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Wave Feminist Page

(e)merging. 第0回 (07/01/98)

ポルノグラフィとセクシュアリティの主体としての女性

テキスト:

Lisa Palac, How Dirty Pictures Changed My Life, from "Next: Young American Writers on the Next Generation" Eric Liu, ed. (1994)

Lisa Palacによるこのエッセイは、彼女が自他共に認めるラディカル・フェミニストだった大学時代からはじまります。 アーティストとしてフィルムを勉強していた彼女は、女性学のクラスでCatharine MacKinnon、Andrea Dworkin、Gail Dinesらによる反ポルノグラフィ論に大いに影響を受けるのですが、ふとした事から、普段はフェミニズムに対して理解ある言動を示している彼女のボーイフレンドが、実はポルノビデオを何本も隠し持っていた事を発見します。

「いますぐビデオを捨てなければ別れる」と迫る彼女に対して、「君がそういうなら捨てるけど、その前に一度このビデオを見て欲しい。 僕の事を誤解しないで欲しい」と答える彼。 さんざん言い合った挙句、結局彼女は「内容によっては別れよう」と思いながらも彼と一緒にビデオを見る事に同意します。

そこで彼女が見た物、それはMacKinnon氏の著書などから彼女が思い描いていた暴力的な描写でも女性を物として扱う映像でもなく、ただ単にカメラの前で男女が裸になっていちゃつくだけの、芸術的に「クズ」としか呼べない三流映画だったのです。 予期が外れて、ある意味ではほっとした彼女ですが、それでも不思議に思ったのが、何故男はこんなくだらない三流映画に熱中するのかという事。 その後何本かボーイフレンドと一緒に見ても、興奮するのは彼だけで、彼女にとってはただ単に退屈かつ幼稚な映像としか見えません。

そのうち、彼女は自分が映画監督の卵として、つい分析的な視点からポルノを見ていた事に気が付きます。 そのような見方をする以上、演技や脚本のまずさばかりが目立ってちっとも熱中できません。 そこで、彼女はビデオを一本借りてきて、自分の部屋で自分だけになって、初めて「楽しむ」ことだけを目的としてポルノを見るのです。そして、その時始めて彼女は罪悪感を感じずにマスターベーションで性的に興奮できる事を「発見」しました。 それはすぐに、男性のマスターベーションが当り前の物とされているのに、女性のマスターベーションだけをことさらタブーとする社会風潮への批判に繋がります。

ここで彼女は、MacKinnonらラディカルフェミニストは「男性による性的搾取」への回答として、女性が自身の性的欲望を否定するか、あるいはレズビアンになるか以外の選択を女性に提示していないと感じます。 過半数の女性はヘテロセクシャルなのに、そうしたヘテロセクシャルの女性が性的な主体となるためのサポートをラディカルフェミニズムが提供していない事に気付いたのですね。

マスターベーションがなぜ重要かというと、マスターベーションという選択肢が無ければ、彼女を含むヘテロセクシャルの女性にとっては自らのセクシュアリティを男性に全面的に依存する事になってしまうからです。 つまり、女性の性的主体性を奪っているのは強制異性愛制度だけではなく、マスターベーションをタブー視する風潮であると指摘するのです。

そこで彼女は考えます。 男性のマスターベーションが当り前とされるのは、男性向けのポルノグラフィがそこら中に溢れている事と無関係ではない。 ところが、それらの多くは男性の視点から男性を興奮させるために作られており、女性が見て興奮できるポルノグラフィは圧倒的に少ない。 女性の視点から女性を興奮させるために作られたポルノグラフィが増えたら、より多くの女性がマスターベーションをするようになり、女性の性的自立は実現するのではないか? そう彼女は結論付けます。

ここまで言えばもうこの先はお分かりでしょう。 彼女は大学卒業のプロジェクトとして監督・主演して女性向けポルノグラフィを制作し(男優は当然、彼女の人生を変えたボーイフレンド氏です)、卒業後も数少ないヘテロセクシャルの女性のための本格的(ここでは、芸術的価値があるということ)ポルノグラフィを作る活動をしています。

彼女の活動は、言葉の上でポルノグラフィとエロティカを区別してエロティカへの理解を装いつつもレズビアン以外のエロティカの成立可能性を極端に難しくしたラディカルフェミニスト的アプローチとも、ただ単にセックス革命(フリー・セックスを行うなど、社会的な性に関する規範に反抗する運動だが、男性中心的な点は古い規範と変わらない)に雷同するだけのこれまでの「セックス・ポジティブな女性」とも一線を画し、自分の欲望をしっかりと認識した上で「ほんとうの自分」としての女性の自立を追及したという点でユニークであると共に、非常に第3波的であるといえます。

「女性の性的客体化」という深刻な問題に対し、彼女はポルノグラフィというメディアを否定するのではなく、女性の性欲を主体的に捉えるポルノグラフィを実際に制作する事で回答としましたが、このようなポジティブなフェミニズムが今のフェミニズムの梗塞状態の打開に繋がるかも知れないと期待しています。

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