急進派クィアグループ、米国最大のLGBT系コンファレンスに挑戦状

8/17/2005 - 1:51 am | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

米国各地からLGBT系の活動家が集まる最大の集会と言えば、NGLTF (全国ゲイ&レズビアン・タスクフォース) が主催する「Creating Change」コンファレンス。開催地を西海岸・東海岸・中部と転々としながら毎年11月の第1週か第2週に4〜5日かけて開催され、わたしも自分が運営する団体の仲間を連れてここ数年続けて参加している。今年その会場となるのはカリフォルニア州オークランドなのだけれど、昨年以来「同性婚反対、結婚制度撲滅」という主張を掲げて注目を集めている急進派のクィアグループ、ゲイ・シェイム(名前は「ゲイ・プライド」に対抗して)が「Creating Change」コンファレンスへの反対と抵抗を呼びかける声明文を発表した。わたしは必ずしもゲイ・シェイムに同調する立場でなく、実際かなり批判的な立場だけれど、声明が訴える問題には重要な意味があると思うので、急遽その内容を翻訳した上で、わたしの意見を述べることにした。

とりあえずまずは、翻訳された声明(全文)を以下に掲げる。

「Creating Change」コンファレンスは何の変化も生み出さない!
ゲイ・シェイム声明

ゲイ・シェイムは、11月9日から13日にカリフォルニア州オークランドで NGLTF が開く「Creating Change」コンファレンスに直接行動・サボタージュ・改装・演劇・妨害・その他あらゆる想像できる方法で抵抗するようあなた方に呼びかける。

毎年開かれる Creating Change のコンファレンスは、変革への芽を摘み取る職業活動家業界の現状を疑うこともなく、何百人もの若い活動家たちを「非営利団体」の職に誘い込んでいる。これらの非営利団体は抑圧に抵抗していると言うが、実際には社会に存在する不平等をそのまま再現しており、一部の特権階級の利益のために他の大多数を苦しめている。非営利団体は権力を握ることしか考えない営利企業のメンタリティにおかされており、CEOと資本家の代わりに事務局長と資金提供者をトップとした階層を作り上げている。NGLTF は、はたして自分たちのオフィスを掃除する清掃員たちが十分な住居、医療、食糧、休暇、交通と余暇を得ていると言えるのだろうか? 無償で働かされているインターンたちは、ハリバートン[1]で働く臨時社員よりエンパワーされていると言えるだろうか?

われわれは Creating Change の金の動きに飽き飽きしている。彼らは人種差別に反対する運動を行っているというが、オークランド・マリオット・ホテルを会場としてそんな運動ができるというのか? マリオット・ホテルはモルモン教会の関係者が保有する国際的観光産業資本であり、貧しい島を特権階級向けのリゾートとして開発して白人観光客に植民地主義を実践させることで知られている。このような企業を経済的に支えておきながら、彼らに土地を奪われた先住民が土地を取り返すことの支援をできるとでも言うのだろうか? マリオットでたくさんのお金を使うことが、安い給料で酷使されているホテル従業員たちの仕事を少しでも楽にすることに繋がるのだろうか?

NGLTF は社会的・経済的正義と自由のために働いているというが、パームスプリングスの砂漠の中でスバル自動車の後援を受けて The Advocate Golf Classic というゴルフ大会を行っている[2]。グリーンが枯れないように毎晩必死で水をやっている非正規移民労働者たちは一体どれだけの給料を受け取っているだろうか? 砂漠に草原を作り出すためにどれだけの水が遠方のより貧しい地域から運ばれ、どれだけの環境破壊と農業の崩壊を引き起こしているだろうか?

NGLTF は人種差別に反対していると言うが、フロリダ州サウスビーチでは真冬の海岸でパーティを開いている[3]。そこに集まってダンスや乱交に講じている数千人の白人ゲイ男性たちが、その90マイル先のグアンタナモ・ベイ海軍基地において肌の色や宗教を理由に不当に勾留されている人たちを解放するとでも言うのだろうか? 6日の間麻薬をやりまくっている彼らに、警察署を焼き払い、人種隔離を収束させ、刑務所産業複合体を解体させることができるのか?[4]

今年の Creating Change の案内を見ると、「オズの魔法使い」を引用して「Surrender, Dorothy? Never!」(ドロシーよ、諦めるかい? 嫌だ!)というテーマが書かれている[5]。しかしゲイ・シェイムは良い魔法使いが現れてわれわれを救ってくれるとは思わない。NGLTF は箒を取り出すが(いや、清掃員にお願いして掃除機を持ってこさせるかもしれない)、実際にはかれらは結婚や軍隊といった暴力的な制度への忠誠心を高めるようなことしかしない。ドロシーが今しなければいけないのは、異性愛者の持つ特権に涎を垂らすのことではなく、ラディカルな別の選択肢を生み出す事だ。それまでは「Surrender, or Else!」(降伏か、それとも死か!)のみである。

*****

[1] ハリバートン:米軍需企業。チェイニー副大統領がCEOを務めていた。

[2] ゴルフ大会:裕福なゲイたちを対象としたゴルフ大会を開き、かれらが支払う参加費を活動資金にしている。つまり、資金集め活動の一環。ちなみに、パームスプリングスで実施されたこともあるけれど別の場所でも行っている。

[3] 冬のパーティ:これももちろん資金集め活動の一環。冬でも泳げるフロリダ州のサウスビーチに裕福なゲイたちを集めて会費を取っている。ちなみに本当に乱交や麻薬濫用が起きているかどうかわたしは知らない。

[4] 警察署を焼き払い:そう、ゲイ・シェイムの人たちは警察署を焼き払いたいと思っているくらいの急進派なのね。

[5] テーマ:これは間違い。オズの魔法使いを元にしたテーマは昨年のもの。昨年の会場はミズーリ州であり、ドロシーの出身地であるカンザスのすぐ隣だった。

[6] 降伏か、それとも死か:「暴力的な制度」を否定しているワリには、やや暴力的な結びじゃないかと思うんですけど…

わたしの感想を言うと、ゲイ・シェイムはそれぞれのポイントにおいてだいたい正しい指摘を行っているように見えるけれど、全体として見たとき NGLTF に問題点の改善を迫っているというよりは、とにかく難癖付けておとしめようとしているような印象を受ける。例えば、マリオット・ホテルでコンファレンスを行うのは土地を取り上げられた先住民たちを裏切る行為だと言っていて、それ自体間違いではないのだけれど、一体アメリカ大陸のどこに行けば「先住民から取り上げられていない土地」があるというのか。また、NGLTF がイベントを開く会場において労働者がどのような労働条件で働かされているかという点に関心を抱くのも正しいのだけれど、ゲイ・シェイムが要求するレベルの潔癖さを満たすような会場なんてあるわけがない。

ゲイ・シェイム自身だって、自分たちが声明を流すのに使っているコンピュータの部品がどのような立場にある労働者によって組み立てられたかとか、そのコンピュータを動かしている電気がどのように発電されており、その燃料がどういう立場の労働者によって産出されているかと問えば、イノセントであるわけがない。もちろんそういう問いは必要だと思うけれど、ゲイ・シェイムのやり方では何の具体的な改善にも繋がらず、ただただ自分たちの罪深さに絶望した挙げ句忘却するか、あるいは忘却できなければ団体を解体して自分も自殺してしまうかという選択肢しか残らない。いくら指摘の内容が正しくても、それじゃ何の意味もない。

ゲイ・シェイムは「6日間の冬のパーティが不当に勾留されている人々を解放することに繋がるのか」と言うけれど、それならゲイ・シェイムは人々を不当な勾留から解放するのにどれだけ成功しているのだろうか? わたしの知る限り、幼稚な「直接行動」とやらに若い活動家たちを巻き込んで無駄に逮捕歴ばかり作っているように見えるのだが。一方、現在米議会では連邦法のヘイト・クライム対策法の保護対象にトランスジェンダーの人たちを含むための改正法案が審議されているのだけれど、犯罪対策と言えば「重罰化」ばかり考えるような政治家たちを「われわれはトランスジェンダーの人たちに対するヘイト・クライムへの対策は求めるが、ヘイト・クライムに限って特に刑罰を重くしたり死刑を導入したりというような手段には反対する」と説得して重罰化に歯止めをかけたのは NGLTF だった。そうすることで、NGLTF は囚人を刑務所から解放することに確実に貢献している。

わたしがゲイ・シェイムに不満なのは、かれらが何ら戦略を持たずにとにかく自分たちだけが一番ラディカルであるとアピールしたがることだ。政治的行動には具体的な目的が必要であり、その目的に沿って戦略が立てられる。例えば、ある問題について世間の認識を深めることが目的であれば、はなから世間を敵視して誰彼構わず攻撃するような戦略は避けなければいけない。ゲイ・シェイムは「シアトリカル(劇場的)な」行動を得意としていると言うけれど、わたしから見てあれは単にコスチュームや化粧が奇抜であったりスローガンの技術が上手いだけであってシアトリクス(劇場的行動)とは言えない。シアトリクスというのは、観客の視線を意識しつつ、お話のヒーローである自分に観客が同一化できるよう演じることを言うはずだ。

もちろん、時には「とにかく言いたい事を言う」というアクションがあっても良い。でもそれは、そのアクションの目的が「言いたい事を言ってスッキリすること」であった場合だけだ。もし他に目的があるのならば、例えば他者の共感を呼ぼうとかある政策を阻止しようとかいうゴールがあるのであれば、「とにかく言いたい事を言う」だけではまったくもって不十分。「Creating Change」はくだらないから、よりラディカルなコンファレンスを自分たちが主催する、というくらいの覚悟があれば、まだ良かったんだけどね。結局、ゲイ・シェイムの声明からは自分たちが一番ラディカルで正しいのだ、というナルシシズムしか感じられないということになってしまう。

でも、それじゃ困るのよ。だって、ゲイ・シェイムが最初の方で訴えている「非営利団体」による運動モデルへの懐疑は、ゲイ・シェイムが考えているのとは別の理由で必要な問題提起だとわたしは思うもの。ゲイ・シェイムが「非営利団体」モデルに批判的な理由はというと、運動内に企業と似たような権力構造を含んだ階層化をもたらすからというものだけれど、わたしは階層化自体がいけないとは思わない。全会一致というのは一見素晴らしいようだろうけれど実際には必ず同調圧力が働くものだし、何か間違いをおかした時には全員の責任であり誰も悪くないという無責任の構図に陥りやすい。逆に階層化してそれぞれの担当と指揮系統を決めておけば、各自の決定に応じたアカウンタビリティを問うことが可能になる。そもそも、いくらゲイ・シェイムが「代表者なんていない、全員平等」と言っていても実質上の指導者がマット・バーンスタイン・サイカモア氏であるというのは周知の事実であり、「階層が存在しない」という建て前は実態として存在する権力構造を隠蔽することにしかなっていない。

わたしは、「非営利団体」モデルはゲイ・シェイムが言うように切って捨てるべきものだとは考えてはいない。けれども、さまざまな形ではじまった運動が、少し大きくなればどこもここも「非営利団体」になるような現状が良いとは思わない。非営利団体という形態を取る事の利点と欠点をきちんと比べれば、中には「非営利団体にならない方が良かった」例だってたくさんあると思う。

非営利団体となることの一番の利点は、個々の活動家や資金提供者への依存度を薄め、当初のメンバーが抜けた後も運動が続くような仕組みを作ることができることだ。また、対外的な責務を負う主体を確立することで、他の団体や政治家などからより一目置かれる存在となることもできる。欠点は、資金の運用や訴訟リスクをより厳密に管理する責任が生じ、そのために官僚的なルールや構造を導入せざるを得なくなる点だ。官僚制は本質的に自己増殖するものだから、それ自体を維持するためのコストが増え、さらに外部資金に依存することになる。また、個人による小口の寄付ではなく財団や政府による助成金に依存した場合、大口の資金提供者の意向を無視できなくなるという問題もある。

そういった個々の団体にとっての利害を超えて社会全体のことを考えても、社会運動に参加するということが「活動家として就職する」ことと同義になってしまってもいいのかという疑問は重大だ。もし社会運動の方針や路線が職業活動家たちによって決定されるようになり、一般参加者はそれに唯々諾々と従うだけになってしまうなら、そのような運動に魅力を感じる人は少ないだろう。しかしまた一方、活動家が社会運動を仕事とすることができない場合、社会運動は経済的に余裕のある人だけが参加する余興となってしまう危険だってある。こうした問題は、どちらか一方の極端に行けば良いというわけではなく、また中間のどこかに絶妙のバランスがあるというものでもないのであり、社会運動のあり方として永遠に議論をし続ける必要があると思う。

ゲイ・シェイムの世界観は、そうした曖昧なニュアンスの存在を認めない。全てが正しいか間違いかに一刀両断され、間違いとされた側はただただ打倒されるだけでしかない。けれど、世の中そんなに善悪がはっきりしているわけがないじゃないの。わたしたちみんな、「問題の一部」であり、同時に「解決の一部」であろうと努力している、それだけの存在でしかないんだからさ。

7 Responses - “急進派クィアグループ、米国最大のLGBT系コンファレンスに挑戦状”

  1. ひびの まこと Says:

    確かに具体的な指摘の1つ1つは考えるに値することのような感じがするなので、
    「Creating Change」コンファレンスに是非参加して、可能なあらゆる場所と機会を使って、コンファレンスの問題点を発言し指摘し続けよう!
    って、呼びかけたらよかったのに、と思った。
     「ゲイ・シェイム」も不充分だけど、そもそも「Creating Change」コンファレンスにも問題はある訳で、直接やり合う機会があれば、周りで見ている人を含めてお互いいろいろ考えることができていいのに。

  2. Macska Says:

    んーとね。この連中、やるんだよね。どうでもいい妨害活動。
    例えば、他の団体の会合に乗り込んで騒ぎを起こして活動不能に陥らせるとか。
    あらゆる機会を使って発言し続けられるのもとっても迷惑なんですけど。
    妨害するならせめて、NGLTF 会長のスピーチあたりにしてほしい。

  3. おーつか Says:

    ひびのさんの活動は、平和的かつ民主的だと思ってます。
    (だから加担してきたつもりです)。
    しかし、性運動の場面では、
    「他の団体の会合に乗り込んで騒ぎを起こして活動不能に陥らせる」
    ような被害に、じっさいわたしは遭遇しています。

    これはもちろん、日比野さんの意図ではないのですが、
    騒ぎを起こした当事者を良く知るものとしては、
    理論武装の一貫として同じ教養体系が使われている点に
    間違いないと考えています。

    日本のセクシュアルマイノリティ運動の中で、
    わたしの知らないそういうゴタゴタは山ほどあるはずで、
    それもオープンにして活動していけばいいのじゃないか、と
    思っています。

  4. おーつか Says:

    うーん、上記コメントは感想で、まったく説得的ではありませんね。
    説得力のあるコメントを考えますので、しばし猶予を。

  5. Macska Says:

    おーつかさん、こんにちは。

    「他の団体の会合に乗り込んで騒ぎを起こして活動不能に陥らせる」例なんですが、サンフランシスコやロスアンヘレスのエイズ・ディシデントの団体がありますね。かれらの主張では、HIVがエイズを起こすというのは間違いであり、政府と医薬業界とLGBT団体が結託してそれを隠している、と考えます。わたしなんかはそんな大陰謀はスケールが大きすぎて維持不能だと思うのですが、かれらの立場に立ってみると、自分たちは物凄く抑圧されていると感じているわけで、ありとあらゆる機会を使って抗議すべきだ、となるし、政府や医薬業界の利益に利用されているようなLGBT団体は撲滅あるのみ、という結論になってしまうのも、全く分からないでもないんです。

    あと多いのは、過激な共産主義系団体ですね。毛沢東主義の某団体あたりが有名ですが、かれらもやはり米国において共産主義というモノが会話のネタにすることすら許されないくらい、物凄く抑圧されているという認識からはじまっていて、だから自分たちを抑圧する側の団体を妨害しても仕方がない、という風になるわけです。

    陰謀論やら毛沢東主義のようなトンデモを信仰している集団だから、あるいは乗っ取りをするようなダメなやつらだから発言を認めないという事にすると、かれらはさらに先走ってテロリストになるしかないってコトになってしまいます。無制限にかれらの妨害行動を受け入れることはできないけれども、かといってかれらから発言機会をさらに奪ったり、存在を無視するといったことはやりたくないなーと思います。

    だからですね、ゲイ・シェイムの人たちには、妨害するなら NGLTF 会長のスピーチを狙って妨害活動して欲しい(笑) そしたら、NGLTF 会長は「じゃあ君たちの誰か、10分やるから論壇で発言しろ」と言って、とにかくステージに上げる。それでいいじゃないの。実際、わたしも講演中に妨害を受けたことが1度だけあるんですけど、わたしの独断で「じゃあ5分間あげるから何でも好きな事言いなよ」って壇上に上ってもらったら、最初は威勢良かったのがだんだんネタ切れしてきて、5分後にはおとなしくなりました(笑)

    ま、わたし自身、2年前の Creating Change では、あまりに「同性婚」ばかりに議論が集中していて、NGLTF 会長が「今一番重要なのは同性婚であり、異論を唱えることはわれわれの運動を分裂することである」みたいな発言したのに対して、閉会式中の大抗議活動を企画した側の要員だったりするわけで、ゲイ・シェイムが何らかの抗議活動をやるのは悪くはないと思う。でも大事なのは、それで何を成し遂げようとするのかという目標と戦略がちゃんとあるかどうかだよね。ただ単に妨害するだけで何も生み出さない行動をわたしは支持できないから。

  6. ひびの まこと Says:

    おーつかさん

    「騒ぎ」というのは、どの立場からみるのかという問題もつきまとうので面倒ですね。

    日本のセクシュアルマイノリティ運動の中で、
    わたしの知らないそういうゴタゴタは山ほどあるはずで、
    それもオープンにして活動していけばいいのじゃないか、と
    思っています。

    大賛成です。
    表に出してちゃんと争っておくことで、「ちゃんとしなきゃ」という一定の抑制力にもなるはず。

    その上で、

    これはもちろん、日比野さんの意図ではないのですが、
    騒ぎを起こした当事者を良く知るものとしては、
    理論武装の一貫として同じ教養体系が使われている点に
    間違いないと考えています。

    わたしの言っていることが、もし不適切な形で再利用されているとしたら、ちょっと残念。もし可能であれば、どこかで、対立双方が反論可能な形と場所で、具体例を示してもらえると、とても助かります。わたしも、自分の意見を見つめ直すことができるからです。

    ところで、

    「じゃあ君たちの誰か、10分やるから論壇で発言しろ」

    これはいいですね。大正解だと思います。ちゃんと10分でかっこよく話を終えるためのプレゼンの準備もして欲しいな(笑)

  7. おーつか Says:

    発言させたら、5分ですむ内容を5回くらい繰り返された過去あり。

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