橋本努氏の「売春業のライセンス化」論は、承認も社会的包摂ももたらさない

2011年2月24日 - 4:40 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

ここのところ記事を書かせてもらっている「シノドスジャーナル」の執筆者の一人でもあり、わたしと守備範囲がかなりかぶっている(経済学よりの社会思想)橋本努さん(北海道大学大学院経済学研究科准教授)が、新著『自由の社会学』に関連して、「気鋭の社会学者が提案する『売春業のライセンス化』と『自由な社会』とは?」と題するインタビューを受けている。『自由の社会学』そのものは読んでいないのだけれど(紀伊國屋書店ビーバートン店でみかけたら買おうと思っている)、このインタビュー記事を読んで気になった点をいくつか。
タイトルにもあるように、このインタビューが取り上げているのは、『自由の社会学』の多岐にわたる(らしい)トピックのうち、「売春業のライセンス化」について。橋本さんは、次のように説明する。

しかし現実には、オーストラリアやニュージーランドで、売春業の経営者にライセンスを与える形で、売春の合法化が行われています。なぜ、そのようにするのかといえば、非合法でも実際には、日本中で売春は行われているわけです。非合法でもこんなにやっている人がいるなら、合法化して、きっちり取り締まるほうがいい、ということです。

この二国だけでなく、西欧の多くの国においてこうしたライセンス化が行われているのは、橋本さんの言うとおり、「非合法でもこんなにやっている人がいる」という現実を踏まえたうえで、売買春に関連するとされる社会問題、たとえば性感染症の蔓延や性労働者に対する暴力や搾取、人身売買、組織犯罪の暗躍などに対処するためには、合法化したうえで規制をかけたほうが良いという判断からだ。
ところが、少し読み進めていくと、ちょっと違った話になってくる。

年齢を制限して、ゾーンを限定して、ライセンスを取りにくくし、しかもライセンスの数を規制すれば、本当にそれが天職だと思える人しか、売春しなくなると思います。たとえば、主婦や女子高生がお小遣い稼ぎにやることは、倫理的にも法的にも認められないでしょう。
(略)
たとえば、シンガポールでは自動車の数を規制するために、ナンバープレートの数を決めています。だから、自動車を新しく買おうと思ったら、ナンバープレートを購入しなければならない。ナンバープレートには、市場価格が付いていて、たくさんの人が自動車に乗りたいと思えば、ナンバープレートの価格は上昇します。それと同じように、売春業のライセンスの数を決めるような法律を作れば、たとえ資格試験に合格しても、売春を開業できないことになるでしょう。このように、荒廃しないための方法は、いろいろと考えられます。

インタビュアーがしきりに「社会の荒廃」を懸念しているようなので、荒廃しないためにはたとえばライセンス化が有効である、と橋本さんが応えている、という構図なのだけれど、いろいろおかしな話になっている。オーストラリアやニュージーランドのライセンス化は「売春業の経営者」を規制するのが目的であるのに、なぜか橋本さんが推奨するのは「労働者の規制」のようだ。そこがまずおかしい。
ライセンスの数を制限し、市場での売買を通して流通させれば、当然それなりの値段がつく。すると素人がお小遣い稼ぎに売春をはじめようと思っても、ライセンスを取得するコストが高すぎるので、お小遣い稼ぎにはならない。したがって、「本当にそれが天職だと思える人しか売春しなくなる」、と橋本さんは考えているらしい。しかし、法律で「売春にはライセンス必須」と決めたからといって、誰もがそれに従うわけではない。というよりそもそも、橋本さんの「売春ライセンス導入論」は「法律で禁止してもなくなるわけではない」というところから出発しているはずなのに、ライセンス取得を法律で義務付ければそれ以外の売買春がなくなるというのは、明らかに矛盾している。
そのライセンスの取得条件について、橋本さんは次のように言っている。

試験の難しさでいえば、車の普通免許を取るよりは難しくしたほうがいいでしょうね。具体的な試験内容ですが、例えば、労働法や市民権論、性の歴史、性に関する医学、フェミニズム、社会学、ディベート術などを3カ月以上にわたって勉強してもらうような形にすれば、性を売る人は、問題が起きたときに自分を守るための、豊かな知識を得るでしょう。

性労働者たちは、性労働者であるがゆえに暴力を受けたり、搾取されたり、健康に害を及ぼすような行為を強要されたり、あるいは差別を受けたりと、さまざまな問題に直面している。そうしたときに、「自分を守るための豊かな知識」は(フェミニズムや社会学がそれに役に立つかはともかく)重要だろう。
しかし本当の問題は、かれらが労働局や警察、医療、裁判所など、自分たちの権利を守ってくれるはずの機関から必要な救済を受けられない――程度の差はあっても、これは売春が合法化されている国や地域でも同じだ――ことだろう。もし「問題が起きたとき」のことを本当に懸念するのであれば、それらの機関が性労働者をその他の人々と対等に支援・救済するような制度を整えるべきだと思うのだが、橋本さんの提案は「ライセンス試験」というかたちで性労働者たちに過剰な自己責任を押し付けようとするものに見える。
ここでも橋本さんは、ライセンス取得条件として『豊かな知識』を身につけることを義務づければ、売春する人はみなそうした知識を身につけるだろうし、そうした知識を身につけない(身につけるコストを支払ってもペイしないので支払わない、あるいは支払えない)人は売春をしなくなるだろう、という前提に立っている。しかし現実には、ライセンスの価格や取得条件が厳しくなれば厳しくなるほど、ライセンスがないまま売春する人を増やすだけだ。もしそれなりのコストを払って数ヶ月に及ぶ講習を受けたうえでも(数量制限により)ライセンスが手に入らないこともあるのであれば、なおさらだ。
もし仮に性労働者にライセンスを発行することが上に挙げたような「売買春に関連するとされる社会問題」の対処として有効であるならば、むしろ逆にライセンス取得のハードルをできるだけ下げることによって、「継続的に売春をする人の大多数がライセンスを取得している」という図式が成り立つようにするべきだろう。そのようにしてもし売春している人の実態を把握できれば、たとえば、性感染症の情報や労働問題の相談窓口を一斉に広報することができるなど、それなりにメリットがなくもない。もちろん、性労働者に対する差別や偏見が続く限り、ライセンス取得を避ける人は残るだろうが。
それより合理的な施策として考えられるのは、経営者側の規制だ。たとえば経営者に対して、法律や性感染症についての講習を有給で労働者に受けさせるように義務づけるとか、性労働者を正社員として雇い保険・年金に加入できるようにする、職場における安全やプライバシー保護に責任を持たせる、といった規制はどうだろうか。労働者を規制するよりも、経営者を規制するほうがよっぽど簡単だし、実効性もある。
ちなみに、性労働者運動に関わっている人の大多数は、売買春の「非犯罪化」(現行法のうち売買春を取り締まる法律を廃止すること)を主張していて、規制による「合法化」には懐疑的な人が多い。それは「合法化」ではまさに橋本さんが提案しているような(あるいはわたしが以前「ラスベガスとネバダ州の売買春についてメモ」で紹介したネバダの例のような)、労働者のためにならない規制になる可能性が高いと思っているから。労働者の権利を守るために経営者側を規制するというなら、歓迎する人は多いだろう。
橋本さんは、ライセンス化することのもうひとつのメリットとして、「専門的な承認」を挙げる。

ライセンスというのは、一つの専門的な承認です。売春業のような、世間では白い目で見られる職業でも、これを「卓越」した能力を必要とする仕事として認めてあげる。そうすれば、売春者でもプライドを持って生活できるでしょう。こうして排除された人を社会的に包摂するのです。
(略)
虐げられたり排除されたりしても、人は誇りをもって生きていくことができるんだ、と。自由な社会というのは、限界状況にいても、倫理規範に従わなくても、いい人生だなと言える、そういう社会だと思います。限界状況にいる人たちの卓越は、普通の人々にとっても、自由に生きるための感染力となるでしょう。

売春業が性の専門家として承認され、プライドを持って生きることができるような世の中は、悪くはないと思う。でも性労働者がプライドを持って生きられないのは、ライセンスがないからではない。差別や偏見や暴力を受け、ほかの人が当たり前のようにして享受している社会的制度――たとえば警察、司法、労働局、保険、年金など――の恩恵が受けられないからだ。
当たり前すぎてわざわざ指摘するのも恥ずかしいくらいなのだけれど、性労働者が「虐げられたり排除されている」のが分かっているのであれば、その「虐げられたり排除されている」現実を変えていかなければいけない。ライセンス化によって専門的な「仕事として認めてあげる」(なにその上から目線?)のは結構だけれども、「虐げられたり排除されている」現実があるかぎり、それだけでプライドを回復することはできない。それに、そもそもそのライセンスの制度が(橋本さんの言うとおりに設計した場合)性労働者の多くを排除するような仕組みになっているなら、「仕事として認めてもらえない、承認されない」売春者を大量に生み出すだけだ。
「虐げられたり排除されたりしても、人は誇りをもって生きていくことができるんだ」――たしかに、そういう人もいるだろう。しかしそれは、かれらが虐げられたり排除されたりしている現実を放置する口実にはならない。放置したあげくに、「虐げられたり排除されたりしながら誇りをもって生きる人」の存在に、そうした排除を行っている側の人たち、すなわち「普通の人々」がある種のインスピレーションとして搾取・消費・依存するなど、とんでもない。
橋本さんはこうしたインスピレーションの例として、「パラリンピックでがんばっている障がい者たちの姿」を挙げている。

たとえば、パラリンピックでがんばっている障がい者たちの姿を見ると、私たちもそこから、何か受け取るものがありますよね。普通の人でも、やればできるのではないか、と。そういった「ガッツ」を与えてくれる。

スポーツでがんばっている人を見ているとインスパイアされる、というところまではいいだろう。でもそこでアスリート一般ではなく「パラリンピックでがんばっている障がい者たち」が持ち出されるのは、単に目標に向かって頑張っている人をみると元気になる、というのとは別の理由がある。それは、パラリンピックの出場者たちが「虐げられたり排除されている」存在であり、なおかつそれでもくじけずに頑張っていると見られているからだ。
こうした言説において、障害者たちは「私たち=多数派である健常者たち」を感動させてくれるネタとして扱われるが、それはひたすら多数派にとってのインスピレーションとして消費されるだけで、かれらが日々プライドをもって生きることを困難にしている社会的・経済的な現実は何の手当もされないまま放置される。橋本さんの主張は、障害者運動や障害学において繰り返し批判されてきた「スーパークリップ」的幻想を性労働者に押し付けるものだ。これは「承認」でもなければ「社会的包摂」でもなく、差別のひとつの形態でしかない。
もっとも、本をちゃんと読めばこうした論点もきちんと扱われているのかもしれないけれども、インタビューを読んだ限りでは、「売春業のライセンス化」というおもしろい提案をしておきながら、実際に各国においてどのような議論がありどのような法制度が採択されてきたのか、あるいはそれがどのような影響をもたらしているのかといった基本的な事実認識を欠いたまま、机上の空論を提示するだけに終わっているのではないか。
橋本さんは「社会思想というのは役立たない学問だと思われている」という「状況に違和感を抱いて」おり、「政策的なことを体系的に考えてみよう」としたわりには、現実どころか社会思想の中でここ数年のあいだに繰り広げられた議論(たとえばマーサ・ヌスバウムが二〇〇八年に発表したエッセイを起点としたさまざまな論争)すら踏まえていないように見える。同じシノドスジャーナルの執筆陣であり、同じ社会思想というフィールドに関心を抱いている者として、そしてそのなかでも特に性労働者運動にコミットしている立場から見て、この問題についての橋本さんの考えには物足りないものを感じた。

2 Responses - “橋本努氏の「売春業のライセンス化」論は、承認も社会的包摂ももたらさない”

  1. Tweets that mention macska dot org » 橋本努氏の「売春業のライセンス化」論は、承認も社会的包摂ももたらさない -- Topsy.com Says:

    […] This post was mentioned on Twitter by 国安真奈 Mana Kuniyasu, ぽっぽっぽ and 江川広実, Emi Koyama. Emi Koyama said: 橋本努さんの「売春業のライセンス化」論 http://bit.ly/hJ3jn8 に批判書きました。 http://bit.ly […]

  2. どら犬 Says:

     売買春の規制の数々の事例実態、可能な方法の適切さの評価という点については、判断がつきかねます。が、次の一点については、インタヴューを一読して、まったくおなじ印象をうけました。
     社会のための設計・提案というものは、「全体の俯瞰」を必要とするから、「上から目線」を感じさせてしまうのかもしれず、このことは必ずしも非とはしません。が、この箇所の「とんでもなさ」は、たんに論理的な必要悪からくるものではない、と感じます。ひどい。
    >放置したあげくに、「虐げられたり排除されたりしながら誇りをもって生きる人」の存在に、そうした排除を行っている側の人たち、すなわち「普通の人々」がある種のインスピレーションとして搾取・消費・依存するなど、とんでもない

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