2つ足しても物足りない今年のダイク・マーチ

2005年7月8日 - 2:20 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

もう半月以上前の話だけれど、「後で報告します」ってひびのさんにチャットで言っちゃったので報告しとこう。なんの報告かっていうと、2つに分裂して行われた今年のポートランドのダイク(≒レズビアン)マーチについて。ダイクマーチについては去年も記事にしているのだけれど、1年前はポートランドにおいて同性婚認証がはじまった直後でもあり、特に政治的な主張もなければ音楽も掛け声もプラカードもないダルい行進だった。それに引き換え、今年は突然政治的理由で2つに分裂するという激しい展開があった。
ダイクマーチというのはそもそも1992年にニューヨークで始まったイベント。当時活発だった ACT-UP というエイズを主題に置いた政治運動のなかで、死につつある仲間のゲイ男性たちを看護したりサポートするという「女らしい」役割を与えられていたレズビアンたちが、レズビアンによるレズビアンのための運動として立ち上げた Lesbian Avengers が最初に行った大きな行動が、このダイクマーチだった。商業化・健全化されつつあったゲイ・パレードとは対照的に、無許可で街の中を大きなたいまつを持って行進し、火を食べたり吹いたりするパフォーマンスを取り入れたのがその起源。とはいえ、今ではフツーの恒例行事となって当初の過激さは無くなっているし、そもそも Lesbian Avengers のポートランド支部は乱交状態に陥った挙げ句ここ何年も休止中、辛うじて毎年ダイクマーチを主催するだけになっていた。
ところが今年、その Lesbian Avengers に Queer Revolution(クィア革命)と名乗る別のグループが接近して、かつてのようにラディカルな政治的主張を掲げたダイクマーチをやろうと持ちかけたことで状況は一変した。去年まで「クィア・プライド・パレードとは無関係です」と言いつつその前日に行っていたのに、今年は市当局に道路使用の許可も得ないままわざとパレードと同じ時間帯にダイクマーチを実施し、途中でプライド・パレードに突入すると言い出したのだ。パレードに敵対する口実は、パレードの商業化がクィア・プライドの原点であるストーンウォール暴動における抵抗の精神に反するという理由。例えば、パレードの主催者が企業スポンサーを付けるために「ゲイの家庭の収入は一般家庭の2倍」などといった馬鹿げた宣伝文句を掲げたり、今年からパレードの健全化と称してゲイバーの集中した地区をパレードが通らないことになったりした点が、「コミュニティから貧しいクィアたちを排除し、残った人たちを消費者として企業に売り渡す行為だ」というのがその批判。
そうした批判は一応正しいのだけれど、実のところポートランドのプライド・イベントの商業化なんてタカが知れている。というのも、ざっと見回したところ、大企業と呼べるスポンサーはビール会社2社、コンピュータ関連2社に銀行1社だけ。ブースを出していたりする残りの企業の大半は、クィアたちが経営する中小企業ばかりだ。これがサンフランシスコとかもっと大きな都市のプライド・イベントとなると話が違ってくるのだけれど、今のところ企業によって飲み込まれたような印象は受けなかった。いずれにせよ、健全化されて市当局の許可も得たプライド・パレードに向かって無許可の別のマーチが突入するというのはちょっと危険すぎるんじゃないか。もちろん、大勢集まれば大丈夫かも知れないけれど、プライドの商業化に批判的な立場のわたしでさえあんまり「商業化」を実感しないような状況で「商業化反対」を掲げても、そんなに人が集まるとは思えない。少人数で何か問題起こしても警察に一網打尽にされるだけだ。
そうしたダイクマーチの新しい方針に対してプライド・イベントの主催者はそれなりに危機感を感じたらしく、彼ら独自で別のダイクマーチを例年通りパレードの前日に主催することになった。つまり、2日連続でダイクマーチを称するイベントが行われることになったわけだ。それだけにしておけば良かったのだけれど、プライド・イベントの主催者は Queer Revolution を批判して、「ダイクマーチに商業主義批判を持ち込むのは間違いだ、ダイクマーチはレズビアンの問題だけを訴えるべきだ」「プライド・パレードに敵対する連中は、同性愛反対を主張する宗教右派と同罪」とまで言い出した。もうどっちもアホというか何というか… メインストリームというか主流派を歩む人たちには、もう少し主流派らしく余裕を持って欲しいんだけど。
ダイクマーチの当日。って、それじゃどっちのマーチか分からんか(笑) じゃあ先に起きたダイクマーチ1の報告。去年以上に準備が整っておらず、退屈だった。だいたい、サンフランシスコでもシアトルでも、プライドがいくらつまらなくなってもダイクマーチはそこそこ面白いのだけれど、それはマーチの前にバンドの演奏やドラッグキングのパフォーマンスみたいなのがあったり、様々なグループがプラカードを持ち寄ったりするから。ところがポートランドでは、主催者が準備しなければ誰も何も持ってこないし、パフォーマンスも演説も何も無し。ただただいつの間にか歩き始めていつの間にか終わっている。今年は特に、プライド系の主催者がやけに「レズビアン」ばかりスピーカで連呼してたけど、昨年の記事で書いた通り「レズビアン」を自称する人たちは今のダイクマーチでは少数派なんだから盛り上がらない。
で、その翌日、過激派さんたちによるダイクマーチ。わたしは「粉砕する」とゆーのをマジメに受け取って、「わたしって逃げ足遅いし、非白人だから警察に狙われちゃ困るから、危険な感じだったら参加せずに見物だけにしよー」というつもりで行ったのだけれど、いつの間にかプライドの方と話が付いていたらしくて、突入するはずがただ単に「飛び入り参加」してしまっていた(笑) アホかお前ら〜っ! ま、さすがに何か主張するコトを持っているだけあってプラカードだけはちゃんと準備してあったのだけれど、その内容がチグハグで外から見ると意味不明。例えば、「クィアたちの抵抗は(商業化に取って変わられたおかげで)死んだ」というテーマのメッセージを掲げた人が、上半身裸でニコニコ笑って行進している。それやるなら、喪服に身を包んで悲しそうに(できれば何人かで棺も担いで)歩くべきじゃないですか? パレードに棺を持ち込んだら絶対注目されるよ。あるいは、「商業主義反対」みたいなメッセージ掲げても何の事か一般には全然伝わらない。それならみんなで「スターバックスでコーヒーを飲もう」とか「消費こそ幸せ」みたいなメッセージを一斉に掲げた方がインパクトあるでしょ。
よーするにね、自分はこう思う、ってみんな言ってるだけで、どうすればそのメッセージが伝わるかということを考えている人が誰もいないわけよ。どっちのダイクマーチも。
はじめのダイクマーチはそんなモノじゃなかった。例えば火を食べたり吹いたりというパフォーマンスにもちゃんと意味があって、Lesbian Avengers ではこんな合い言葉が交わされていた:

We take the fire within us
We take it and make it our own
We take the fire within us
The fire won’t consume us,
We take it and make it our own

最初のダイクマーチが起きる少し前、ここオレゴン州で同居中のゲイ男性とレズビアンがパイプ爆弾で殺害される事件があった。当時、オレゴンでは「同性愛者は精神異常である」と決めつける住民投票が行われていて、賛成派・反対派双方が総力を尽くして市民に支持を呼びかける中、同性愛者に対するヘイト・クライムが多発していた。しかし同性愛者を対象として爆弾が使われたケースはそれまで無く、ついにそこまで暴力行為が悪化したという形で全国的に大きなニュースとなった。上の合い言葉はその報道を受けて、「自分たちは爆弾も恐れない、炎を浴びても飲み込んで自分たちの一部に取り込んでいく」という決意表明であり、そのシンボルとしてたいまつを運んだり火を食べるというパフォーマンスを行ったのだ。文句無くカッコ良かった。
政治的な主張を掲げてマーチするなら、具体的にどういうインパクトを与えたいのか考えなくちゃ。もちろん、膨大な人数が集まるのであればそれだけで勢力誇示になるから何も考えずとも何らかの効果があるかもしれないけれど、そこまでたくさん集まらないならそれなりに戦略が必要なはず。無意味にエラそうな事を言った挙げ句、結局パレードに「飛び入り参加」して「おかしな奴ら」程度の扱いを受けた Queer Revolution の人たちが、これで目覚めてくれれば良いのだけれど。本気で「プライドの商業化」について議論を巻き起こしたいなら、いくらでも可能な戦略があったはず。
あ、わたしですか? いやー、2年くらい前だったか、Queer Revolution が発足した時、わたしも一応誘われたんだけど、資本主義打倒とかそんな事言ってたから呆れて放っておいたという経緯があったり。別に資本主義打倒が悪いわけじゃないけど、具体的にかれらがどういう行動を取って何をどう変えて行きたいのか全然見えなかったからね。でも、どういうわけかこんどの同団体のディスカッションにパネリストとして呼ばれてしまったので、ちょっと様子を見に行ってきます。

One Response - “2つ足しても物足りない今年のダイク・マーチ”

  1. トニオ Says:

    はじめまして。
    うーん、資本主義が同性愛者を圧迫している、そういう側面がもしあるにしても、
    それに対してどう運動を展開していくか、それは結構難しい問題ですね。
    2ch的な市民運動嫌い質(これが日本的な風土の側面があるにしても、やはりそれは常にありうると思っているので)に対して、どういうアプローチの仕方があるのか、とか。

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