ、何を問題とすべきかという点について、ある程度論点が絞り込まれましたね。

    「理系」の場に比べ、「フェミ系」による女性学、ジェンダー学がいかに論争に堪えられない硬直した「学問」かということがよくわかる展開でした。山口智美さんによれば、研究は運動のためにやっているそうですから、当然の帰結とも言えるかと。

  19. macska Says:

    わたしから見ると大隅さんの後付けの言い訳のほうがずっと幼稚に見えたのですが、大隅さんだって男女共同参画に関わっているし、瀬口さんは女性学とかジェンダー学じゃなくて人類学の人だし、無理矢理「理系とジェンダー学」もしくは「理系とフェミ系」の対立にしない方が良いのでは。

  20. tpkn Says:

    > わたしから見ると大隅さんの後付けの言い訳のほうがずっと幼稚に見えたのですが、

    ええ。discourさんと同程度に。私が「大隅さんのブログでは賛否両論入り乱れ」という言葉で指摘しているのは、場の雰囲気やモラルのことです。少なくとも、批判を「学問のために」切り捨てるようなことはありませんでした。

    > 無理矢理「理系とジェンダー学」もしくは「理系とフェミ系」の対立にしない方が良いのでは。

    え? でももともとのテーマはそういうアレじゃなかったの?

    http://nosumi.exblog.jp/3359891/

    少なくともむこうはそういうテーマを設定しているし、「理系」がこういうテーマを考えざるをえないのはジェンダー論が「わけのわからないこと(by Macska)」を言うからのだから、そういう逃げ方はマズイのでは?

  21. tpkn Says:

    だいたい、「他人を侮辱するようなコメントはご遠慮ください」って、中学生のmixiじゃないんだから、そういう排除のしかたについてなんの疑問も葛藤ももってないのが、瀬口さんははげしく常識はずれかつインモラルでしょう。yamtomさんも、自分達のブログでの発言が公論だという意識にまったく欠けていると思う。

    程度が低いです。

  22. macska Says:

    > でももともとのテーマはそういうアレじゃなかったの?

    いや、わたしは女性学やってる人だからそれでいいんだけど、瀬口さんは人類学の人ですから。わたしの知る限り、学問的には特に女性学とかジェンダー学とかやっていないんじゃないかな。人類学の中では理系に一番近いところにいるわけだし。
    あと、瀬口さんは現在旅行中らしいので、続きは今後に期待すれば良いのでは。

  23. tpkn Says:

    > 学問的には特に女性学とかジェンダー学とかやっていないんじゃないかな

    だってあなた、「正統派理系フェミブロガー」て書いてるぢゃん…。
    「フェミ」は女性学やジェンダー学と関係ないんかw  
    だったら、そんなのが「バックラッシュ」の何を批判したんかwww

    > あと、瀬口さんは現在旅行中らしいので、続きは今後に期待すれば良いのでは。

    私は「運動にコミット」しているわけではないので、とくに期待などしませんが、論以前の風通しの問題かと。あれじゃ専門バカであり蛸壺ですよ。

    というか、女性ジェンダーの悪しき局面がモロに噴出といういつものパターンか…。

  24. macska Says:

    > だってあなた、「正統派理系フェミブロガー」て書いてるぢゃん…。

    それは『バックラッシュ!』ブログ読者宛のネタなんですが。

    > 「フェミ」は女性学やジェンダー学と関係ないんかw 

    いやだから、フェミがみんな女性学とかジェンダー学やっているわけじゃないでしょ。

    瀬口さんへの批判は、彼女のブログでどうぞ。

  25. tpkn Says:

    > 瀬口さんへの批判は、彼女のブログでどうぞ。

    全部削除されるんですよ。だからこちらの「元エントリー」に書いてるわけ。

コメントを残す

コメントを残す