「パス」と「リード」:トランス業界における奇妙な方言について

3/26/2006 - 4:54 pm | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

トランスセクシュアル業界(というと語弊があるな、TSコミュニティとでも言っておこうか)の方言として、「パス」(パッシング)と「リード」という言葉がある。これは米国のトランスコミュニティで長年使われてきた言葉で、日本でもほとんど同じ意味で使われているようなのだけれど、最近その用法が一般的なこれらの言葉本来の意味からかなり倒錯していると思うようになった。

その前に、コミュニティについて詳しくない人のために、一般的にコミュニティ内でこれらの言葉がどのように使われているのか紹介しておく必要があるかもしれない。以下に、日本語による用語集として容易に見つかったものから「パス」と「リード」がどのように紹介されているか挙げて行く。(その他の用語が分からなければ、たくさん用語集を紹介しているので納得がいくまでリンクをたどって調べてください。)

資料(1)米澤泉美さん「とらんすてくにかるたーむひとこと解説集」から:

【パス(pass)】トランスジェンダーが、日常的な生活や行動の中で、他人から「自分の望む性別である」と認識されること。MtFで言えば、他人から女性であると思われること。

【リード(read)】トランスジェンダーが、他人から「あの人は性別を変えている」と思われ、それによって意図せぬリアクションを招いてしまうこと。MtFで言えば、他人から「女装をしてる男性」だと思われてしまうこと。

資料(2)銀河さん「トランスセクシュアル関連の用語について」より:

【パスする(to pass)】望みの性で日常的に通用すること。MTFなら他人から女性と見られること。FTMなら他人から男性と見られること。肉体的違和感の解消のためにおこなわれるのがホルモン療法や性別再判定手術であり、パスするためにおこなわれるのがさまざまな整形手術やヴォイストレーニング。

【リードされる(to be read)】望みの性で日常的に通用しないこと。MTFなら女装している男性と見られること。FTMなら男装している女性と見られること。

資料(3)TSとTGを支える人々の会「性同一性障害、トランスセクシュアル、トランスジェンダーに関する用語集」より:

【パス,パッシング / pass, passing】「望みの性」で社会的に通用すること。FTMならば他人から男性と判断され、女性またはFTMと思われないこと。MTFならば他人から女性と判断され、男性またはMTFと思われないこと。

(「リード」は該当項目無し)

資料(4)窪田理恵子さん「裏トランス用語集」より:

【パス、パッシング(pass, passing)】真実を知らない人から、体の性とは違う性(MtFなら女性、FtMなら男性)に見られたり、思われたりすることを「パスする」、「パッシングしている」と言う。その逆に「バレて」しまうことを「リード(read)される」と言う。
 私が、日本語が流暢な中国人のMtFTSの人に「日本人の女性として全然パスしているね」と言ったら、超受けたようです(笑)。彼女は国籍もパスしていて、日本人にしか見えませんでした(^^;。

資料(5)EON/W 「T’s 用語解説」より:

【パス (pass)】「パッシング」とも。T’s が、外見や振る舞いを含めて、希望する性(gender)で、他人が見て疑問を感じないほど社会に通用していること。リード (read) の対義語

【リード (read)】T’s が、生得的な性から転換していることを周囲に気付かれてしまう事。パスの対義語

後述するように最後の EON/W による定義だけ異質なのだけれど、トランスコミュニティで一般に「パスする」というとそれ以外の定義における意味、すなわち女性を自認する人なら「女性として見られている」ことを指し、男性を自認する人なら「男性として見られている」ことを指す。また「リード」とは、女性を自認しているのに「(女装した、女っぽい)男性と見られる」ことであり、男性を自認している人なら「女性と見られる」ことを指す。その意味で、両者が対義語とするのは正しい。

けれど、これはまず「パス」という言葉の普通の用法とは違っている。普通英語で「パス」というと、「肌の色が薄い黒人が、白人としてパスする」とか「同性愛者が異性愛者としてパスする」「ユダヤ人が、キリスト教徒としてパスする」といった具合に、「本来自分自身のアイデンティティとは違うものとして見られる」ことを指す。それから、例えば「本当は異性愛者なのに同性愛者と間違えられてヘイトクライムの対象になった」とか、「本当は白人なのにラティーノと間違えられて雇用差別された」という時に「パス」とは言わないように、「本来自分自身のアイデンティティとは違うものとして見られる」ことによって何らかの得をしたり、受け入れられたりする場合に使われる言葉だ。

MTF のトランスセクシュアルの人は、言うまでもなく「本来の自分自身のアイデンティティは女性である」と認識しているはずだ。ならば、女性として社会に見られることを「パスする」と表現することは、実は自分は本当は女性ではありませんと言っているようなものであり、トランスフォビアの内面化ではないか。

ここで面白いのが、神名龍子さんが主宰する EON/W の「異質な」定義だ。というのも、この定義に限って「パッシング」とはただ単に「希望する性として社会に見られる」ことではなく、「希望する性であることに、他人が見ても疑問を感じない」ことに重点が置かれている。「ああこの人はトランスセクシュアルで性自認は女性なんだろうな、それなら女性として扱おう」と周囲が考えて女性として扱われても、EON/W の定義では「パス」していることにはならない。というより、EON/W の定義だけが「パス」という言葉の本来の意味をそのまま使っている。すなわち、トランスセクシュアルの女性が「自分は女性としてパスしている」と認識するとき、それは「女性として」見られているかどうかとは関係ない。「本来はトランスセクシュアルの女性なのに、トランスセクシュアルではない女性として見られている」ことを「パッシング」と呼んでいるのだ、という事実を明らかにしている。現実の用法から言えばこちらが正しく、それ以外の定義は間違いと言ってもいい。

しかしそうすると、本来の自分自身とは違うものとして「パス」することは望ましいことか、という疑問が浮かび上がる。そりゃ、パスするかしないかで暴力をふるわれるかどうかが決まったり、仕事をさせてもらえるかどうかが決まってしまう現在の状況では、パスしようとする人たちを非難できない。でも、基本的に人々に「自分とは違ったもの」としてパスすることを迫るような社会はおかしいわけで、変えていく対象であるはず。「自分の本来のアイデンティティを認めて扱って欲しい」というのであれば積極的に支援したいと思うけれども、その人本来のアイデンティティとは異なる存在として「パスする」ことにあんまり積極的な意味は見出しにくい。

繰り返すけれど、トランスセクシュアルの人たちが自分の安全と生活を守るためにパスしようと努力することは、まったく非難されるようなことではない。けれど、そうするうちにパスして社会に溶け込むことが善であるという意識を内面化してしまうのは悲しいと思う。たとえば、トランスコミュニティ内部でパスできる人たちがパスできない人たちに比べて圧倒的な発言権を持っているのをよく見かけるけれど、コミュニティ内部くらいそんなランク付けはしないで欲しいと思う。

「自分本来のあり方を認めろ」という要求なら、よほど面倒なことがない限り認めたいと思う。けれども、「自分の本来のあり方ではないあり方として扱って欲しい」というのはちょっと違うような気がする。いやトランスセクシュアルというのはアイデンティティではなく生まれつきの症状のようなものだから、あくまで「トランスセクシュアルの女性」ではなく「女性」として扱って欲しいのだ、と言うかもしれない。それはそれで良いけれど、やっぱり「非トランスセクシュアルの女性」として扱って欲しい、というのはヘンだと思うのよ。もし社会が、トランスセクシュアルの女性を普通に「女性」として扱うようになれば、「非トランスセクシュアルとして(本来の自分とは違うものとして)パスしなければいけない」という強迫から解放されることになるのだろうか。

それはともかく、次に「リード」について。これもまた、EON/W の定義だけが異質で、暴露的に正しい。そのほかの定義によれば、例えば FTM の人が「男性」としてパスできずに「バレた」ときに「リードされた」と言うとされているのだけれど、その人にとっての自己認識が「男性」であるなら、どうして「女性」として扱われることが「バレた」ことになるのか。当たり前だけれど、真犯人ではない人が容疑者として誤認逮捕されても「バレたか!」とは言わないように、本来自分が男性だと思っているなら「女性だとバレた」と言うはずがない。もしそう言うなら、自分は男性だと言いながら「本当は女性なんだ」という自己否定をひどく内面化した FTM の人だろう。もちろん実際に「バレた」のは、「本当は女性」ということではなくて、「トランスセクシュアルであることが」バレることを「リードされる」と言っているのね。それを、EON/W の定義はオブセッシヴなまでに正確に記述している。

けれども、これでもわたしはまだ不満なんだ。だって、当人の意識としては「トランスセクシュアルであることがバレちゃった」だけど、一般社会の意識は「本当は女性であることをリードした=読み取った」だもの。つまり、一般社会の認識という意味では EON/W 以外の定義も正しい。

でも、トランスセクシュアルの人たちは、受動的に「読まれる」だけの本のようなものではない。あ、もちろん本だってただ受動的に「読まれる」だけでなくて、読者との関係によって新たな意味を紡ぎ出すものだけれど、ここで言ってるのはそういう話じゃないので勘弁ね。トランスセクシュアルの人たちは、「自分にとっての自己認識はこうである」という意識を持ち、主張できる主体である点が、ただ「読まれる」しかないーーそしてさまざまな「読み方」を受動的に許容するしかないーー本とは違っているはず。

わたしは、「パスする」の対義語は「リードされる」じゃなくて「ライトされる」だと思う。「書き込まれる」という意味ね。例えパスしていなくても、自分にとっての自己認識はこうだと主張しているトランスセクシュアルの人たちに対し、わざとそれとは違った属性を「書き込む」行為の暴力性が、「リード」という言葉ではきちんと示せていないと思うから。

それに、「リードされる」を「ライトされる」と言い換えてみると、本人の意志に反したジェンダーをライトされているのはなにもトランスセクシュアルの人に限った話ではない。性役割分担が政治的・経済的に強要されることだって、特定の「男らしさ」「女らしさ」のあり方が押し付けられることだって、本人の望まないジェンダーが「書き込まれている」ことであると言うことができるし、その暴力性もはっきりと示せる。そういう暴力の一種として、トランスセクシュアルの人の性自認やジェンダー・プレゼンテーションを外部から否定する行為をとらえることができればいいなぁと思う。(なんて、神名さんに怒られそうだなー。)

4 Responses - “「パス」と「リード」:トランス業界における奇妙な方言について”

  1. xanthippe Says:

    こんにちは

    そうかあ、リードじゃなくて、ライトですかあ・・・。 ブルデューのハビトゥスだとどっちもだから、それを分解する作業が必要ってことですかね?

    それから、個人的にいって、ジェンダーフリーの概念(言葉も)は、これからも街づくりにも生かしていきたいって思っているんですけど、駄目かな?

  2. 猫まんこ Says:

    >そうするうちにパスして社会に溶け込むことが善であるという意識を内面化してしまうのは悲しいと思う。

    内面化された差別意識といえば東郷健=オカマ問題ですが。

    東郷健が著書「常識を越えて」の中で
    「男で男を好きで愛するのに、女になってまで自然の体を変形さすのは、私は好きではないと週刊誌『アサヒ芸能』に書いたら、パーティーの席で『同席したくないわ』とカルーセルがいった。そしてそれっきり話しもしたことがない」
    と記してました。
    東郷氏は美容整形も「世間の常識に自分を合わす」として認めない立場だろうし、それが、氏の「正しさ」「美しさ」であり限界でもあるのでしょう。

  3. makiko Says:

    うちんとこの用語集がないぞゴルァ!!と思ってたら、

    「パス」「リード」の項目がない

    んですね(^_^;)
    「タチ」「ネコ」があって「パス」「リード」はないトランス系サイトの用語解説ということで(笑)
    意図的に入れなかったというより、単に入れてなかっただけなんですが、それだけ管理人がパスとかリードとかにあまり関心がないのかも。

    ということでこれ以上、コメントなし、としたいところですが、
    日本の場合、トランスセクシュアル、でなくて性同一性障害であることをリードされたくないと思うのは、それが治癒未了の病気だからある意味当たり前なんですが、逆に性同一性障害であることを自己肯定した上で、ノンパス路線みたいな人も現れて、混迷状態になっていまつ。

  4. asami Says:

    初カキコです。

    実は『大阪のおばちゃん』には男らしさ、女らしさはあまり関係ないのかもしれない。
    『大阪のおばちゃん』的なものが『大阪のおばちゃん』なのだという。定義するのが難しいな。
    行動や考え方によって評価される部分が大きいのではなかろうか。
    『大阪のおばちゃん』の最大のメリットは本音で生きているということでしょうね。
    『大阪のニューハーフ』も『大阪のおばちゃん』とほぼ同義かも。
    「ニューハーフで何が悪いねん」って生きていける街っていいかなと。

    本音で生きるということは権威もヘッタクレも無いということやね。
    「ばれたらどないしょ」なんて考えてたら生きてかれへん。

    考えれば『大阪のおばちゃん』は異様に異文化に対する吸収力が高いのかも知れない。

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